項羽と劉邦
項羽と劉邦
清一
「あのさ、和田君。ちょっと調べてほしいことがあるんだけど」
和田君はいつものように素直に頷いた。高田君も横にいる。2人一緒に呼んでいた。
「不本意ではありますが……」
僕は本当に嫌だった。この奥の手を使うのは。でも、即効性のある手だし。地道にがんばっているみなさんの気を乱さずにできるのだから、久しぶりに使わざるをえないと思ってる。
「俺も営業をしようと思います。支社のノルマ達成のために少しでもたしになれば。和田君は情報集めて。高田、お前は俺に付き添え」
「はあ」
また、何か変なこと言いだすなこの人、という顔で2人が僕を見ている。
「で、支社長。僕は何を調べればいいんですか?」
「……」
本当にいやだ。いやなんだけど……。
「うちの客先で購買の決定権、女性の会社リストアップしてください」
「……はい?」
2人とも目が点。ああ、嫌だな。こんな若い子前にしてさ。
「あの、それって、どういう?」
高田が聞いてくる。
「俺は昔っから、数字が足りなくなると女のところに営業に行ってたんだよ」
和田君はショックで目を丸くし、高田君は一瞬ぎょっとした目をした後に、笑いだした。
「冗談でしょ。支社長」
「残念ながら冗談じゃないんだよ。若い頃はよくやってた。絶対に俺の奥さんに言うなよ。なつは知らないから」
高田は笑い続ける。
「大体お前のルックスでいけるなら、わざわざ俺が出る必要ないんだ。こういうのは若い男のほうがうけんだし」
「……ひどいですよ。僕、そんなひどい顔してません」
「でも、足りないんだよ」
和田君はまだどんびきしている。
「あのね、和田君。何件もいきたくないからさ。キーマンが女性で、取引額がそれなりに見込めそうなところピックアップしてくれよ。それと……」
ちゃんと聞こえているだろうか、和田君。
「その女の人がどんな食事が好きで、どんなプレゼント喜びそうかとかもわかるとありがたいんだけど。調べられそう?」
「……ええと、できる範囲で」
「そういうの聞いてるってことは、営業って?」
高田君が口を挟んでくる。
「だから、昼普通に営業行って、夜接待するんだよ」
「うわー」
「なんだよ」
じろりとにらむ。
「それって、枕営業ってやつじゃないですか」
「ばかやろう」
ため息が出る。
「うちみたいな普通の会社でそこまでしたら、俺、くびだって。そんなことはしてないよ」
「じゃ、体は使ってないんですか?」
「使うわけねえだろ」
それじゃ、男娼だ。だから、嫌いなんだ。この方法。でも、2~30代の頃、営業回っててよく取引先の女の人に声かけられて、最初は丁寧にひとつひとつ断っていたけど、どうしても数字が足りなかったときに試しに食事だけつきあったら、発注量をほんとうに増やしてくれた。あまりに簡単でちょっとびっくりして、それからこっそり奥の手として使っていた。時々怖い目にあった(しつこくホテルに誘われる)こともあるので、普通の方法で成績あげられるようになってからは、封印していた。
「なぁ、ほんとは嫌なんだ。お前が代わりにやってくれよ」
「自信ないっす」
「じゃ、他に誰かできそうな人いない?」
「……別によいしょしたいわけじゃないですけど、ルックスだけで言ったら、多少年は取ってても、」
「うん」
「支社長が一番だと思いますよ。うちは」
「……ありがとう。ほめてくれて」
1軒目、香港系資本。女社長。50代のおばさん。そんなに大きい会社ではないけれど、社長のワンマン経営なので、気に入ってもらえると結構いい額の契約がもらえるそうだ。隣接しているマレーに工場があって、ビルとかの窓ガラスの会社。アポは夕方の時間でいれる。客先の近くへ着くと、先にトイレへ寄る。
「なにやってんすか?」
上着脱いで、ネクタイとり、ワイシャツのボタンを2つ目まであける。そでもボタンをはずして腕まくりする。
「お前はタイ取らなくていいから、あくまでかちっとしてろ。いいな」
最後に香水つけた。少しだけ。
「ええ?支社長香水なんか普段つけてましたっけ?」
「仕事用だよ。お前も女性からむ仕事には少しだけつけてみろ。効果あるぞ」
いっぱいつけるとだめなんだ、これは。香水は少しだけつけて、近くまで接近してかがせる。後は近寄ってはいけない。ただし、この接近がミソで、わざとらしく見えてはいけない。あくまで自然に故意ではなくやったようでなくてはいけない。
高田がどんびきしている。
