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第11話 神と魔

 翌朝、カランたちは宮殿へ早速侵入していた。

 宮殿への侵入は赤銅の鷹団のおかげで楽に行えた。

 といっても彼らの手引きがなくとも道中に敵はおらず、それほど苦労はしなかっただろうが。


 宮殿の中は古めかしく、暗闇で覆われていて広大だった。

 あれほど外は明るいというのに、それを嫌悪するかの如く、宮殿の中は暗く、遠い人物の顔は明かりがなければ見えないほどだ。


 さらに水がここにも侵入を果たしており、足首までが水に浸かる。

 これが厄介で足音を立てないということができない。否応なく水が音を立て、ここの主にカランらの侵入を告げるだろう。


 こそこそ隠れていたいわけでもないが、率先して相手へ待ち構える時間を与えたわけではない。

 どれほど強い加護を得ようとも、どれほど鍛えようとも、人間がある一定以上の魔に勝つのはほとんど不可能だ。

 待ち構えている相手ならば、特に。


 カランたちの目の前でさも当然のように空間が組み変わる。神すらも不可能な御業は領域を持つ貴族以上の魔ならばできて当然の技術でしかない。

 転移ではなく、組み変えるあたり領域の持ち主はよくも悪くも大雑把のようだ。


 自分の所に近づけるのに転移ではなく空間の組み換えを扱っているのはスプーンで水中の魚を救うよりも、バケツで水槽にぶちこむようなものだ。

 とても大雑把なことがわかる。


 宮殿がひとつの巨大な広間になり、その奥には二人いる。

 ただそんな大雑把と思われる女は見た目からはそうは思えない女だった。

 暗闇の中でも目立つ白いワンピース姿は繊細にすぎ、水のように涼やかで、柔らかそうな雰囲気を纏っていたことが辛うじてわかる。

 そんな彼女を守るように水が周囲を漂って流れを作っている。


 もう一人は薄汚れたフードつきのローブを見に纏っていて、全体的に下卑たネズミのような雰囲気を感じる。

 男か女かはわかりづらいが、カランは男だろうと思った。

 話には聞いていたが、どちらが洗脳の技を使うのか一目瞭然と言えるだろう。


「あら、またあの人を探してきてくれたの?」


 カランらを見て水のような女はそう言った。柔らかく、どこか陽だまりめいた、いや、どこか湖のような声が聞こえた瞬間、ソラナムの目が厳しく細められた。


「…………」


 まるでカランを庇うように前に出る。


「何か気がついた?」


 カランの問いにソラナムは答えない。ただ無言で目の前の女を見据えている。

 その間に、ジニアと赤銅の鷹団が打ち合わせ通りに動こうとしていた。


 だが、ローブの男がにんまりとフードの下に三日月のような笑みを浮かべているのが見えた瞬間、カランの背を戦慄が貫いた。

 魔王討伐をなした勇者としての経験が、今、この状況がとてつもない危険な状況であると告げている。

 それと同時に赤銅の鷹団が得物を抜き放ち、それをカランらにつきつけた。


「あの人じゃない。また違う人を連れて来るなんて本当に役に立たない者たちだな」


 殺伐とした空気の中で、女の声だけが柔らかな日常を思わせるのが異常だった。

 これは魔だとカランは思うが、これほど穏やかな魔は初めてだった。大抵の魔は邪悪で、カルマ天秤の通りに行動する。

 己の快不快、理に従わず思うままに行動し、盗みや悪戯、殺戮といった行為を楽しむ。


(いいや、暢気に考えている場合じゃないか)


 後ろには操られた赤銅の鷹団がいるし、前にはかなりの力を持った魔が二体もいる。

 逃げる分には、また赤銅の鷹団を倒せばいいが、そうなれば目の前の二人が動くだろう。


(さて、ソラナムの安全くらいは守れればいいけれど)


