押しに押す話
気軽に読んで楽しんでいただければ幸いです。
【紳士たちの談話室】に出てきた人ですが単体で読めます。
「いい、キャシー? わたしは政略結婚することになったけど、あなたはちゃんと恋愛結婚をするのよ?」
「はい、お姉さま!」
「つまり相手は誰か、わかるわね?」
「ジュリアン兄さま!」
「そうよ! どんな手を使ってでもジュリアン兄様をものにするのよ?」
「はい!」
「世の中はあなたに味方してるわ! 今がチャンスなのよ! 目標は打倒、ジュリアン兄様!」
「だとう!」
「……お願いだから倒さないであげてくれるかな、可愛いお姫様たち」
ずっと側で姉妹の話を聞いていた大叔父が、困ったような笑みを浮かべて話に割り込んだのもいい思い出である。
フローライト侯爵令嬢であり、次期侯爵でもあるキャサリン・カーティス・フローライトの初恋は、叔従父のジュリアンだった。
大叔父のクローディアスに連れられて本家に遊びに来たジュリアンは、幼いキャサリンの相手も嫌な顔ひとつせずにしてくれた。優しい彼に懐くのは当然の流れといえる。
しかしキャサリンは、五歳で一度その初恋を諦める。
何故なら三歳年上の姉オレリアも、ジュリアンが初恋だった。
当時ジュリアンは十四歳。年齢もオレリアのほうが近く、侯爵家を継ぐ立場のオレリアと結婚したほうが良いと思われた。ジュリアンは大叔父の養子で、貴族の血が一滴も入っていなかったから、後ろ盾という意味でも。
ジュリアンも好きだが姉も大好きだったキャサリンは、二人が結婚するならと泣く泣く諦めた。彼が正真正銘兄になるならそれでも良い、と。
ところが、キャサリンが九歳のとき、政治的な問題が発生した。
当時の王太子が廃嫡され、新しい王太子の婚約者にオレリアが選ばれてしまったのだ。
かつて祖父の妹(キャサリンからみれば大叔母)が婚約破棄されたフローライト家は王家に二度と近づかないと宣言していたにもかかわらず、だ。国内情勢と王家の残念具合と婚約者の有無を鑑みて、十二歳のオレリアしか該当者が居なかった。
父はオレリアに頭を下げた。国の為にオレリアを犠牲にすることを詫びたのだ。そこまでされれば、オレリアも拒否は出来なかった。
幸いなことに新しい王太子は馬鹿ではない、らしいので、彼女はこれから関係を築いていくだろう。
そしてキャサリンが次期侯爵に内定し――ジュリアンにアプローチ出来る権利を手に入れたのである。
キャサリンは燃えた。ジュリアンへの恋が再燃した。
必ずやジュリアンと結婚する、と意気込んだ。
――が、思わぬ障害が存在した。
「ジュリアン兄さま、結婚してください!」
「キャシーもそんなことが言える歳になってたんだね。はい、誕生日プレゼント」
「ジュリアン兄さま、大好きです!」
「ありがとう。家族って素敵だな。これ入学祝いね」
「ジュリアン兄さま、今度一緒にオペラに行きましょう!」
「すまない、仕事が立て込んでてね。あ、父上貸そうか?」
「――強敵でしたわ、ジュリアン兄さま。年齢差って恐ろしいのよ……何言っても『おませな女の子』にしかとられませんでしたの」
「ひぇ……」
馬車の中で侍女のエリスに今までのことを話すと、大変哀れみの声を出された。
いや、本当に何度心が折れそうになったことか。
元々オレリアとの結婚話も父と祖父の間で相談されていただけで、ジュリアンは全く認識していなかった。
彼は貧民街で大叔父に拾われた子で、貴族としてのマナーや学園の授業についていくので必死だったので、余計な負担をかけたくないというのが大叔父の優しさであった。そのお陰か、学園卒業時は総合三位の成績を出し、財務大臣の秘書に抜擢されたのだが。
学業に極振りしてしまったせいか、キャサリンがアタックする時にはすっかり朴念仁と化していたのである。
『法務大臣の養子とはいえ、どこの馬の骨かわからん男を娘の婿にしたい貴族なんていないだろ。はは、たまにリップサービスはされるけど勘違いするような真似はしないさ』
身内にその婿にしたい貴族筆頭が居るということも全く気付いていない。
『特に縁談も来たことないし。貴族ってのは淡泊だから』
それは祖父が縁談を片端から叩き潰していたからである。祖父は十歳下の弟を未だに可愛がっている。実際は大叔父と繋がりを持ちたい貴族が何人か問い合わせしていた。
『父も俺に結婚は期待してないみたいだし』
ただ単にジュリアンの意志を尊重しているだけである。
父も祖父もキャサリンの味方だったが、大叔父が「ただでさえ貴族って大変だからね、あの子の好きにさせてあげようと思うんだ」と言えば直接的な手出しが一切出来なくなった。
「たまに、実は遠回しな拒絶かしら? と思うこともあったのよ? 直球な言葉ですらスルーされてしまうのだもの。……普通『ジュリアン兄さま以上に好きになれる人はいないのです!』って言って『そんな慕ってくれるなんて嬉しいな。君の将来のお婿さんからの嫉妬が怖そうだ』なんて返されると思う?」
「ち、ちなみにお嬢様はそれに何と?」
「『兄さまがお婿さんです』に更に言い募ったのだけど……『お婿さんといえば王太子殿下がね』と話をさらっと変えられましたわ」
