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みんなの幸せな結末へ  作者: 汪海妹
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不自然な約束














不自然な約束













清一













「五十嵐さんが辞めるときに何があったのか、田無さんから聞きました」


年明け、東京。第三四半期の結果でもって、エリアごとの支社長が集められるエリア会議。東南・南西エリアの全員が集まる。会議の前に、清水さんにアポを入れてあった。

清水さんは僕に背を向けて窓の外を見ていたが、僕の声で顔だけこっちを見た。


「そうか」


それから、窓の前から動いてソファーに座り、僕に座るよう合図する。


「最近、ちょっと頑張ってるじゃない。君のとこ」

「まだ、全然足りませんけど」


10から12で、9割はキープした。4から12の数値では9割強。みんな真面目にがんばっていた。でも、足りない。


「過去のことを知って、前向きになってくれたと思ってもいいのかな?」

「僕が、というよりも、みなさんが、ですかね」


ちょっと前のリーダー会議。急に黒田君が言い出した。


「支社長、次の統括候補にあがってるって本当ですか?」


僕は思わず田無さんを見た。おかしい、あの人、上の言うことには100%従う人ではなかったのか?口止めしたはずだけど。


「支社のノルマ達成が必須条件だって、聞いたんですけど」

「はい、まあ、そういわれてます」

「もう少し早く僕たちに言えばいいじゃないですか」

「……でも、上がそういってるだけで、僕は拘っているわけじゃないので」

「僕たちにだって選ぶ権利はあります」


黒田君ははっきりそう言った。僕との面談でなんか納得いかない顔ばかりしていた彼も、最近少し変わったと思う。自分のことだけじゃなく、周りに対する責任感が出てきた。


「尾藤さんが上にあがって、また、前みたいな職場環境に戻るのは嫌です」

「彼が統括になったからって即、前みたいになるわけじゃないですよね。支社長は僕なんだから」

「でも、今年よりは確実にやりにくくなります」


ということは、今年はやりやすいんだ。初めて黒田君が、僕に対して心を開いてくれた気がした。


「もっと、みんなで打ち合わせとか増やして、3月までにノルマ達成するプラン練りましょうよ」

「……はい」

「大体、支社長はちょっとのんびりしすぎですよ。何月だと思ってるんですか?僕もみんなもインドネシアに負けて下につくのなんかいやです。シンガポールはいつも3拠点の中でトップだったんですから」


みんなが、それをきいてくすくす笑った。あの、みなさんが。


「……はい。すみません」


僕が謝ると、みんな、もうちょっと大きい声で笑った。会議中にも関わらず。僕が来てから3~4か月、来たばかりの頃は何を言っても、くすりとも笑えなかった人たちが、仕事中に、会議中に笑っている。声を合わせて。

驚いた。正直。ぽかんとした。

試行錯誤して悩んでいた理想と現実が少しだけつながった。やっぱり人はきっと、笑いあえるほうが強いんだ。


清水さんはそれを聞いて、笑った。結構長く。


「君らしい展開だ」

「そうですか?」


僕らしいって一体どういうことなのかな?


「しびれをきらしたみたいに、みんないろいろな意見を言うようになって、僕は横で聞いている感じです。何か判断が必要なときに口を出して」

「そうか……」

「なんか、こんなシンプルなこと、ほんとに僕じゃなくてもいいんじゃないですか?今のシンガポール支社なら、誰だってやってけると思いますけど」

「そうなんだけどね。そういう何でもないことが、なんか、そういう空気を作るというのかな?意外とできないものだと思いますよ」


よくわからない。


「でも、まだ足りないんです。何か考えないと。突破口がまだ必要で」


僕は頭を抱えた。


「君も変わったね」


僕は顔をあげた。


「そうですか?」

「いつも、するする逃げるじゃない。それが、君の本領とでもいうかのように」


なつの顔が浮かんだ。あの人の言ったことばが、一番僕の背中を押したんだと思う。


「なんのためなら頑張れるのかが、この年になってやっとわかったような気がして」

「そうか」


清水さんは椅子を回して窓の外を見た。


「本来ならね、君も言ってたけど、支社長たった1年の君が統括の候補になんかあがらないんだよね。でも、去年のあのことがあってね。それから、奥さんは会社相手に裁判を起こすって話になってさ、今、示談で終わるよう交渉中なんだ」