 カランやジニアが警戒を露わにしていると、女は不思議そうに笑う。


「そんなに怖がるな? なにもしない。ねえ、ハルス?」

「へへへ、ええ、ええ。そうですとも。何もしませんとも」


 ハルスという魔は下卑た笑いをフードの下から隠しもせずにそう言った。

 カランは、昔、宮廷で見た悪鬼羅刹を思い出していた。自分では手を汚さず、他人を蹴落とすことに心血を注いでいた貴族どもと同じ臭いがした。


「良かった」


 どうやら女の方は、カランらの背に突きつけられた剣などに気がついていないようだ。

 ニタニタとハルスが笑っているから、そちらが何かしらやっているのだろう。

 ジニアもそれに気がついているから、どうにかしてハルスを殴りつけでもしようと機会をうかがっていたが、どうやらそううまくいかないようだった。

 ハルスが、カランたちを別室に連れて行くように提案する。


「彼らを客間に通しましょう、主」

「ああ、そうだった。他の方たちと一緒で、色々と手伝ってもらわないといけないのだった。妾も歳か、色々と物忘れがひどい」

「ええ、ええ。そうすれば想い人はすぐに見つかりますよ」

「わかった。案内してやれ」

「はい。さあ、行きましょう」


 カランはどうしたものかと思う。このままついていくか。それとも何かするか。

 何かをするならばこのタイミングであるが、カランはどうする? とジニアの方を一瞥すると、彼は仮面の下からでもわかるほどの驚愕を露わにしていることに気がついた。


 そのまま動かず、言われるままに連れていかれる。

 歩きながら小声でカランはジニアに何に驚いていたのかを聞く。


「何か気がついたのかい?」

「……はい、あの女は神です」

「神?」


 神が領域を使うはずもなければ、魔にくみすることは断じてない。

 それはカルマ天秤が赦しはしない。カルマ天秤は、始祖龍が規定した神と魔の業をはかる天秤だ。

 神となれば神の善悪、魔となれば魔の善悪があり、神が魔に与すれば魔の方向へ業が積み上がり、神はいずれ人に堕ちる。


 そうならないように神は気をつけている。だから、決して魔に与することはない。

 それに神ならば見えなくても気配を感じればわかる。暗闇の中にいたワンピースの女は少なくとも神の気配を纏ってはいなかった。


「それは、確かなのか?」

「ええ、この辺りで仕事をした時に彼女を見たことがあります。近隣で水魔退治をしたことある傭兵には有名な話です、川に船を出し、水魔を退治していると神がやってきて共に戦うというのは。彼女がその神のはずですが、こんなことをするような者ではなかった」

「彼女は何者だ? 見たことがあるのなら知っているだろう?」

「……彼女は、水神ネリネです」


 その話は昨晩ソラナムから聞いたばかりだ。ハーゲアナとの話と似通っていたから、覚える気のなかったカランもよく覚えている。


「いや、しかし、ありえるのか?」


 話の中の彼女は魔と共に船を沈めるような神ではなかったはずだ。そもそも船を守る側で、水魔の天敵のはず。


「わかりません。だが、彼女がこのようなことを赦すはずはない。だとすれば何者かに操られています」


 おあつらえ向きに、カランたちの後ろを歩いてついて来るハルスという魔は、赤銅の鷹団を洗脳しているという事実がある。

 このことから神すらも操れると思うのは早計か。


(しかし、それならばこの領域の説明がつかない。この領域に流れる力は、後ろのハルスという魔からではない。彼女から流れている)


