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1-1(短篇そのまま)



「シーラ・リシュタイン、やっぱり俺はお前のような怖い女とは結婚したくない!婚約は破棄させてもらう!」


ここはアイゼルバルト王国の最北端、一年の半分は雪に覆われる冬の地方ミルフォーゼ。

北の国境を守るミルフォーゼ騎士団の大隊が魔物討伐遠征に一区切りつけて帰って来た際の慰労パーティで、シーラは婚約者のロベルト・ウェンブルクに婚約破棄を突き付けられていた。



今日のシーラはロベルトとこの慰労パーティもとい無礼講に来ていたが、先ほどまで彼はシーラをほっぽって仲間と酒を飲んでいた。

飲みながら日ごろから溜めてきたシーラへの愚痴を吐き出していて、そこで同じく酔った仲間に煽られて彼は決断してしまったようだ。


まあ、既に準備されていた婚約解消の同意書を懐から引っ張り出してきたから、酔った勢いで決断したのは時と場所だけだったということだ。




強い騎士だった父が魔物に殺されて、残された母と数人の従者たちしかいない小さなリシュタイン子爵家の一人娘、シーラがこの婚約を決めたのはつい一年前くらいのことだった。

リシュタイン家は父が生きていた頃は活気があり評判も良い家だったが、大黒柱を失ってからはゆっくりと萎びるように衰退しつつあった。

父が残してくれたお金は難病を患っていた祖母にほとんど使ってしまっていて、金銭面でも困窮しつつあった。

そんな時にウェンブルク公爵家の嫡男、ロベルトとの婚約の話が降って湧いてきた。

なんでも、蜂蜜を煮込んだような豊かな色の髪と白くて滑らかな肌、長いまつげに縁どられた翡翠色の瞳の美しいシーラに一目ぼれしたとかで先方から熱烈に求婚されたのだ。

シーラの家としても、娘が身分も評判も資産も申し分ない公爵家に嫁げるということで、とんとん拍子に話が決まった。


ミルフォーゼ騎士団の上級官として戦いに出るロベルトの姿が、同じく隊を率いていた亡き父を彷彿とさせない事も無かったのでので、シーラ自身もロベルトと結婚してもいっかと思っていた。




「お前は可憐な女だと思って婚約したのに、とんだ詐欺にあった気分だ。魔物を真っ二つにしたのみならず、そのぶちまけられた内臓を見てもきゃあとも言わないような怖い女、部下ならまだしも妻としてはやっぱり可愛がれる気がしない!

俺が血みどろの戦地から帰ってきた時に、家で出迎えてくれるのはやっぱり守ってあげたくなるような可愛い妻がいいんだ!」


酔って顔を赤くし、ふらつきながら叫ぶロベルトから顔を逸らして、シーラはハアと小さくため息をついた。


一目惚れされるような美しい容姿を持ちながら、女じゃないと言われたシーラ。

シーラは強かった父の血を必要以上に引いていた。

それに加えて息子ができたら強く育てるんだと意気込んでいた父に、男ではなかったがまあいいかといろいろ仕込まれた所為で、婚約者の前で手刀で魔物の頭をカチ割ったこともある女の子になってしまった。

