第1話 勇者
この世に生きる者は、概ね三種とされる。
神、人、魔。
神も魔も長大な寿命と強大な力を持っていて、良く争っていた。
理由は色々とあるが、その時々で変わる。
いつも共通していることと言えば、互いに互いが気に入らないということくらいだろう。
人だけは長き寿命も強き力も持ち合わせてはいなかったが、神にも魔にもなりうる可能性を秘めていた。
カルマ天秤の導きが、人を神にも魔にも変える。
もっとも、ほとんどが凡人として、その生を終える定めであった。
ゆえに、神も魔も対して気に止めていなかった。
そんな三種と同じく世の中には、三つの界が存在している。
三界で最も高き場所にある天上。
そこには神々が住まい、風光明媚で最も美しく、富めていて餓えることのない桃源郷であるとされた。
最も深き場所である地界には、魔が住んでいた。
荒れ果て殺風景で、貧しく常に飢えているとされていた。人は地獄とも魔界とも呼んでいる。
人はそれらの間、中天地という大陸に住んでいた。
美しい場所もあれば醜い場所もあった。富める場所も貧しい場所も、千変万化する。
見方によっては素晴らしくもあり、その逆もあり得る世界であった。
三界はそれぞれ密接であり、関わりあったり、関わらなかったりとつかず離れずの均衡を保っていた。
そんな三界すべてに伝わる伝説があった。
それは九百年ほど前のこと。
中天地、偉大な始祖龍の死骸から出来上がった大陸アスファレスの中央に、アストラガルスという王国があった。
アストラガルス王国は、広く肥沃な大地と脊柱山脈から流れる豊かな水源をもつ国であった。
国民は皆、穏やかで明るい気質を有しており、魔導技術にも精通していた。
凝り性な国民性も相まってアストラガルス王国は、この大地で最も繁栄した国となった。
そんなアストラガルス王国には、いくつかの宝があったとされている。
魔導技術の根幹であり、この大地の龍遺心臓である龍霊炉心。
鋼よりも硬い始祖龍の神経から鍛え上げられた聖神剣カスレフティス・メルアァ。
この中天地において並ぶものはない美しく聡明な中天大姫オーキッド・アストラガルス。
そして、災禍覆滅の勇者カラン・アストラガルスである。
その勇者は、中天大姫の弟とされており並ぶものない名声を得たが、その名が広がる以前は底なしの昼行燈で有名であった。
何をするにも覇気が足りず、その圧倒的に欠如したやる気は、底なし沼を通り越して魔界へ落ち込むほどとまで称された。
家庭教師らの座学へは出席するものの、座るだけで身に着けようとする意志がない。
どうしてそんなにやる気がないのかと家庭教師たちが聞いたら。
「やる意味がわからない。やっても意味がない。なら、やる気を出せという方が無理だ」
カランはそう言って、何をするでもなくぼーっとするのである。
それはもう空気のようで、寝室の掃除をする侍女らがいることに気がつかず、シーツごと洗濯魔道具に入れてしまいそうになったという逸話があるほどだ。
もちろん、途中で気がついた侍従長により救出され事なきを得た。
そんな調子は、剣術などの武道教練や魔導教練にも発揮された。
まだ逃げてくれればそれなりにやりようはあったが、彼は、一応出席する。
そして、何もしない。
教えても、ぼーっとしているばかり。叱りつけようとすると、一応は何かしらをやるが、身に着けない。
そのおかげで、できることはなくなり、そこにただいるだけの無能王子と陰で呼ばれるようになった。
そんな彼が成人した頃、災禍がアスファレス大陸を襲った。
天地開闢より、この世は一定の周期で災禍が訪れ、そこに住まう者を絶滅に追い込む。
あらゆる総てを押し流した大洪水や、大嵐、疫病と言ったものであり、どれもアスファレスに生きる人類にとって大きな打撃を与えてきた。
今回の災禍は魔王と呼ばれる、最悪の魔による絶滅戦争であった。
呼応するようにあらゆる凶状が巻き起こり、瞬く間の間にアスファレス大陸は戦火の海に叩き込まれた。
そして、大陸中央部アストラガルス王国に戦火がやって来た時、無能王子は勇者となる。
姉であるオーキッドの強い推挙により決まった時は、誰もが全くと言っていいほど期待していなかった。
しかし、彼はまるで人が変わったかのように、見事に勇者の使命をやり遂げたのである。
人類の誰しもが成し遂げることができなかった災禍を打ち破って見せたのである。
それも旅の道中で得た、三人の仲間のみでやってみせたのだ。
こうしてカランは。無能ではなく勇者として有名になった。
そんな彼を象徴するような伝説がいくかある。
そのうちの一つは、邪竜討伐である。
