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みんなの幸せな結末へ  作者: 汪海妹
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早く家に帰ってください













早く家に帰ってください













清一













「あれ、珍しいな」


田無さんが僕の横でビールを飲みながら言った。週末の午後、和気あいあいと肉を焼いたり食べたり、遊び合う子供たちがいたり、いつもスーツ姿できりきりしている顔しか見たことない人たちが、どこかのどかでほっとした顔で普段着でくつろいでいる。


なんだ、別にフツーじゃないか。フツーの人たちだ。初七日のバーベキューなんかじゃない。


「何が珍しいんですか?」

「和田君があんなに話している」


田無さんが見ている方向を見たら、うちの支社で一番若い和田君となつがいた。


「あれ?一緒なのはうちのですか?」

「あの子、ほんと無口で、必要事項しか口にしないんですよ。なのに、あんなに」


なつが何か興奮しているのが遠目で分かる。ほんとに50歳かよ。あのはしゃぎ方。子供みたいだな。


「今日1日で、1年分くらい話しているんじゃないかな?和田君」


僕は思わず、田無さんの顔を見た。


「田無さんでも冗談言うことがあるんですね」


***


「え?何?何話してたのって?」


片づけ終わって解散して家に帰り、とりあえずシャワーを浴びる。浴びてさっぱりしてからなつに聞いてみた。


「アニメ」


なんですと?


「俺の会社の20代の子と50代の君が……」

「はい」

「アニメの話で盛り上がっちゃうの?あんなに?」


へへへと彼女は笑う。


「君は俺が仕事している間に、アニメ見てるの?その年で?」

「いやー、千夏の影響よ」


娘の千夏はアメリカの大学に行った後、日本の映画やテレビ番組の配給会社に入社した。主に日本のアニメ作品をアメリカに販売したり、アニメイベントを実施したりする仕事をしている。


「違うよ。千夏が君の影響でアニメ好きになったんだろ?」


昔から漫画とゲームとアニメが好きなんだ、この人は。


「だってね、あなた。日本のアニメはもはや芸術作品。世界の宝なんだって。あなたも見れば?」

「そんな時間はないよ」


即座に断った。タオルで髪の毛を拭きながら思う。ふうん、和田君ってアニメとか見る子なんだ。ソファーに座ってテレビをつけた。夜のニュースがやっている。


「和田君ってさ、ほんと口きかない子なんだって」

「え?なんで?別にフツーに話してたわよ」

「そうなんだよ。だから君と話しているのみて、びっくりしてた。田無さんが」

「そうなの?ふうん」


なつは半信半疑だ。


「あ、そうそう。今度家に遊びにおいでって言っておいたから」


男友達?50代と20代?不思議な感じだな。アニメは世代を越えていくものなのか?


***


「すみません。田無さんに聞いてもらって、意見を聞きたいんですけど……」


僕は田無さんを部屋に呼んだ。シンガポールに赴任してから、1カ月くらい経っていた。


「ここ何年かの支社の状況を僕なりに分析して把握しました。3年ほど前から月ノルマ達成のために前倒し計上の傾向があって、それで、年度の後半になると年間ノルマ達成のために、単独の大きな取引受注に動いていますよね。反面、継続的な取引が見込めるような中、小規模の新規契約が取れていないように思うんです。大きい金額で今年実になる物に固執して、既存の取引先への基本的な営業活動が手薄になっていたのではないですか?」

「そう言われればそうかもしれません」


いや、別に田無さんが悪いと言っているわけじゃないんだけど、みなを代表としてしゅんとしているのかな、この人。


「長年毎月取引しているお客さんとの間の売上高は横ばいか落ちて来てますよね」

「……はい」

「例えばこの比較的少額の売り先の会社、わりと新しい会社で有名ではありませんが、日本本社がここ2、3年で急成長しています。子会社の財務状況については情報を持っていませんが、恐らくこちらの生産規模も大きくなっていると思います。でも、うちの販売額は伸びてない。こういった情報収集と対応もできてないですね」