「営業ってそこまでやんないといけない仕事なんですか?」
「時にはな……。いいか、他のやつらには今回見たり聞いたりしたことを絶対に言うなよ」
「……はい」
「あと、もちろん」
「ああ、夏美さんですね。はい」
最初ていねいに挨拶した後は、高田にトークを任せて、隣に静かに身を引いて座っている。女社長がときどきちらりとこっちを見てくる。頭のきれそうなおばさんだ。彼女がこちらを見るたびに、僕はきれいな笑顔でにこりと笑う。それだけ。うん。みゃくあり。
メインの話が終わりになった時に、僕はいくつかビジネス系のニュースのネタを振る。彼女がいろいろ話し出すので、感心しながら聞く。
「いやー、そうなんですか、それは」
「ああ、シンガポールではそうなんですか。僕は来たばっかりなので全然わからなくって。さすがよくご存じですね」
というような感じのことばがぺらぺらでてくる。横で高田がひいているのがわかる。これが仕事ってもんだ。覚えときな、若者。
帰りがけ、もう、腰をあげてからおばさんに声をかける。
「急な話ですが、今晩、お暇ですか?」
「ああ、あの……」
「いろいろためになるお話をいただけたので、お礼にごちそうさせていただきたいんですが……」
「ええっと……」
スケジュールを確認している。
「まぁ、急には無理ですよね。社長はお忙しいでしょうから。失礼いたしました。今度、また改めて、ぜひ」
そう言って出てくる。
「あれ、帰っちゃうんですか?」
「きっと、2、3日中に、何か都合つけて連絡入るから、その時はアポ入れるのと同じタイミングで夜、接待するって言っとけ」
てくてくてく
「あれ?帰らないの?」
「支社長、ちょっと怖いです。慣れすぎてて」
うん。ちょっと悪魔に魂売ってる感はあるよね。こういうの。
「すみません。お2人いらっしゃるとは存じ上げていなくて、1つしかご用意できてなくって」
別の日、別の取引先。接待の席で1人が席を立っている間に、こっそり耳元で話しながら、用意していたチョコレートを渡す。
「甘い物って頭の疲れとるのにいいですよね」
帰り道。今日も特に危険なことなく終われた。
「支社長、俺、事前に2人来るって言ってありましたよね。なんで1つしか用意しなかったんですか?」
「たまには自分の頭で考えてみろよ」
「……。わかりません。頭悪くて」
いや、めんどくさいだけだ。こいつ。
「人って特別扱いされたときに、すごい嬉しいもんなんだよ。だから、女の人が2人いて、1人もらえず自分はもらえるって状況は、神状況なの。わかる?」
「……でも、それって、わたしにだけ渡すってことはもしかしてわたしのこと好きなの?ってな発想に結び付けてるってことですよね」
「そうですね」
「これも営業手腕のうちの1つですか?」
「まあ、数字あげられたらやっぱりこれも手腕ですよね」
高田君は笑わず、怒らず、あきれている。
そして、また別の夜。二次会、先方が今度はバーでおごると言い出したので、ついてきた。カウンターに3人並んで座り、間に高田を入れてあったけど、トイレに抜けて、戻るとき、遠目から見ると高田がいない。スマホで呼び出した。
「なんでいないの?」
「……それが、金渡すから帰れって言われて」
「まさか、ほんとに帰っていないだろうな」
「いや。店出て近くのカフェにいますけど」
「そうか」
「支社長、大丈夫すか?」
本気で心配している。
「あのさ、きっかり30分後に電話しろ。適当にごまかして、店出るからさ」
「あれ?高田は?」
50代中盤の購買部長。おばさん。
「なんか急に電話がかかってきて、出てきましたよ。しばらくしたら戻るんじゃないかしら?」
「そうですか」
僕が座ると彼女は僕のすぐ隣に腰かけて、
「ねえ、中條さん」
肩に手をかけて、くっついてくる。
「この後って暇じゃないの?」
おばさんだけど、割ときれいな人だった。ま、でも、僕のこのみじゃないんだけど。ちなみに片手で僕の太もものあたり触っています。このおばさん。
「すみません。僕、妻がいるもので。これ以上はちょっと」
そういって自分の手を僕のももを触っている手の上に載せる。
「残念だな。出会う順番を間違えてしまったみたいですね。僕は……」
***
「おい、お前今どこだ?」
「えっと……」
高田がいるカフェを見つけ出し、引っ張り出す。
「え?どこいくんですか?帰んないんですか?」
「飲みなおす。つきあえよ」
ウイスキーのソーダ割り。出されたウェットティッシュで手を一生懸命拭く。
