冬の章
私がまだまだ小さかった頃。そう、お父さんをお父さんと呼んでいなかった頃になるだろうか。
私の世界は、とても狭かった。
小川がひとつ、原っぱがひとつに、ぼろぼろの樹がひとつ。それだけ。
知らなければそれで良かったのだろうが、しかしある日から、私には『その外側』へと出る権利を与えられた。
走り回った。
そこら中の山を、一日で駆け巡った。
花や、兎や、見た事もない大きな川!
それは、私の人生が今までどれだけ小さかったかを教えてくれた。
でも……同時に、疑問がわいた。
子供とは残酷な物で、その時の私はお母さんにその疑問を真正面からぶつけてしまった。
―――どうして今までお外に出られなかったの?
―――ごめんなさい。母様も知らなかったの。母様はお外に行けなかったから。
仕方なさげにそう言った、お母さんの言葉。それは今でも私の中に大きくしこりとして残っている。
―――『どうして、お母さんは外に出る事が許されないのか。』と。
……
寒い。
薪を割るのは私の役目ではあるんだけど、こういう寒くて雪のちらついている日には、流石に交代が欲しくなる。
切り株に置いて、薪に鉈を斬りつけて、そのままえいっと。
「はーっくしょん!……うう」
我慢我慢。これも修行のうちなんだから。
そう自分に言い聞かせながら、薪をまとまった数割って家の中に戻る。
「ふえー、薪割り終わったよ、お母さん」
「ご苦労さま。ほら、火に当たって」
「うん~」
囲炉裏に火を入れて迎えてくれたお母さんのもとに、有難く走り寄る。
あーあったかい。この温かさも冬ならではかも。
「ねえねえ、お母さん」
「なに?」
「久しぶりに『ぽかぽか』してよう」
「ええっ?」
説明しよう。
『ぽかぽか』というのは、狐の姿で丸まり、ふさふさの毛の中で温めて貰う事である。
「ね、いいでしょー」
「もう、あまえたがりなんだから。……ほら、おいで」
「やった!」
嬉しさのあまり、その場で変化してお母さんの胸に飛び込む。
「きゃっ……もう、昏」
「えへへ、お母さんの胸、おっきくてふかふか~」
着物の上からでも分かる柔らかい感触。
お母さん、おっぱい大きいもんなあ。私もいつかはふかふかになりたい。
「……このままでもいいの?狐の姿が良いの?」
「あ、うん、狐が良い!」
「ふふ、はいはい」
ぽんっ
一瞬のうちに姿が変わり、黒い狐の姿になる。
大人と子供の違いなのか分からないけど、お母さんの毛並みは私のよりも長くて柔らかい。
黒い色も黒髪と似ていて素敵だし、包まれていると安らげる。
「えへへ~あったかぁい」
「きゅうぅ」
お母さんは狐になると喋られなくなる。
これは多分、私が四半血狐……つまり、人間に近いから、なのかもしれない。
―――結界に引っ掛からない理由と、同じ。
「……ねえ、お母さん」
「キュゥ」
「お母さんは、この家にずっといて、平気?」
「……」
「たまには、息が苦しくなったりしない?」
「……きゅーん」
「わっ、……!?」
お母さんが突然、ぎゅっと丸まって抱きしめてきた。
「ちょっ……く、くるしいよぅお母さん……」
私がそう言って咎めるのに、それでもお母さんは抱きしめ続けてきて。
「……」
「……お母さん……」
―――何か、伝えようとしている気がした。
そんな時だった。
家の戸が、がらりと開いて。
「ふう、ただいま……って、どうしたんだ、二人共」
「ぁ……お父さん」
お父さんが帰って来た。
最近になって、もう私がいなくてもお父さんは家に戻る事が出来るようになっていた。
……
夜になって。
三人並んで布団に入って、火も消した後。
私はお父さんにも聞いてみる事にした。
「お父さん」
「ん?なんだ」
「お父さんは、この家に住んでいて窮屈じゃないの?嫌になったりしないの?」
「昏……!」
お母さんが息を飲んだが、もう言葉は引っ込める事が出来ない。
「……何の話だ?」
「いいから、答えて」
暗くてお父さんの表情は読めないけど、眉をひそめているようなそんな気配がした。
それでも。
「答えて、お父さん?」
「……」
再び問う。
―――返ってきた言葉は、張り詰めた空気を和らげるように温かい言い方だった。
「俺は、幸せだよ」
「え」
「昏が居て、月夜が居るから、俺は幸せだ。嫌だなんて思わないよ」
「……」
温かい、そう、まるでさっきお母さんに抱きしめられたみたいな熱が、心にともった。
その時、思った。「ああ、お母さんもそうなのだ」、と。
「おやすみ、昏、月夜」
「……うん、……おやすみなさい」
……
―――おはよう、昏は?
―――おはようございます。昏なら、素振りをすると言って外へ。
―――こんな早くに?
―――はい、こんな早くに。
―――そうか。
―――……暁さま、昨晩の事……。
―――昨晩?
―――はい……この家に縛られて、窮屈ではないか、と。……本当にそうなのですか?
―――あたりまえだろ。嘘なんかつかないよ。
―――本当に?
―――本当に。
―――……ありがとうございます、暁さま。
……
月芽を手に、素振りを繰り返す。
何で、って?
私には、夢があるから。
…大きくなったら、この家を出る。
この家を出て、周りを囲む結界を必ず消すんだ。
そのためには、力が要る時が、きっと来るから。
だから。
私は―――