田無さんは静かに聞いている。


「僕から見ると水田で稲を育てているはずの農民が草取りや虫取りや肥料をまくのをほったらかして、森へイノシシを追いかけに行っているように見えます。ここ何年か」


田無さんはふきだした。


「……すみません。わかりやすい例えです」


僕も少しだけ笑った。


「ノルマノルマってこづきまわすからいけないんですよ。1か月後と1年後も大切ですけど、3年後、5年後だって大切なんです。僕たちは両方を見ながら動かないと。いつまで経ってもすいたお腹を抱えながら、なれない狩りをすることになる。猪を追う人の人数を絞って、しっかり田んぼをやる人をメインにしたいんです。だから分担を変えます」


僕は、僕が考えた分担表と担当する主要客先をまとめた資料を見せた。


「これは…また…」


田無さんがことばをのむ。


「あくまで僕から見た印象ですが、みなさんの性格や経験年数から見て客先を振替ました。今まではそれぞれの個別の成果にばらつきがでないように均等に分けて担当していましたよね。みんなおいしい客、普通の客、やっかいな客を持っていた。公平ですよね。そうするとやっかいなお客に時間と気がとられる。年度後半は猪を追わないといけない。なかなかおいしい客や普通の客に時間がとれない。負のスパイラルです。集中できていないですよね、全てのことに」

「だから、やっかいなお客をご自身のところに集められたんですか?」

「はい。うちのシンガポールのみなさんはね、あくまで僕の印象ですが、まじめな人が多いと思うんです。まじめで全てにおいて手が抜けないというのかな。だから、本来は農民タイプなんですよ。地道にやってお客さんの笑顔が見られたら、それが嬉しくてまた毎日もっとがんばろうとするようなね。だから、そういう人に鍬を捨てさせ、弓矢を持たせて猪を追わせるのはね、何というかやり方がまずいよね。もちろんメンバー全員が農民タイプだとは思ってなくて、狩人タイプの人もいるんですけど」

「はあ」

「だから、それぞれの人が何が得意なのか自覚してもらって、また、お互いの能力を認め合って、意味のない足のひっぱりあいとかしないで、それで全体の数字をあげたいんです」


田無さんはもう一度僕の作った分担表を見た。


「わかってますよ。僕の分け方だと個人の成績、担当金額に大きなばらつきが出てしまうんですよね」


おいしい客を中心に担当する人と、普通の客を担当する人に分けると、おいしい客を担当する人のほうが簡単にいい成績が取れるように思える。


「僕はでも、単純な金額の大小じゃなくて、伸び率で評価しますから、心配しないでください。100万円から150万円と、10万円から15万円は同じ。それに売るのが難しい相手に売った15万円のほうを150万円より評価します。僕がそういうところに時間をかけてきちんと人事に通しますから、こういう一見ばらつきのある分担に同意してもらえないでしょうか?」

「支社長、ご自身のご担当も、本当にこのままでいいんですか?急に発注してきて、自分が悪いのに物が届かないと言って電話かけまくってきたりするようなお客さんばかりです。時間もパワーもかかりますよ」

「でも、そこは教育がてら、新人君にもいろいろ振りますよ」


分担表では自分の下にはベテランの中堅社員ではなく、新人を入れていた。


「こういっちゃなんですが、優秀ですけど癖がありますよ。2人とも。1人はしゃべらないし、1人は何かと手を抜く。そして、いざってときに責任持たない。結局、支社長の仕事が増えますよ」


なるほど。そういう二人なのか。僕は笑った。僕も役に立たなかったなぁ。新人の頃。


「それなのにプライドだけは高くて、自分はこんなくそみたいな仕事をするために社会に出たわけじゃないって演説ぶったりするんですよね。つきあうとますます時間がとられることになる」

「支社長、最近はそんな骨あるやつ減ってきて、つまらない顔をして延々とこっちの話聞いているのか聞いていないのか、そんである日ふいっと辞めちゃうんですよ。会社を」


まじか。辞められちゃうのはちょっとまずいな。


田無さんは心配そうな顔をして僕を見ている。本当にこの人は優しいいい人だ。ぬりかべみたい(あくまで褒め言葉)。ぺらぺらと飾り立てたお世辞を言うような器用な人ではないけれど、だからこそ、必ず最後までしっかりと責任をもってやってくれる。相手にそういう安心感をことばを使わなくても与えることができる人だ。


