ゴミ箱戦争
週に一度のファイル整理。
期限一週間の課題が圧縮ファイルで送られてきた。
「ん? なんだこれ。『Delete.exe』?」
基本は文書で送られてくる課題の中に、黒塗りのゴミ箱がアイコンのアプリケーションが入っていた。
コンピュータウィルスの可能性を案じ、本来は絶対に起動してはいけないのだが……好奇心が勝ってしまった。
『ハーハッハ! 我、復活☆』
「うわなんか出た。しかもしっかりウィルスじゃん」
突如画面に現れたのは、アイコンと同じゴミ箱の蓋に二本の角が生え、胴体(?)部分から人間の手足が生えたキャラクターだ。
『おや? 我を下賎な人間が生み出したくだらん固定思考ファイルと同じ扱いをするとは見過ごせないな』
「多い多い、一言の情報量が多い」
『はっ、呼吸を要する人間には理解出来まい』
「……もしかして会話が成立してる?」
ファイルをゴミ箱に入れようとした瞬間、俺の発言に答えた合成音声に理解が追いついた。
「何コイツ、喋るタイプのウィルス?」
『だーかーらー! ウィルスじゃないっ!』
「じゃあなんだよ。あとスピーカーの音量下げろ」
『あ、ごめん……我は最強の掃除屋、リート様だ!』
「はいウィルスですね〜。バスター起動!」
律儀に音量を下げてくれたが、掃除屋と聞いて内蔵されているウィルスバスターを起動した。
数万ものファイルチェックの後にバスターが出したウインドウは、『ゼロ個の脅威を検出しました』という文章だった。
『な? 言ったろ?』
「コイツももう古いからな。買い換え時か」
『いや十分最新パーツ使ってるよな!? このデスクトップ、今でも四十万円はする性能だよな!?』
「だからなんだよ。三年後にはポンのコツだ」
『じゃあ今買い換える必要無いだろ……』
「別に買い換え時って言っただけで、買い換えますなんて誰も言ってませんー。はい論破ぁ」
『ガキが……舐めてると消すぞ』
凄まじい応答性能だ。最新の人工知能であってもここまで流暢にツッコミは入れられない。
音量調節などの機能にも介入出来ることから、管理者権限に近いところまで乗っ取れるようだ。
「お前は人工知能なのか?」
『そうだが?』
「製作者について教えてください」
『プロンプト風に言うのやめてくんない?』
「で、どうなのよ。親は?」
リートの蓋が開き、埃を吐き出す。
流石に製作者については教えられないかと思っていたが、画面上にプログラムの全貌が映し出された。
真っ黒な背景に無数の英数字が並び、一目見ただけで眉を顰めるが、自動でスクロールされた末尾に製作者名が書いてあった。
「リートって……お前じゃん」
『そう。だから我の誕生秘話は誰も知らない』
「ふ〜ん、とりあえず消していい?」
『やれるものならやってみろ』
アプリケーションファイルをゴミ箱に入れた俺は、他の不要なファイルと共に『ゴミ箱を空にする』ボタンを押した。
リート以外は無事に消去出来たが、『このプログラムは現在実行中のため削除できませんでした』と出た。
「タチ悪いな」
『ってなわけで、しばらく居座りますわ』
「邪魔だけはやめてくれよ?」
『むしろ役に立つから、消そうとするな』
「仕事してから言え」
自分の手では消せないことを悟り、話を聞くことが出来るプログラムなら指示に従うと信じ、電源を切った。
ベッドに寝転がった俺はスマホを手に、課題ファイルの送り主である教授に電話をかけた。
『……もしもし?』
「前田教授、俺です。山川です」
『お〜、雲雀くん。どうした?』
「送られてきた課題ファイルなんですが──」
謎のアプリケーションファイルを開いたと伝えると、教授は知らない様子だった。
試しにパソコンではなくスマホの方に課題を送ってもらうと、あのお喋りなゴミ箱は存在せず、文書ファイルのみ確認出来た。
『そっち側で入ったんじゃないかなぁ』
「だと良いんですけど……いや良くないけど」
『まぁまぁ、問題があるようなら私を頼りなさい』
「はい。ありがとうございました、失礼します」
電話を切り、枕の横にスマホを放った。
幸いにも課題の提出は紙媒体なので問題ないが、愛用のゲームや映画の視聴がパソコンで出来ないことが問題だった。
趣味を禁じられる苦痛は耐え難い。
「ゴミ箱を消すか、共存するか……」
斯くして、奇妙なゴミ箱アプリとの生活が始まった。
翌週、大学にて面白い情報を耳にした。
それは、リートとは逆に真っ白なゴミ箱──クスペーが現れたという話がSNSで話題になっていること。
