夢の中で
もう三年前くらいに書いた作品です。
まだ全く書き慣れていない頃なので未熟ではありますが、暖かい目で読んでもらえると嬉しいです。
わたしが結衣を授かったのは六年前のことだった。
わたしは生まれつき妊娠しにくい体質で、結婚してからも長らく子供を授かることができずに頭を悩ます日々を送っていた。
だから、産婦人科で医者に「二ヵ月目ですよ」と伝えられた時には思わず涙をこぼしてしまうほど喜んだ。
何事もなく元気に生まれてきてくれた結衣は、出産後も健やかに育ってくれた。結衣は生まれた時から女の子の平均よりも体が大きく、小学校に入学する頃にはわたしの肩のあたりまで背が伸びていた。結衣の背が伸びる度に、結衣の身体を台所の柱をくっつけてどれくらい背が伸びたのか印をつけたりしていた。
「結衣は六年生になったらお母さんの背超えちゃうんじゃない?」
そんなことを言って二人で笑ったりしていた。
わたしはそんな結衣の成長を見守るのが何よりの楽しみだった。
結衣が小学校に入ってから二ヵ月して、六歳の誕生日を迎えた。
わたしは誕生日プレゼントに、わたしが幼い頃に両親から貰ったオルゴールをあげることにした。このオルゴールは両親が海外から買ってきてくれたガラス製のもので、円形のドームの様な形をしていた。ネジを回すと音楽とともに円の周りから五センチほどの小人たちが楽器を演奏しながら現われ、ドームの天井部分からは王子とお姫様が踊りながら現われるという、白雪姫をモチーフにした精巧なオルゴールだった。わたしはそれが大好きで小さい時は毎日何度も何度もそれを回して眺めていたものだった。
誕生日の夜、大好物のオムライスとハンバーグをたいらげ、ケーキを食べ終えた結衣にオルゴールを渡した。
「すごい、綺麗!」
結衣は、色とりどりのガラスで彩られた美しいオルゴールを見て歓声を上げた。
「これママが買ってくれたの?」
「ううん。これはね、ママのお父さんとお母さんが、ママが小さい時にくれたものなのよ」
結衣は少しの間それに見惚れていた。
「回してみてもいい?」
「いいわよ。回してごらんなさい」
結衣がゆっくりと、少し大きめのネジを回す。
音楽が鳴りだすのと同時に現れた小人たちに結衣が喜ぶ。そして中央から現れた二人を見て、「白雪姫だ!」と言った。
「すっごく素敵! ママありがとう!」
「よかった。結衣が嬉しいとママも嬉しいわ。大切にするのよ」
何度も何度もオルゴールを回す結衣を微笑ましく見守りながらわたしは思った。
いつかこの娘が母親になった時、その子にこのオルゴールを渡してくれたらいいな、そしてその子が、そのまた子供にこのオルゴールを渡してくれたらいいな。そうやって、このオルゴールがいつまでも受け継がれていけばいいな。
しかし、ある日結衣は、そのオルゴールを壊してしまった。
オルゴールは結衣の部屋のタンスの上に置かれていた。オルゴールは重いしタンスは高くて危ない一人で取ろうとしてはいけないと言っていたにもかかわらず、結衣はそれを椅子にのぼって取ろうとし、誤って落としてしまったのだ。当然、ガラス製のオルゴールはバラバラに砕けてしまった。
ガラスの割れる音と結衣の泣き声を聞いて、わたしはすぐさま結衣の部屋に飛んでいった。結衣は壊れたオルゴールのそばに立って泣きじゃくっていた。
無残に砕けたオルゴールを見て、わたしはショックを受けた。
ああ、わたしの宝物が…。
ショックを受けながらも、泣いている結衣のそばに駆け寄ろうとした。
と、その時、唐突に頭の中で大きな警告音の様なものが鳴り響いた。激しい頭痛がして意識が遠のいていくのを感じた。身体が倒れる──。
「ママ!」
結衣が叫ぶのが聞こえた。
わたしの身体が床に倒れる。警告音が大きくなる。
わたしは意識を失った。
とある研究所で緊急用のアラームが鳴り響いていた。白衣を着た研究員たちがあわただしく駆け回っている。
彼らは皆、「第一実験室」と書かれたドアを出入りしていた。中では何人もの職員たちがパソコンを操作している。
室内は大小様々なモニターが置いてあり、画面にはほかの研究所の様子が映っており、そこでも職員たちが忙しなく動き回っている。モニターの上からはいくつもの管が伸びており、壁をつたって床のあちこちに広がっていた。同じような管がほかの壁からも伸びている。それらは床の上を這いずり回る巨大な蛇の大群のようであった。
「何事だ!?」
研究所の所長がやってきて研究員たちに尋ねた。
「被験者の精神深度が急激に高まっています!」
