僕の存在は迷惑なんです
僕の存在は迷惑なんです
清一
「だからね、難しいって思うのもわかりますけど、君の仕事は自分が率先してすることではなくてあくまで下の人を動かすことなんですよ」
支社の人は一部のローカルスタッフと日本人が日報をあげている。毎日短く書いたものを週の最後に見直ししてまとめ週報としてあげる。二週に一回主任と面談して週報からの内容をもとに彼のチームの状況について打ち合わせしている。
主任のみなさんは、営業にとって必要なこととかそういうことはみんな知っていて、どうすべきかとかいろいろすらすら出てくる。きれいな解答が。もともと個人の営業成績のいい人なので、そこは問題ない。問題なのは、自分が優秀な人がその技を他人に教えられるかということで、完璧主義な人だったりするとこれが難しい。他人、つまり下がやるより自分がやるほうがうまくいくのが分かっているから、任せられないんだ。
「その、下にやらせといてね。後ろから今か今かととびかかるのを待ってるチーターみたいな上司はやめてください。恐ろしくって平常心で仕事できなくて、それで、またミスしちゃうんですよ」
笑ってはくれなかった。黒田さん。僕より一回りくらい下の人です。
「上司なんてね、見てるのか見てないのかわかんないくらいがちょうどいいんですよ。実際は見ているんですけど。それで、予想どおり失敗したら、どのタイミングでどんな言い方で教えるかを考えるんです」
黒田さんはいまいち納得できていないような顔で部屋を出て行った。
「田無さん」
田無さんを呼ぶ。今の面談の内容について田無さんに話し、彼の意見を聞いておく。彼は僕の中では支社長代理なので、自分が持っている情報で必要だと思うことは彼と共有している。
「ときどき、主任のみなさん、飲みにでも連れてあげてってくださいよ。会社の経費使ってもいいから」
「ご自身でされないんですか?」
僕は笑った。
「僕の愚痴を僕には言えないと思うんでね。それで、みんなの本音というか様子をこっそり僕に教えてください」
僕なりにやっているけど、正直いまいち成果を感じない。清水さんに無謀な返答をしてしまったがために、内心焦っていた。焦っていたけど、最初に僕がやろうと思った路線を外したくない。この路線は最後に成功するにしても、地道なんだ。
問題は間に合わないかもしれないということ。
僕の心の中の焦りとか不安を感じたのだろうか、
「支社長こそたまにはお酒でも飲まれて愚痴をこぼされたらどうですか?」
田無さんがにこにこしながら嬉しいことを言ってくれた。
「この支社の中で誰がそんなことにつきあってくれるんですか?」
みんな、わりとわがままなんです。愚痴っても愚痴は聞いてくれないよね。
「わたししかいないでしょうね」
僕は微笑んだ。
「じゃあ、その田無さんの愚痴は誰が聞くんでしょうか?」
「うちの家内ですかね」
ふふふふふ。2人で笑った。上の立場の人の苦労や心配って、下の人にはわからないし、それにやっぱり役割から考えると、下の人にはあまりそのままに言ってはいけないのだと思う。だから、田無さんみたいに言ってくれる人がいる僕は幸せだと思う。
***
「じゃあ、行こうか」
和田君はそそと前に座ろうとする。
「後ろに乗りなさい」
彼はおとなしく後部座席のドアをあけて、隣に座った。
「もう一回状況確認させてもらえる?」
前からクレームの多い台湾系のメーカー。またこっちが悪くないのにうちの納品が遅れたせいでトラブル受けたからどうのこうのと言ってきている。
「でも、それは向こうの発注が遅すぎたんですよ。ここはPOも追加修正が多いんです。そのせいでこっちの事務処理も半端ないんですよ」
高田君がいきまいていた。簡単なトラブルだと適当にあしらってくれる。容量のいい子だと思っていたけど、予想以上に最近がんばってくれている。下手すると、下手な3、40代より彼のほうが使える。ただ、そういうのをおもしろく思わない人もいるのが日本の社会で彼はいわば出る杭は打たれるにひっかかるタイプかもしれない。