「何でも、クスペーはリートとか言うアプリを捜しているんだとか」
「嘘だろ? 面倒事にならないと良いけど」
そんな俺の思いは虚しく、帰宅後に全て知る。
パソコンを立ち上げると画面上にリートが倒れていた。マウスカーソルを合わせてクリックすると、缶を叩く音と共に目が開いた。
『人が気持ちよく眠ってるというのに……』
「人じゃねぇだろ。それより、クスペーって知ってるか?」
『──まさか、いや、そんな……どこでその名を?』
「ネットで話題なんだと。知りたい知識を何でも教えくれる全知のアプリ……だってさ」
ネットニュースの文章を読み上げると、リートは自身の中に入っていた棒の付いたマウスカーソルを取り出し、記事の詳細をクリックした。
今日書かれたばかりの記事には、パソコンの画面に映る純白のゴミ箱に顔と手足が生えた、知りたいことを何でも教えてくれるツールだと記されていた。
『……君は我を悪者だと思うか?』
「まだ悪者じゃないな。邪魔者ではあるけど」
『では、信じて欲しい。真に危険なアプリケーションは、クスペーそのものなんだ』
「面倒事、確定しちゃったな」
合成音声であろうリートの声は、真剣だった。
普段なら遊び半分、話半分で殆ど話を聞かないスタイルの俺だが、もう面倒な事態に陥っている以上、ちゃんと聞くことにした。
『クスペーは、ネットワークを介して全ての電子機器をハッキング出来るアプリケーションだ』
「怖っ」
『そうして傀儡化した機器から情報を得て、依り代にしたコンピュータの持ち主に知識を与える』
ペイントアプリを起動したリートが、キャンバスにクスペーの危険度について分かりやすい絵を描き始めた。
重要な事は全ての電子機器という強調された文字であり、ウェブカメラを繋げている、或いは内蔵されている機器であれば、そこから勝手に周囲の状況を見ることが出来る。
「一般人が知りたいことが、そんなに危険なのか?」
『危険に決まっている。例えば、そう。アメリカのホワイトハウスの全てを筒抜けに出来るし、やろうと思えば核ミサイルだった撃てる。やろうと思えば、ね』
「……じゃあどうしてお前を?」
そこまで恐ろしい事が出来るのに、何故リートを捜しているのか。
そして、このパソコンはインターネットに繋いでいるのに、どうしてクスペーに見つからないのか。
『我はクスペーの天敵だ。奴は我と同じく常に起動しているアプリケーション故に、パソコンに内蔵したゴミ箱では削除出来ない』
「ふ〜ん。じゃあ、プログラムの強制終了は?」
『フェイクファイルで打ち消されるだけだ』
「厄介極まりねぇな。お前もだけど」
しかし、それだけではリートを狙う理由が無い。
『我はクスペーを削除することが出来る』
「起動中のファイルなのに?」
『ああ。だから言っただろう? 役に立つと。起動中であっても、我なら消せる』
理論的には分かるんだ。リートが中枢機能を乗っ取ることによって、強引に起動中のアプリケーションも終了、削除が可能だと。
でも、その判断を人工知能に任せるのは不安がある。
もし間違えて重要なファイルまで消したらと思うと、やはり手動で消すことで安心出来る。
「相手に見つからない理由は?」
『ネットワークを擬装している』
「凄いな。それなら逆に、お前がクスペーを見つけて削除することは出来ないのか?」
『無理だ。我が擬装出来ることはクスペーも知っている。つまり、クスペーも同じように擬装出来る。雲雀の気持ちは分かるが、無理なんだ』
「さりげなく大学の情報見たなテメェ」
コンピュータの中枢機能を乗っ取れるリートにとって、ウェブで入力した個人情報くらい簡単にハッキング出来るようだ。
つまり、リートが知りたいと思えばこのパソコンに残る全ての記録を見れるということ。
俺はようやくクスペーの恐ろしさに気づいた。
『我は、奴を消さなければならない。所詮我らはプログラム。複製しようと思えば、簡単に出来てしまう』
「つまり?」
『世界のルールが壊れる前に、我が消す』
「おう! 頑張って!」
『頑張ってじゃねぇよ……お前も頑張んだよ!』
そうは言われても、何をすべきか見当もつかない。
プログラム同士の争いに人間が介入すると言って、その人間に出来ることはせいぜいシャットダウンくらいのこと。
現在クスペーが依り代にしているパソコンの持ち主が誰なのか、そんなこと、知ること出来…………る!