所長は実験室の奥にある白いカプセルに駆け寄った。カプセルの周りにはたくさんのスイッチや器具が取り付けられている。人一人が入れるほどの大きさがあり、中には女性が一人横たわっていた。
「いかん。サルベージだ!」
所長が命じ、研究員たちが一斉にとりかかった。
このカプセルは、中に入って付属のヘルメットをかぶることで仮想空間を体験できる装置である。
この装置がつくられたきっかけは、二十年前、突然子供が産まれなくなってしまったことにあった。その原因についてはまったくわかっていない。が、そのことによって多くの人が悲しみを味わったのは確かである。子供を産めないけれど、子供がほしい、……そういう人々のためにこの装置はつくられたのである。
脳からその人物の情報を読み取り、その人物が子供を産んで育てているという記憶をつくりだし、その記憶を疑似体験できるという装置である。
しかし、この装置には開発途中から問題視されていた点があった。仮想空間を体験した後の体験者の精神状態である。
仮想空間を体験している間は幸せかもしれない。しかし、目を覚ましたとき、現実を認識すれば大きなショックを受けるのでは、と心配する声があがったのである。
そういった問題の解決のため、体験者の精神状態をチェックする実験をおこなうことになった。その被験者として名乗り出たのが、カプセルに入っている一人の女性研究員だったのである。
しかし、その実験の最中にトラブルが起きてしまった。
おそらく彼女の「子供がほしい」という思いが強すぎて、彼女自身の意識が仮想空間のほうへと引っ張られつつあるのだ。このままでは彼女の精神は二度と現実に戻ってこれなくなり、植物状態のようになってしまうだろう。
研究員たちは所長の指示に従って、コンピューターの操作による方法と薬物投与の両方から彼女の意識をサルベージしようとしたが、彼らの努力もむなしく彼女の意識は戻らなかった。
そして再びアラーム音が研究所内に鳴り響いた。
「被験者の精神深度、限界点を…突破しました」
研究所内が一気に静まり返った。それは、彼女の意識が完全に「あちら側」へいってしまったということだった。人々はすっかり意気消沈してしまった。
「何てことだ」所長は椅子に座り、がっくりとうなだれた。「やはり彼女が被験者に名乗り出たとき、無理にでも止めておくべきだった。わたしが…」
「所長」女性研究員がいたわるように所長の背中に手を置いた。彼女は被験者の女性をよく知る研究員だった。「所長のせいじゃありません。それに、彼女は本当に子供をほしがっていたから…」女性研究員は涙ぐみながら言った。
そこから先は聞かなくてもわかっていた。
彼女は自分の意思であちら側へ行ったのだ、と。
「ママ! 起きてよ、ママ!」
泣きじゃくる声で目が覚めた。
結衣が泣きながらわたしの身体を揺さぶっているのがわかった。
そうだ。わたしは気絶していたのだ。急に頭の中で大きな音が鳴り出して、意識が遠のいて…。
あれは何だったのだろう?
しかしすぐにそんな考えは消えた。
「結衣、大丈夫!? ケガはない?」
首を振る結衣。
「ごめんなさい…」しゃっくりを上げながら謝る結衣。「オルゴール…せっかくママがくれたのに壊しちゃってごめんなさい。ママの大切なものだったのにごめんなさい」
「いいのよ。わたしは、結衣が無事ならそれでいいの」
わたしは結衣をそっと抱きしめた。
そうだ。わたしの宝物と呼べるものは、おもちゃのオルゴールなどではなく、わたしの娘なのだ。子供が欲しくて欲しくてたまらなかったわたしに、神様が与えてくれた何よりも大事な娘なのだ。
「愛しているわ、結衣」
「ママ、わたしも愛してる」
結衣がわたしの頬にそっとキスをした。
神様がわたしにキスをしてくれたのだと思った。
静まり返った研究所で人が慌ただしく行き来していた。
そんな中、カプセルを見守る数人の研究員たちがいた。
「これはどうしましょうか」
一人の研究員が所長に尋ねる。
「このままにしておいてやろう」所長が低く告げる。「彼女は幸せだっただろうからな」
研究員たちはカプセルの中の女性に目をやった。
もう動くことがなくなってしまった彼女の表情が少しだけ微笑んでいるように見えた。
完
大学のある授業で、課題として出した小説です。
あらかじめテーマが定められており、それは「20年後、子供が産まれなくなった世界」でした。
でもそういう作品に限って、子供が出てくるのは、私がひねくれていたからでしょうか?(笑)逆にその存在を無視できないみたいなところもあったのかもしれません。今となってはどういうつもりで書いたのか思い出せませんが。
自作のなかでは珍しく温かいエンディングなので、出来はともかく気に入っています。