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第15話 滅亡の記憶

 ――それは、勇者カランは災禍の魔王の討伐に成功し、アストラガルス王国へと凱旋を果たしてから三年が過ぎた頃だった。 

 女王が亡くなった。


 中天大姫オーキッドにより王国の復興も終わり、平和を取り戻していたからこそ、久方ぶりに女王は王家が所有する保養地へと向かうところであった。

 グラジオラス国との国境沿いに存在する大きな湖畔にて、避暑を行う予定だったがそこへ向かう途上、賊に襲われ帰らぬ者となったのである。


 アストラガルス王は、伴侶である女王の死を受けて心身を喪失し、ほとんどの執政をオーキッドが行うようになった。

 そこからアストラガルスの黄金時代と呼ばれるほど、国は大いに栄えた。

 オーキッドは聡明で美しく、何事にも才覚を有していた。

 カランとの仲も良好であり、後継者問題を引き起こそうとする輩はいなかった。

 その仲睦まじさはアストラガルスで、長く伝えられるようになるほどであった。


 あまりに仲睦まじすぎて、カランの婚約者で、あの何事も自分こそが世界の中心と言ってはばからない風の剣姫アネモネが嫉妬したほどである。


「カラン、おまえは姉君と仲良くしすぎではないか? おまえは私の為に生きているのだし、そんなことまでする必要はないのではないか?」


 このように、まったく言い慣れていない風に言うものだから、カランはおかしくて笑ったが、実際笑いごとではないのである。


「そうですか? 普通ですよ、普通。だって、私たちは姉と弟なのですから」


 姉と弟をことさら強調する声は、カランの膝の上からである。

 オーキッドはカランの膝を枕に身体を横たえているのである。しかも、かなり密着している。

 この直前には、王室調理師が用意した弁当を手ずから食べさせるということまで行っていた。

 それを許容するカランもカランであるが、カランなのだから仕方ない。

 彼は基本的に姉の言うことには従う。勇者となってからは特に断るのをアネモネは見たことがなかった。


 人々は口々に、無能王子が勇者に成れたのは姉の言う通りにすることを覚えたからだと揶揄していた。

 真相はアネモネのおかげなだが、それをカランは誰かに言うこともなかった。

 言ったとしてもアストラガルス王国ではオーキッドの評判の方が良いため、信じられていなかったともいう。

 オーキッドの語る姉弟感にアネモネは眉を顰める。


「私の兄と姉は、私を殺そうとしてくるほどだぞ」


 特に剣の国グラジオラス国は、強き者が王になるという伝統がある。

 アネモネは、昔から強く、というか幼少期からグラジオラスで最強の名をほしいままにしている。

 そのおかげで次代の王などと言われているため、兄や姉たちがこぞって排除に動いていたわけだ。


 それらのことごとくを打ち破ったはいいが、結局隣国のアストラガルス王国に嫁に出されて王位継承からは遠のいた。

 アネモネ本人としては、別に玉座に興味はない。元より玉座に座らずとも世界は己のものと自負しているが故の余裕であった。

 オーキッドは、そんなアネモネを悲しそうに見る。


「それは愛が足りないからですよ。私は、カランを愛しているので、そのようなことにはなりません。愛ですよ」

「どちらにせよ、もう関係のない話だ。さて、カラン、食後の運動でもやろう」

「ああ、わかった」


 剣を合わせるのは、カランとアネモネの逢瀬のひとつだ。

 勇者の力に加え、他に並ぶもののない、始祖龍の神経を使って作られた聖神剣カスレフティス・メルアァを使うカランとまともに打ち合えるのはアネモネくらいだ。


 二人の剣舞についてこれる者は他にいない。

 だから、この提案に不満なのはオーキッドだ。


「ああズルいです。私が混ざれないことをするだなんて」


 オーキッドとて剣術を修めている。騎士団長とだって戦えるほどに剣位は高い。

 しかし、それは人間の範疇であって、人界に並ぶものなき勇者とアネモネの剣と戦うには見劣りすると言わざるを得ない。

 だから、カランとアネモネは、二人だけの世界に没頭する。

 力を十全以上に震える相手との全力の逢瀬は、誰が遮ることができるだろうか。


「むぅ、カラン、私にもっと構ってください」


 そう可愛くいってみたオーキッドも、腕を降ろす。

 彼女も、これではどうせ入れないと理解している。


「まったく、仕方ありませんね」


 そしてオーキッドは苦笑しながら、このあと必要になるであろう包帯などを用意しに動くのだ。


「ふう、ようやく姉君が消えたな」


 カランの剣戟を捌きながらアネモネが息を吐く。


「アネモネは、姉上が苦手なのかい?」

「私が苦手なものはない。ただ……」

「ただ?」


 アネモネは彼女にしては珍しく言い澱むが、天地を切り開く魔剣の三連撃を放った後、カランの追撃を躱してようやく続きを言った。


「あの生き物は、気持ちが悪い」

「気持ちが悪い?」


 まさか、そのような感想が飛び出るとはカランとて予想外で、思わず剣戟がブレる。

 その隙をつかれて、大きく吹き飛ばされてしまった。


「どこが気持ち悪いのか聞いてもいいかな?」


 オーキッドは公明正大で、清廉潔白。カランにも昔からよくしてくれる。

 アネモネにもかなり気遣いをしていたり、根回し等々色々とやっている。

 その上で国政を担い、善政を敷く稀代の名君とまで言われている。


「さて、私の嫉妬心がないとは言い難い。おまえは私のものだというのに、ああもべたべたとされては女としては面白くないのは確かだ」

「ええと、ありがとう?」

「礼であっているのか? いや、いい。ともかく、ただアレを人間と認めるのは気持ちが悪い。私も大概だが、アレも大概だ」


 外れていると彼女は言った。


