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ただ残ったのは、矛盾人間だった  作者: 夏城燎
2 『そのてをとめろ』
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3


 「どのくらいの期間、バイトするつもりなんですか?」


 歩道を歩きながら、寒い寒いと息を手に当てていると。

 なんて質問が視界内から聞こえて来た。

 ……という文面から、もう既に誰の言葉か分かるであろう?


「一週間くらいかな。既に店長には話を付けている」

「ん。一週間でバイト周りの整理が出来てしまうのですか?」

「僕もそこは驚いたんだけど、どうやらタイミングが良く新しいバイトが来るらしいんだ。僕はもっと長い事働いているつもりだったんだけど、店長から一週間で大丈夫だよって言ってくれたよ」

「なるほど」


 その申し出について、少し助かったというのが本音だ。

 まぁ迷惑が掛からない程度にバイトをやるとして、となると、少なく見積もって一カ月とかそのあたりかな、なんて考えていた。

 バイトをやめるタイミングが僕にとっての開戦の合図――事を起こす絶好のチャンスである。

 ……でもその絶好のチャンスが、伸びて伸びていってしまうと、色んなことの判明が遅れる可能性がある。

 だから、早めにバイトをやめれそうで、安堵している。

 僕の目的は前述したとおり、自らを正当に罰してもらう事だ。

 なんて、時間が経つと、捕まりたくないが故の言い訳に聞こえる気もするな。

 僕の理性は少なくともそう考えているが、確かに、感情が理性をそう言った結論に向かわせている可能性は、無きにしも非ずだ。


「……」


 苦労ばかりだよ。

 胸やけが止むのは、一体いつなんだろうね。


 僕も分かっている。

 僕は、感情を抑え込めない人であると、分かっている。

 理屈でどれだけ自己を律しようとしても、それでも叶わない。

 まぁそこが人間のいい所でもあるし、悪い所なんだろうな。

 ……何だかやっぱり、今ならあの哲学の意味を理解できる気がするよ。


『人は人である限りまともではないし、また、人は人でいる限り、ある意味まともと言える』


 やっぱりあの哲学における『まとも』とは、そう言った人間の特性についての事なのだろう。

 なんて思うと、あの哲学が僕の心に留まるのも分かる話だ。

 ……でもまだ言語化出来てない部分が多いな。

 概ねこの哲学に理解を示しているけど、それをまだうまく言語化出来ないや。

 それも時間の問題なんだろうな。ゆっくり考えよう。


 考える時間は、僕に残されているのだろうか。

 分からないな。

 でもやるしかない。


 僕が信じる正義、なんて胡散臭いけど。

 僕が信じる自分を、信じて行こう。

 まだ僕はやれるんだ。

 僕は、変わったんだ。あの時と違う。そう、違うんだ。


「あ、でも学校に取りに行かなきゃいけない物があるや……」

「おや? 何か忘れ物でもしたのですか?」


 僕の独り言に、信義鐘人が反応した。

 そう言えばこいつが常に僕のすぐそこにいるから、今までみたいに独り言を吐き出せない訳か。

 これまた難儀な事だね。


「ああ、携帯を忘れてしまったんだ」

「え? 先ほど持っていませんでした?」

「確かに今ガラケーは持っているけど」


 って言いながら、僕は鞄の中のガラケーを取り出す。


「これと他にスマホもあるんだよ。んま、本命はガラケーの方だけど」

「わざわざ分けているのですか? 一体なぜ?」

「おばあちゃんがこっちでしか連絡取れないんだよ。まぁあと、スマホは基本封印するようにしているんだ。理由はまあ、単純に好みじゃない」

「好みじゃない?」