その時の魔物は単体だったし決して強い種類のものでもなかったが、それでも男性が思い描く可憐な女の子からは程遠い。

それに加えて顔を赤らめたり恥ずかしがったりあまりしないところも、ロベルトのお気に召さなかったのだろう。




婚約して一年弱。

今日、シーラは公衆の面前で大きくバツをつけられた。

まだ結婚はしていないが、これから誰が婚約破棄されたような中古の不用品を貰ってくれると言うのだろう。


…やはり私は生涯独身のようです。

母には止められていましたが父から受け継いだこの力を生かすためにも、これを機に騎士団に入るとしましょうか。

ずっとお誘いいただいていましたしね。


特に抵抗する気も起きず、シーラは無言で婚約解消の同意書にさらさらとサインをした。




と。




「フン。丁度よかった、うちでお前を雇ってやろう」



突然声が降ってきた。

花束が目の前に現れた。

突き出されて、反射的に受け取ってしまう。

それはスイセンの花束だった。

シーラは花は特に好きではないけど、好きな花を聞かれたらスイセンと答えるようにしていた。

偶然かもしれないが、その花束はシーラが好きだと公言している花で溢れていた。



目の前にいるのは何度か見たことがあって、少しだけ話したことがある男性だった。

彼はブルーナー伯爵家のテオドール。

ブルーナー伯爵家と言えば先代の当主が騎士として魔物と戦って戦死しているから、シーラとそう歳も変わらない若い彼が当主の家だ。





「これが契約書だ」


「はあ」

渡された紙を受け取って見てみると、それは雇用契約書ではなく婚姻届だった。

裏返して見てみても、逆さにして読んでみても、シャンデリアに透かして見ても婚姻届だった。


目の前にいるテオドールを窺うように見てみる。

冷たい雪のように白い肌と、月の出ていない夜のような漆黒の髪と目の綺麗な人だ。

婚姻届など何も知らないと言ったような、涼しい顔をしている。



騎士団に所属する彼の噂は聞いている。

彼は、この雪の降り積もる白銀の地を守るミルフォーゼ騎士団の中で意外にも数の少ない、氷と雪の魔法を使うソーサラーだ。

寒さに強いこのあたりの魔物に決定打を与えられる魔法かと言えばその強さはないが、環境を味方につけ仲間の援護をさせたら騎士団屈指のソーサラーだと言われている。

そういえば女の子達は彼のことを絶対零度の貴公子と呼んで、あの冷たいところがいいのだときゃあきゃあ言っていたな、ということも思い出した。




シーラはふむと一呼吸おいて、なんとなく、そして思うままに選択してみることにした。












事の顛末をシーラから聞いた母は突然の話だったにもかかわらず、本当にいい人に出会った時は迷わないものなのよと喜んでいた。

その後に父と出会った時の話も掘り出してきて、延々とシーラに聞かせてくれた。

使用人たちも、ブルーナー家は申し分なく良い家ですよと嬉しそうだった。


それから少ししてシーラが家を出る当日、母はいそいそゴソゴソとタンスの奥から引っ張り出した自らが若い時に着ていた一張羅を持たせてくれた。

着る機会はないだろうと思ったが、断わるのも申し訳ないので持っていくことにした。

シーラ自身荷物も少なかったし、母の流行遅れの嵩張るドレスを詰め込んでもトランク二つで事足りた。





夕方、テオドールが迎えのソリの足が付いた馬車を出してくれていたので、シーラはそれに乗り込んでブルーナー家へ向かう。


ブルーナー家の屋敷の大きな門に到着して、もこもこと厚着のシーラは玄関まで雪道をサクサク歩く。

その後ろからは出迎えてくれたブルーナー家の従者が、シーラのトランクを持って後を付いて来てくれた。

ふと横に目をやると、ずっと奥まで真っ白が続いている。広い庭だ。

屋敷もとても大きかった。

雪を被った白い屋根も壁も、分厚くて上質なものだと一目でわかる。

室内は温かそうだ。



ドアノッカーを手に、扉をトントンと叩く。


扉を叩き終わる前に、テオドールが勢いよく扉を開けてくれた。


「遅い。俺を待たせるとはいい度胸だ」


別に遅れたわけでもないのに、なぜかそんな喧嘩腰のセリフを嫁入りしたての妻に開口一番吐きかけた。

が、ドアを開けた瞬間に一瞬だけ覗いた嬉しそうな彼の顔が印象的で、シーラは不思議と不快な気分にはならなかった。



「テオドール様、これからよろしくお願いします」

シーラは玄関でぺこりとお辞儀をした。


それを見たテオドールは何か別のことを言いたそうに息を吸ったが、


「……フン、精々俺に尽くすがいい」

結局そう言い残してそのままバッと踵を返して行ってしまった。


シーラはぽつねんと取り残される。


…ふむ。私はやはり従者として雇われたのでしょうか。



パーティの時のあの紙は確かに婚姻届けだったと思ったのだが、もしかしてシーラは詐欺にでもあったのだろうか。





「旦那様が嬉しそうで何よりです…!」

後ろで扉を閉め、二つのトランクを運んでくれていた従者がシーラの後ろで何故か感極まった声で呟いた。


今なんと?とシーラはバッと後ろを振り向く。

ですから…と説明を始める従者に聞いてみる。


「あれで…嬉しそうなのでしょうか?」


「ええ。旦那様は嬉しすぎるとああして照れ隠しをするのですよ。

あのポンコツの旦那様がウジウジウジウジ片思いなさっている間に、シーラ様がサクッと婚約されてしまったので、もう旦那様は一生妻を貰わないだろうと私どもは覚悟しておりましたが、本当に良かった」


