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第14話 夫

 魔王がいるであろう寝所へと踏み込んだカランは、最大の警戒をもって武器を向けた。

 すぐにでも戦闘になる、攻撃に備える最大の警戒。

 ゆえに寝所の光景は、カランに酷く呆れた声を出させた。


「いったい何をしているんだい、ジニア」


 そこにはジニアがいて、ネリネに抱き着かれて寝台で眠っているのである。

 さしものカランも呆れて物も言えなくなるというのはこのことだろう。

 まさか自分たちがもう一人の魔を相手に戦っていたというのに、ジニアは良い思いをしていたというわけなのだ。


 ゆっくりと武器を向ける相手をネリネから、ジニアへとカランは動かした。


「あ、いや、待ってください! これには理由が!」

「やれやれ、わたしたちが苦労している時に良い思いをしているだなんて、傭兵の風上にもおけないな」

「ぐぅうう」


 言い訳をしようとした瞬間に、ソラナムから正論を言われてしまったジニア。

 正論なだけに反論できずに唸るだけになってしまう。

 少しは溜飲が下がるというもので、カランは武器を降ろした。


 その時、抱き着いて眠っていたらしいネリネが目を開ける。


「ん? なんだ、ハーゲアナ。どうかしたのか?」

「ハーゲアナ?」


 カランの呼びかけにジニアは、はぁと顔を覆う。

 その様子に彼女はぐるりと寝所を見てからカランを認識したらしい。彼女は姿勢を正して礼をする。


「おや、勇者殿、懐かしい。噂は聞いていておる。あの時は、色々と世話をかけたな」


 さらにネリネは、カランのことを知っているようであった。

 心当たりとなるものがひとつだけカランの脳裏に浮かび上がる。


「もしかして……君は、あの時の女神なのか?」

「そうとも。あの時は名乗れずにすまなかったな。妾は水神ネリネ。改めてよろしく頼む。妾の夫の友人であるし、世話にもなったから礼を尽くそう」

「ああ、それはありがたいですが……。今、どういう状態なのですか?」

「さて、なんとも」


 彼女は魔王となっている。それは今、彼女を目にした時からカランにはわかっていた。

 しかし、同時に神でもある。それもかなり強力だ。

 ハルスが何かしたととしても、後れを取るとは思えない。


「妾をこうしたのはあのハルスとかいう魔ではない。もっと強大な、正真正銘の魔王よ」

「魔王か。名前は――」


 カランが魔王の名前を聞こうとしたのに先んじて、ソラナムが口を開いた。


「ハイドランジア、さ」

「誰なんだい、それは?」


 そんな名前の魔王は、カランは聞いたことがない。


「水の魔王ハイドランジアは、名前だけなら有名だよ。表舞台に現れたのはここ百年くらいだけれど、実際はもっと昔からいる。常に部下を使って正体を隠して色々とやってるから、よくは知らないんだけどね」