「僕が新人まとめてみるってのは、暫定的措置です。やっかいな客集めたのもね。今、田んぼが荒れちゃってるし、みなさんへとへとに疲れていますよね。だから、仕事の中で負担は大きいけれどあまり実にならない部分を一時的に僕が引き受けます。落ち着いたらもう一度ノーマルな形を相談させてください」

「はい」

「あ、でも、新人教育が実にならない仕事なんて言ったら怒られちゃうな」

「本当に大丈夫なんですか?」


僕はぬりかべの田無さんを見た。


「僕ね、真面目な方からは想像できないくらい、すごい適当な人間なんですよ。仕事が入ってきたときに取捨選択して、がんばっても意味ないことには力入れないで、最短の時間と手間で終わらすのがうまいんです。まあ、器用っていうのかな?(本当はずるいともいう)でも大切な仕事はきちんと時間かけてやりますけどね」

「はあ」

「文句を言わずにこういうことみんなやってくれますかね?」


フツーに自信がなかった。みんなに嫌だって言われたらどうしようもない。折角考えたけど。田無さんは軽く目を閉じてちょっと思考した。


「もし、こういうやり方で本当にうまくいって毎日働けるならみんな喜ぶと思います。ただ、本当にうまくいくんでしょうか?」

「すみません。夢中で考えましたけど、僕もやったことがないので何とも言えないんです」


田無さんは珍しい動物でも見るような顔で僕を見ている。


「顔になんかついてます?」

「いや、相変わらず変わってるなと思って。会社に入ってずっと働いてきましたけど、支社長のような方は初めてです」

「そうですか」


僕のどこらへんが変わってるのかな?自分ではあんまりわかんないんだけど。田無さんは今度は無表情に僕の分担表をじっと見ながら考え始める。どうしよう、この人に反対されたら、このプランぽしゃるな。今の僕にこの支社のみなさん説得できるだけの信頼関係ないんだよね……。


***


「すみません。最後に僕からちょっといいですか?」


僕は会議室に集まった支社のみなさんの顔を見回した。


あの後、あの僕のプランについては、田無さんと何度も打ち合わせをして、細かな部分や難点のありそうな部分について意見を出し合ってまとめなおした。そして、みんなに対する説明資料を作って、2人で交互に説明した。まず、日本人のみなさんに。


これは1人じゃできなかった。


僕みたいなへらへらした来たばかりの人間がいきなりこんなこと話し出したら、宇宙人が人間のことば話しているって思われて、どんびきされて、それで、明日からこの歴史ある支社はどうなるんだろう?ってみんな布団の中で眠れない夜を過ごすことになったろう。どうして会社は宇宙人を支社長に選んだんだろうって思われて。

田無さんのようなまじめでどっしりした人が、ゆっくりと言葉を口にしていくと、みんな真剣に耳を傾けた。僕は思う。この人を支社長にしたほうがよかったんじゃないだろうか……。


「僕が言いたいことは田無さんが全部話してくれたので、それについては何もないんです。最後に1つだけ付け加えさせてください」


会議室に斜めに日が差し込んでくる。強い日差し。


「みなさん、できるだけ早く仕事を終わらせて家に帰ってください」


みんなまた僕を不思議なものを見る目で見た。宇宙人モード入った。まあ、少しならいいだろう。


「人間って疲れると頭の動きが鈍っていい仕事ができなくなると思うんです。もちろん抱えている仕事が終わってなかったら、帰ることはできないんですけど。疲れて、ますます仕事が遅くなって、もっと帰れなくなって、もっと疲れる。それって負のスパイラルだと思うんですよね。だから、みなさんにはどうやったら早く帰れるのかということに頭を使ってほしい。例えば、ローカルスタッフにもっといろいろ任せてみるとかです。僕はみなさんが天文学的に長く会社にいて、机にかじりついているから評価するような人間ではありません。仕事も大切ですけれど、いい仕事をするためには自分を大切にしないと。最近言われるようになったワークライフバランスというやつですかね」


みんなは宇宙人のことばにそれなりに聞きほれている。いいじゃないか。悪くないぞ、今のところ。


「1週間に1個楽しみを持ってほしい。純粋に自分のための楽しみです。仕事を早く終わらせて、週末にはあの本を読もうとか、子供と出かけようとか、おいしいものを食べようとか」


