始まり
「タイガー!ファイヤー!サイバー!ファイバー!ダイバー!バイバー!ジャージャー!」
東京都渋谷区某ライブハウス。
100人入れば一杯になるような小さな箱。
そこへ本日、150人のオタクが詰め込まれている。
この小さなライブハウスでいま、地球上で最も熱いイベントが行われているのだ。
「はいせーの、オーイオイッ!オイオイオイオイッ!」
僕の人生を変えたと言っても過言では無い、4人組の未来のスターアイドル
『君に愛してほしいから』のリーダーである『りかにゃん』ことRIKAの生誕祭イベント。
「言いたいことが、あるんだよっ!やっぱりりかにゃんかわいいよっ!」
僕、狩場幸太郎は大学1年生にして、りかにゃんのトップオタだ。
本日も会場へ一番乗りで入り、サプライズで渡すケーキの段取りをアイドル運営と打ち合わせをし、
さらに祝い花の設置や会場の飾り付けまで、積極的に行った。
「好き好き大好きやっぱ好きっ!やっとー見つけたお姫様っ!」
最初に出会った頃はちょっぴり人見知りな大人しい子だった。
メンバーの入れ替わりを経て3年目。
今はリーダーとして立派にグループをまとめあげている。
「世界で一番愛してるっ!あ・い・し・て・るうぅー!」
全てはりかにゃんの為。
彼女の透き通った瞳に映るその先が、最高の景色である為に──。
ライブはいよいよ終盤を迎える。
アンコール曲が終わり、りかにゃんのMCが始まる。
「本日は、平日の夜にも関わらず、私の生誕祭にお越し頂きまして、改めまして、本当に、ありがとうございます!」
ほんわかしつつも、しっかりとした挨拶。
ありきたりなフレーズも、昔から親のように見守ってきた僕には、心地良い痛さが胸に突き刺さる。
この後、サプライズケーキの段取りとして『ちょっと待ったー!』と、僕が叫ぶ。
早すぎも遅すぎもしない、絶妙なタイミングというのがあるのだ。
どこで叫ぼうかと考える前に、りかにゃんは突然、大声で切り出した。
「ここで、私から皆さんに大切お知らせがあります!」
おぉー!?という会場のどよめき。
『やめないでー!』というお決まりの煽りも聞こえる。
だがしかし、妙なのだ。
普通、こういう発表モノはSNSで事前に何らかの告知をする。
なぜなら、生誕祭に行くつもりの無かったオタク共が仕事をほったらかし、会場へ血を吐きながら向かうからだ。
それが今回、本当にサプライズ。
他の3人も目を丸くしている様に見える。
というか『えっ?なに?』という小さな声をマイクが拾っている。
「わたくし、りかにゃんこと金井梨香は…」
スー、ハー、と一呼吸。
そして。
「この度、結婚することになりました!」
ええーっ!?という轟き。
「そしていま、お腹の中に、赤ちゃんがいます!」
ウギャー!という悲鳴にも似た声が会場全体を支配する。
刹那、沈黙。
両手で口を押さえ、りかにゃんをガン見するメンバー達。
何が起こったのかわからないオタク達。
呆然と立ち尽くす、僕。
「ずっと悩んでいたんです。こんなこと誰にも言えないし、相談もできないし…」
りかにゃんの目には涙が浮かんでいる。
「皆さんを裏切っているのは、わかってます。でも、お腹の中の赤ちゃんを、ちゃんと育てたいんです。
発表を今日って決めたのも、私の身勝手な判断です。こうしないと、私の中で決心がつかないから。
アイドル活動も、今日で辞めようと思っています。スタッフさん、勝手なことしてごめんなさい」
言い終わると、RIKAは深々と頭を下げた。
拍手も声援も無い、完全なる静寂。
その光景はまるで、夢の中の出来事のようだった。
それから色々とやりとりがあって最後の曲に入った。
バラード曲だったような気がするが、覚えていない。
何かを紛らわすように、両手を上に上げて無心でゆらゆらしていたような気はする。
ケーキの事など、頭の中によぎりもしなかった。
終了後、運営スタッフが何かを叫んでチェキ会の準備が行われた。
ステージ上に長テーブルが並べられる。
チェキ券を持っているオタク達がスタッフの指示でチェキ列を形成する。
僕は列に並ばずに自分のリュックを背負い、この異様な光景をぼんやりと見渡して会場の外へ出た。
渋谷駅へ向かわなければ。
家に帰るのだ。
ところで、僕は何でここにいるんだろう?
……そうだ、RIKAの生誕祭だ。
で、あの発表はなんだったんだ?
結婚してアイドルを辞める、わかる。
お腹の中の赤ちゃんを育てたい、わかる。
彼氏がいる事を隠していた、わかる。
彼氏とアヘ顔でヤリまくっていた、わかる。
なんで、今日なの?
なんで、大事な生誕祭で、発表したの?
なんで、神聖なステージの上で、誰にも相談せず、勝手に、見せしめのように……!
気が付くと僕は、叫ぶように泣いていた。
道玄坂の真ん中で、うずくまって泣いた。
周りはきっと、酔っ払いか何かだと思って白い目で僕を見下しているだろう。
そう思うと余計にみじめで、涙が止まらない。
こんなに泣いたのは何年ぶりだろう。
もしかすると、遊園地で両親とはぐれて迷子センターへ連れて行かれた、幼稚園以来かもしれない。
──どのくらい時間が経った時だろう。
「幸太郎、大丈夫か?」
見上げると、目を真っ赤にした大男の魔神さんが、心配そうに僕を見ていた。