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2-3



そんなことがあった次の日。


シーラが朝起きた時、少しだけ体がだるかった。

頭も少し痛い気がする。

喉も酷く乾いている気がする。


それでも気がするだけだから、とソロリとベッドから出て、侍女がシーラのために温めておいてくれた部屋で着替えを済ます。

朝食の場で温かいミルクを飲んだら、頭の痛さがすっと消えた。


テオドールはシーラの前に座って蜂蜜を沢山塗ったライ麦パンを頬張っている。

シーラは蜂蜜もあまり好きではないが、作り物のように整った容姿の彼が食べている物は、苦手な甘いものだろうと何だろうと、なぜか皆美味しそうに見えてくる。

なんだろう、今日の自分は少しおかしいなと思いながら、シーラはチーズを自分のパンに載せた。



仕事に行くテオドールを見送って家の中で動いているうちに小さなだるさも消えて、いつもと変わらない調子に戻っていたので、シーラは朝の不調を特に気に留めずにいた。


雑用を済ませてから、いつものように自室で舞い降る外の粉雪を眺めながらゆっくりする。


ティーカップの中のお茶がなくなったタイミングで、そろそろ勉強しにいこうかとシーラは立ち上がった。

ペンと紙を抱えて広い家の一角にある書庫に向かう。


扉を開けて、昨日のままの姿で出迎えてくれた文机に座り、シーラは作業を開始した。









…ブルッ。


午後になり書庫で作業をしていた時に、急に悪寒を感じた。

シーラはペンを持つ手を止めて様子をみたが、寒気はスッと治まったのでその違和感を無視して作業を続けることにした。


カリカリカリカリ


ペンが紙の上を走る音がする。


カリカリ…


ペンの音が止まる。




今度は、カチカチカチカチと体の中の骨が細かく鳴る音が聞こえてきた気がした。


先程の体からの警告を無視してしまったのがまずかったのか、小一時間経って骨の髄が寒いと言って震え始めたのだ。

体調不良だ、とシーラが認識するとすぐに冷や汗が流れてきた。

目の前がチカチカしてくる。


シーラはおもむろに作業を中断した。


ペンや紙はそのまま文机の上に残して、書庫の扉を開けて外に出る。

立ち上がったら、血の気が引くようなだるさが襲ってきた。


その場にうずくまりたいくらいだったが、

とりあえず、歩く。


そしてさらに酷いことに、歩いている途中で侍女とすれ違った時、シーラは反射的にわずかに残った力で何でもない体を装いやり過ごしてしまった。

冷静な判断ができていない感がある。

最後の力を無駄に使い切ってしまった感がある。


まずいぞ、と思いながらシーラは廊下を歩き続ける。




やっとたどり着いた。そう思った。

しかしそうではなかったことに、ドアを開けてから気が付いた。


自室に到着したつもりだったが、シーラは気が付いたらテオドールの部屋のドアを開けていた。


違う部屋だと思うよりむしろ、仕事に行っていると知っているのに、いつもいるところにテオドールがいないことを確認したら急に心細くなってきた。

寒い。

そして体がだるい。


もう立っていられないと思い、吸い寄せられるようにベッドに入った。

体を横にした途端、幾分か楽になる。

頭がガンガンするが、布団が気持ち良い事は感じる。


テオドールのベッドはシーラのベッドと同じで、温かい毛布がこれでもかと上にも下にも重ねてあるので、潜り込んだばかりの布団でも寒いと感じることはなかった。


フワフワの毛が立った毛布の中で、シーラはモゾモゾモゾと体を丸める。

体が触れたところから布団が熱くなっていく。

吐く息も熱い。


これはもう、完全に熱があるやつである。

風邪を何処かで貰って来たらしい。

どこだろうと考えることも億劫になって諦めた。



横たわったシーラは瞼に力を入れることができなくなり、そのまま目を閉じた。








