第4話 道を歩けば美形に当たる
女神扱いに千歳が困惑していると、いきなり大きな音を立てて部屋の扉が開き、この場にいる全員の視線がそちらに向いた。視線の先には数人の神官。周りの神官たちと同じような格好のため、混じってしまったら見分けがつかないかもしれない。
彼らはバタバタと足音を響かせ、慌ただしい様子だ。聖堂のような厳かな雰囲気のこの場所には相応しくない振舞いに思えるが、それだけ急いでいるのだろう。
「大変です!! イリクリニス神官長が召喚に成功したと……っ!」
「お取り込み中申し訳ございません! グリフィス神官長が召喚に成功してしまったそうです!!」
彼らは言い終えると疲れたように地面に膝を付いた。慌ててここへ駆けつけたようで、今もぜいぜいと肩で息をしている。
千歳が報告を聞いた神官たちの方へ視線を移すと、彼らは驚いたように固まっていた。予想外の事態が起きたようだ。見開かれた目が信じられないという彼らの思いを表している。
(他の神官長さんたちも召喚に成功しちゃったってことだよね? じゃあ、もしかして……)
千歳と同じ世界から召喚されたひとがいるかもしれない。見知らぬ異世界で、知り合いではなくとも慣れ親しんだ同郷の人間に会えるかもしれない。……つい、仲間がほしいと思ってしまった。味方だと思える相手が何よりもほしい、と。
そう考えて、その考えを振り払うように首を振った。
同じ立場のひとがいるというのは心強いことだけれど、他人が千歳と同じ状況になることを望むなんて趣味が悪い。千歳はそんな期待を抱いてしまった自分を恥じた。母親に知られたら、人様の不幸を喜ぶとは何事だと叱られてしまうだろう。
「な、何ぃ!?」
「本当か!?」
硬直がとけたのか、一人の言葉を皮切りに他の神官たちも口々に驚きの声を上げた。その中には報告した神官に掴み掛からんばかりに問いかけるひともいる。
「こんなことになってしまうとは……やはり、私が不甲斐ないせい……ううっ」
気づくと、せっかく立ち上がっていたエスパンタリオがまた床にへばりついていた。いや、状況から言えば意気消沈してへたり込んでいるのかもしれない。どちらにせよ、彼の眩しいほど白く輝く衣装が汚れてしまわないかだけが心配だ。
「エスパンタリオ神官長、我々もすぐに大広間に向かいましょう!」
そう言って、神官たちはエスパンタリオを引っ張って部屋から出て行く。報告にきた数人の神官たちの方も立ち上がり、やや遅れつつもそれに続いた。
「あっ、女神様も!」
千歳がどうするべきかと悩んでいると、勝手についてきてくださいとばかりに声をかけられる。名乗った甲斐なく早くも女神呼びが定着しそうで怖い。しかし、“女神様”と呼ぶにしてはかなりフランクな態度である。いや、普通の高校生を自負する千歳としては畏まられても困るだけなのだが。できることなら様付けも止めてほしいくらいだ。
ここで置いて行かれるわけにはいかないと、千歳も少し遅れて慌ただしい神官たちの後を追う。
後ろで重い扉がバタンと閉まる音が聞こえて、もう引き返せないのだと今さらながらに思った。
「…………っ」
この衝動をなんと呼べばいいのだろう。
今ならまだ間に合うかもしれない。踵を返して、独りでに閉まってしまった扉を開けたら元の世界に帰れるかもしれない――ただの扉が千歳と世界を遠く隔ててしまったような、そんな感覚。
追い掛けなければと思っているのに、千歳の中に不思議と焦りはなかった。小さくなっていく神官たちの背をぼんやりと見送る。
清潔感のある白に囲まれた廊下にぽつりと独り佇む自分。それを自覚すると、言い様のない孤独感に襲われる。あの神官たちがあまりに賑やかで、まるで嵐のようだったから余計にそう思うのだろう。
「行かなきゃ」
帰れないから、行かないと。
――右に。
能力を使えば、見失ったひとたちを追うことなんて簡単だ。
頭に浮かんだ“それ”に頭痛がぶり返す。精神的に疲れているから、こんなに痛むのだろうか。千歳の能力は病気のときやひどく疲れているときは不安定になるので、頭痛がするくらいは慣れっこなのだが。それでも、一日の中で痛んだり治ったりというのは珍しい。
軽い痛みを訴える頭を抱えて、千歳は目的地へと歩を進めた。
――奥から二つ目の扉を開けて左に進む。
この神殿の構造はなかなかに複雑らしい。この能力がなければ、神官たちが向かった場所を知っていても一人で行けたかどうか。
人気のない廊下をしばらく進むと、道の先から声が聞こえてきた。ひとの姿はまだ見えないが、声から判断して話しているのはおそらく男性だ。
何となく音を立てないようにしながら、足早に先へと進む。
「…………そ……か」
途切れ途切れに聞こえていた声が、近づくにつれて鮮明に聞こえるようになった。
廊下で立ち話をしているのは二人の男性だ。その姿を認めて、千歳は咄嗟に近くの柱に身を隠した。別に隠れる必要はないのだが、馴染みのない場所でまったく知らないひとたちの間を通り抜けるのは勇気がいる。そして、隠れてしまうと何となく出て行きにくい。
「……くくっ、まさか三人とも召喚に成功するとはな」
柱の陰からそっと様子をうかがうと、くつくつと笑う男性が目に入った。エスパンタリオにも劣らない美形だ。瞳の色はわからないが、濃い金髪はいかにも外人然としていて気後れしてしまう。ここからでは横顔しか見えないが、含みのある表情を浮かべているせいかなんだか意地が悪そうに見えた。
服装は西洋の騎士のような格好で、神官たちのゆったりとした衣装に比べると随分と動きやすそうだ。雰囲気が神官たちと似通っているように思えるが、神殿の関係者なのだろうか。
(神殿にも騎士とかいるのかな? 神殿騎士とか、そういう感じ?)
