1-2(短篇そのまま)
「ドレスだ!大安売りだったからな」
ある日、シーラは大量のドレスに埋もれていた。
雪の地域らしくこってりとした綺麗な色の新品のドレスがたくさん。
この前採寸のおばさんたちが、いきなりシーラのところに押しかけてきたのはこの為だったらしい。
どう考えても大安売りでこんな上質なオーダーメイドのドレスが売られている訳はないが、追及するのは止めてテオドールに心を込めてお礼だけ言っておいた。
「菓子だ!女は皆しょっぱいものが好きだからな」
またある日は目の前にたくさんのしょっぱいもの、干し肉や乾燥キノコなどの珍味が並べられていた。
シーラが甘いものは好きではなく、しょっぱいものが好きだと言ったのを覚えていてくれたらしい。
女の子は普通甘いものが好きなんですよと言及するのはやめて、二人でそれをつまみながらソファに寝転がって月と雪を見た。
「花だ!その辺で拾ってきただけだ」
そしてあくる日は、大きなスイセンの花束を渡された。
シーラは一面真っ白な外を見る。
いくらスイセンが寒い季節の花だと言っても、捨て猫のようにその辺で拾えるものだろうかと首を傾げたが、質問はしないことにした。
その花は自分の部屋の枕元に飾った。
香りもいい、上質な花だった。
シーラには今までは好きな花などなかったが、今はスイセンが少しだけ好きになった。
「忙しいと聞きましたが、結構早く帰ってこられるんですね。遠征もないのでしょうか?」
「疲れたから早く帰ってきただけだ。遠征もない」
この日もテオドールは早く帰って来た。
結婚してシーラがブルーナーの家に来てから、彼は早く帰れる日もそうでない日も早く帰ってくる。
魔物は昼夜問わず国境を越えようとしてくるので夜勤の仕事も遠征もあるのだが、上級の役職に就いている彼は職権を乱用して夜勤も遠征も全力で他の人に押し付けているらしかった。
帰ったテオドールと2人で夕食を摂って、彼の部屋の居心地の良い大きなソファで2人並んで読書をしたりチェスをしたり、ハーブティーを飲んだりダラダラ話したりするのが、いつの間にか常になった。
テオドールは休む、疲れたと言いながら帰ってくる割に、眠たいと言うシーラにコーヒーを勧めてきたりする。
そうしてコーヒーを飲んで、二人で夜更かしする事は多々あった。
「私、貴方に何か贈り物をしたいです」
今日、朝からテオドールの部屋に訪ねていたシーラはそうテオドールに話しかけていた。
ちなみに、『お前に仕事などない。家にいて好きなことでもしているがいい!』と言われたシーラは多くの貴族の夫人同様働いていない。
自宅警備をしている。
家のお金は自由にできるものの、それはテオドールが命を懸けて国を守っているからこそ貰えるお金なので、贈り物を買う為にはもちろん使わない。
シーラが貧乏ながらもコツコツ貯めてきたお金で何か買ってあげたいと思っている。
「フン、俺の機嫌を取ろうなどと。何か企んでいるのか?」
綺麗な顔を少し歪ませたテオドールからは、想定内の答えが返ってきた。
「いりませんか?」
「いらないとは言っていない」
「では、一緒に買い物に行きましょう」
今日はテオドールの休みの日だ。
窓から見える外は雪がちらついているが、悪天候はこの地域の人間ならば誰でも慣れている。
「なっ!俺と買い物に行きたいのか」
テオドールが思ったよりも驚いていた。
そういえば、いつも何だかんだ誘ったり提案したりしてくれるのはテオドールばかりだった。
彼はシーラに誘われたのが初めてでびっくりしたのだろう。
「はい、そうですよ」
「……いいだろう、お前は荷物持ちにしてやる」
シーラが頷いて『では服を着替えてきます』と踵を返したその視界の端に、赤く染まった嬉しそうな顔を押さえるテオドールが見えた。
シーラもちょっぴり嬉しくなる。
テオドールの部屋のドアをパタリとゆっくり閉めてから、すすすっと自室へ戻る。
…何を着ましょうか、何を履きましょうか、髪型はどうしましょうか。
この北の街の貴族は天候のせいであまりドレスは着ない。ハイヒールも履かない。
ドレスとハイヒールの出番があるのは貴族主催のパーティだけだ。
