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最善の導  作者: 雨柚
第一章 三人の神官長と三人の異世界人
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第7話 道で騒ぐな喧嘩もするな

 エスパンタリオに手を取られ、千歳が大広間に来たときから何やら言い争っている一団に近づく。主に声を荒げているのは三人で、それを取り囲んでいる周りの神官たちは見守っているだけのようだ。

 その中に変わった服装の少女がいることに気づいて千歳は目を瞬かせた。黒に近い紺色のローブに同色のとんがり帽子……まるで魔女の仮装だ。それが仮装に見えないのはここが異世界だからか。しかし、周りの神官たちはほぼ白一色なので目立つことに変わりはない。


 落ち着かない様子で周囲をうかがっている少女も気にはなったが、不穏な雰囲気を漂わせ始めた三人を止めるのが先だろうと千歳は一歩踏み出した。


「……っ、ふざけないでください!」


 一際大きな声が室内に響く。

 声を上げたのは言い争っている三人のうちの眼鏡をかけた男性だ。歳は二十代半ばくらいだろうか。怒りで顔を紅潮させて憤懣やるかたないといった様子だが、叫んだ後にしきりに眼鏡をかけ直している仕草に神経質そうな印象を受けた。


「ふざけているわけではない。こちらとて心苦しいとは思っている」


 彼に怒鳴られた二人のうちの男性の方が、いきり立つ男性を宥めるように落ち着いた声で返した。尊大な口調のせいか、どこからか滲み出る人を見下した態度のせいか、心苦しいと思っているようには見えない。偉そうな男性は黒髪だが、見るからに外人顔だ。この世界にはアジア系の顔立ちのひとはいないのかもしれない。

 例によって例のごとく彼も整った容姿をしていた。いささか悪役顔だが、美男であることに変わりはない。……この世界にいると美形の基準が上がりそうだ。


(うーん、揉めてるなあ……入るタイミングなさそう)


「この男に同意するのは癪だけれど……そうよ。勝手に召喚したことは悪いと思っているわ」


 千歳がどう割って入ろうかと考えていると、先程まで黙っていた女性が口を開いた。彼女はクール系の見た目で、モデルとキャリアウーマンを足したような雰囲気の美女だ。


「……でも、私たちには異世界から呼び出す術があっても異世界に帰す術はないの」

「帰す術がないにも関わらず、あなた方の事情とは何の関わりもない異世界人を召喚したと?」

「それは……っ」


 本当に心苦しそうな女性の言葉に絆されることもなく、眼鏡の男性は少し嫌味っぽく返した。顔を真っ赤にして憤っていた先程よりは幾分か冷静になったようだ。しかし、ズレてもいない眼鏡にずっと触れているのを見ると、口調ほど落ち着いているというわけではないらしい。


(まあ、当たり前か)


 眼鏡の男性は千歳と同じく召喚されてこの世界に来たひとなのだろう。こんな状況で落ち着けというほうが無理だ。

 彼が見るからに日本人ではないことから、日本だけでなく他の国からも召喚されたらしいとわかる。言葉が通じているのは、おそらく千歳と同じ理由だろう。


「本当にごめんなさい。異世界の記録なんてほとんどないし、まさか召喚魔法が成功するなんて思わなかったのよ」


 女性は悲しそうに顔を歪めてそう言い、唇を噛んで俯いた。長い銀髪がさらりと前にかかり、彼女の表情を隠す。涙こそ見せないものの、気丈そうな美女の打ちひしがれる姿には胸が痛む気がした。初対面の相手だが、周りが男性ばかりなので親近感が湧いているのかもしれない。


 服装や発言から、悪役顔の男性と彼女が神官長で眼鏡の男性が召喚されたひとだとわかった。揉めている理由も召喚に関することらしい。


「今は、謝罪は結構です。言い訳も不要」

「…………」


 女性の謝罪を受けた眼鏡の男性は冷たく言い放った。

 千歳にも相手を責めたい気持ちはわかるが、俯く美女とそれに冷ややかな視線を送る男性という構図では彼の方が悪者に見える。……それに、味方のいない場所での強気な態度は得策と言えないだろう。自棄になっているのか、混乱しすぎてそこまで頭が回っていないのかはわからないが、彼の身が危うくなる前に止める必要がありそうだ。


 ――まだ。


 ふいに頭に浮かんだ“それ”に千歳は眉を寄せた。まだ、割って入らない方がいいらしい。どんどん険悪な雰囲気になっていく目の前の三人の様子を静観しているのも辛いのだが。


 ふと、エスパンタリオはどう思っているのか気になり、彼の方に目をやる。


「……っ、うぅ、私が不甲斐ないせいで……」


 見なければ良かったと少しだけ思ってしまった。


(……今は放っておこう)