急にそんなことを言いだす。


「まだ弁護士つけられてないときにね、奥さんだけで1人で会社に来たんだよ。五十嵐君は自身がもうぼろぼろになっちゃってるから、もちろん応対できないしね。現場としてはわたしが、それと人事部の人とで2人で応対しました。普通の主婦なんだよね。服装もさ。こんな会社の中に足を踏み入れて、受付で話すのも緊張したと思うよ、すごく。でもさ、大切なものを傷つけられたときの女の人ってすごく強いんですよね。人事部の人は感情的になった社員やその家族に応対しなれているみたいで、淡々と話すんですよ。途中で彼女、急に立ち上がってかばんから何かぶちまけたんだ。テーブルに」


清水さんは軽く目をつぶって、指でこめかみをおさえた。


「写真だった。ご主人の頭のね。いろいろな角度から取った。円形に髪がはげているんだよ。1つや2つじゃないんだ。そんな、人にはほんとは見せたくないようなものまで、こつこつ撮って、印刷して準備してきたんだ。どんだけ辛かったろうって思って」


しばらく黙った。


「会社の上のほうもね、いろんな人がいるんです。リーダー像を見直そうって動機は、どちらかというとみなさんもっとビジネスライクですよ。時代がそういうのを、過労死とかうつとか、パワハラとか、許さなくなってきていて、いざとなると報道もされるし、致命的なことになりかねない。ひとつのリスクとして認識したんですよね。ただ、わたしは……」


遠い空を飛行機が飛んでいくのが見えた。清水さんの部屋も眺めがいい。


「久しぶりに仕事で感情的になりました。申し訳なくて。こんなことになってしまったことが。監督不行き届きです……」


それから、僕の方をみてにっこり笑った。


「不思議ですよね。次、誰を据えるかと悩んでいるときにふと君のことが頭に浮かんだんだ。いつも、表ではいい子の顔して、上の要求にはちゃんと答えてるんだけど、ときどきわざとノルマを落とす、ちょっとだけ。それから、ばりばりやってる人の影にこっそり隠れて、休んでる」

「そんなの、見えてないと思ってましたけど。僕、こっそりやってたし」

「あのね、わたしもただ運がよくてこの椅子に座ってるわけじゃないんですよ。下にいる人材のことはきちんと1人1人見ています」


そうか、なめてたな。この人のこと。


「君がそんなに頑張る必要ないよ。こういういい方法があるんだって下に教えている映像が浮かんでね。ああ、この子ならきっと間違っても下の人をつぶさないって思ったんですよ」


まさしく、千里眼とはこのことだな……。


「いろいろあった後だったから、君がいいなと思ったんです。あの奥さんの必死な様子を見ていなければ、僕は別のもっと常にいい成績を取る子を選んだだろうし、統括に尾藤君をあげるのを迷わなかったと思う」


会議が終わって、会食の場所へ移動する途中、尾藤さんに声をかけられた。僕より年上。50代後半。初めてあったけど、きっと学生時代なんかスポーツでもやってたんだと思う。がっしりした体つきの人だった。


「中條さん、どうですか?シンガポールは」

「はあ、物価が高いです」


彼は仕事について聞いてたのかな、もしかして、と後で思った。


「なんか、なかなかノルマ達成できてないみたいですね」

「ええ、僕がふがいないもので。みんなに迷惑かけています」


そして、話が続かない。僕は思う。直観みたいなもので、この人と僕、気が合わない。おそらく一生努力してもわかりあえない人種だ。


「まあ、いいんじゃないですか?ぼちぼちやれば。会社があなたみたいな人を選んだってことは、シンガポールにはもう期待してないってことじゃないのかな?」

「はあ、まあ、そうかもしれませんね」


彼は苦笑しながら、去っていった。助かったと思う。支社長の集まる会議に出て、周りを見渡したけど、もちろん、僕みたいな雰囲気の人もいる。草食動物系。でも、よく見てみると、草食動物系は肉食動物系の後ろをくっついて歩いている。地方統括が今3人、4人目が今空席。この席に上る人には清水さんの次候補なんだ。既に任命されている3人の統括は、やっぱり肉食動物系に見えた。尾藤さんと負けず劣らずギラギラしていて、世界の中心は俺だと叫んでいるみたい。


あの人たちは何のために働いているのだろう?やっぱり、罵倒して鼓舞することが彼らのマネジメント手法なんだろうか。わからない。一体なんのためにあの人たちは、清水さんが空ける椅子に座りたいんだろう?