少し悩んでシーラは赤いベロアのワンピースを選び、厚くて保温性の高い布地のポンチョ風の上着をその上に着た。足元は温かいタイツと温かいブーツだ。
髪はまとめ上げ、少し化粧もしてもらった。
とても良いと侍女のお墨付きももらった。
『旦那様はさっきからソワソワソワソワ。本当にポンコツですね』と一階に物を取りに行っていた侍女が、シーラの部屋に戻ってきて教えてくれた。
嬉しさが隠せない様子のテオドールは既に玄関でソワソワ待っているらしい。
…
街はとても賑わっている。
ここは北の寒い地域ではあるが、王国一畜産業が盛んな場所でもあった。
寒い地域を好む陸クジラという家畜がこの地域の経済を支えているのだ。
なんでも食べる雑食で勝手に大きく成長し、たくさんの肉も油も、上等な毛と皮も、軽くて丈夫な骨も提供してくれるこの家畜は金になる。
依って人も金もこの北の街に集まるし、その人や家畜の肉を食べたい魔物も集まる。魔物の侵略を止めるために、国は精鋭の騎士も資金もミルフォーゼ騎士団に惜しみなく投入してくれる。
そんなわけで街はびっくりするほど大きいし、王都に負けないくらい洒落ている。
街に着いた馬車から降りる時、テオドールが手を貸してくれた。
そして傘を開いて差し掛けてくれた。
二人でその大きな傘の下に入る。
ちらちら舞う雪を見ながら、シーラは先ず雑貨屋に行こうと提案した。
シーラお気に入りの雑貨屋には、彼が好きそうな物もあるだろう。
テオドールは頷いてくれた。
しかし。
テオドールはシーラと目を合わせてくれていない。
屋敷の玄関で合流した後からだ。
合流して馬車で揺られている時はもう既に、シーラの顔をしっかり見てくれていなかった。
最近は彼もたくさん話してくれるし、シーラも彼のおかしな物言いにも慣れてきたのに、今日はシーラが初めて家に来た日のように目を逸らしてくる。
それは何となく気に食わない。
たまのお出掛けだというのに。
折角化粧もしたし、髪だって上げているのに。
シーラは少し考えて、ささやかなお仕置きでもしてやろうと思った。
「手、お前、俺の手を握っているぞ!?傘と間違えているのか?」
何食わぬ感じを装ってすっとテオドールの手を握ったら、ビクッとされた。
そして頭の上から動揺した声が降ってくる。
上を向いたら、テオドールと目が合った。
テオドールは無駄に顔がいいので、それがちょっと色っぽく上気しているのを見たら流石にドキドキしたが、シーラは平静を装って言ってやった。
「間違えてませんよ」
「じゃあ何故握る!」
「手を繋ぎたかったから、ではだめですか?」
「そ、そんな身勝手な理由で俺を緊張させて楽しいのか!」
…ちょっと、楽しいです。
と思いながらシーラは小さく笑う。
「じゃあ…手が冷たいのです」
「冷え性のせいにすればなんでも許されると思っているのか。したたかな女だ」
「はい、したたかです」
シーラは返事をする。
そしてテオドールの手をこじ開けるようにして指を絡めてやった。
ちょっと勇気が要ったが、冷え性のせいにしておけばいいのだ。
「や、やめろ、指を絡めるな。俺を殺す気か!」
「なぜ指を絡めると死ぬのです?」
「知らん、自分で考えろ!」
「考えてもわかりません教えてください」
「ろくに考えずに即答えを聞くな」
「…じゃあ、嬉しいからですか?」
「嬉しいわけがないだろう!」
まあ、予想してはいた答えだ。
それならばとシーラは用意していた答えを返してやる。
「じゃあ離しますね」
……
ジャッジャッジャッジャッ
除雪された綺麗なレンガの道を、二人は無言で歩いている。
道の両脇に並ぶたくさんのお店。
どれも大きなガラスの向こうに商品を並べ、客を誘う楽しい雰囲気を醸し出している。
ジャッジャッジャッジャッ
暫くして、
「手持ち無沙汰だ」
とテオドールが言い出した。
「なんですか?」
「右手が手持ち無沙汰だ。何か持たせろ」
「はい」
シーラは片手に持っていたカバンを彼の手に持たせてやった。
「荷物持ちはお前だ。俺に荷物を持たせるな」
カバンは突き返された。
「荷物以外、何を持ちたいと言うのでしょうか」
「荷物以外と言ったら荷物以外だ」
テオドールがシーラの顔をキッと見て、ずいっと手を差し出してきた。
…ぽん。
とシーラは思わず自分の手をテオドールの手に乗せてしまった。