白髪の従者は孫の話を語るかのように、嬉しそうに目を細めている。

反対に、シーラは驚いて目を剥いた。片思いですか、と聞き返す。

その通りです、と従者はなぜか胸を張った。


「私、テオドール様とはあまり話した事も無かったのです。片思いされるようなことは特に何も…」


「ええ、それはですね。

先代、テオドール様のご両親と貴方のお父様は騎士団の中でも仲が良かったのですけれどもね、昔貴方のお父様がまだ幼かったテオドール様に会った時、冗談だったのか半分は本気だったのか、テオドール様になら娘をあげてもいいというようなことを仰ったんですね。

そこでそれを本気にした幼いテオドール様はそこから貴方のことを意識し始めて、大きくなられても他の女性には全く興味がないようで。でもああいうウジウジウジウジした性格ですから貴方にパーティで話しかけたりデートにお誘いしたりなどもできず、人様に取られてしまってから後悔して、そして最後に幸運にも貴方が婚約破棄をされたのでようやく勇気を出したというわけなんです。

本当に旦那様はヘタレですので、私どもはハラハラハラハラしておりました」


確かに深く埋まった思い出を掘り起こしてみると、幼い頃のシーラは黒髪黒目の男の子に何度か遊んでもらった記憶がある。



…ともかく。結婚は、しているようですね。

それにしても、ふむ。

彼は氷の化身のような美しい貴公子と女の子たちに言わしめる容姿を持っているのに、この手のことにはあまり慣れていないのでしょうか。

まあ男女のことに関しては私もひたすら素人なのでリードはしてあげられませんが…


そう思ってシーラが残念そうに目を細めていると。




「さあ、シーラ様。結婚式は春になってからですが、貴方はもうこの家の主人です。どうぞ私どものことは顎で使ってくださいね。それではお部屋までご案内いたします」


従者は嬉しそうにトランクを抱えて先に立って歩きだした。




案内されたシーラの部屋はよく暖められてあった。

くすんだ紅色のふわふわの絨毯が敷き詰められており、どっしりとして艶やかな木のテーブルやセンスの良いクローゼット、それからよく手入れされた暖炉もあった。

高価なだけではなく、ちゃんと良いものを揃えた居心地がよさそうな部屋だ。

上着を脱ぎ、トランクから室内着を取り出し身に着ける。この寒い地方特有の、柔らかくて厚めの室内着だ。

待機していた侍女が背中のリボンを締めるのを手伝ってくれながら言う。


「旦那様は気持ち悪いぐらいソワソワして待ってますよ。うふふ。私、旦那様の幸せそうな顔が見られてよかったです。あの方はトンチンカンなりに頑張ってましたから。念願叶って私は自分のことのように嬉しいんですよね」


