第6話 戻った道は騒がしく
厄介な相手への危機感を募らせながらも、千歳は入り口まで迎えに来てくれた神官に連れられて大広間の中に入った。そのままその神官がついていてくれるのかと思っていたが、担当でもあるのか別の神官に引き合わされる。
異世界の女神についての説明をしてくれた気弱そうな男性神官だ。年齢は五十歳くらいだろうか。オルドジフ・カラシュと名乗った彼は千歳を“女神”と呼ぶこともなく普通に、けれど丁寧に接してくれた。
「呼びにくかったらオルドでいいですよ。チトセ様の世界とは言語も違うでしょうし」
笑ってそう言ってくれたオルドジフに、自然と千歳の肩の力も抜ける。
付き添いが彼で良かった。そう思うのは、彼が警戒されにくい雰囲気を醸し出しているからだろうか。どこかの威圧感しかない神殿騎士とは大違いだ。初対面なのに傍にいて安心できるというのはある意味すごい。
「ありがとうございます。でも、目上のひとを呼び捨てにはできないのでオルドさんって呼ばせてもらいますね」
「異世界の女神様に比べれば、私の方が目下にあたるんですがねえ」
冗談なのだろうが、女神扱いに居心地の悪い思いをしている千歳にとっては笑い事ではない。
「い、いえ、私、女神じゃありませんし! 年上のひとを呼び捨てとかないので!」
彼にまで“女神様”呼びされたら困ると、必死で言い募るとやはり冗談だったらしく笑われてしまう。真面目そうなのに意外と茶目っ気のあるひとだ。容姿こそ気弱そうだが案外、肝が据わっているタイプなのかもしれない。
「はは、どう呼んでもらってもいいですよ。他の者も女神とは呼んでいても何かを期待しているわけではないので、あまり否定しないでやってください。図々しいお願いかもしれませんが、気軽に女神らしく振舞ってもらえれば嬉しいですね」
「ええっ!?」
“気軽に女神らしく”ってどういうことだろうか。どう振舞えばいいのかますますわからなくなった。
この際、もう話題を変えてしまおうと千歳は口を開く。
「そ、そういえば! 私、なんでかこの世界の言葉を話せてるんですけど……元の世界の言葉とは違うんですよね?」
「ああ、そのことならエスパンタリオ神官長の方が詳しいと思いますよ。私の知る範囲で良ければ説明しますが」
「お願いします」
「簡単に言うと召喚の魔法陣に言語統一の魔法を組み込んであるんですよ。だから、知らない言語でも何を言っているか理解できるし話せます。チトセ様は元の世界の言語を話しているつもりでしょうけど、実は口に出すときに魔法でこの国の言葉に変換されているんですよ。言語統一といってもこの国の言語限定だと思いますけどね。他にも召喚の条件や召喚対象への効果付与も組み込んでいたそうですが、詳細はエスパンタリオ神官長しか知りません。あの方はほとんどお一人で召喚魔法を実行されましたから。まあ、ただでさえ難しい召喚魔法でそんなことができるのもエスパンタリオ神官長だからこそです」
オルドジフの説明は魔法について知識のない千歳にもわかりやすいものだった。ただ、千歳にとってはフィクションの中のものでしかなかった魔法というものがこの世界では当たり前にあるもののようで、どういうものなのかを今の説明だけで理解することは難しい。
元の世界に魔法がなかったことを話してもっと詳しい話を聞こうと口を開いた――その瞬間。
「大神官は、グリフィス神官長にしか務まらないわ!」
「いいや、イリクリニス神官長の方が大神官に相応しい!!」
どこかで聞いたような言い合いが耳に入った。
つい、そちらに千歳の意識がとられる。それを察したオルドジフも苦笑しながら目を向けた。
「ハッ、イリクリニス神官長のような方に神殿をお任せできるか」
「そうだ!! イリクリニス神官長は他国の出。あの方を大神官とするなど国に対する裏切りだ!」
「何を言うっ、イリクリニス神官長は真にこの国のことを考えておられる!!」
「それに、神の教えの前に国は関係ない。神に仕える身でありながら教義を忘れたか!」
「貴様らのような売国奴に教義を語られたくなどないわ!!」
一人が誰かの名前を出せば、他の神官が違う神官長の名前を出す。
おそらく言い合っている神官たちはそれぞれ派閥が異なるのだろう。自分が所属している派閥の神官長のことは賛美し、他の派閥の神官長のことは貶している。いくら派閥が違うといっても堂々と侮辱するのはどうなのだろうか。白熱しすぎて気づいていないのかもしれないが、罰されたりはしないのか。
「次代の大神官はエスパンタリオ神官長をおいて他にない!」
「グリフィス神官長やイリクリニス神官長とは比べものにならないほどエスパンタリオ神官長は敬虔な神の徒であらせられる!」
「神に祈れば国が救われるのか? 今この国に必要なのは敬虔な信者ではなく、幼き国王を盛り立てられる大神官だ!」
「フン。大方、グリフィス神官長に買収でもされたのだろう? グリフィス神官長が大神官となるなど、国の財が減るだけだ」
