時計の章 1話 不思議の国のアリス
そのあまりにも細すぎる地平線は少女をいっそう不安にさせた。
空はタールに灰を混ぜ合わせたかのように淀み、地上はただひたすらに荒漠であった。
どんなに目を凝らして足の向く先を見ても、そこに何も見つからず、それは今日一日さまよい続けることが徒労に終わることを示していた。
しかし、少女はただひたすら歩を進めた。 そうするより他なかった。
ヴィヴィアン・リデル。
彼女はアメリカの田舎町で慎ましく暮らす6姉妹の末っ子だった。
母はいない。 彼女を産んで間もなくこの世を去った。
父より母のことはよく聞かされていたが、家族の中でヴィヴィアンだけその面影を知らなかった。
姉たちはヴィヴィアンに優しかった。
が、しかし、母の面影への憧憬は、ヴィヴィアンをしばしば疎外と孤独へ追いやった。
父も姉もどこか遠くに感じる。
寂しさと悔しさが込みあげ、彼女を支配する。
そんな時はひとりになって涙した。
そしてついにその日が訪れた。
ヴィヴィアンが10歳の時だった。
日曜日。 教会へ行く日だ。
いつもより少しだけ遅く起きた姉妹は揃って食卓へ向かう。
賑やかな朝食、そしてヨソ行きの服に着替え、父の車の中へ……
教会へ向かう途中の車内では、おてんば娘たちが覚えたての讃美歌を合唱した。
この瞬間が父の一番の幸せな時であり、希望そのものだった。
教会で牧師様のお話を聞き、家路へつく。
その途中、決まってアイスクリームショップへ寄る。
今日もその予定だった。
ヴィヴィアンは今日は何のフレーバーを試そうか、そればかり考えていた。
(姉さまたちは何味にするのかしら……?)
ヴィヴィアンは、ふと、姉たちのほうを、振り返った。
そこには、無窮なる荒野が広がっていた。
姉たちも……
父も……
消えていた。
ヴィヴィアンがはじめに思ったことは、ついに私は捨てられてしまったのだな、ということだった。
これはあまりにも悲しい感情には違いないが、それを追随するように、恐怖や不安が激流のように彼女に押し寄せてきて、その感情はどこかに放り出され、もはや何も考えることができなくなり、その場にへたり込んでしまった。
どれくらいの時が流れただろうか。
いつまでもそこにいるわけにはいかなかった。
帰らねば。
出口を探さねば。
ヴィヴィアンはふらふらと立ち上がり、歩を進めた。
その後およそ20年間、彼女は何一つ発見できずに過ごした。
もはや諦観の気色が彼女を支配していたが、わずかに残った正気で、歩を進めながらも、現状を鑑み思案した。
(なぜ、私は生かされている……?)
そう、彼女は死ぬことがなかった。
ここにいるかぎり、飢えとは無縁だった。
不思議と年も取らず、容姿が変わることもなかった。
(死ぬことはないが……)
そして、彼女はあるひとつの考えにたどりついた。
導き出した答えは、これは神の罰だということだった。
あの時、教会で牧師様のお話を聞かず、アイスクリームのことばかり考えていた。
きっとそのことに対して、神様は私に罰をお与えになさったのだわ、と。
アイスクリーム、アイスクリーム、アイスクリーム……
贖罪、贖罪、贖罪……
どんなに思案しようと、彼女は歩を進める他なかった。
さらに20年の時が流れた。
ヴィヴィアンはついに何かを見つけた。
それは遠目に見て、人影に違いなかった。
40年振りの人だ! ヴィヴィアンはまず、やっと孤独から解放されることが嬉しかった。
目指すそこに向かう数時間はあっという間だった。
が、かのもとに近づくにつれ、だんだんと彼女に不安が訪れた。
そしてついに、それは落胆に変わった。
そこにあったのは、一体のアンドロイドだった。
女性型、右目はレンズだったが、左目はドール用の義眼。
なぜか白衣を着て、ひざまずくような姿勢をとっていた。
それはヴィヴィアンがここに来て初めて見つけたモノには違いなかったが、これが出口を見つけるのに役立つとも思えなかった。
しかしよく見ると、アンドロイドの先にも、さらに何かあることに気づいた。
それは鳥かごだった。
アンティーク調の装飾がほどこされた美しい鳥かごだった。
ヴィヴィアンは、そちらのほうに惹かれるものがあった。
鳥かごに手を伸ばす。
かごの中には小さなお城があるのが確認できた。
ヴィヴィアンの手が、かごの開閉口にかかる。
そして、それは開かれた。
その瞬間、本当に一瞬の出来事であったが、かごの中から大きな黒い化け物が飛び出した。
ヴィヴィアンは抵抗する間もなく食われてしまった。
これは、毎日同じベッドで目を覚ますことに飽きたあなたのための物語。
2020/09/06 修正 神父→牧師 プロテスタントですから
サブタイトル 不思議の国のアリスに変更