きれいな物を見て、いい音楽を聴いて、一緒にいたい人と一緒にいて、体をちょっと動かしたり……


「きっと人は苦しくてもがんばっているという時より、楽しくて頑張っているときのほうが成果をあげられると思うんです。少なくとも僕自身が今までそうだった。今回支社を任されることになって、ある一定の権限を持ちました。だから、今回僕が今まで仕事をしてきて感じてきた矛盾を一掃して、僕が考える楽しい仕事をしたいんです。みなさんと一緒に」


何をそんな理想論を振りかざしやがってという顔がちらほら見えるんじゃないかと思ってた。僕はまじめにこういうことを考えているけれど、こういう考え方を嫌う人がいることは知っている。だけど、みんなの顔には反感の顔はなかった。とてもしんみりとしていた。全体的に。その顔はばかにしているわけでもなくて、反感をもっているわけでもなくて、祈っているようだと思った。


この人たちは願っていて、そして、祈っている。僕が描いているような素朴な毎日を。だけど、僕は知っている。祈るなんて大げさな雰囲気になるのは、それだけ、僕の描いた絵が遠いからだ。現実はそんなんじゃない。仕事が楽しいなんてこの人たちは1度も思ったことがないんだと思う。仕事とは苦しいものだ。苦しいものを乗り越えた者だけが存在することを許される、会社とはそういうところなんです。彼らにとっては。


***


「あのさー、和田君。ちょっと来てくれる?」


夜、6時過ぎ。当然のようにみんな残業しているところで、彼を部屋に呼びつけた。


「うちの奥さんが残業はやめに切り上げて、晩御飯食べに来いってさ」

「はい……」


もじもじしている。確かに大人しい子だ。虫も殺さない感じ。


「何時ごろ、行けそう?」

「あ、今日は今からでも大丈夫です」

「じゃ、連絡しとくね」


スマホでメッセージ送って、それからチェックしていた資料に戻る。ふと目をあげると、まだ和田君がもじもじしている。


「あれ?もういいよ。あ、そっか。場所がわからないか」


僕はメモに自宅のマンションの棟ナンバーと部屋番号を書き込む。僕たち駐在員はみんな棟は違うが同じマンションに住んでいて家が近い。


「あのー、支社長。支社長は一緒にお帰りにならないんですか?」

「ああ、何か俺がいると盛り上がらないから、残業してろって言われたんだよ」


和田君はまたもじもじする。


「その……」

「うん」

「僕と夏美さんと支社長はちゃんと相談して、僕だけ行くことになってるんですけど……」


この子、夏美さんって呼んでんだ。なつのこと。


「傍から見たらおかしいと思います。僕だけ行くの」


ちょっと考える。たしかに、それはちょっと年増好きのマニア向けのエロビデオみたいな設定に見えなくもないな。傍から見たら。


「じゃあ、俺も帰るか。止められたけど」


立ち上がって荷物を片づける。


「お仕事はいいんですか?」

「ああ、いいよ。家でやるから」


家まで移動する間、彼は貝のように口を閉じて話さなかった。まあいいかと思ってほっといて、僕は読みかけの文庫を開いた。彼にとってはそれが普通のことみたいだったし、別に怒ったりしているわけでもなさそうだったから。