反対側の壁にある暖炉が温かく燃える音がやけにはっきり聞こえるのに、近くの声がぼんやりとしか聞こえない。


そう思ったシーラが次に目を開けた時、窓の外はすっかり暗くなっていた。

朝から降っていた粉雪がまだ舞っている。

小さな白い綿をつけた虫のようだ。

冷たい雪には見えない。



ぼんやりと、誰かの気配がする。



「……テオドールさま」


誰がいるかもよくわかっていないのにそう呼ぶと、影が動いた。

どうやらテオドールで間違いないらしい。

仕事を終えて帰って来た彼は、シーラが寝ているベッドの脇にいるようだ。



「起きたか。熱があると聞いたが大丈夫か?俺の寝床を何故お前が占領しているのかは今は責めないでおいてやる。どうせ部屋を間違えたんだろ。何か食べられそうか?今何か温かいものを…」


「…添い寝してだっこしてくれたら、だいじょうぶになります」


テオドールがいる、何か喋っている。

ならばもう安心だとシーラはぼんやりと思った。

そしてシーラは声を出す。思ったより掠れていなかった。




テオドールはコップに入った水を手渡そうとしてくれていたが、その動きを止めていた。



一呼吸おいて言葉の意味を理解したテオドールがボンと真っ赤になって、ベッドの横にある肘掛椅子の上から飛び上がった。


「…はっはあああ?!

な、な、なんだお前は!誰がそんなことするか!お前、熱でおかしくなるにも程があるぞ!」




今のシーラは、テオドールのその狼狽した顔をあまり認識できていない。

そして彼女は朧ろげな意識で、自分はおかしくないのに、と首を傾げた。


「いいえ、私はおかしくなんてありません…だからだっこしてください」


「無理だ!病人だからって、甘えればなんでも思い通りになると思うな!」


「じゃあ、ぎゅってしてください」


「い、言い方を変えてもだめだ!」


「ケチですね…へるものでもないのに…」


「なんと罵られようが無理なものは無理だ!減るんだ、俺の寿命が!」


耳元で叫ばれているはずなのに、妙に心地が良いのは彼の声が低いからだろうか。

それとも今は耳の調子も悪くて音が大きく聞こえないからだろうか。

そんなことを考えながら、シーラはテオドールの言葉の意味を考えた。

寿命が減ると、早く死んでしまうらしい。



「あれ…それは困りますね。じゃあ手をつないでいてください…」


一人残されるのは嫌だなあと思いながら、シーラはぼやけた目をこする。

ゴシゴシしながら、もう片方の手をモゾモゾと布団の中から出した。


部屋は暖かくなっていたが、布団の中よりは寒い。

早く握ってくれ、とシーラは思う。





「……て、手か。まあお前は病人だし、憐れんで少しは我儘を聞いてやるか…」


静かに息を整えて呟いたテオドールは、ふらふら宙を彷徨っているシーラの手をやっと握ってくれた。

病人には手心を加えてくれているのだろう、普段より随分柔らかく握ってくれている。


そして彼は少し考えて遠慮がちに質問した。

「お前の手を冷やすべきではないから、俺も布団の中に手を入れるぞ…いいか?」



それがいい、と思ったシーラが頷くと「お前の風邪が拗れて、これ以上おかしくなったら堪らんからな…」とブツブツ言いながらテオドールの手がシーラの手と共に布団の中に入ってきた。




シーラはくすぐられているような気持ちになる。

それになんだかちょっと秘密のことをしているみたいだ。


そんなことをシーラが曖昧な頭で考えていたら、何故だか分からないがこのあいだのイイナァと羨ましそうなテレーゼの顔が浮かんできた。

頭の中で、テレーゼがシーラに耳打ちをしている。


「そうだ…テオドールさま、今夜は寝かせないっていってください」


特に考えることもなく、思ったことが口から出てきてしまった。



「はっああああ?!

お、おま、どこでそんな言葉覚えてきた!本当にろくな事を覚えないな、お前は!