有史以来、竜を討伐した者はいない。街や村の近くに出現したら、確実な死を待つ以外に何もすることはないとされる怪物である。
災禍の元凶である魔王の下へ向かう最中、とある村に立ち寄った時のことだ。
その村の近くに邪竜が住み着き、生贄を要求していたのである。
邪竜は頭が良く生贄を一人出せば勇者の邪魔も村にも手を出さないと言った
『災禍で滅びるのは人類だけでなく竜も例外ではない。災禍の魔王を討伐に向かう勇者を、消耗させるようなことはしたくない』
それはもっともなことだった。
邪竜は数千年、生きており様々な邪法にも通じていた。さらには自らの子供である七匹の竜を引き連れていた。
特に村を破壊するでもなく、近くに住むだけであるし、今は災禍が迫っているとあり村の村長は安い少女奴隷を買ってこれを生贄にすることを決めた。
だが、カランは勝手に邪竜討伐に動いた。
「彼女を生贄にするわけにはいかない。僕の生きる理由と意味に反する」
邪竜との戦いは苛烈を極め、三日三晩も続いた。
勇者として出発したカランには、オーキッドから最上の武具を送られていたし、勇者として必要な魔導術式も施術されていた。
そのおかげか、あれほどやる気のなかったのが信じられないほどに彼の剣は冴えわたり、二転三転の大立ち回りののちに無事にこれを討伐したのである。
奴隷にも手を差し伸べる王族というのは美談に思えるが、その実、邪竜の方から戦う気がないと言っているのだ。
見逃し生贄さえ渡せば、魔王を倒すまでは何もしないという契約まで交わすと邪竜は言ったのだ。
そのためカランは災禍という大事の前に、道具のために力を尽くした愚か者ということになる。
ゆえに村長は気になってカランへ問うた。
「なにゆえ、邪竜を討伐したのです」
カランはその問いに微笑んだ。
「アネモネの為です。それが僕の生きる意味と理由だからです。なにより、困っている人は助けるものと言われていますから」
アネモネとは、隣国のグラジオラス国の王女であり、カランの婚約者であった。
つまり婚約者の為という、男としてはとてもよくわかる話となっては村長も納得した。
そういうわけで愚かな話は、一転して勇者の美談として伝えられることになったのである。
二つ目の伝説もまた、勇者として魔王討伐の旅をしている最中のことだ。
三人の仲間も揃い、魔王の軍勢を何度か追い返し、ある街に滞在した時のことだ。
久方ぶりに一休みをとることにした一行は、街で思い思いに過ごしていたのだが、カランはどこで話を聞きつけてきたのか、街の近くの森にすむ妖精族が魔の軍勢に襲われていると知ってこれを助けに行ったのである。
妖精族は亜人に分類される、アストラガルス王国からしたら、低い身分の者たちであった。
彼らの里は、街の近くはいったものの大河の向こう側であり、その大河は脊柱山脈から流れ出す龍水でもあった。
並みの魔では泳いで渡ることも、飛んで越えることすら叶わないため、街に危険が及ぶことはない。
身分も低い亜人の為にわざわざ休みを返上してまで、助けに行くことかと仲間たちは思ったし、きちんと助ける必要はないと言った。
「それでも、助けます。それが僕の生きる意味ですから」
そう言って一人で助けに行き、妖精族を救った。
このように勇者となったカランは、ことあるごとに人を助ける為に動き、様々な美談を残した。
無能と呼ばれていたことは、そんな美談の数々に埋もれて消え失せ、彼は人気者になっていった。
これには宰相や大臣らも嬉しい誤算に喜んだものだ。
環境は人を変えるというが、婚約者や災禍による勇者抜擢は大いにカランを変えたように見えたからだ。
そうして、三年の旅の末、勇者カランはアスファレス大陸から災禍の魔王を討伐するに至る。
世界には平和がもたらされたのであった。
カランの勇者としての華々しくも輝かしい伝説は、ここで終わる。
魔王討伐より三年後、アストラガルス王国は戦乱へと転がり落ちていく。
戦争が始まったのだ。魔王討伐という偉業を成し遂げた勇者カランも当然のように駆り出された。
魔王を討伐した勇者の戦力は、災禍以上である。
それはもう戦争などとは言えなかった。まさしく蹂躙であり、いくつもの国が滅びた。
カランは勇者になる前の彼に戻ったかのようになり、勇者の力を厭うようになった彼は、オーキッドに頼み封印の眠りにつくことにした。
それから七百年の時が経ち彼は再び目覚めたのだが、その時も散々たるあり様を晒し、この目覚めを最後に、眠ればもう完全に起きることはないとカラン自身も思って目を閉じた。
「……あれ?」
そんな彼の予想を破り、二百年再び、目覚めた――。