恋愛話になると耳が遠くなる病でもあるのだろうかとしばらく図書館に籠った。キャサリンが十三歳の時である。ジュリアンがおかしいだけだというのがわかっただけだった。
なお、折れそうになった心は脳内で軍服姿のオレリアに励まされることでなんとか持ち直した。
【あきらめるな! キャシーも進展ないけど彼は誰のものでもない! まだ可能性はある! あきらめたらそこで敗北だ! もっと熱くなれよ!】
実際のオレリアはこんな口調ではないが妄想としてはよく出来ていると思う。彼女は意外にアクティブである。
【堀が埋められないなら城壁が凹むまで撃ち続けろ! 異国だと雨粒で石を削って石像を作るらしいぞ! 何年かかるんだ一体! それに比べたらジュリアン兄様なんて柔らかいほうだろ! 撃て! 迷うな! お前の恋はそんなものか!】
結局もしかして石像のほうが早く出来たんじゃ? というくらいの年月が過ぎたが、まあこの妄想のおかげでやってこれたので良しとしよう。
よく考えると大叔父も現実離れした男である。彼に育てられたジュリアンが変わり者になるのは当然の流れだった。そう自分を慰めたこともある。
「……大叔父様は未だにお年を召されないのだけど、あの外見はどうやって維持されているのかしら……そろそろジュリアン兄さまのほうが年上になるわよね」
五十を越えたはずなのに二十代前半の見た目をした大叔父に思いをはせていると、見張っていた入り口から人が出てきた。
キョロキョロと周囲を見回し、キャサリンと目が合う。
「……やあキャシー」
「お久しぶりです、ジュリアン兄さま」
にっこりを笑みを浮かべてみせれば、ジュリアンの顔が少し引きつったような気がした。
「突然言付けを頼まれたなんて言われたから驚いたよ。もしかして俺は何か約束を忘れてしまっただろうか」
「申し訳ございません。さすがに紳士俱楽部に突撃するわけにはいかなかったので」
キャサリンが見張っていたのは学園の男子卒業生が作ったサロンの入り口だった。「女性でいうお茶会のような場を男子も」というコンセプトで発足したもので、入会資格は最終学年で総合成績十位以内、もしくは所属科の成績五位以内の男子のみ。在学中で女性のキャサリンはもちろん入れない。
「休暇で屋敷に戻って参りましたので一緒に食事でも、と思い使いを出したのですけど、こちらに行かれたと。サロンの前で誰かつかまえたほうが早いかと思いまして」
「それこそ使いを寄越してくれれば良かったのに……使用人の取次ぎくらいは許可されているよ」
苦笑いしながら馬車に乗り込んでくるジュリアン。彼が座ったのを確認し、御者に指示を出した。
「情報収集の場、というなら女性も入会資格を下さればいいのに」
「女性にはお茶会があるからね。そっちだって男子が混ざるといろいろ言えないって言うじゃないか」
「つまり女性に聞かれたら困ることをいろいろ言ってらっしゃるのね」
「ははは。……ああ、オレリアが王城に行ったことが話題に上がっていたよ」
オレリアは婚約して七年目でようやく王城へ上がった。やっと王城側の整備が終わったのだ。
「姉さまもようやく王太子妃を名乗れますわね。ここ数年は殿下への惚気で大変でしたの」
国政のための婚約だったが、手紙のやりとりなどを通してちゃんと想いが通じ合ったらしい。
「姉さまは国一番の幸せ者ですわ」
「良かったよ。あとはキャシーのお相手だけだね」
「私はジュリアン兄さまと幸せになりたいの」
相変わらず対象外の言動に内心遠い目をしながら、それでもキャサリンは言葉を紡いだ。
どうせこれもスルーされるのだろうが、伝えることを諦めたら終わりである。
いつものように、すぐに笑い声が返ってくるのだろうなと思ったのだが――何も言ってこないジュリアンをいぶかしみ、窓の外に向けていた視線を彼に向けた。
ジュリアンは、顎に手を添えて何か考え込んでいた。
「……ジュリアン兄さま?」
声をかけると、彼はちらとキャサリンを見る。
「……俺とキャシーは随分歳も離れているだろう? 兄の立場の俺よりもっといい男がいるだろう」
今までにない言葉の選び方に、一瞬呆けるが――思わずエリスのほうを見るとエリスもブンブン頷いている。
もしかして、これは。
やっと、話が、通じたのでは?
【今だ! たたみかけろ! 攻め時は今だ! 突撃のラッパを鳴らせ! 今しかないぞ! 押せ! また耳が遠くなる前に押せ! 紳士倶楽部で何か言われたのか? ありがとう誰か知らない人! 犠牲を無駄にするな! 押せ! 押すんだ!】
脳内のオレリア指揮官の叫び声のままに、キャサリンはジュリアンの手を取る。
「ジュリアン兄さま以上のいい男などこの世にいませんわ!」
屋敷に帰り着く前に落としてみせると覚悟を決める。
突撃のラッパの音を脳内で響かせながら、叫んだのだった。
この後めちゃくちゃ口説いた。
【本文に関係ない補足】
フローライト侯爵家に生まれた子供はミドルネームに異性の名前をつけられます。
姉はオレリア・アラン。
大叔父はクローディアス・クレア。
ジュリアンは大叔父の養子なのでミドルネームがありません。