「じゃあ、行きます。俺が話聞きに」
和田君を連れていくというと、怒った。
「だってさ、いったんばちばちやっちゃったわけじゃん。君が向こうと」
「そうですけど」
「それでおさまらなかったら、仕切り直しなんだよ。仕切り直しは面子入れ替えてお互い気持ち入れ替えてやり直すの、そういうもんなの」
「……」
今回クレームを言ってきている会社はスマホを組み立ててる会社で結構大きい。大きいけど、受注は非常に不安定。急に大量によこせと言ってみたり、ぴたりと何か月も音沙汰なかったりする。それに、今回問題になっている部材は……。
「懐かしいな」
「何がですか?」
「このメーカーさん、よく知ってるんだ」
僕が仙台にいるころ、足しげく通って、がんばってうちへ回す数量を確保してもらっていた取引先。一緒にゴルフもしたし、お酒も飲んだ。普段は普通のすけべなおじさんだったけど、仕事をしているときの目は違った。
「今はもう俺の知ってる社長さんの息子さんの代かな?昔から品質がよかったけどさ、大きくて信用あるから卸してくれるような人じゃなくてね。それこそ、何度も通ってがんばったんだ。たぶん今でもこの部材は売り手のほうが強いんじゃないかな?他のメーカーも作ってるだろうけど、品質で勝てないんだよ」
車の外を流れていく景色を見ながら、自分に流れた時間を思う。
「仕事を始めたばかりの頃でさ。おじさんたちがとても真剣に物を作ってるのを目の当たりにして……」
和田君がおとなしく僕の話を聞いている。
「日本に生まれてよかったなって思った。僕には物を作ることはできないけど、みんなが一生懸命作った物を世界に売ることができる。だから一生懸命ていねいに売ろうって思ったんだよ」
「はい」
「だからこんないい物、こんな変な会社に売りたくないな。切っちゃおうか」
「支社長、それはだめです」
和田君もちゃんと話すようになったじゃない。最近は。
***
そこのメーカーの購買部長は中華系の人で、やさぐれたパンダみたいだった。けっこう太っていて、目つきが……。うーん。埋もれているっていうのかな。
「もう、何回目?がまんできないよ」
「申し訳ないです」
「もう、君のところじゃないところから買うよ」
僕は、ちらとパンダの埋もれた目を見た。
「そうですか。残念です」
パンダの目が泳いだ。初めて感情を表した。埋もれていると心が読みにくくって便利なんだな、この顔は。
「実は売り手のメーカーから、別のところに回したいからうちから引き上げたいという話があって、必死に交渉中だったんです」
パンダは動かない。あ、こいつ表情消しやがったな。
「他から調達されるということでしたら、こちらもまた、先方との交渉を見直します。先方は値上げを要求してましてね」
うん。少し青くなってきたな。
「ただ、同じ日本の会社ですし、長い取引実績があるので、値段も据え置きで数量も確保してもらえるよう交渉していたんですよ」
ここで、少し間を置く。出てきた烏龍茶を口にする。なかなかいい茶葉じゃないか。
「必要ないということでしたら、正式なPO取消の書面をいただいて……」
僕は腰をあげてやった。
「待って」
パンダが動いた。なんてたやすいんだ、こいつ。見かけ倒しじゃないか。
***
「自分でもさすがにこんなに早く終わるなんて思わなかったな」
「あの支社長……。全部でたらめですよね。さっきの話」
「うん。そうだね」
メーカーがうちに卸さないなんて話、ない。
「わかりました。PO取消しますって言われたらどうしたんですか?」
「それはそのとき考える」
和田君が信じられない物を見る目で僕を見ている。おもしろいからもうちょっとほっておこうかな。
「あのさ。勝算があったからああいう風に言ってるんだよ」
和田君がはあと言って深呼吸した。なに?今この子、息止めてた?