 本格的に泣き出したら考えるが、涙目なくらいなら放っておいてもいいだろう。ここでいちいち慰めるとこの場の空気が変わりそうだ。


「とにかく、何と言われようと召喚した者を元の世界に帰すことはできない」


 気づけば、男性の神官長の方がうんざりした顔で話をまとめにかかっていた。その口調と表情から早く切り上げたいという思いがひしひしと伝わってくる。


「…………ほう」


 相手の態度がお気に召さなかったらしい眼鏡の男性はおどろおどろしい低い声を出した。召喚者側の対応は彼の怒りに触れてしまったようだ。迷惑をかけられたのは確かだし、そのうえに相手に誠意がないとなればそれも当たり前だろう。


「では、あなた方は自分たちが行ったことの責任も取れない……と?」

「何?」

「あなた方の中に責任という言葉を知っている方がいるなら、ぜひその方を連れて来ていただきたいですね」


 彼はそこでいったん言葉を切る。


「ただ帰す術がないと繰り返すあなた方が相手では、実りある会話ができそうにないので」


 その台詞に空気が凍った。


 眼鏡の男性は恐ろしいほどに無表情だ。怒りも嘲りも見られない。真顔で二人の神官長と対峙する今の彼には妙な威圧感がある。この場の温度が下がっているとしたら彼が冷気を発しているのかもしれないと思うほどだ。……まあ、彼だけの問題ではないだろうが。


「……ちょっと、ソレ、どういう意味?」


 さっきまで殊勝な態度で他の二人の話を聞いていたはずの女性神官長。彼女は顔を上げると、キッと目を吊り上げて眼鏡の男性を睨みつけた。

 どうやら、さっきまでの態度は演技だったらしい。女の千歳が言うのもなんだが、女は怖いという他ない。


「どういうも何も……言葉のままです。ああ、意味がわからないと言うのでしたら説明して差し上げますが?」

「結構よ。……実りある会話が望める相手なら、ここにいると思うのだけど? それとも私が相手では自分に(・・・)実りのある会話ができないってことかしら?」

「いえいえ、そんなことは。ただ、一方的に異世界に呼びつけた挙句に謝罪もしない相手とでは価値観が違いすぎて話にならないと言っただけです」

「謝罪ならしたでしょう? もしかして、あなたの耳は飾りなのかしら? ごめんなさいね、いくら私でも飾りの耳と頭に言葉を理解させる方法は知らないわ」

「あなた方は神殿という組織に属しているのでしょう? それならば、個人ではなく組織として正式に謝罪をしていただきたいものですね」


 今度は眼鏡の男性と女性の間で火花が散っている。

 男性の神官長の方はついさっきまで自分もそこに加わっていたことなど忘れたように、今は我関せずという態度だ。目の前で繰り広げられる嫌味の応酬に参加する気も、舌戦を止めようという気もないらしい。


 ちらりと千歳の隣に立つエスパンタリオを見上げる。


「……きっと、わ、私のような者がいるから……ううっ」


 彼は相変わらずのようだ。とうとう自分がいるから不幸な人間が増えるのだと言い始めたが、まだへたり込んでもいないし放置でいいだろう。……時間が経つごとに彼の扱いが雑になってきた気がする。まあ、まだ泣いていないから大丈夫だ。たぶん。


「……っ」


 紺のローブを着た物語に登場する魔女のような少女はずっと誰かに話しかけようとしては諦めている。彼女のことも手助けしてあげたいが、今はそれよりも目の前の三人だろうと思い直した。


 ――まだ。


 なぜ、まだなのか。

 それがわからないから、“正解”を知っていても心が焦ることを止められない。


「さすが、カミロが召喚した異世界人ね。物分かりが悪いところなんてそっくりじゃない」

「何だと? アビゲイル、貴様……たかが商人の娘の分際でこの私を侮辱する気か」


 男性の神官長の方はカミロ、女性の神官長の方はアビゲイルというらしい。他の神官たちの口からはイリクリニスやグリフィスという名が聞こえていたが、エスパンタリオと同じくそちらは家名か何かだろう。


「その商人の娘はあなたと同じ地位にあることをお忘れなく。まあ、もうすぐ私の方が上になるでしょうけどね」

「身内同士の諍いですか、程度が知れますね」


 言い合う二人を眼鏡の男性はハッと鼻で笑った。

 気づけば、争いが三つ巴になっている。神官長同士で大神官位を争っているそうなので、もともと仲が悪かったのかもしれない。神官長に盾突く異世界人という存在があっても協力できないなんて相当だろう。だから大神官がなかなか決まらないのだろうかなどと考えてしまう。


「こんな男と同列には扱われたくないわね」

「それはこちらの台詞だ。不本意にも今は同じ地位にいるが、身分も教養も私と貴様では比べようもない。大神官位は諦めることだな」

「私が大神官になるのに身分なんて関係ないわ、()王子様。大言壮語はあとで恥ずかしいわよ?」

「貴様のような女に上に立たれるほど私は落ちぶれていない。身の程を知らぬ妄言は控えろ」

「神殿にいる元王子、ですか。僕からすれば“落ちぶれた”王族そのものですけどね。妾腹で正妃に嫌われているか、王位争いに負けたか……そんなところですか」

「貴様、異世界人の分際で……」

「ああ、お気に障ったなら申し訳ありません。あくまで、“僕がいた世界では”の話です」


 一触即発。まさにそういった空気を孕んでいた。

 子どもの喧嘩ではないのだ。権力を持った相手と諍いを起こせばこうなることは目に見えていた。眼鏡の男性もそれがわからないようなひとには見えないが、どういうつもりなのだろうか。