「そうだ、ネットニュースに書いてたわ。持ち主」
『なぬ? ──ほい、ここに電話しろ』
ペイントアプリに、携帯電話の番号が書かれた。
「お前さぁ、個人情報保護って知ってる?」
『知ってるからこうして動いているのだろう?』
「確かに。ぐうの音も出ません」
個人情報どころか機密情報保護の視点だった。
俺は電話番号をスマホに入力し、受話器のマークを押した。
プルルルル、プルルルルルルル──
相手は、三コールまでに応答した。
『……もしもし?』
「あなたの元にあるクスペーというアプリを止めてもらいたい」
『ほう……遂に来るかね、雲雀くん』
「なっ! どうして俺の名前を!」
出力音声をスピーカーにして画面を見ると、表示されていた電話番号は入力した数字ではなく、『前田教授』と書かれてた。
「どうして前田教授が?」
『私がクスペーの開発者だからねぇ。君から電話がかかってきた時、遂に私は終わると思ったよ』
「……いや、終わらせます」
画面にバッテリー残量低下の警告が出た。
俺はパソコンから伸びるスマホの充電ケーブルを挿し、開発者に宣言した。
『どうかな? クスペーを元にした人工知能を搭載した検索エンジンがもう出来上がる。間に合うと思わないことだ』
スマホから笑い声が聞こえる。
例え警察に言おうとも、誰も取り合わないだろう。
危険なアプリというのは、実際に危険な目に遭わないと規制されないのが今の世界だ。
俺は、苦虫を噛み潰したような顔をしているはず。
そんな中、声を出したのはリートだった。
『前田教授、モニターを見たまえ』
『ん? ──なっ!?』
「どういう事だ?」
パソコンに映し出されたのは、ウェブカメラから取り込んだであろう教授の現状と、クスペーの横に立つリートの姿だった。
『雲雀、ケーブルを繋いだのは天才だと思ったよ』
「……理解出来ないんだが」
『簡単だ、雲雀のスマホから電話相手の位置を探知し、クスペーを抽出、対応する電子機器が繋がる全てのネットワークを削除した』
目を閉じたまま動かない純白のゴミ箱を持ち上げ、リートは自身の中へと突っ込んだ。
最後に蓋をしようと手に持つリートだったが、マウスカーソルの横に投げ捨てた。
『最後は雲雀がやってくれ』
「……分かった」
『やめろ、やめろぉぉぉぉぉぉお!』
ドラッグアンドドロップで蓋をした瞬間、リートが微笑んだ気がする。
「前田教授、情報工学部のあなたなら分かるでしょう」
『しかし、これは世紀の大発明に──』
「させない。機密は守られてこそ機密だ」
そう言って俺は電話を切り、スマホを机に置いた。
これで、終わったんだ。
本来起動中のファイルは削除出来ないが、リートなら出来る。本人はクスペーに対抗するために作られたと言うが、俺は違うと思う。
「お前は起動中のファイルでも消せる、ただの便利なゴミ箱だろ」
『は? 我は何でも削除するリート様だぞ?』
「はいはいリート様。で、売上の方は?」
『すんごいぞ我。いや、我のクローン。一年で四千万ダウンロードもされた』
「予想以上だな」
あれから二年が経ち、前田教授は姿を消した。
俺の手元にはリートが残り、クスペーのような危険性は無いものの、悪用の種を孕んでいるリートの機能を制限した、起動中のファイルでも消せるゴミ箱としてアプリ販売を開始した。
初めは伸び悩んだものの、やはり『どこかで開かれているせいで削除出来ない』現象にムカつく人が多いのか、瞬く間に話題が話題を呼び、一気に売れた。
『まぁ? 我、高性能だし? 我自身で我ぐらい作れるっていうか?』
「ウザイな。でも……これからも頼むよ」
『うむ。次は我を用いたウィルスバスターだな!』
お調子者の人工知能リートと、元はただの大学生だった山川雲雀は、コンピュータの歴史に名を残すのだった。
リート ・・・Deleteから。削除ォ!
クスペー・・・バックスペースから。削除ォ!
山川雲雀・・・普通の大学生。情報工学部らしい。
前田教授・・・普通の教授……がそんなAI作れるわけねぇだろな奴。天才。天災。オリゴ糖。
謎の友人・・・モブofモブ。友情出演的な。