二章② 癒やしと壊し
「じゃあ、飲もうか」
春人の言葉と共に全員が一斉にすくった水を飲んだ…………冷たい。喉奥に流れ込んでいくそのよく冷えた水は疲れた体に染みこむようだった。手持ちの水と違って制限もないので半ば夢中になって春人は繰り返し水をすくっては口へと運んでいく。
「…………ぷはー」
そうして満足したところで息を吐いた。ふと周りを見ると他の三人も同じ調子だったようで満足そうに息を吐いている。
「えと、とりあえず即効性の毒はなさそうですね」
思い出したように春人は口を開く。これだけ飲んで即効性の毒があればもうとっくに死んでいることだろう。
「そうだな、むしろ疲れが消えたみたいに気分がいいくらいだ」
それに透が頷いて言う。
「あんだけ走ったんだからよく冷えた水を飲めば疲れも消えた気になるわよ」
突っかかるような物言いではあるが天音の表情からも疲れは消えているように見える。
「はい、本当にすごく楽になりました!」
一番疲れていたであろう彩花も嬉しそうに言った。
「…………まさか体力回復の効果がある水とか?」
ふと春人はそんなことを呟く。普通ならそんなことは考えないがここは普通の場所ではなかった。実際に疲れのとれた感覚もあるしまさかという気にはなった。
「そんなファンタジーあるわけないじゃない」
馬鹿馬鹿しいというように天音が否定する。
「でも今いるここはファンタジーな場所だよ」
だからこそありえると春人は思うのだ。
「まあ、確認するだけなら損はないだろ」
違ったところですでに飲んでしまっているのだからリスクがあるわけでもない。別に現状でその効果をあてにしなければならない何かがあるわけではないのだ。
「でもどうやって確認するんですか?」
ふと疑問に思ったように彩香が口にする。
「…………すごく走ってから飲んでみればいいんじゃない?」
馬鹿馬鹿しいというように天音がそれに答える。それこそ水を飲んだくらいでは軽くならないような疲労困憊した状態で飲めば効果が確認できるだろう。
「まあ、それも一つの手だがな」
透は頷きつつも続ける。
「どうせなら俺はこれを体力回復だけと限定せずに考えてみたい」
どうせ希望的観測なのだからさらに希望を盛ったところで問題はないと透は言う。
「どう違うのよ」
「見ればわかる…………春人、何か刃物あるか?」
透の視線が春人へと向けられる。
「まあ、ナイフならありますけど」
透のやろうとしている子は予想ができた。刃物なら天音が包丁を持ってはいるが…………これから透がしようとしていることを考えれば自分が貸すべきだろうと春人は思う。
「一応絆創膏はありますけど、やりすぎないでくださいね」
リュックから小ぶりのナイフを取り出すと春人は透へと差し出した。
「そんなざっくりはやらないさ」
受け取りながら透は答える。
「ちょっとまさか……」
その会話で察したのか天音が顔を青くする。
「そう、そのまさかだ」
答えると同時に透は自分の二の腕をナイフで軽く傷をつける。定番は指先だが失敗した場合を考えると指先は血が止まりにくいし神経が多いから痛みも大きい。ごくごく小さな傷とはいえ指は何をするにも使う場所なのでその度に痛むのはストレスになりやすい。
「さてこれを、と」
透は腕をぽちゃりと二の腕まで水につける。これが溜め水であればそこに血を混ぜるのは好ましくないが、流水であれば問題はない。すぐに伝わって来るひんやりとした感触に心地よさを感じつつも透はさっと腕を引き抜いた…………そして確認する。
「…………マジか」
自分で提案しておきながら予想もしてなかったというように透は驚いて腕を見る。確かに今しがた付けたはずの傷がなかった。傷の跡どころかまるで最初から何もなかったというように二の腕は綺麗な状態になっていた。
「入れた手を間違えたってことはないのよね?」
思わず確認するように天音が尋ねる。そんなミス普通に考えればありえないがそれくらい、目の前の出来事は信じ難い。
「いっそもうちょいブッスリいってみるか?」
「やめてください」
本当にやりかねない透の手から春人はナイフを取り返す。
「治るにしても限度があるかもしれないじゃないですか」
RPGなどの定番では全快するがこの水もそうだとは限らない。試しに重傷に使ってみて治らない、治りきらないでは困る…………そういうのは実際に重傷を負ってしまった場合に試すべきものであって自分で重傷を作ってまで試すものではない。
「俺としてはその限度を知っておきたいんだがな」
「気持ちはわかりますけどこの場合はリスクの方が大きいです」
現状にリスクを気にする余裕がないのは確かだが、この場合は話が違う。例えばさっきの落とし穴であればリスクを取らなくては確実な死が見えていた…………しかしこの場合はそうではない。
「あの、私も目の前で血がたくさんとかは嫌……です」
おずおずと彩花も声を掛ける。顔が若干青ざめているのは透がしようとした実験を想像してしまったからだろうか。
「ま、それもそうか」
一方の透はあっさりと意見を引っ込める。
「でもまあ、ここから持ち運んでも効果があるかは確認したいな」
「そうですね。有効時間みたいなのがあったら困りますし」
幸いペットボトルや水筒があるから持ち運びは可能だ。飲み水の確保に加えて治療手段も手に入ったとなれば大きな前進になる…………しかしそれもいざ使う段になって効果がありませんでしたじゃ困る。
「なら今日はここで休むのも一つの手だな」
水もあるし草の上なら固い床で寝るよりはマシだろう。
「ここが安全なら、ですけどね」
春人は懸念を含んだ表情で答える。普通に考えて水場というのは危険地帯だ。なぜならどんな生き物も生存に水が必要である以上必ずここにやって来るからだ…………その中には当然春人達にとって危険な生き物も存在する、というかほとんどの生物が危険だ。
さらに付け加えるならこの場所は春人達がいた通路以外にも二か所と繋がっている。奥にある噴水の左右にも通路が繋がっていてT字路の中心にこの部屋がある形だ。つまるところ水場を別にしても化け物が通りかかる可能性は高い。
「…………まあ、もしかしたら安全かもしれないって根拠はありますけど」
けれど春人はそんな言葉も付け加える。
「その根拠って?」
「ひっ!?」
天音が尋ねようとしたところで彩花がひきつった声を挙げる。その理由は一つしかなく他の三人はまたかというように視線をそちらへと向けた。
「うっ」
そこに見えるのが化け物なのだと予想していても思わず春人の喉はひきつる。そこに居たのは牛…………の顔をした人型の何か。しかし顔以外が人の体形をしているだけであってその大きさはまるで違う。あの青鬼ほどではないが身長は二メートルを超えていた。纏った粗末なぼろきれの隙間からははちきれんばかりの筋肉に包まれた肉体が見え、さらにはその手には巨大な斧を握っている。
「ミノ、タウルス……」
呆然と彩花が呟く。
それが四人の遭遇した三体目の怪物だった。
お読み頂きありがとうございます。
励みになりますのでご評価、ブックマーク、感想等を頂けるとありがたいです。