***


「ただいま」

「あれ?なんで?」


なつが奥から出てくる。ほんとにこの人、俺のこと邪魔なんだ。


「和田君だけ1人で行かせるのも微妙だろって話になってさ」

「微妙って?」


分かってない。リビングのソファーにカバンを置く。


「適当に座って」


和田君はソファーの端っこにちょこんと腰かけた。しゃちほこばっている。


「ねえ、せいちゃん」


なつが台所から僕を呼ぶ。僕は上着を脱いでネクタイを外すと彼女のほうへ行った。


「今日餃子なの。折角早く帰って来たんだから、あなた焼いてよ」

「餃子?なんかお客さん来てるのに普通だね」


なつはにっこり笑った。


「和田君が餃子が好きって言ってたからさ」


ふうん。和田君って餃子が好きなんだ。僕は自分用のエプロンを壁から取ってつけた。ワイシャツに油がはねたりすると、なつが怒るんだ。


「先に2人でビールいただいちゃいますよ」

「はいはい」













夏美













リビングに出ると和田君がなんかロボットみたいに座ってた。楽にしてと言ったら楽にできるんだろうか、この子は。


「ねえねえ、こっちおいでよ。ビール何飲むか決めようよ」


わたしは声かけた。


「こっちの冷蔵庫はお酒専門なのよ」


ドイツ、ベルギー、タイ、アメリカ、もちろん、日本、まだまだある。


「すごいですね」

「うん。全部片っ端から買って味見してんの。わたしたち夫婦の暇つぶし」


彼はタイのビールを選んだ。わたしはベルギーのビールにする。まあ、餃子には合わないんだけどね。


「ときどきはずれがあるのよ。まずいの。そしたらじゃんけんして負けたほうが全部飲むの」


和田君は少し笑った。


「仲いいですね」

「しょうがないのよ。子供たちがもう自立しちゃったからね。お互いしかいないからさ」

「あの支社長は?」

「餃子焼いてる」


ええっと言って彼が立ち上がる。


「別に気使わないでいいよ。残業しててって言ったのに帰ってくるんだもん。それに餃子焼くのはあの人のほうが上手だから」


彼はちょっと不思議そうな顔をした。


「支社長って料理とかされるんですか?」

「ああ、家事は一通りできるわよ。1人で駐在していた時期もあったしね」


わたしはビールのプルトップをあけてグラスについだ。一口飲む。うん、おいしい。


「あれ、和田君飲まないの?グラスあるよ」

「いえ……」


ああ、そうか。上の立場の人に餃子焼かせている横で、さすがに先にビールは飲まないか、社会人は。というか、仕事から帰ってきた旦那に餃子焼かせて先にビール飲む主婦もまずいか。


「ええっと、あの、いつも料理してもらってるわけじゃないわよ、わたしも。もちろん食べさせてもらっている身ですし」

「はあ」

「なつー、皿どこにあるの?」


はいはい。台所に消える。


「ほら、上手でしょ?」


テーブルの真ん中に餃子を置いた。サラダとか冷めてもいいものは先に作っておいてあった。


「俺は今日は日本のビールがいいな」

「保守的ね」

「ドイツのビールなんて餃子に合わないよ」


彼はそう言うと、ビールと一人分の食事をより分けて、テレビの前に持っていく。


「ほら、俺がいると話が盛り上がらないんだろ?俺はこっちでテレビ見ながら食べるからさ」


そして、テレビをつけた。また、ニュースを見ている。ほんと、地味に真面目なんだよね。毎日ニュースのチェックは欠かさない。昔から。


***


私たちがおしゃべりしながら2本目のビールを空けてふと横を見ると、食事を終えてテレビ見ながら何か仕事の資料をチェックしていた彼が、資料を手にしたままソファーで眠ってしまっていた。


「あら、珍しい」


わたしは彼が持っている資料をそっと抜くと、テーブルに置いた。秋口でも寒くないんだけど、一応タオルケットをかけてあげた。


「支社長って……」


和田君が急に話し出した。


「本当にやさしいんですね」

「ああ……」


最後の1本ねといって、わたしはビールを開けた。


「ちょっと珍しいよね。ここまで我慢強いというか、怒らない人。でも、無理してるわけじゃなくて、これこの人の素だから」

「前の支社長は……」


和田君はちょっと苦いものでも噛んだような顔でいう。


「すごい厳しい人で、それで料理なんか絶対したことないと思います」


わたしはちょっと考える。


「たしかに日本人の男の人で、しかも、管理職とかする人ってあんまり料理とかしないのかもね」


わたしはせいちゃんの寝顔を遠目に見た。テレビを消してリビングのほうは灯りを落としてある。


「だからうちの人ってなっちゃったけど、ほんとは支社長とかしないほうがいいのかしら?向いてないかも」

「いや、そんなことはないと思いますけど」


和田君が慌ててフォローしてくれる。


「仕事の彼ってあまり知らないし。でも、間違っても怒鳴ったりはしないと思うのよね。でも、偉い人って怒鳴ったりしないでやってけるの?なんか怒鳴ってる印象が強いなぁ。ドラマとかで見てると」