「僕もアナログが性に合うって事だよ」

「ほう」

「……」


 今のは僕が回答を間違えた。

 簡単に理由を濁せるって言う動機で、軽々しくこいつに共感してしまった。

 こいつが生前、恐らく生粋のアナログユーザーであるのは発言から読み取っている。

 だからこそ、こいつの感性を合わせちゃいけなかった。


 ほらみろ、言わんこっちゃない。

 嬉しそうにニヤニヤし始めた。

 やめてくれ、おじさんがやってきても嬉しくないんだ。


「きもちわるい」

「そんなご無体な」


 おいまってくれ、今考えてみるとこれ、傍から見たら仲がいい同士の漫才に見えるじゃないか。

 本当に止めてくれ。勘違いしないでほしい。

 僕はこいつを殺して、そしてこいつは僕を殺そうとした異常者だ。

 忘れないでほしい。

 もし僕とこいつの会話で楽しんでいる輩がいるのなら、今すぐ序章から読み直してこい。

 今すぐだ。


「……とりあえず、明日くらいに学校へ行こうか」

「あら? 普通に登校するのですか? てっきり今から忍び込むのかと」

「そんなラノベ的展開を求めているなら、早急に違う本を買いに行くべきだね」


 普通に考えて忍び込めるわけがないだろう。

 中学にありがちな古い校舎ならまだしも、相手は高校なんだぞ。

 警備レベルが明らかに違う。

 なんて訳もあるのだが、本音を言うと、僕はそこまで運動神経がいい方ではない。

 単純に僕のフィジカル的に、侵入できる自信がないと言うだけでもある。

 つうか侵入できるフィジカルを普通に持っている漫画の住人は何なんだ。

 やはり補正でもあるのだろうか。

 もし僕が主人公の物語があるのなら、是非上方修正してほしいね。

 頼んだぞ、作者やだ


「明日は普通に登校するよ。でも表に顔出すのはリスクがあるかもだから」

「というと?」

「ニュースにお前殺害の容疑者について何の情報もなかった。が、警察側が意図的に情報を伏せている場合だってあるだろう?」

「ドラマでよくありますね」


 現場に証拠を残さないように工夫はしたが、しかし、それでも完全ではない。

 あくまで現場でそういった事はないと思うが、

 あの晩より以前、僕とこの男が何度も接触していたというのは必ず駅の監視カメラなどに映っているのだろう。

 だからやはり、気は抜けない。


「もし警察が既に僕をマークしていて、そんな僕が学校に現れたらどうなる?」

「それで言ったらバイト先も同じな気もしますけどね」

「バイトも本当なら行くべきじゃない。でも、迷惑かかっちゃうからね」

「変なところで情に厚いんですね君は」


 うっせ。

 まぁ確かにそれは否定しない。

 ただ勘違いしないでほしいのは、その本質は優先順位の違いだと言う事だ。

 僕にとって学校はあんまりいい場所ではない。

 だからこうも後回しにしている。

 それに比べてバイトは、少なくとも学校よりかはいい場所だ。

 一般常識的に考えると優先順位が逆なのは分かっている。

 でもそれでも、僕からしたら、やはりあの場所は嫌いだ。

 理解できないのなら、勉強が嫌いとでも思っておいてほしい。


 なんて濁しても。

 別に明日行けば、嫌でも分かるんだけどね。


「とりあえず今日は帰るよ」

「ですね。お仕事お疲れ様でした」

「はいはい……」


 薄っぺらい労いの言葉を耳に入れながら、僕は冬の寒さを感じ身震いした。




 家に帰って来た。


「……」


 別に家に帰るのは毎日の事だし、この信義鐘人も、少しは慣れてきたらしい。

 真っ暗な室内。外の月光を頼りに畳へ登ると、

 そこには静かな和室が広がって、僕はその中をとことこと歩いて進む。

 音はたてない。意味はないけどね。

 でも分かる人もいると思うんだけど、畳の上って変に静かに歩いてしまわない?