っ、重病人は早く寝てくれ、頼むから!」


びっくりして全身を震わせるテオドールに、全力でお願いされた。

そして赤くなった顔で、ぎゅっぎゅっと首の間に毛布を詰め込まれた。


ぎゅっぎゅっ。




「む…。分かりました…ねます」


そんなにお願いされては仕方ないなと思い、首元が温かくなったシーラは素直に目を瞑る。


未だ動悸が収まらないテオドールとは対照的に、シーラは穏やかな顔をしている。






…あったかい。


穏やかにシーラは思う。


テオドールがそこにいてくれて、手を握っていてくれる。

ぬくぬくする。



いい匂いがするし柔らかいし気持ちがいいなと思ったシーラは、自分が落ちるように眠ったのを感じたが、



起きた。




テオドールの手が熱い。

ぬくぬくを通り越してジリジリする。

シーラ自身も熱があるせいで、少し熱すぎるくらいに感じる。




「テオドールさまの手あついです。あつすぎです、ねられません」




シーラが目を開けて喋りだしたので、ベッドに突っ伏してため息をついていたテオドールは顔を上げた。


「フン、じゃあ離せばいいだろう。そうしたら今晩はお前から解放されて1人でやりたいことができるし、俺も嬉しい限りだ」


テオドールがそう言って鼻を鳴らす。

意識が朦朧としているシーラはテオドールの手が動こうともしていない事には気づかず、ぎゅっと引き止めるようにその手を握った。


「だめです」


「なんだ…」




「癇にさわりました。今晩あなたはやりたいことはできません。ここにずっといてください」


シーラは瞼が落ちてくるのを必死でこらえて、もたもたとしか動かない口でそう言った。


「稀代の我儘女だな、お前は…」


「わがまま女はいやですか」


「…知らん。ただ、俺にはお前をうっかり拾った責任があるんだ。今更嫌だからと言って投げだせない。残念なことにな」


「そっか…」


言葉選びは冷たいが穏やかな彼の声は優しい、とうまく回らない頭で認識したシーラは、へにゃりと気の抜けた顔で笑う。


一緒に居られて嬉しいと思っているのは自分だけではないような気がして、

そうだお礼を言わなければとシーラはふと思った。


「あの、お嫁さんにしてくれてありがとうございます」




そう言ったら、あからさまにびくりとされた。

シーラの手がぎゅっと握られたから分かった。


「な、なんだいきなり……」





揺れる目を伏せたテオドールの指が、毛布の下で動く。

感じた何を紛らわせるかのように、シーラの指の先を撫でる。

何かを落ち着かせるためにシーラの爪の形を確認しているようだ。


シーラはしばらく何も喋らず薄く開けた目で、テオドールの綺麗な顎や上下に動く喉仏を見ていた。




シーラが眠気に勝てなくなって溶けるように目を閉じた時、テオドールが「おい」と言って動いたのが分かった。

彼の体が、静かにシーラの寝ているベッドの方に乗り出してくる。


何かを確かめるように、彼にちょんと指先で頬に触られる。

それから「明日休みになった」と掠れた声で囁かれた。


それを聞いて、また彼は部下の誰かを強制的に休日出勤にさせたのだろうな、とシーラはユラユラと考える。





そろり。


シーラの柔らかい髪のかかった頬にぎこちなく彼の手が置かれた。


そろりそろり、と

整った顔がゆっくり近づけられる。

「だから、仕方ないから俺に風邪をうつしてもいい…」

彼は吐く息くらい小さな声でそう呟いた。


落ちてきた影に、ぱち…と開いたシーラの深い翡翠色の瞳が、上から被さるように現れたテオドールの黒い目を映した。

テオドールはシーラの視線に少し動揺したように頬を綺麗な色に染める。


彼の形のいい深い瞳を見ながら「風邪の肩代わりまでしてくれるなんて、お嫁さんになれてよかったと言われたことがすごく嬉しかったのかなぁ」とシーラは朧げな頭で考えていた。


体重がかかったベッドが軽く軋む音がする。


テオドールの顔がシーラの顔のすぐそこにあり、

お互いの鼻が触れそうになる。




チュ…











とはならなかった。


「シーラ様〜冷えピタ取り替えましょうね〜…ってあら?!