 魔導を扱うためにカランらアストラガルス王国の者は力の流れを把握することに長けている。

 一度は勇者とまで呼ばれたカランはその中でも随一の目を持っている。彼の目を欺けたのは姉である中天大姫オーキッドくらいのものだ。

 彼女はもういない。

 なら、カランが間違えることはない。


「……ソラナム。君はどう思う?」


 こういう時は別の人の意見を聞くのが良いとばかりに、黙っているソラナムへと意を向けることにした。

 彼女はカランに声をかけられるまで纏っていたどこか不穏な空気を霧散させて、透明な笑みのまま彼に微笑みかけた。


「どうって? 彼女が本当に水神ネリネかどうかってこと?」

「ああ、その通り。でも、彼女は神だろう? こんな領域を作れるはずがない」

「そうだね、その通り。だから何か仕掛けがある。後ろの雑魚にできるとは思えないから親玉がいるんだろうね」


 最後だけソラナムは嘲りをハルスに向けた。

 自分を馬鹿にした言葉に対して、冷静でいられるほどハルスという魔は穏当ではなかった。

 おいおいとカランが思っている間に、赤銅の鷹団がソラナムを取り囲む。


「誰が、何だって?」

「聞こえなかったのかい? 自分では戦わず、配下でもない人間を操って戦わせる奴が弱くないわけない。その上耳も悪いなんてまさに雑魚じゃないか」


 ぷっつんと何かが切れる音が歩いていた回廊に響き渡る。


「あの女の言葉なんざ知らねえ、ぶっ殺してやる」


 ハルスから鬼気が立ち昇る。

 一触即発の気配に、空気が張り詰めていく。

 その中でもソラナムは優美な笑みを浮かべたまま、手を腰の後ろで組んでいる。逃げるそぶりすら見せない様を見て、ハルスは怒りに顔をゆがめる。


「演技するなら、これくらいで地を出したら駄目でしょ。下っ端感すごいよ」


 それはもう最後の一押しというものだった。


「殺せ!」


 ハルスが命令を下す。同時に赤銅の鷹団がソラナムの命を刈り取ろうとする。

 しかし、それ以上に素早く動いたものがいる。

 音もなく抜き放たれた剣が一振りされえるだけで、赤銅の鷹団は全員床に口づけをする羽目になった。

 それをなしたのはジニアだ。


「別に助けたわけじゃない」

「助けてほしいとはいってないからね。別にいいよ」

「どこまでも減らず口を」

「なん、だと……!」


 ハルスはジニアから視線を逸らすべきではなかった。カラン一行の中で一番に警戒しなければならなかったのは彼なのだ。


「くそ、役に立たない傭兵だ! なら、おまえらを洗脳して!」


 手駒がやられたから、今度はカラン一行を洗脳しようとしたのだろう。

 まずはとばかりに何もしていなかったカランへ手を向ける。


「さあ、我に従――ぎゃあああ!?!」


 カランに手を向けて洗脳の力を行使しようとした瞬間、ハルスの腕が爆ぜた。

 これにはカランもびっくりして、目をぱちくりしてしまった。


「あなたはすごいね。洗脳の力を跳ね返すなんて」


 ソラナムはそう言ったが、カランは何もしていない。まさか、この着ている花嫁衣裳のせいだろうか。


「そんなにもすごい服だったのか、これは」


 こんなものを着てきてしまったのは、あの村に悪いことをしてしまったかもしれないと思ったが、そもそも魔王への生贄にされそうになったのだから、自分は悪くないなと思いなおす。


「くそクソ! 来い、ネリネ!」


 ハルスが神の名を呼ぶ。再び、空間が組み変わり水神ネリネが現れた。


「なに?」

「こいつらを押し流せ!」

「良いだろう。妾の友の頼みなら」


 ネリネが腕を振るった瞬間、宮殿を満たしていた水が濁流のように押し寄せて来た。

 しっかりと身構えて耐えようとしたが、そんなカランの努力を嘲笑うかのように濁流は容易くカランの身体を持ち上げて連れ去ろうとする。


「くっ!」


 ソラナムが咄嗟に手を伸ばして捕まえようとするが、それより早くカランの身体は流れていった。

 さらに影響は物理的なだけに過ぎなかった。

 飲み込まれた瞬間、カランの意識は九百年前の記憶の中にいた。

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