「あそこ、まあ、そこそこ大きいじゃない。だから、やっぱり値段が気に入らなくても重要な部材は品質のいいもの使いたいと思うんだよね。それで他から買うなんて、一体どこから買うんだよ?別のメーカーから買ったらまず品質は落ちる。で、同じメーカーから別を通して買おうって思っても、ここらで扱えるのはうちだけなんだ。ほら、あそこは信用あるところにしか卸さないからさ。だから、僕がやったのは、この部材については売り手のほうが強いってことを思い出させただけだよ」
「はぁ……」
和田君はわかったようなわからないような顔でそう言った。
「あのさ、和田君そんなに急がないけどさ、今日のこの部材について今取引している以外に取り扱っているメーカー、日本国内と海外も1回ざっと調べてもらえない?そこそこの品質が出せるところないか、知りたいんだ」
「どうしてですか?」
「どうしてって?」
「だってこのメーカーさんは支社長の大切な取引先なんですよね」
「今日のお客さんってきっとコスト重視だよね。今作っているあの会社の製品が、そこまでの品質を要求しないなら、高いのは要らないって言われたときに、もうちょっと安くてそこそこ使える商品を紹介するのが……」
赤信号で車が停まった。たくさんの人が行きちがう。
「僕たちの仕事じゃない」
「それだと、その日本のメーカーさんは困らないんですか?」
「あのさ、この世界はいつも競争しあってるんだ。本当にいいものを作ろうとしているメーカーさんはそんなやわじゃないよ。もちろん売れなくなる日はあるかもしれない。でもそれはね、売れないものを作ってしまったほうが悪いと考える。それくらいプライドをもってみんなものを作ってるんだよ。いい物は高くても売れる。いい物を欲しがっている人には僕だって必ずきっちり売るさ。でも売るプライドは別のところにあるんだよ。お客さんが欲しがっているものを常にいろいろ用意できることが重要なんだ」
会社に戻ると、高田君が寄ってくる。
「丸くおさまったよ」
ちょっとつまらなさそうな顔をした。
「すみません」
僕は、へえと思った。こんな場面で謝る子だったっけ?この子。
「それは何に対してのすみません?」
「ちょっと感情的になってしまったから、大事にしてしまったかもしれません」
「……」
なんて言えばいいのかな?こういうとき。ちょっとだけ考えた。
「君はさ、人を使うのがうまいよね」
「……それは褒め言葉ですか?」
「そうだよ」
まだちょっと警戒したような顔をしている。
「日本だとさ、君くらいの年齢の子はできるだけ自分で汗をかけ、人に任せるなっていうからね。人を使うって嫌な響きなのかな?でも、ローカルの子をうまく使っているから、いろいろなトラブルに対応できてるんだよな。君はよく周りの人とコミュニケーション取ってるよ。だから、いざというときローカルの子も君のいうこと聞くんだよね」
次は心を込めた。
「いつもありがとう。あんなに面倒なお客さん、みてくれて」
彼はちょっと恥ずかしそうにした。
「たまには下の子連れて飲みにでも行ってきなよ。田無さんに支社長にいいって言われたって言って人数いったら、金額伝票に書いてくれるからさ。判子押すから持っといで」
「え?いいんですか?」
「あ、でもスタッフの女の子とのトラブルとかはやめてね。そういうのが一番めんどくさいからさ」
高田君を手伝ってるローカルの子たち1人男の子であとは女の子だったはず。
「それって、支社長が昔トラブったから言ってるんですか?」
思わず彼の目を見た。
「うちの奥さんに何か聞いたの?」
「やっぱりあるんですね」
にやにやしている。こいつ、誘導尋問だったのか。俺の得意技盗みやがって。
***
2、3日後、ものすごい厚さのレポートを和田君は持ってきた。
「え?」
彼を見ると、ちょっと目が赤かった。
「君、もしかして、あんまり寝てないの?」
「あ、なんか 始めたら楽しくなっちゃって。つい」
彼は少し恥ずかしそうな顔をした。
「ええと、これ、頼んでたやつだよね。例の部材の。何社分あるのかな?」
「現在取り扱っているのは国内では10社、国外でここ近辺では8社あります」
すらすらと答える。
「もしかして、18社全部きっちり調べたの?」
「はい」
「こんな短い時間で?」
「はい」
僕はぱらぱらとレポートをめくった。いや、これ研究論文でしょ。俺、ざっとでいいって言ったよな、たしか。
「あ、あの……」
「何?」
「うちが既に取引している会社以外で、同水準の品質を提供できる会社はやはり0のようでした」
「……」
それでも和田君はにこにこしている。
「つまり、これだけ調べたけど……」
「あ、でも、同水準ではないですが、すごい勢いで伸びてきている会社があって……」
和田君は僕の手からレポートを取ると、ぺらぺらめくりだした。
「この会社は品質はまだ及びませんが、単価がぐっと安いんです。もし、そこまでの品質を要求しない客先だったら提供できるかもしれません」
僕は書類に目を通した。
「中国……なんだ」
「いろいろなサイトで調べましたが、なかなか評価が高いんです。歴史は短い会社ですが、経営者がアメリカ留学した経験を持っていて……」
「よく調べたね。というか、どうやって調べたの?」
彼はきょとんとした。
「どうやってって、サイトを調べて」
「サイト?こんな小さい会社の情報、日本のサイトに載っているの?」
「いや、支社長。僕が見ているのは中国語のサイトですから」
なんだって?