和田君はちょっと困った顔をした。


「僕が社会人になってからの上司はみんな程度の差はありますけど、やっぱり厳しい人が多かったです」


やっぱりか……


「大丈夫かなぁ。せいちゃん。思ったよりも偉くなっちゃって」

「心配ですか?」

「そりゃあね、本人には言わないけど」


わたしは気持ちよさそうに寝ている彼をもう一度見た。


「まあ、でももし彼が仕事が原因で深刻に追い詰められるようなことがあったら、嫌がっても会社なんか辞めさせるわよ。わたしが欲しいのは肩書のある彼じゃなくて、元気な彼だからね」


開けたままで飲むのを忘れてたビールを思い出す。グラスに注いだ。なんかこれ、普通のより赤っぽいな。


「ほら、なんかドラマであったよね。逃げるは恥だが役に立つ、だっけ?まさしくあれよ。本当に大変なときは逃げればいい」


和田君は黙ってしんとした顔でわたしを見ていた。ぐい。


「あ、これはずれだ。なんかすっぱい。変な味がするよ~」


ははははは。和田君がかわいい顔で笑った。


「僕が飲みましょうか?」

「え?でもまだじゃんけんしてないよ」


うちのルールは負けた人が飲むだから……。でも、和田君は何も言わずにビールを引き受けてしまった。飲み終わったら、彼は腰をあげて帰るといった。食器を洗うと言われたが、断った。ごみを捨てるついでに下まで見送る。


「あの……」


別れ際に彼が口を開いた。一生懸命、勇気を出して。


「その支社長はちょっと、というかかなり変わってると思いますけど」

「はい」

「でも、少なくとも僕は、僕なんかのために料理してくれてすごい嬉しかったです」

「あ……」


僕なんか、か……


「お邪魔しました」


彼はそういって踵を返した。また来てねと背中に声をかける。


僕なんか それ、わたしにはとても馴染みのある言い方だなぁ。美しく整ったマンションの人工的な道を彼は歩いていく。夜の中を自分1人の部屋へ向かって。


ばたん


部屋に帰ると、ドアの音がうるさかったのかせいちゃんがうーんといってのびをした。


「あれ、何?俺、寝ちゃったの?」

「うん」

「和田君は?」

「今帰ったとこだよ」


彼はあくびをした。


「なんかむっちゃ気持ちよかった。今、寝たの」

「そう、よかったわね」


わたしはテーブルの上を片づけ始める。


「なんかさー」

「うん」

「君と和田君が話してるの聞きながら、ソファーで仕事していたらさ。昔に戻ったみたいだった」

「昔って?」

「4人で住んでた頃」

「ああ……」


千夏と太一がそばにいたころね。


「君たちが何かにぎやかにしている音や声をききながら、自分も同じ屋根の下で何かしているのが好きだったんだ。仕事とか、本読むとかさ」

「うん」

「あんまり落ち着くんで、結局寝ちゃうんだ。途中で。今日もそんな感じだった」


そうか、そうだよね。あなたはずっとにぎやかな家庭に憧れていたから。ずいぶん静かになっちゃったね、わたしたち。


「さみしい?」

「うん。さみしいね。どうしようもないけどさ」


彼はぽつりと続けた。


「なんかさ、最近、俺思ってたんだ」

「何を?」

「俺、なんで商社に入ったんだろうって。海外赴任とかあって家族と一緒に暮らせる時間が少ないじゃん。ほら、ミャンマーは1人だったからさ」

「うん」

「俺は本当は公務員とかなればよかったんだよな。九時五時で働いてさ。そしたら子供たちが大学卒業するまでは確実に4人で暮らせたのに」

「……」

「教師とかでもよかったかなぁ」

「学校の先生?」

「うん」

「そんなの興味あったの?」

「うーん。今、思えば、人に教えるのって嫌いじゃないかも。ほら、君にも勉強教えてたしさ」

「……あまり、思い出したくないな。それ」


あの頃は上下関係はっきりしてたわ……


「あのさ、気を悪くしないできいてほしいんだけど」

「なに?」

「男子校だったらきっといい先生になれると思うけど、共学とか、あと間違っても女子校の先生にだけはならないほうがいいと思うよ」

「……」

「自分でもわかるよね。今までさんざん自分が望まなくても女性関係でトラブルに巻き込まれているんだから。女子高生とのトラブルなんてそれこそしゃれにならないわよ」

「……なんか、想像したくないな。それ」


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