「天界も、七大魔王に数えるほどですが、その実態は謎に包まれています。堂々と自分の名前と同じ国を作っています。彼あるいは彼女が有名なのはそのせいです」


 ソラナムからジニアが解説を引き継いだ。

 それは、天界に記録されている、ハイドランジアの記録だった。

 ただ今のカランには半分ほども入ってこない。彼はハーゲアナと呼ばれたジニアのことが気になってしかなかったからだ。


「なるほど……。それはそうと……本当にハーゲアナなのか?」


 確かに似ているとは思ったが、そんなに神が中天地へきているとは思っていなかったため、本人だと気がついていなかった。

 ジニアは若干後ろめたそうに己がハーゲアナであることを肯定する。


「そうですよ。お久しぶりです、カラン様」

「久しぶり。言ってくれればよかったのに」

「それは……」


 そもそも今更どの面下げて会いに行くというのだと、ジニアは内心で呟く。


「できるわけないでしょう。オレは……あなたを見捨てて神になってしまったんですから」


 カランには、その辺の機微がわからない。

 そもそも自分が神に成らなかったのは、当時の自分の選択なのだ。そのことでハーゲアナたちが気に病むことはなにもない。


「あの時、あの選択をしたのは僕の意思だ。君が気に病むことじゃないよ。それにしても、そうか。立派な神になったんだね。流石だよ」

「それは、いつか会えたら、ローズとミモザにも言ってやってください」

「そうだ、あの二人は、来ていないのかい?」


 こうしてハーゲアナと再会できたのなら、かつての仲間であった二人――ローズとミモザとも再会してみたくなる。


「あの二人は、今は天界です。魔法神と信仰神ですから、そうやすやすと地上には来れませんから」

「その点、傭兵は傭兵の中に神が混じってても気にしない?」

「ええ。それに最近は戦争もありませんからね、おかげで仕事もなく、こうして中天地に来ても文句を言う神はいないんですよ」

「そうか。でも、良かった。君たちが元気で安心したよ」

「オレは……」


 ジニアが苦しそうな顔で何かを言いかけた時、二人の世界になっていた弊害か女性陣がこほんと咳ばらいを一つして言った。


「再会はそれくらいで良いだろう、我が夫。それ以上に話すことがあるだろう」

「あ、ああ、そうだった」

「あなたもね」

「わかっているよ、ソラナム。つい懐かしくてね」


 さて、問題はハイドランジアが神を魔王にしたという点だ。


「貴族を魔王に変えたのもハイドランジアだとすると、これは天界への宣戦布告かな?」

「さて、どうだろう。流石の魔王も天界を相手に神と戦争をするとは思えない」


 ソラナムの言葉にジニアは首を横に振る。


「戦える魔王もいるだろう」

「誰?」


 ソラナムはわかっているが、言ってごらんとでも言わんばかりの態度だった。

 ジニアは苦々しそうに告げた。


「久遠血河だ」

「天界は恐れすぎだと思うけれどね」

「あれほどのことをしておいて、恐れないという方がおかしい」

「どうして天界はそれほどまでに彼の魔王を恐れているんだい?」


 カランだけはそれを知らないので聞いてみた。


「簡単だよ。あの魔王が久遠血河なんて呼ばれるようになった事件で死んだのが、天界でも最上位の力を持っていた神だったからね」


 神が魔に殺されるだなんてことは、それ以前にはなかったことで、神は久遠血河に対して大規模な討伐隊を編成したという。


「結果は、惨敗」

「オレは当時、前線にいましたが酷いあり様でした。力を持った上位神たちが木端のように殺されて行った」


 ジニアの思い出すようなどこか震えを伴った言葉に、ソラナムがへぇと目を細めた。


「ああ、道理で見覚えがあるわけだ」

「なんだと?」

「ううん、こっちの話。しかも久遠血河のおかげで天界の力は多いに削がれた。他にも六人の魔王が天界と争いを初めて、神は接触禁忌として七大魔王を定めたんだ」


「もっとも七大魔王の顔ぶれは、久遠血河以外は変わっておる、妾をこのようにしたハイドランジアも新しく指定されたと聞いておる」

「なるほど、それは久遠血河は天界と戦争もできそうだ」


 天界と戦争したあと、今も生き続けているというのなら確かに強力だ。


「でも、久遠血河は人間を巻き込まない。あの魔王が戦うのは神か魔だけだ。むしろ人間にはそれなりに良いこともしたりする」


 反論のようなソラナムの言をジニアは無視して話を進める。


「魔王は魔王だ。それより、ハイドランジアだ。何を考えていると思いますか」

「僕に聞くのかい?」

「ええ、なにせあなたが現れてからハイドランジアが動いたらしき件が二件もあります」

「僕が狙いだって?」

「そう考えてもおかしくないでしょう。あなたは長い時を生きる者の間では有名ですよ。時代の節目節目に現れる勇者カランの伝説は人間以外ではまだ伝わっているはずです」

「……そうだね。まあ、そうだとしてもわからないよ」


 カランが持っているものはなにもない。

 カランが護るべきものは何一つ残っていない。

 カランが救うべきものはどこにもいない。


 聖剣も、鎧も、あらゆる魔導具も、もはや散逸して久しい。

 かつてほどの脅威は勇者にはないとカランは思っている。


「それこそ、倒すには今だろうね。でも、僕を倒す意味なんてないはずだし、本当に何がしたいんだろうね」

「だったら、直接聞きに行けばいい」

「いやいや、ソラナム、君もしかしてハイドランジアの居場所がわかるの?」

「いいや?」

「だったら話にならない」


 とジニアが一蹴するが、ソラナムは気に風もなく髪をかき上げる。


「でも、彼の国はある。そこへ行けば、何かわかるかもしれない」


 南方の海上には魔王ハイドランジアと同名の国ハイドランジアがある。

 これを無関係と断言はできず、天界も一応の監視対象に入れている。