「君、もしかして中国語わかるの?」
「言ってませんでしたっけ?」
いや、みんな知らんだろ。
「読むだけじゃなくて、話したりもできるの?」
「……はい。簡単なことなら」
「でも、君が中国語話してるの、聞いたことないぞ」
社内にも中華系の人がいるけど、話しているのを見かけたことはない。
「いや、だって支社長。僕、そもそもあんまり話さないじゃないですか」
そうだった。忘れてた。
「すごいな」
ショックから少し立ち直った。
「なんで、中国に赴任しなかったの?」
「いや、だってそんなレベルじゃないんですよ。中国語専攻とかじゃないし。第2外国語だっただけですから」
「留学とかしたの?」
「短期ですけど」
ため息が出た。
「なんで、早く言わないの?英語できて、中国語もできるなんてすごいじゃん」
「そうですか?」
ああ、無自覚なんだな。こういうとこでも。
「1回サンプルもらってみようか。で、専門機関に検査に出して品質とか調べてよ。その結果と一緒に清水さんにご意向伺おう」
「はい」
「君が今日レポートにまとめた内容と、検査結果と一緒に欲しがるお客さんいたら販売してもいいか清水さんに君からメールしてください。僕をCCで入れといて」
「え?」
和田君はもじもじした。
「統括部長に直接メールなんてできません」
「僕が間に入っても君のメールをそのまま転送するだけだよ。別に加筆修正する必要ない内容なんだから、自分で書いてみなさいよ」
和田君はちょっと下を向いたまま顔をあげない。
「支社長、僕、このままこの会社で働いていていいんでしょうか?」
え?なんで?褒めてるのにこの人は……。
「いや、折角中国語できるのわかったところで辞めるなんて言うなよ」
「でも、僕は今日支社長がされたようなやり取りは一生かかってもできません。僕は人と話すのが極端に苦手なので」
「……」
「本当は商社なんて入りたくなかったんです。でも親がむりやり」
「うん」
「入ってから毎日つらくって」
「うん」
「自分はもっと自分に向いた所で働いたほうがいいじゃないでしょうか?そうすれば周りの人にも迷惑かけないし」
「……」
本当に会話が、というかコミュニケーションが苦手なんだな。この子。
「あのね、和田君。誰も周りの人は君のこと迷惑だなんて思ってないし、言ってないよね。反対に僕は情報集めてレポート作ってくれる人がいなくなると困るんですが……」
「僕の存在は、でも、迷惑なんです」
どうしてこの子はこんなに、こんなふうに思うようになっちゃったんだろうね。
「だから、いつもできるだけみんなと話さないようにしているの?」
「前の支社長の五十嵐さんはよく僕のことくずって呼びました」
え?
「くずはくずなりにしてろって言われました。お前なんかいつでもやめてしまえって」
一瞬、耳が、おかしくなったのかと思った。和田君が捨てられた犬みたいに僕をみた。哀れだった。
「それは、本当ですか?」
彼はうなずいた。この子はきっと、この子の性格から考えると、嘘をついていない。
「誰にもそのこと言わなかったの?その2人きりのときにそういうふうに言われたの?」
彼はもう一度僕のことを見つめた。
「そうだ。支社長は知らなかったんですよね。僕だけじゃないんです。そういうことを言われてたのは……」