「グリフィス神官長を侮辱する気かっ!?」
「商人の子は商人だと言っただけだ。神官長になるために身体を売っただけでなく、大神官となれば国を売るつもりなんだろう」
「き、貴様っ……言わせておけば…………っ!!」
聖職者にあるまじき発言をしている神官がいる……と思ったところで、誰かが千歳の耳を塞ぐ。振り仰いで見ればやや険しい表情のオルドジフがいた。千歳には聞かせたくない話らしい。
しばらくすると、あっさりと耳から手が外される。
「すみませんね、年若い女性に聞かせたい話ではなかったもので」
「いえ……色々とたいへんみたいですね」
それしか言うことがない。
とりあえず彼らの話を聞いてわかったことは、この神殿では激しい派閥争いが繰り広げられていることと大神官の選定が国の問題に直結しているらしいことくらいだろうか。イリクリニスとグリフィスという二人が、エスパンタリオの他の二人の神官長の名前なのだろうが、さすがにどういう人物なのかまではわからない。
聞こえた話からイリクリニスという神官長が他の国の出身だということがわかったが、この神殿の教えはこの国だけで信じられているものではないらしい。また、家が商人だというグリフィス神官長がそれによる侮辱を受けているということは、他の神官長二人は身分が高いのかもしれない。ということは、この国には身分制度があるということで……。
(うーん、全然わからないなあ……)
千歳も自分なりに話を整理して考えてみたが、結局わからないことばかりで匙を投げてしまう。
異世界に来たばかりでややこしいことに巻き込まれそう――というより、すでにその渦中にあるのだろうと見当はつくが、だからといって千歳に何かができるわけでもなさそうだ。
(でも、もしかしたら)
千歳の能力が役に立つかもしれない。
この力を使えば、誰が大神官になるのが“正解”なのかがわかる。今すぐにでも、千歳がその答えを求めれば彼らが決められないことを簡単に決めてしまえるだろう。
大神官に相応しいのは誰? ――……。
あっさりと浮かびそうになった“正解”を、千歳はそれと認識する前に頭を振って考えないようにする。
考えてはいけない。たとえそれが正しいものだとしても、この世界に関係ない千歳が安易に出してよい答えではないはずだ。それに、なぜそれが“正解”かを答えられない千歳が言っても信じてはもらえないだろうし、能力のことを話しても彼らには受け入れがたいだろう。
本当は千歳にもわかっていた。自分が能力のことを明かさず、力を使わないことを正当化しているだけだと。それでも千歳にその道は選べないから、湧き上がった問いを心の奥底に沈めた。
「エスパンタリオ神官長です!!」
「グリフィス神官長よ!!」
「イリクリニス神官長だ!!」
不毛な言い争いはひと段落したようで、神官たちは睨みあって膠着状態だ。
一番騒がしかった彼らが黙ると、他の声が耳に入ってくる。
「……うぅ、私の、私のせいで…………っ」
(この声は……というか、この泣き声は……)
「……私など存在する価値もない…………そう、跡形もなく消えてしまうべきなんです」
「そんなことはありません!」
「……うっ、ううぅ……私など、わたっ、私など…………っ」
「エスパンタリオ神官長は立派な方です!」
「そうです、尊敬してます!」
「私がっ……私のような者が存在しているばかりに……っ!!」
目を向けると案の定、泣き崩れるエスパンタリオが大広間の真ん中にいた。彼を慰めようとしているのか、周囲には何人かの神官が立っている。他にも神官が大勢いるというのにその周りだけぽっかりと穴が開いたように人がいない。どうやら遠巻きにされているようだ。
泣いているのでわかりづらいが、漏れ聞こえる声から察するにエスパンタリオは人間同士の争いがなくならないことすら自分のせいにして嘆いているらしい。ここまでくるともう被害妄想が激しいとかそういうレベルではない気がする。
「あー……」
千歳の視線の先の存在に気づいたオルドジフも微妙な顔をしていた。彼も自分の派閥のリーダーには思うところがあるのかもしれない。
「あのっ、ミランさんのことなんですけど……」
「あー、あの方はいつもあんな感じなので、別に放っておいても大丈夫ですよ」
「でも……」
“それよりも、そろそろ他の神官長方と顔合わせといきましょう”と言うオルドジフに、千歳はちょっと悩んでから首を横に振った。確かに、他の神官長たちに紹介してもらえるのはこれからこの神殿にお世話になるであろうことを考えると助かる。
けれど、千歳には泣いているひとを放っておくことなんてできなくて。
「すみません、オルドさんっ! ちょっと行ってきます!」
オルドジフにはそれだけ伝えて、千歳はエスパンタリオの方に駆け寄った。
大広間に来る前のように床にへたり込んでしくしくと泣いているエスパンタリオ。駆け寄った千歳にはまだ気づいていないらしく、彼は俯いたままズッと鼻を啜った。