変な人だが、テオドールは使用人たちにすこぶる愛されているらしい。

やれポンコツだトンチンカンだとボロクソ言う使用人達の眼差しからは彼に対する愛情が感じられる。

なんだか少しほっこりした。






「失礼します」

侍女に導かれ、シーラはテオドールの部屋にお邪魔する。


彼の部屋はシーラの部屋より少し大きく、そして負けず劣らずとても居心地の良い温かい空間だった。

大きめの窓には外の白い世界が美しく切り取られている。

この地方独特の魔法と技術で作られたガラスは結露を生まないし、保温性も高い。


「上もあるぞ」

窓の外を見ていたシーラの視線に気が付いたのか、テオドールが天井を指さした。

温かみのある丈夫な梁の先には大きな斜めになった天窓があって、積もった雪が見えていた。

なるほど、温かい室内から顔の上に降るような雪を見るのは楽しそうだ。


「さすが、いいおうちですね」


雪深い地域で家に籠ることも多いこのあたり一帯の貴族たちは、家に一番お金をかける。

ブルーナー家も例外ではなく、潤沢な資産の多くを家に充てているのだろう。




「寝ころんで月と雪が見たくば、夜もここに来ることを許してやってもいい…ソファは2人で寝ても余裕がある大きなものを買ったからな…」

その新品でふかふかのソファの上で、テオドールの背中がもぞもぞと動いた。

侍女は平和だなあとでも言いたげに嬉しそうに微笑んで、シーラを一人残し扉を閉める。




「となり、いいでしょうか」


シーラは思い切って部屋の中に歩みを進め、右の壁にある大きな暖炉と対面になっているソファの上にいるテオドールの隣を指さした。


テオドールが意を決したようにシーラの顔を見上げ、しかしシーラと目が合った瞬間ぎゅんっと目を逸らした。


「勝手にしろ」

そしてシーラの方を見ないまま、肌触りの良いブランケットを押し付けるように手渡してくれた。


彼の雪のように白い肌が少し桃色に染まって見える。

雪を解かす春のような色だ。


シーラはテオドールとほど良い距離を開けて座り、彼の方に体ごと向く。

「あの、やはり聞いておきたいと思うのですが」





息を大きく吸う。

「私のどこが好きなんですか」




「はっはあああ!

俺が、いつ、お前のことを好きなどと言った!」


テオドールが、物凄い勢いで振り返って叫んだ。

間違って人間に噛みついてしまってもおかしくないほど動揺している。


「だって婚約破棄された私を、ほぼバツイチのようなものなのに貰ってくれました」


白髪の従者の話してくれた片思いの話を聞いたことは、何となく伏せておいた。


「じゅ、従者が欲しかったんだ。ほら、お前は強いだろう?」


テオドールはソファの前にある重厚なテーブルから、ほとんど苦し紛れにお茶の入ったティーカップを手に取った。

長いまつげを震わせるようにしながらカップに口をつけたり離したりしているテオドールを見ていたら、ふわりと湧き上がるようなときめき、もといちょっとした興奮がシーラの中でせり上がってきた。


テオドールは人を刺すような美男子で、女の子達をかどわかして意のままに操っていても全然おかしくない見た目をしているのに、実際にはシーラにどこが好きか聞かれただけで慌てふためいている。

その様子を見るのはなんだか堪らない。


普通の令嬢なら『氷の貴公子だと思って結婚したのに、イメージと違う、詐欺にあった気分だ』と言うかもしれないが、シーラは何故か面白くて堪らないなと思ったのだ。




「でもあれは雇用契約書ではなく婚姻届でしたよね」


「あ、あれは、間違えたんだ!護衛の契約書と婚姻届をどうやら間違えたらしい」


「私はちゃんと確認しましたよ。確認したうえで、貴方に好きだと言ってもらえるのなら良いかなと思ってサインしました」


どうしても違うと言って譲らないテオドールに、シーラはハッキリと言ってみた。

ハッキリ言ってやったらどうなるのだろう。


「か、勘違いにも程がある。う、自惚れるな!」


真っ赤で、少し涙目になった。

よく分からないけど、嬉しいのだろうか。

やはりちょっと面白い。


「そうだったのですか。あの時頂いたのは婚姻届だったので、貴方が私を好いて伴侶に選んでくれたのかと思いましたが、貴方のうっかり間違いだったのですね。私は思い違いをしていたようです」


「まあ………仕方ないだろう。たとえうっかりしていたとしても俺もあの契約書にサインしたんだ。

お前のことは、その、一生養ってやる…」


シーラがこれ以上追求しない姿勢を見せるとテオドールは少し呼吸を整えたようで、そう言ってからシーラにお茶を強引に勧めてくれた。

ショウガがたっぷり入った上質なお茶で、シーラが今まで飲んできたお茶の中で一番おいしかった。




暖炉の火がぱちぱちと小さな音を立てて燃えている。

シーラはブランケットに包まりながら、テオドールとぽつりぽつりとお互いについて話をした。

今まで会った事のあるどの男性とも違うおかしなテオドールの隣は案外心地よくて、夕食を摂りに食堂へ降りていくのは億劫だなと思っていたらテオドールも同じ考えだったのか、夕食をここで摂ろうと言い出した。

強く降り出した雪に溶けるように暗くなった外を見ながら、温かい光で溢れるテオドールの部屋で夕食を摂った。


こうしてゆっくりと、シーラのブルーナー家での初日が過ぎていった。




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