「そこの異世界人……貴様はもう少し己の立場というものを顧みた方が良い。ここに貴様の味方はおらんぞ? 私に刃向かって貴様を守る者など、この世界にはいないと思え」

「脅しですか? ハッ、まるで蛮族だ」

「過ぎた言葉は身を滅ぼすということを、その貧弱な身を持って知りたいか?」


 その言葉とともに、カミロの後ろにいる神殿騎士たちがわずかに身動ぎした。いつの間にか剣の柄に手を掛けているのが目に入る。脅しのつもりかもしれないが、これ以上彼の怒りを煽れば危ないだろうことは明白だ。


 ――今だ。


 浮かんできた“正解”にやっとかという思いを抱きつつ、千歳は言い合う三人の間に割って入って声を上げた。


「あのっ、すみません!!」


 思わぬ闖入者に、ざっと音を立てて周りの空気が動いたのを肌で感じる。

 多くの視線を浴びた千歳はぎゅっと手を握り込んで震えそうになる身体を抑えた。気を抜くと雰囲気に圧倒されそうになる。いち高校生にこの場は荷が重いだろう。変な能力があっても鋼の精神力を備えているわけではないのだ。


(大丈夫……大丈夫、“正解”はわかってる)


 そう自分に言い聞かせて、不安がる心を静めた。


「神官長のお二人ですよね? 私はこちらの……エスパンタリオ神官長に召喚されて異世界から来た者です」


 先程までのやり取りを見ていなかったかのように振舞う。緊張した空気がわずかに解けた。三人とも毒気を抜かれたのを感じ取って、空気を壊した本人である千歳は内心ホッとする。


(これじゃ私、空気読めない子だよね……)


 ほど良く肩の力が抜けたせいか、そんなことを思う余裕も出てきた。この分だと何とかなりそうだ。


「エスパンタリオ神官長からおおよその説明は受けたのですが、お二人も召喚に成功されたと聞いて……もしかしたら、私と同じ世界から来たひともいるんじゃないかと思って」


 そこでいったん言葉を止め、隣のエスパンタリオを見上げる。千歳の意図は伝わったらしく、彼は少しだけこちらに微笑みかけてから口を開いた。


「カミロもアビゲイルも……予想外の事態だったとは思いますが、今は互いに矛を収めませんか? これからについての話し合いも必要でしょうし、神殿預りになるであろう異世界からの客人たちを含めての現状把握もしたいところです」


 にっこりと笑いかけるエスパンタリオに対し、二人の神官長は面白くなさそうな顔だ。カミロの方はまさに苦虫を噛み潰したようなという表現が似合う。アビゲイルも彼ほどあからさまではないものの、不愉快そうに眉根を寄せていた。

 だが、二人ともエスパンタリオの提案に異論はないようで不承不承といった様子で頷く。


「良かった。では、まずは私からご挨拶させていただきましょう」


 それを聞いて、千歳は慌てて笑顔のまま自己紹介を始めようとするエスパンタリオを止めた。わずかに袖を引いただけだったが、気づいてくれたようだ。彼の視線が千歳に向く。


「ミランさん、あの……あの子もたぶん召喚された子だと思います。こっちに来てもらった方がいいんじゃ、ないかと……その、思いまして……」


 どんどんと尻すぼみになっていく千歳に、エスパンタリオはくすりと笑みを漏らした。


「そうですね。教えてくださってありがとうございます、チトセ」


 女神と呼ばれなかったことにホッとする。こんなところで神官長であるエスパンタリオが千歳を女神扱いしたら大問題だろう。ただでさえ注目を浴びているのに、これ以上悪目立ちするのはご免だ。


 しかし、こっそり安堵の息を吐いた千歳の思考に反して周りはざわめいていた。


「ミラン、あなた……異世界人に名前を呼ばせているの?」

「ええ、何か問題でも?」

「フン、エスパンタリオ公爵家の血を継ぐ者が異世界人ごときに名を呼ばせるとは。貴様も落ちたものだな、ミラン」


 危惧していた女神呼びどころか、千歳の“ミランさん”呼びが大問題だったらしい。

 千歳は思わず顔を蒼褪めさせる。こんなことになるとは思わなかった。はじめにカミロたちに声をかけたときは注意していたというのに、なんたる不覚。やはりいくら“正解”でも無視して他の神官たちが呼ぶように“エスパンタリオ神官長”と呼ぶべきだったと後悔する。


「チトセは私の女神ですから」


 そこに、さらに爆弾を投下するエスパンタリオ。

 彼は千歳の味方ではなかったようだ。うっとりとこちらを見つめる顔にデコピンを叩き込みたい衝動に駆られたが、何とか耐える。火に油を注ぐわけにはいかない。



 ――――女神発言に湧く周囲を見て、千歳は内心頭を抱えた。





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