「俺が出た後、なにがあったんですか?」
「いや、聞かない方がいいと思うよ。俺ももう思い出したくないしさ」
高田君が横でタバコを吸う。
「今日だけ、俺にも一本くれよ」
「支社長、吸いましたっけ?」
「吸わないけど、今日は吸いたい……」
深く吸い込んで、吐き出す。
「これからはさ、お前と和田で適当に相手しつつ、営業額増やしてよ。営業額増えたらまた接待の席用意して。俺、出るからさ。適当に、支社長がまた、飲みたいって言ってましたけど、忙しくって、みたいなトーク挟んどけよ」
「そうなんすか?」
「会いたくて会えないとさ、一生懸命買ってくれるよ。みんな」
「いや。嘘?こわいな。ほんと」
出てきた酒を飲む。ああ、やっとほっとしたかも。その顔を見て、高田君が何か言いたそうだった。
「なに?」
「なんでここまで?みんなにはっぱかけてやらせりゃいいじゃないですか。五十嵐さんは怒鳴りちらしてみんなをあちこち走り回らせてましたよ」
「今さー」
僕はたばこを灰皿でもみ消した。
「大事な時期だと思うんだよね。その、ちょっと前までうちってなんか、長い取引のお客さんとこにね、やれ、売りを前倒ししてくれの、なんか、おいしい話あったらうちにくれの、そういう甘えた営業してたんじゃないの?ノルマ達成したくてさ。こう、乞食みたいにね。そういうの長くつきあってきた取引先に対して失礼だよね。あくまで商売はお互いで助け合いだからさ。片方ばっかり甘えちゃいけないんだよ。リセットした直後だから、みんなにここではっぱかけると、また、同じことしちゃうじゃん。長いこと購買担当している人なんて、そういう態度よく見てると思う」
だから、のんびりやるつもりだった。ノルマなんか無視して。
「大きい安定した売り先はさ。一番大きいところは2、3社から購買しているから、他社のシェアを取る形で伸ばすチャンスあるけど、規模が小さいところはうちからしか買ってないじゃない。だから、お客さんが儲かったらうちも増えるし、儲からなかったらうちも減るよね。新規で何か作るってときがたまにあって、そこに食い込むのが一番数字稼げるけど、いつでもそんなチャンスがあるわけじゃない。だから、とにかくこつこつと地味にがんばらなきゃいけないわけ。いつか来るチャンスのために普段からさ。だから、即効性がないの。今、数字あげるにはそういう安定したお客さんじゃなくて、あったりなかったりのまだおいしくないお客さんのところでやるしかないんだよ」
「それだって、みんなにやらせればよかったんじゃないですか?支社長は偉い人なのにどうして自分で、しかもこんな嫌な仕事するんですか?」
高田君は純粋に不思議なんだろう。そういう顔をしている。
「みんなが大変そうで、自分がまだ時間や余裕があったから、手伝いたかっただけかな?」
僕はグラスをかかげて、中の琥珀色の液体を揺らして楽しむ。
「たまたま僕が上に座っていて、だから、上の役割をしているわけだけど、上の役割をしつつ、みんなが手一杯なときに、ヒマがあれば下の仕事をしたっていいんじゃない?できる人がやればいいじゃない。仕事なんて」
この子も年齢を重ねてくれば、きっと上に立つかもな。その時は僕とはまたちょっと違う長になるのだろうけど。
「支社長の理想にするリーダー像って何ですか?」
「ん?ああ、そうだなぁ。俺はこういう性格だからなぁ。人によって性格が違うから、できるリーダーのキャラって限られてくると思うんだよね。俺は、あれだな、項羽と劉邦の劉邦みたいになれたら、万々歳なんじゃないかな?」
「こううと?」
「項羽と劉邦、有名な歴史小説家が書いた小説だよ。中国の漢が成立するときの話」
「どんな人なんですか?」
僕はじっと彼の顔を見つめた。
「自分で買って読めよ」
「ええ~。そんな古い話読んで、なんか仕事の役に立ちます?」
僕は笑った。
「お前、仕事仕事っていうけど、人生って仕事だけじゃないだろ?別に」
「でも、仕事が中心です。僕は」
出世とかしたいのかな?この子は。まだ若いし。
「そうだなぁ、仕事から得るものもあるけど、仕事ってこう、金銭的な価値と結びついているというか。でも、さ、小説とか読んで得た物は人生を味わうのに役に立つと思うよ。例えお金を持っていても、それを使って自分の人生を十分に味わえなかったら、つまらないと思うけどな」
20代の子にはまだわからないのかなぁ、こういうのは。半信半疑な彼の顔を見ながら思う。