 靴下で歩くから音が出にくいのもあるけど、なんか、静かに移動しちゃうんだよね。

 なんでだろうね。……どうでもいいか。


「ばあちゃん、帰ったよ」


 僕は広い和室を進み、そして一つの襖を開けた。


「あぁ、お帰り春香。学校おつかれさま」


 部屋の真ん中、ちゃぶ台の前に座っていたのは、テレビ見ながら新聞を眺めていた祖母であった。

 白髪にしわの多い顔。

 だが、伺える印象は優しいだ。

 いつもは表情が硬いんだが。僕を前にすると、それは一変する。

 笑顔になるのだ。祖母はとても優しい聖母の様な笑みをこぼして、僕の疲れを労わってくれた。


 僕は、昔の僕は少なくとも、その笑顔に救われていた。

 救われて、嬉しくて、安心していた。でも今は、もう違う。


「ばあちゃん、今日は何日か分かる?」

「ん? 今日は一月の二十五日ではないのか?」

「……そうだね。ありがとう」


 僕がそう言うと、祖母は、二〇十年、一月二十五日の新聞を捲って、

 二〇十年、一月二十五日のテレビ番組をもう一度再生する。


「……ご飯作ってくるね」

「ん? え? 見羽(みはね)は夜勤かい?」

「うん。そう言っていたよ」

「そうだったのか。なら私がやるべきだったね。ごめんね」

「いいんだ。僕がぱっぱと作っちゃうから、ばあちゃんは待っててね」

「わるいね」


 一通り会話を終わらせて、僕はおばあちゃんの部屋の襖を閉じた。

 ほっ、と瞳を閉じ、胸に手を当てながら、一息ついた。


「不気味ですね」

「酷い言い方だなぁ」


 僕が目を開けると、目の前に信義鐘人が立っていた。


「何度見ていても息が詰まりそうですね」

「仕方ないだろ。ばあちゃんの時間は、ずっと止まったままなんだから」


 そう言うと、流石にあの信義鐘人でも、言葉を詰まらせた。

 僕の祖母、板橋原美(いたばしはらみ)はとある病を患っている。

 それは、見ていれば分かる通り、二〇十年、一月二十五日に取り残されるという病。

 どういう事かと言うと。

 ――それ以降の出来事を、全く記憶できないのだ。


「……」


 病名は『前向性健忘(ぜんこうせいけんぼう)』。

 説明は、調べた方がはやい。


「母親と父親はもう死んでいるのですが、祖母の中ではまだ母の見羽は生きているし、僕はまだ小学生なんです。でも成長した僕の姿を見ても僕は僕だと分かってくれる。本当に不思議な病だ」