「ふーん……」


 カランはアネモネが何を言っているのか理解していなかった。

 もしこの時、いささかでも気に留めて気にしていたのならば、今後の結末が大いに変わった可能性はある。

 しかしながら、この時のカランにとってオーキッドは良い姉だった。

 それを、許嫁の言葉とは言え、気持ち悪いと言われてもピンとは来ないのは当然であろう。


「まあ、何もないならそれでいいが、おまえも気をつけておいてくれよ」


 それ以上、アネモネも言わず、剣舞を続けた。


「ほら、そろそろ領地で出た魔を退治する時間ですよ」


 治療の魔道具などを携えたオーキッドが戻ってきて、二人の逢瀬は終わりとなった。

 それから魔を退治し、復興の為に働く日々を過ごし、そろそろいいだろうと二人の結婚式が行われる運びとなった。

 そのため一度、アネモネは国元へ帰る支度をしていた。


「アネモネ様、急いでください」

「わかっているよ、師匠。そう急かさなくても逃げはしないよ。結婚式をサボるなんて、しないさ」


 本当にそうですかな、と初老の剣士は目で語っていたが、アネモネは無視する。


「そういうわけだ、カラン。しばらくの別れだ」


 そう言って彼女は国に帰った。

 寂しくなるなとカランは思ったが、結婚すればずっと一緒にいられるのだ。

 これからの生活を思い、喜びをかみしめていたところに、オーキッドがやって来た。


「ふふ、カラン。今日も素振りですか?」

「ああ、姉上。ええ、アネモネからサボるなと言われているので」


 そう言ってやるとオーキッドの笑みがかげる。


「…………」

「姉上?」

「ええ、ええ。結構、影響は大きいようですね。ですが、もうこれで邪魔者はいません。まったく、無能が多くて困ります。国を安定化させるのに三年もかかるだなんて。そのせいで、私のカランがすっかりあの泥棒猫に染められてしまいました」

「姉上……何を?」


 オーキッドは笑みを浮かべているはずだ。かげりはあるが、笑っている。

 それは確かだというのに、カランには姉が笑っているようには見えなくなった。

 表情がまるでないように思えて仕方なかった。


「何を? ふふ、決まっていますよ、私のカラン。戦争です」


 アストラガルス王国は、グラジオラス国へと宣戦布告した。


「は?」


 貴族諸侯も、武官、文官、ありとあらゆる人間はオーキッドの決定に反対しなかった。


「私のカラン、あなたにはとても重要な仕事を任せます」

「いや、待ってくれ。どうしてアネモネの国と戦争をすることになるんだ!」

「なぜ? ほら、カラン、あなただって部屋の中にハエがいたら殺しますよね?」

「あ、ああ、それが、どう……」

「そういういうことですよ。邪魔な虫を潰すだけです。剣にしか興味がないと思っていたのに、私のカランを自分のものだというだなんて、そんなこと赦せるはずないじゃないですか。だから、滅ぼすことにしたんです」


 これは何かの夢か、あるいは魔が姉に憑りついたのだとカランは思った。

 そうでなければこの中天地で最も美しく聡明でやさしい姉が、こんなことをいうとは到底思えなかったからだ。

 だが、その考えはオーキッド本人に否定される。


「もしかしてカラン、私が何かに操られていると思っていますか?」

「そうじゃなきゃ、姉上がこんなことするはずない!」

「ああ、そう言えばこういうことは全然教えていませんでしたね。あなたには綺麗でいてほしかったですし」

「なにを言っているんだ姉上……!」

「うん、良いですね。ちょうどいい機会ですし、色々と教えてあげた方がいいですよね。まったくあの人も余計なことをしなければ、こんなに苦労はしなかったのに」


 カランの勇者としての直感が理解させる。

 これ以上この女を喋らせてはいけないと本能が叫んでいる。

 気がつけば、勇者として戦ってきたカランの身体は、オーキッドに向けて勝手に剣を抜いて斬りかかっていた。

 まずいと思い、急制動をかけたがオーキッドは悪戯した子供に向けるように笑っていた。


「止まりなさい」

「!?」


 そして、たった一言で剣を止めてみせた。


「ふふ、驚きましたか? 勇者の術式持ちを自由にさせるのは得策ではないので、私の命令にはすべて従うようにしておいたのですよ」

「そんな……」

 姉を斬らずに済んで安堵すればいいのか、それともそのような術式を刻まれていたことを恨めばいいのか、カランにはわからなかった。


「さてと、それじゃあ、戦争のお話です。カラン、あなたにはとても重要な役割を用意したのよ。だってそのために勇者にしたんだもの」


 オーキッドが語った作戦は、空間鞄を利用して城砦と人材を運ぶことだった。

 まず間違いなく、カランはアストラガルス王国最強の単騎戦力だ。

 国境を一人で越え、首都まで行くことが可能である。

 アネモネからも隠し通路とか、ルートを聞いているからより確実に行けることができる。


 そうして安全かつ敵に気取られることなくグラジオラス国の首都まで行き、そこで空間鞄を解放。

 そうすることで無傷かつ城砦までもをグラジオラス国の首都の中に出現させることができるのである。

 そんなことカランはやりたくなかったが、勇者の術式に刻まれた制約が彼に行動しないことを禁止する。


「それじゃあ、行って来てくださいね」

 カランの意思に関係なく、作戦は開始される。

 誰か、止めてくれないかと期待したがカランを止める者は誰もいなかった。

 王城にいるものは、まるで生気でも抜かれたかのように瞳からは意思が消え失せていた。

 カランは一目でそれが洗脳された状態と知れた。

 それはもう、この国でカランを止めてくれるものはいないということと同義だった。

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