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Ⅳ.蟷螂男

 夜はもう既に更けきって、屋敷は深い闇に沈んでいる。

 男は、屋敷の中でも奥まった場所にある空き部屋。そこに一つだけある古びた寝台のそばで、床に転がっていた。


「お前たち()()()は、蟷螂(カマキリ)によく似ているな」


 寝台に腰かけ、足元に転がった男の裸の腰を踏みつけながら、若旦那は小さく嘲笑を零した。


 若旦那の指す「ふたり」とは、やはり男と妹君の少女のことであろう。


 男は「ふたり」という言葉にぴくりと反応を示すと、苦しそうに咳き込みながら目だけで若旦那を見上げる。


「毎日のようにふたりして川に入水しよって。あまりにも馬鹿が行き過ぎて笑う気にもならんがな。人とは思えぬ愚行、ますます蟲ケラじみてきた」

「……なぜ、カマキリと……?」


 男が掠れた声で小さく尋ねると、若旦那は大きく鼻を鳴らす。


蟷螂(カマキリ)といえば、入水だ。奴らは泳げもしないくせに、自ら水に身を落として死ぬことが多い。通説では、蟷螂(カマキリ)が入水するのは体内に寄生する寄生虫が原因と言われている。だが一説には、蟷螂(カマキリ)水面(みなも)に反射した〈光〉に引き寄せられ、入水するという説もあるのだよ」

「……光、もとめて……入水……」


(夜のランプの灯に、羽虫が群がるのと同じようなものなんだろうか)


 〈死〉という光を求めて入水する少女。

 そして、少女を求めて入水する己。


 少女はその特異な魂の形から蝶のようだと男は思っていたが、確かに自分たちは蟷螂(カマキリ)にも似ているのかもしれない。

 素直にそう思った。


「それに、蟷螂(カマキリ)には〈共喰い〉の(さが)がある。交尾の最中、または交尾後に雌は雄を喰らってしまうんだよ」

「! ……っく、う……!」


 不意に若旦那が寝台から下りて、床に転がる男へと馬乗りになった。容赦なく男の腹に体重がかけられて、男は弱々しく唸る。


「お前たちもそうなるだろう? なあ? お前とあのクロアゲハが交われば、お前はクロアゲハに喰われるに決まっている。蝶は喰らわれる側のはずだがな、お前というみっともない雄であれば……ははは! ああ、その光景は少し見てみたいかもしれない。お前は必ず、両手を揃え合わせ眼を閉じて、いじらしく妹にその身を捧げるぞ。なあ、そうだろう?」


 少女に、喰われる。


 男は若旦那に首を絞められ、揺さぶられながら、ぼんやりと己が少女に喰われる様を思い描いた。


 少女の食べ方は気品に溢れているので、きっと己を残さず綺麗に平らげてくれるだろう。

 あの赤い舌の上で、端麗な並びの小粒な歯に嚙み潰され、細い喉に呑み込まれる。そして胃の腑で溶けて、肌から青く透けた血管を流れる血と、柔らかな肉と成る。


 それは、とてつもない幸せなのではないかと。


 男は霞がかった頭の中で、おぼろげにそう思った。


「だが、やはりお前とクロアゲハが交わるのは駄目だな。私はお前も妹も、心から愛しているから。もし、お前たちふたりが交われば、思いがけず殺してしまうだろう。……それにしても、近頃のクロアゲハは面白いものだよ。何やら私の虫の標本箱を盗み出してきては、私の前で壊して見せるのさ。何度も何度も、懲りずに壊しては、私に愛されたがる。なあ、本当に可愛いモノだろう?」


 若旦那の自慢げな話を聞いた男は、霞がかっていた意識が唐突に正気へと戻った。


 そういえば、ここ最近の少女はずいぶん身体の動きが鈍い。


 彼女は長らく屋敷の中に縛られていた割には、非常に身体能力が高かった。

 おそらく、生まれつきの才の一つなのであろう。彼女はその身軽な身体で男の何倍もある高木に軽々と登って見せるし、脚も速い。


 そんな彼女が、近頃は入水する前に男から逃げきれず、捕まってしまうことが多々あった。


 もしかすると、その原因は──若旦那の影響か。


 そこまで瞬時に思い至って、男は己の首を締め付ける若旦那の手を掴んだ。


「……若旦那、様。どうか妹君様には……乱暴を、なさらないで、ください」

「……何だと?」


 機嫌のよかった若旦那の声が、途端に低くなった。

 だが男はそれにも構わず、枯れ切った声で懇願する。


「お願い、いたします……代わりのお相手は、俺がつとめます、ゆえ」

「……何だ。珍しく嫉妬か? お前もずいぶん可愛らしくなって──だとしても、断る。私は妹を愛しているからな。我々の兄妹仲の邪魔をするな」

「ですが、彼女はまだ子供です。子供の身体は、思っているよりも脆いもの」


 光であろうと闇であろうと。

 それらに堕ちて溺れるような行き過ぎた力は破滅と成ろう。

 かつての少女の言葉が男の脳裏を過る。


「若旦那様の振るわれる力が、愛であろうと……行き過ぎた力は、破滅と成りましょう」


 そう男が言い終わらぬうちに、男の顔が固く握られた拳によって打ち付けられた。

 いつの間にか立ち上がった若旦那は、続けて男の下半身を何度も蹴り上げる。

 男は突然の大きな衝撃と、想像を絶する痛みに思わず叫びをあげた。


「それが、気持ちがいいのだろうが」


 若旦那は、まるでかつての少女と瓜二つなような──人形の如き顔をして男を見下ろすと、底冷えした声でそう嗤った。


 若旦那は一度男から離れると、どこからかランプと何本もの蝋燭を持ち出してくる。男はそのランプの炎と蝋燭が何に使われるのか瞬時に察して、唇を嚙んだ。


 おそらく、此度の夜は長くなるだろう。明日はもしかすると……少女の下へは、いけないかもしれない。


 男は四肢をそこらに放ると、既に傷と痣に塗れた全身の力を抜く。

 そして、何としても生きて朝を迎えるため、(まじな)いでもかけるように意識を(もや)で覆っていった。


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