これが精いっぱいだと言わんばかりの顔を見せられて、準備していたからかいの言葉を投げてやる余裕もないまま、引き寄せられるようにシーラは手を差し出してしまった。
「フン、これで我慢してやる」
安心したようにも、満足したようにも見えるテオドールの横顔が不覚にも少し可愛かった。
「あったかいですね、手」
シーラは少し嬉しく思ってしまったことを隠すかのように口を動かす。
確かにテオドールの手は、ひんやりとした細い見た目に反して温かい。
彼は後衛のソーサラーだが、やはり戦場で働けば嫌でも鍛えられて筋肉もあるから温かいのだろう。
「お前の手は冷たい」
仕方ないから次もあっためてやってもいい、とテオドールは小さな声で付け足した。
シーラがそれに何も言わなかったので、テオドールが慌ててかき消すように再度口を開く。
「お前は手が冷たすぎて雪女みたいだな」
「はい、私雪女なんです」
シーラは『雪女なんてこの世にいませんよ』と真面目に大人げないことを言っても面白くないと思い、頷いた。
「雪女って好きな人を凍らせて殺すらしいですよ」
「フン、氷を操る俺を凍えさせようなんて100年早い」
「あれ?貴方は雪女の好きな人は自分だと思っているのでしょうか。思い違いかもしれませんよ。もし違っていたらとっても恥ずかしいですね」
下から彼の顔を覗き込んでにやりと笑ってやった。
思いがけずいつかの報復ができた。
「なっ…」
恥ずかしい、しまった、恥ずかしいの文字が赤い顔に書かれているテオドールは乱暴に会話を終わらせて、シーラが何か言ってもしばらく返事をしてくれなかった。
でも、手はずっと握っていてくれている。
シーラがテオドールを嫌っていないと彼が信じていたことは、少し癪だったが嫌な気はしなかった。
こっそり横を見上げるとテオドールはマフラーに顔を埋めていて、鼻の頭を寒さのためにピンクにしていた。
彼の長いまつげが少し湿っていて、綺麗だった。
そうこうしながら到着した雑貨屋では、贈り物を選ぶのに結構時間がかかってしまった。
テオドールはあまり物欲が無いようで、これはどうだあれはどうだと聞いてもあまり決定的な返事をしてくれなかったからだ。
悩んだシーラは落ち着いたデザインのスキットルを選んだ。
遠征に行く時騎士は皆度数の高い酒を持っていく。その酒を入れる携帯用のボトルだ。
既にいくつか持っているだろうが、テオドールが好きなデザインだと言ったのでそれにした。
「そうだ、手袋も買いたいです。手袋屋さんものぞいていいでしょうか」
この地方の必需品である手袋だが、シーラはずっと買い替えるのを先延ばしにしてきたのでボロボロの物しか持っていない。
シーラは目指したい手袋屋の方にテオドールを引っ張る。
「だめだ、贅沢を言うな」
「贅沢でしょうか」
「お前の手などずっと冷え性でいればいい」
ふむ。
シーラは首を傾げ、一つの仮定に思い当たった。
「あの…冷え性が治っても手は繋げますよ」
「フン、そういう意味で言ったんじゃない」
いや、どうやらそういう意味だったらしい。
それからテオドールは、冷え性どうのと言うこともなく大人しく手袋屋までついてきて、これがいいあれがいいと温かい手袋を選ぶのを手伝ってくれた。
最終的に、ふかふかの手袋と上質な皮の手袋、分厚くてしっかりした大きな手袋を買ってくれた。
本当は一つで十分だったが、いつのまにか5つくらい追加されていたので、シーラはいくつかこっそり棚に戻した。
手袋屋を出て、漬物屋と乾物屋、それと燻製屋に寄って家に帰った。
これで、しばらく分の夜更かしの肴も調達できた。
…
「その、今晩は冷えるだろう。仕方なくお前を湯たんぽがわりにしてやる」
ある急激に冷え込んだ晩のこと。
テオドールの部屋で母に手紙を書いていたシーラに向けて、彼はおもむろに言った。
ソファをポンポンと叩いてここに座れと促してくる。
シーラが便箋数枚と羽ペンを抱えてそこに腰掛けると、モフッと大きなブランケットを被ったテオドールに後ろから覆い被さられた。
今日は特別に寒いですねとシーラが震えていたから、あっためてくれようとしているのだろうか。
テオドールは細身だが、こうして後ろから抱えるように被さられると彼はシーラより俄然大きいのだと実感する。