 しかし、ここ百年は何の動きもない。

 二百年前には戦争をしていたが、それも人の営みのうちだ。

 だが、勇者カランが眠りから覚めて、ハイドランジアに行くと何か起きる可能性がないとはいえない。


「危険だ」


 ジニアの反論にソラナムは鼻で笑う。


「危険? 勇者が魔王のところに行くのはそんなに危険なのかい?」

「カラン様を舐めるなよ、小娘。例え、どのような魔王が現れてもカラン様が負けることはない」


 ジニアがドヤ顔で宣言するが、カランはやめてくれと言いたくなった。


「いやいや、今の僕を見てよ、昔ほど強くないって」


 そんなカランの弱気の言葉は、二人には届かない。


「じゃあ、問題ない。次の行先が決まった」

「勝手に決めるな!」

「君が口出すことかな? 神が人の行動に?」

「待ったまった!」


 ジニアが腰の聖剣を抜きかけたので、流石にこれ以上はまずいとカランも止めに入る。


「僕のことを理由に喧嘩しない。まったく、どうして君たちは仲良くできないんだ」

「この女のせいです! そもそも神を前にしてどうして普通にしていられる!」

「彼だって普通だけど?」

「カラン様は勇者だろう! 正体を暴いてやってもいいんだぞ!」

「こわいこわい。こんな女の子に無体をするなんて傭兵の神は酷いんだ」


 また暴れそうになっているので、カランは話を先に強引にでも進める。


「やめやめ! とりあえず僕はハイドランジアへ行くよ」

「ですが」

「大丈夫だよ、いざとなれば逃げる。それに、僕が狙われているのかもしれないなら、逃げるわけにはいかないと思うしね」


 それで大衆に被害が出るのは、今のカランでも流石に許容はできない。


「……わかりました。でしたら、オレも」

「これ、妾の件があるじゃろう。それに勇者を狙っておるのなら、我が夫のことも知っておるはず。そこにのこのこ行ってしまえばどうなるか」

「カラン様が行くなら今更では」

「人間の中に神がいるのは大きな違いだろう」


 そういうわけでハイドランジアに行くのはカランとソラナムになった。

 なぜかソラナムはジニアに勝ち誇った表情を向けていて、ジニアはぐぬぬと唸っていた。


「やれやれ……。さて、あとは最後だ。我が夫、わかっているな」

「……わかっています」

「では、やれ。良い神生だった。離れた時はあったが、それもまた良いものであった。我が夫よ、妾は幸せ者だ」

「…………」


 ネリネの言葉にジニアは剣を抜くことで応えた。

 そして、そのまま誰が止める間もなく、ネリネの首を落とした。

 ごとりと堕ちた首、倒れる身体の音でようやくカランは事態を把握した。


 まるで時が停まったかのようであった。

 あまりのことに数秒、カランですら呆けてしまっていた。

 たっぷりと時間をかけて、ようやく疑問を絞り出す。


「何をしているんだ、なぜ」

「魔王を殺すのは神として当然です。彼女に何が仕掛けてあるのかわからない以上、こうするほかありません。

 それにオレがここに来たのは、彼女の管轄に異変が起きたからでした。そして、彼女が人に害をなしたのなら、これを処断する。最初からこうするように言われてきたんですよ」


 ジニアは顔を背け、無表情にそう言った。


「だが……彼女は君の妻だろう」


 彼が神に成ってからの顛末は知らないが、こんなにも簡単に別れられる関係ではないはずだ。

 少なくともハーゲアナという男は、自分の妻を誰かに命じられたからとためらいなく殺せる男ではないと知っている。


 だからこそ、なぜこんなことになったのかわからない。

 カランはどこで何を間違えたのかと、これまでの道程を思い返すほどだった。

 そんなカランにジニアは、努めて冷静に告げる。


「ええ、ですがそれ以上に……やらなければならないこともあります。嫌でも、そうしなければならない。そんな強制的な、運命が、あります。それはあなたもわかるでしょう」


 そう言われてしまってはカランも黙らざるを得なかった、それはかつてカランもまた、同じことをしたから。


「…………」

「やっとわかりました。()()()()()()()()()のはどうしてか。確かにこれは……キツいですね」


 ジニアの震えた言葉に、カランはただ言葉を閉じようとする口から出すだけで精いっぱいだった。


「……ああ、そうだね……」

「……カラン様、お気をつけて。ハイドランジアにも、あの女にも」

「……わかっているよ」


 領域が消滅していく。

 気がついたときには、三人は船の上にいた。

 ネリネが死の間際に用意してくれたのだろう。


「……では、オレは天界に戻ります。この件を報告しなければならないので」


 何かを言わなければならないとカランは思っているが、何を言えばわからない。わかっていたとしても言葉が口から出てくれない。

 ただ、わからない故に、何とか一言だけでもとカランは血を流すように言葉を紡いだ。


「……また、会おう」


 それにジニアは、少しだけ微笑む。


「……はい。また」

「……必ずだ」


 結局、カランはその後、何も言えずにジニアと別れた。

 ソラナムが寄り添うように隣に立つ。


「何を言えば良いのか、わからなかった」

「誰だって、彼になんて声をかければいいか、わからないさ」


 それでも、カランだからこそ言えることがあったのではないのか。

 そう思わずにはいられなかった。

 それでも言葉は出てこない。


 ほかならぬカラン本人が、その言葉を探しているのだから。

 まだ見つかっていないものを誰かにかけることがどうしてできるだろうか。

 かけられるわけもなく、ただ見送るしかできないのだ。


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