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山が近く感じる。
それがこの町に入ってすぐに草薙響が感じたことだった。
8月に入り、夏の強い日差しが降り注いでいるが、それでも山から吹きおろしてくる風が肌を涼ませてくれる。
「人より猿のほうが多そうな場所ね」
御厨ミラノはタクシーを降りると、そう言って大きく背伸びをした。ネイビーのハイウエストパンツと白いシャツのマリンスタイルがとても良く似合っている。街中では人目を引きやすいミラノだが、さすがにこんな田舎にくると気にする必要もなくなる。
「この辺、猿っているのかな?」
「例えで言ってるだけよ。それに猿くらいどこの山でもいるでしょ」
響とミラノの二人がこの町に来たのには理由があった。昔、ミラノのすぐ近所に住んでいた女性が、この町に引っ越していると聞いたからだ。
二日前――
いつものように響を呼び出したミラノは、町角に立って猫を抱く少女を見つめながら言った。
「私ね、ちょっとだけ思い出したのよ」
「思い出した? 何を?」
「お姉ちゃんとのこと。黒猫を抱いてた」
「猫?」
「あれがいつのことなのかは思い出せないんだけど……」
「猫を飼っていたことがあるの?」
ミラノは首を振った。そして、少し自信なさそうにーー
「ない……はずなのよ。私の記憶が間違っていなければだけど」
「じゃあ、どうして?」
「以前、ウチの裏に駄菓子屋があってね、その駄菓子屋にお婆さんがいたの。私、そこでお姉ちゃんが猫を抱いていた姿を見たことがある……気がするの」
「駄菓子屋? そんなものあったっけ?」
ミラノの家の近所の風景を思い出しながら響は言った。
「以前って言ったでしょ。子供の頃の話よ。そんな駄菓子屋とっくに無くなったわ」
「それで?」
響がそう訊くと、ミラノは鋭い視線を響に向けた。
「は? 鈍いわね。その人ならお姉ちゃんのことを記憶しているかもしれないでしょ」
「憶えているかな?」
マリノはミラノの姉で、今は黒猫の妖かしとなっている。彼女はその妖かしの力で自らの家族も含めて周囲の人々の記憶から自分の存在を消し去って行方を消していた。そして、ミラノには白猫の妖かしが憑いている。
「それはわからないけど……だから、捜してほしいの」
「ボクに? どうやって?」
「一条家の情報網を使えばそのくらい簡単でしょ」
ミラノは真剣な目で言った。
響が世話になっている一条家は資産家であり、不動産会社を含め多くの会社を所有している。そのため東北を中心として広く影響力を持っており、さまざまな情報を手に入れることも出来る立場にあった。
ミラノの言った通りだった。その日、試しに一条家で弁護士として働いている蓮華咲子に相談してみると、その翌日にはさっそく詳しいことを調べあげてきてくれた。そこでその週末、響はミラノと一緒に、その駄菓子屋を営んでいた奥野千代を訪ねるため、こんな山奥の田舎町へやってきたのだった。
その奥野千代ならば、ミラノの姉であるマリノについて何か知っているだろうか。