あらあらあらあら!まあまあまあ!やだあ、私ったらお邪魔してしまいましたね?!」


ガチャッと音を立てて入ってきたのは、冷えたタオルと氷水の入った器を持った中年の侍女だった。


「でも私はもう来ませんからね、続きはお二人でごゆっくりどうぞ~!

…私、応援しておりますからね、旦那様っ」


寝ているシーラに覆いかぶさるようにしているテオドールを目撃した侍女は、嬉しそうに口に手を添えてテオドールにエールを送ってから、くるっと踵を返してドアをバタンと閉めた。





「…」



侍女の声を背中で聞いたテオドールは固まり、ドアが閉められてからユラユラ動いて毛布に顔を埋めこむように突っ伏した。


それから彼は、長い間そのままじっとしていた。

シーラは少し心配になってテオドールの手をにぎにぎとしてみたが、弱弱しい反応しか返ってこない。

風邪っぴきのシーラは、「まあ、テオドール様に風邪が移らなくてよかった」とぼんやり考えていた。












窓から差し込む朝日によってシーラは目を覚まし、小さく寝返りを打った。

体のだるさはすっかりなくなっている。

頭はまだ少し痛い。

喉も少し痛いが、咳はない。


ぱちりと瞬きをする。


おもむろに動かした手が、何かに触れた。

テオドールの片手だ。

寝返りを打った時に離れてしまってらしく、起きたシーラの手とは繋がれていなかったが、寝ているテオドールの片手は布団の中にあった。


見れば、ブランケットを沢山巻きつけられたテオドールが、半身をベッドに雪崩掛かけるようにして肘掛椅子の上で寝ている。

部屋は暖かく保たれていて、湿度もいつも以上にこまめに調整されていたようだった。

布団では寝ていない彼が風邪をひかないように、従者たちが悪戦苦闘した努力の跡が見える。


その光景に、昨晩の記憶が溢れるように思い出された。




…ふむ、やらかしましたね…



シーラはまとわりつく毛布をモタモタと押しやりながら、テオドールのベッドから這い出た。



昨晩自分が何を言ったか、何があったか全部覚えている。

いくら熱があって気が緩んでいたといっても、あることない事全部駄々洩れにしてしまったのは、ものすごく恥ずかしい。

幼いシーラが病気の時はいつも以上に甘やかしてくれた父にも母にも、こんな風に我が儘を言ったことはなかったのに。

不覚だった。



シーラは内心焦りながらも何とか従者を呼び出し、椅子の上で寝ているテオドールをベッドに寝かせてもらった。

手伝ってくれた従者たちが微笑んでテオドールの部屋から去ってから、シーラは何度も深呼吸をしてからベッドの淵に腰掛けた。





おずおずとテオドールを見ると、彼は綺麗な顔でスヤスヤと寝息を立てている。

何事もなかったかのような平和な顔だ。


このまま全部忘れていて欲しいような、そうでもないような。





彼の白い陶器の様な頬を指で触ってみた。

そして少し摘まんでみる。

いろいろ思い出して恥ずかしくなったので、八つ当たり気味に少し強くつねってみる。


しかし熟睡しているテオドールは起きる気配を見せず、無防備にされるがままになっていた。


思わず笑ってしまう。

そして手を離して、シーラはその寝顔に小さくお礼を言った。



そして彼が起きてから、病人のわがままに付き合ってくれたことに対してもう一度しっかりお礼を言おう。

でも、以前寝てないときにとお願いしたのを忘れたことは責めてやろう、とシーラは思ったのだった。







お酒では酔ったりしないけど熱でちょっと人が変わるシーラなのでした…。

因みにテオドールは騎士団で遠征行ったりするので、割とどこでも寝られるようです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] あくまで冷淡なのは言葉だけで突き放した行動には出ないのと使用人達のおかげで全く素直じゃ無いテオドールでも凄くいい関係を築けているのがとても良い。 シーラの性格のおかげもあってホントに良い…
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