「私、雪女なので湯たんぽにはなれないかもしれませんけど」
「いつまでそんなことを言っている」
そう言ってテオドールはそのまま、読んでいた本を開き始めた。
いい匂いもするしフワフワするし温かいし安心するしで、シーラは少し脈が速くなってきたというのに、テオドールは全く平気そうだ。
いつも狼狽えているのに、今日はさっさと本を読み始めている。
シーラとこんなに近いというのに、彼はドキリの一つも感じないのだろうか。
シーラが何故自分ばかりが緊張しているのだろうと不服に思っていると、テオドールが眺めている本がさっきから1ページたりとも捲られていないことに気が付いた。
なるほど、テオドールも読書どころではないらしかった。
「あの」
そうだ、と思ったシーラはゆっくり口を開く。
「…私、貴方のことは結構好きだと思うのですが、貴方は私のことどう思っているのでしょう?」
今日のテオドールはいつもより少しだけ積極的なので、シーラも少し対抗して攻めてみることにした。
やられっぱなしは少しだけ気に食わないので。
そしてついでに、ちょっとだけ、彼の声と言葉で答えを聞いてみたかったというのもある。
「…」
沈黙が返ってきた。
「答えてやる義理はない…」
暫くしてテオドールの震えた声はブランケットに埋まった顔から聞こえてきた。
ブランケットで隠し切れていない耳が赤い。
全く。でも答える義理くらいはある筈だろうとシーラは思う。
「私の事は好きではありませんか?」
「随分と直接的な物言いをする。お前それでも淑女の端くれか」
モゴモゴとブランケットから声が聞こえてきた。
少し怒っているようにも聞こえる。
「直接的な言い方しかできなくて申し訳ありません。ならばもう好きとも何とも言わないようにしますね」
「好きだと言うなと俺がいつ言った。お前は特別に、俺に毎日言うのを許してやる」
「…ふーん」
「なんだ、なにが不満なんだ」
テオドールの黒くてきれいな髪がイヤイヤをするようにブランケットの上で動く。
シーラは不満である。
テオドールは甘い言葉は口が裂けても言えないような人なんだと百歩譲って諦めるとして、それを棚に上げて自分は毎日好きだと言ってもらいたいとのたまうなんて、不公平である。
「メレヘーゲルのところの奥様は旦那さんにそんなに好きとは言わないけど、旦那さんには毎晩愛してると言ってもらえているらしいです。
愛妻家で素敵な旦那様はいいですよね」
「フン。他人を羨んでばかりとは浅はかな奴だな」
そんなことを言われた。
シーラは思いっきり膨れた。
ブランケットに顔を伏せたまま話しかけてくるテオドールを無視し、彼の頭をげんこつでグリグリと攻撃して、便箋と羽ペンをかき集めるようにして抱えてさっさと自室に帰って来た。
ベッドにボフンと横たわる。
暫く静かにしていたら、冷静になってきた。
…ふむ。
好きだと言ってもらえなくてむくれるなんて、まるで恋をしている女の子のようなことをしてしまいました…
シーラは明かりを消し、布団を被ったが暫く寝付けなかった。
それに私は全然羨んでなんかないですし、と思いながら小窓から見える雪をひたすらボーっと見ていたら、小さな音がした。
シーラの部屋のドアが開いたことが分かった。
強盗かと飛び起きそうになったが、寝ているか?と小さく問う声に思い留まり、そのまま目を薄く開けてその影の動向を観察することにする。
影はシーラのベッドのフチに腰掛け、ソワソワと枕元で何か言いたそうにしては口を噤み、を繰り返していた。
ここで動いて寝たふりなのがバレたら、この人は昼夜問わずもう何も言ってくれなくなるだろうと思ったので、シーラは全力で寝たフリをした。
シーラが寝ていると思っていても言葉にするのに勇気がいるのか、それを聞けるまでに結構時間がかかった。
散々逡巡してようやく、謝罪と共に感謝していると囁かれた。
好きだと言うのは、いくら相手が寝ていてもどうしてもできなかったようだ。
まあいいでしょう、とシーラは考える。
感謝の言葉が彼から聞けるのも相当珍しいので、この珍しさとシーラが彼に好意を伝えてしまった気恥ずかしさとを相殺してチャラにしてあげよう、とシーラは思ったのであった。