***


「あの、僕からちょっといいですか?」


みんなが一斉に和田君を見た。かなりびっくりしていた。透明人間がしゃべった。彼は最近ずいぶん話すようになったけど、会議では相変わらず一言も口をきかなかったから。便利な記録係の機械のようなものだとみんな無意識に思っていた。(彼の議事録はわかりやすい)


僕は社内の分担を緩やかに3つにわけていた。農民タイプでこつこつ営業をするグループと、狩人タイプでまだ伸びていない難しめのお客さんに対応するグループ、とその他。(これは新人プラス僕のこと)今は狩人のみなさんの会議で、黒田君が中心になってここ最近仕切っている。


「F社の購買担当の人から聞いた話なんですけど……」


この前呼び出されたやさぐれパンダの会社だった。


「最近F社の競合が、何か品質の関連で重大なミスを起こしたらしくて、F社とその競合のシェアが見直しされるみたいなんです」


みんなしんとする。


「どのぐらいの規模で?」

「今までがざっくりといくと三分の一がF社、三分の二が競合相手。それが反転すると」

「つまり、三分の二がF社で、三分の一が競合?」

「ほんとは他にも何社かあるみたいですけど、細かい数字を無視すると大体そんなふうかと……」


みんながざわざわする。


「どれくらい新しい話なの?それ?」

「まだ、社内と、孫請けの取引先の一部しか知らないって」


みんながそれぞれいろいろなことを思い思いに話し出す。にぎやかだ。


「あのー」


和田君が声を張り上げる。なんと、まだ話すのか。今日は。


「F社はまだ対応能力があるんですけど、困っているのは孫請けで、生産能力のキャパもそうですけど、仕入れ資金も不足だというんです。運転資金借りようにも小さいところは銀行も簡単に貸さないので、苦労しているって」


みんながしんとした。


「特にこの5社は厳しいだろうって、名前もらいました。うちが支払いサイトを優遇した条件で新規営業かければ、今なら楽にとれるかもしれません」


一瞬静かになった後で、ハチの巣をつついたように賑わいだした。僕は、話しの輪に入っている和田君を見ていた。ああ、嬉しそうだ。笑ってる。その笑顔をみたときに、しみじとした。僕はきっと、こういう場面に出会うために仕事をしていくのかもしれない。これから。彼はもうそろそろつぼみから花を咲かせてくれるんじゃないだろうか。


「それにしても、どうやってあんなこと教えてもらったの?」


後で2人だけのときに聞いてみた。


「ああ、あの会社、僕前から何度か行ったことあったんですけど、何かの折に僕が中国語が分かるってのが、購買担当のローカルの子にばれて、チャットするような仲になったんですよ。彼、日本のアニメ好きで」

「……」


まじか。無駄ではないのか、こんなことが。ビジネスの場面で。


「で、最近、みなさん頑張ってるし、僕でも何か手伝えることがないかと思って、試しに彼を呼びだしていろいろ情報交換したんです」

「でも、それでも、そんな社内の重要な情報、簡単に教えないだろ?普通」

「賄賂を渡したんですよ」

「え?」


びっくりした。なんで?和田君が?いつも高田のことばっかり監視してて、脇が甘かった。普段大人しい子のほうが大胆なことをする。僕の様子を見ながら、和田君がくすくす笑う。


「支社長が思うような賄賂じゃないですよ」


じゃ、どんな賄賂なの?


「昔、学生のころにフィギア集めるのが好きで、もう今は熱冷めちゃったけど、お守りみたいな気持ちで、日本から一番レアなの一体だけ持参してたんです。それですよ」

「……」


僕の知らないところで、僕の知らない価値観や手段が生まれている。


「アニメ好きには垂涎のものだったから、交換にいろいろ教えてくれました」

「なかなか、やるじゃないか、君」


彼は嬉しそうに笑った。


「大切なものだったんじゃないの?あげちゃってよかったの?」


彼は僕をじっと見た。


「僕がアニメを一生懸命みていたのは、友達がいなかったからです。作品の中に友達を探していたんですよ。もし、現実に僕とつきあってくれる人たちがいれば、なくても平気です。偶然、持ってきていてよかったですよ。こっちに」