「っ、私など……っ」
千歳はまた何かネガティブな発言をしようとしたエスパンタリオの頭に手を置き、それを止める。顔を上げた彼と目が合った。
涙と鼻水でグシャグシャの顔はいくら美形でもいただけない。そういえば使っていないハンカチがあったはずとポケットから取り出して手渡す。
「ミランさん、そんなに泣いてると目が溶けちゃいますよ。はい、これ使ってください」
苦笑しつつ告げると、エスパンタリオの瞳にはみるみるうちに涙が溜まった。
「私はあなたに気遣っていただけるような存在ではないのです……っ、目など、溶けてなくなってしまう方がよほど世のために……っっっ」
彼の目が溶けてなくなっても世の中は変わらないし、誰も喜ばないだろう。むしろ、彼の周りで心配そうに見ているひとたちが発狂しそうなのでそんなことにはならないでほしい。エスパンタリオは自分の派閥のひとたちに慕われているようだ。
(なんか、ほんとに変なひとだなあ)
そうは思ったが、それをそのまま口に出すわけにはいかない。千歳は少し考え込んで、頭に浮かんだ“正解”を口にした。……なんだかズルをしている気分だ。
「そんなこと言わないで。ミランさんの目がなくなっちゃったら、悲しむひとがたくさんいます」
「……そんなはずはっ」
「ほら、周りの神官さんたち、心配そうに見てるじゃないですか」
“だから泣き止んでください”と言うと、一瞬エスパンタリオの表情が変わった気がした。グシャグシャの泣き顔ではなく、困ったような、けれど落ち着いた大人の顔に。
その後、すぐに顔を覆ってしまったために表情がわからなくなった。さっきのは千歳の見間違いだったかもしれない。
エスパンタリオが顔を覆って泣いていると髪の長さもあいまって女性のようだ。しかも亡霊系。これで他人への恨み事をぶつぶつ呟いていたら軽くホラーだろう。
「ミランさん、神官長なら泣くよりもすることがあるんじゃないですか?」
自分でも生意気だと思う千歳の台詞に、周囲に立つ数名の神官が睨んできた。
「人間同士の争いがなくならないのはミランさんのせいではないですけど、大広間での言い争いの原因のひとつはミランさんたちですよね」
「うぅ、私の、私のせいで…………っ」
「それなら、こんなところで泣いていないで言い争いを止めたらいいと思いませんか?」
「……え?」
エスパンタリオは顔を覆っていた手を外し、少しきょとんとした顔で千歳を見つめる。思ってもいないことを言われたというようだ。言い争いを止めようという気にもならないほど、この神殿ではそれが当たり前の光景なのかもしれない。ちょっと先行きが不安だ。
「だって、向こうの方とかなんか不穏な空気ですし。あそこにいるのって、他の神官長さんたちですよね? 喧嘩してるなら止めないと」
「……喧嘩、ですか」
そう呟き、エスパンタリオは今まで大泣きしていていたのが嘘のように晴れやかな笑みを見せる。それを見て、もしかしたら彼はよく泣く変なひとというだけではないのかもしれないと千歳は思った。
まさか嘘泣きだったわけではないだろう。そんなことをしてもエスパンタリオには何の得もないはずだし、むしろ大人の大号泣なんてドン引きものだ。その証拠に泣いているエスパンタリオを遠巻きにしている神官たちもいる。
けれど、嘘泣きだったのではと疑ってしまうくらい鮮やかに彼は表情を一変させたから。この神官長も意外とミステリアスなひとだと思ってしまう。
「そうですね。あなたの言う通りです」
立ち上がったエスパンタリオに合わせて、しゃがみ込んでいた千歳も腰を上げる。
「聡く気高く慈悲深く、そして最善がどう在るかを心得ているような……本当に、チトセは女神のようなひとですね」
「え、いや、そんな大層なものじゃないですよ。元の世界ではただの学生ですし」
「――神を召喚できたことはこの国にとっては僥倖でも、神本人にとってはそうではないのでしょうね。それでも、女神を……導きの君に会えたことを嬉しく思ってしまう私はきっと何より罪深い」
「え?」
エスパンタリオの呟きは小さすぎたのか、千歳の耳には届かなかった。聞き返そうと口を開く前に、エスパンタリオは綺麗に微笑んで首を振る。
「いえ、何でもありません。確かに不穏な空気ですね……カミロやアビゲイルが魔法を使い出す前に、彼らの喧嘩を止めましょうか――私の女神」
「え、あ、はい! ……って、女神呼びは止めてくださいってば!」
「ふふっ、すみません。では、行きましょう、チトセ」
誘うように千歳に手を差し伸べるエスパンタリオに涙の跡はない。
それにわずかな引っ掛かりを覚えたものの、考えても仕方のないことだと気にしないことにする。今は何やら言い争っている他の神官長たちの方が優先だ。
ただ。
千歳を召喚したという彼が本当はどういう人物なのか、いつかそれを知る日は来るのだろうか。
――――そんなことを思いながら、千歳は差し出された手を取った。