 僕の祖母は要するに、新しい記憶を保持できない病気である。

 だから僕はほぼ毎日、あの会話を繰り返している。

 ……全部、一言一句間違う事無く、同じ会話を行っているんだ。

 正直、苦痛だ。


「あれ、包丁がない」


 考え事をしながらキッチンでサラダを作ろうと野菜を取り出したのだが、

 何故か台所に包丁が無かった。


「ばあちゃんがどこかやったのかな」

「そんな事があるのですか?」

「たまに物を隠すんだ。隠している自覚はないのかもしれないけど」


 と、僕は、予備の包丁を取り出して、野菜を切り出した。


「料理できるんですね」

「自炊だよ。親が死んでからずっと」

「いつ頃死んだんだ?」


 死んだって、そこは配慮して亡くなったとかで聞いてほしいね。

 僕の気分を考えてほしい。

 ま、殺人鬼の異常者にそんなの求めても仕方ないかもしれないけどね。


「二〇十年、一月二十五日だよ」

「なにで死んだ?」

「事故って聞いてる」

「聞いている?」

「小学生だったんだ。見せてもらえるわけないじゃん。死体すらみてない。見たのは、見せてくれたのは、二つの棺桶だけだよ」


 あの時の事はもうよく覚えていない。

 なんせ十年も前の話だからだ。

 僕はまだ小学生で、だから、両親の死体なんて、全く見せてくれなかった。

 いいや、配慮としては間違えていない。

 あの時僕に見せない判断をした親戚は、もう全く会いに来ないけど、今思えばある意味、間違っていない選択をしてくれた。

 今は確かに放任主義であるが、定期的にお金を出してくれるし、しばらく会ってないけど、色々と面倒は見てくれている。

 それでも母と父が死んで、結局僕の生活に残ったのは、

 頭がおかしくなった祖母と小学生の僕だった。


 あの時、葬儀を取り仕切ってくれた親戚が、一体どういう心境であったかは、想像に難くない。

 でもそれでも、当時してくれた最低限の行動は、確実に今を作っている。

 僕がこうして普通らしい生活が出来ているのも、高校へ入学できたのも、あの時色々と援助してくれた親戚のお陰なのだ。


「そうだったのですね。そこからはもう一人で」

「そうだね。ずっと一人で生きてきたよ」

「それはそれは、大変だったでしょうに」


 意外な事も言ってくれるんだな。僕を殺そうとしたくせに。


「残り物で何とかなりそうだね。漬物も出して、冷凍の物を温めようか」


 僕は言いながら、両手を動かして、てきぱき調理を進める。


「……」


 自らが不幸であるなんて考えた事はない。

 でも、きっと僕は傍から見ると、確かに不幸なんだろう。

 不幸である事で、他人から憂いの情を向けられた事もあったが。

 まずまず、それが、間違いだと思うのは僕だけなのだろうか。


「……」


 気が付いていない人間が多い。

 というか、気づいた方が、それは不幸せの片道切符であって、それを無意識に理解しているから、人は幸福でいられるのだ。

 人の幸せは総じて局所的である。

 どういう事かというと、誰かが幸せになる裏では誰かが不幸になっているということ。

 実感が持てないなら外を歩けばすぐわかる。


 誰かが笑顔で漫画を買ったり、飲食店へ入ったり、映画館へ行ったり。

 それら娯楽には全て裏方が存在する。彼らは自らの行いを仕事と正当化し、賃金という物で自分が幸福であると錯覚しているが。

 ……だがそれら負担は、やはり全て不幸である。

 誰かが幸せになる裏で誰かが不幸に、誰かが成功したら誰かが失敗し、誰かが勝ったら誰かが負ける。

 気にするだけ仕方がないと切り離せる人間だけが幸せになるが、

 いざ不幸側に立つとそれら人間も不幸を嘆く……幸せと言う概念が間違えている。

 表裏一体、光ある所に闇が生まれる。

 そういったものと、幸福は何ら変わらないのだ。


 だから不幸な人間を見て憂うこと自体。

 僕は傲慢であると思っている。なんて、長々しい幸福空論を垂れ流す。


 これが僕の考えである。

 だから、幸福不幸というもんは、すべて同じ程度周りに存在しているのだ。

 ……ただ人と言うのは、不幸を重く捉えすぎる場合が多々ある。

 百のファンの応援より、一のアンチの批判コメントでメンタルを病むアーティストがいるように、やはり人にとって、不幸は耐えがたいものなのかもしれない。

 ものは捉えようだとも思うけど、その言葉は僕の空論には合っていない言葉である。

 だがしかし、人のマイナスイメージについて感じる物量は、恩恵や被害どちらであっても、何故かマイナスの方が強いらしい。

 不思議なもんだ。どちらも均等に与えるなら、均等に耐えられる精神性を持たせればよかったものの、神がいるなら、いい趣味してる。


「いただきます」

「いただきます」

「……」

「……」

「お前も食べるの?」

「え? 俺様は食べないの?」


 いや、お前霊体だろ……。

 なに普通に僕の前に座っているんだ。


「冗談はほどほどにしてくれ、疲れているんだ」

「俺様だってお腹くらいすくのですよ」

「それは死活問題だな、勝手に天国にでも昇ってくれ」

「残念、落ちるの間違いですよ」


 何ドヤ顔しているのだろうか。

 別に僕からしたら、こいつがどんな場所へ行くのかなんてどうでもいい。

 僕の視界にいなければ、何でもいいのだから。



 そんなこんなで、今日という一日が終わった。

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