「和田君いる?」


黒田君が僕の部屋のドアを開けた。最近、彼、ノックしないんだよね……。


「君も来なさい。営業行くよ。いいですよね、支社長」


僕はうなずいた。


「いつも会社にこもってちゃだめだよ。お客さんと話すのが僕たちの仕事なんだから、苦手でもちゃんと勉強しないと……」


歩きながら、黒田君が和田君にそう言っているのが聞こえた。


今度は高田君が来た。


「ヒマですか?」


なんか、微妙にいやだな、その言い方。確かにヒマかもだけど。


「例の女社長のとこ行ってみましょうよ」


目がきらきらしている。やっぱりこの子も男だよね。新規でねらえそうな女性を、もとい新規で契約がねらえそうな女性を和田君がピックアップしてくれていて、その中に1人日本人の女性経営者がいた。ご丁寧にプロフィールに写真がついていた。


「すっげー美人」


たしかにすごい美人。知的な感じのする。40代くらい?化粧品の研究開発製造となっていた。


「ね、同じ日本人同士うまくいくかもじゃないですか、行ってみましょうよ」


君の動機は本当に営業なんですか?年増好きなのかな?高田って。


「まあ、ヒマだし。いいよ。別に」


行きの車の中で高田に話す。


「俺、もう疲れたからさ。お前やってよ。ついていくのはついていくから」


会社のすぐ近くまで行ってアポ電入れさせる。ビルのロビーで待っていると、写真の主が下りてきた。僕はその時、ロビーのソファに座っている高田の後ろのほうで、立ったままビルの壁に体をもたれかけさせて、一面のガラス張りの窓から外を見ていた。ビルの脇に植えられた木の緑を。白いフロアと緑と、午後の白い光の中に、彼女がおりてきた。ネットで拾った写真なんかよりもっとずっと美人だった。控えめで落ち着いていて、そして、何か静謐な感じだった。


「すみません。急に…」


高田がぴょこんと立ち上がって、自分の紹介をしてから、振り返って僕の紹介をする。僕は壁にもたれかけさせていた体をおこして、体をまっすぐにしてからお辞儀をした。顔をあげてから2人、一瞬目があった。そのときに世界中の物音が消えた気がした。耳にきれいなピアスをつけて、髪をショートにしていて、ショートなんだけど、うなじのあたりが下手するとロングの人よりもっと女らしい人だった。


僕たちはオフィスに通された。十和田さんとその人は言った。十和田さんと高田が話す様子を僕は横で見ていた。落ち着いて話すときは、年相応に見えるのに、高田が何か冗談を言って笑わせると、女の子のような顔になった。僕はぼんやりと彼女を見ていた。そして、何かの拍子にこちらを見た彼女と思い切り目があった。一瞬3人とも黙る。


「支社長」

「あ、すみません」


僕は立ち上がった。


「2人でお話しされている間、少しショールームを拝見させていただいてもよろしいですか?」


僕は立ち上がると、ガラスケースの中に入っている化粧水とかクリームとかを見ながら、ひとつひとつの説明を丁寧に読んでいく。


「こちらは弊社のいちばん新しい製品なんです」


急にすぐそばで声がして、振り向くときに僕は彼女の香水の香りをかいでしまった。それは僕の予想を裏切って非常に甘い女の香りだった。


「ご興味、おありですか?」

「あ、いや……」


ないというのも失礼。彼女から目をそらし、距離を取りたかったからわざと席を立ったのに、反対に近づかれてしまった。この人、独身なのかな?ふと思う。


「なぜ、日本ではなくこちらで会社立ち上げられたんですか?」

「共同経営者が、大学で知り合ったんですけど、こちらの出身でしたので」

「共同経営者って男性の方ですか?」


彼女はおや?という顔をしてから、ゆっくり笑った。


「いいえ。女性です」


その後、彼女は商品をひとつひとつ見せながら、説明をしてくれた。高田と一緒にその説明を聞きながら、回る。もう一度僕は話すのをやめ、2人の会話の聞き役に回った。


「それじゃ、もうそろそろ」


暇を告げる。


「すみません。お手洗いお借りしてよろしいでしょうか」


高田がトイレに消えた。僕は時計を見た。小一時間、意外と時間が経っていた。


「あの」


十和田さんが口を開いた。僕は彼女を見た。


「わたし、今週木曜日工場へ行くんです。その、定期の業務確認で、もしご興味あれば……」


彼女は息を吸った。


「見学にいらっしゃいませんか?」


2人とも、不自然な約束だって分かっていて、


「……はい、ぜひ」


不自然な約束だってわかっていて、まるでそれに気づいていないように会話をしていた。僕は誘いを断れなかった。ひとこと用事があると言えばすむだけなのに、そのとき、どうしても断れなかった。


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