金髪の男性を観察していると、大きな溜め息が聞こえた。
「笑いごとではありませんよ。これでは大神官が決まりません」
金髪の男性が話している相手は温和そうな男性だ。薄い茶色の髪だが、男性にしては少し長い。もう一人の男性もエスパンタリオ含む神官たちも長めの髪のひとが多かったので、そういう文化なのかもしれない。知的な顔立ちで整った容姿ではあるものの、話している相手が相手だ。金髪の男性に比べて地味な印象は拭えない。
しかし、どちらもタイプの違う美形ではある。この世界には美形しかいないのかと呆れてしまった。イケメン俳優に熱を上げている友人がこの場にいれば飛び上がって喜びそうだ。
(儚げ系に、男前系に……穏やか系? ここ、イケメン率高いなあ)
この世界に多いのか、この神殿限定なのかはわからないが、美形が多いのは目の保養になっていいかもしれない。
まだこの世界の女性にはお目にかかれていない――さっきの神官たちの中に一人二人くらいは混じっていたかもしれないが、色々あったせいではっきりと認識していない――が、女性も全員美形だったら千歳は堂々と道を歩けないだろう。千歳とて取り立てて容姿が悪いというわけではいが、この世界の人々とはさすがに比べられない。
千歳が異世界の容姿事情について思いを馳せている間も、二人の男性の話は続いていた。
「いっそのこと、仲良く三人で大神官になったらどうだ?」
「……っ、冗談が過ぎます!」
軽口を叩く金髪の男性に、もう一人の男性が声を荒げる。話を聞くかぎり、金髪の男性の方は大神官という地位に思い入れがないのだろう。反対に茶髪の男性は大神官の選定について真剣に考えているらしく、相手の言葉に眉を吊り上げている。
続けて何事か言おうとした彼の出鼻を挫くように、金髪の男性はフッと笑った。
「そう、ただの冗談だ。聞き流せ」
皮肉気に歪められた唇に、つい性格の悪そうなひとだと思ってしまう。偉そうというか、常にどこか余裕を感じさせる態度だった。彼の方が地位や身分が高いのかもしれない。そうだとしたら納得だ。
正直、怒っている相手に対してはどうかと思う態度だが、もともとそういう性格なのだろう。そう思えば、茶髪の男性への態度も気安さを感じさせる。
「…………っ」
茶髪の男性は相手の態度にさらに怒りを煽られたようで顔を真っ赤にしていた。優しげな面立ちだが、意外に沸点が低いらしい。顰められた顔はもとが美形なだけにかなり怖い。もっとも、怒りを向けられている相手はまるで気にしていない風だったが。
(そっか、大神官とか興味ないひともいるんだ……)
千歳がこの世界に召喚された理由でもある大神官の選定。
神官たちから話を聞いて、神殿だけでなく国中が注目する重要な問題だと思っていたが、考えを改めなければならない。金髪の男性が特殊なだけかもしれないが、日本だって選挙に興味のない層の多さが社会問題になっていたくらいだ。異世界のひとにも色々あるに決まっている――みんな、そこで暮らしているのだから。
他の意見を聞くことで、この国が抱えている問題をリアルに感じられた気がした。千歳にとってここで二人の話を聞くことが“正解”だったのかもしれないと他人事のように思う。
思えば、あのときの問いは明確ではなかった。
部屋を出たときは千歳も色々と不安に思っていたし、目的地に向かう道ではない“正解”に導かれていたとしてもおかしくない。能力は道案内として優秀だが、千歳の状態に左右されやすい。どの問いに対する“答え”なのかがわかりにくいのもその一因だろう。
「おい」
思考に没頭する千歳の意識を引き上げるように、近くで声が聞こえた。
ハッとして顔を上げる。石柱に隠れていたはずだが、どうやら見つかっていたらしい。視線の先では金髪の男性がこちらを見下ろしていた。
「何の用だ」
紫紺の眼が鋭さを増して千歳を射抜く。
「っ、あ……」
目の前の男性が放つ空気に気圧されたように身体が強張るのを感じた。
何か言わなくてはと思うのに何一つ言葉は浮かんでこない。怯えたようにわななく唇からは微かな吐息が漏れるだけだった。
怖いのに、足が震えてしまうほど恐ろしさを感じているのに、彼から目を離せない。
(……こわい)
怖いからこそ、目が逸らせない。
頭に浮かんでくる“正解”たちは認識する前に消えていく。たとえ答えがわかっていたとしても、今この状況で千歳にその行動が取れるわけもないけれど。
身体は動かないのに、思考ばかりが焦る。
(……みちが、きえちゃう)
それは、千歳にとって頼みの綱とも言えるもの。
怖くて、恐くて、こわくて。
恐怖で道が消えていくことが、何よりも恐ろしい。
「そこまでです」
緊迫した空気を崩したのは千歳でも金髪の男性でもなく、もう一人の男性の方だった。彼は金髪の男性の肩を軽く叩き、千歳との間に割って入ってくれる。
「……っ」
緊張がとけると、やっと身体の自由が戻ってきた。試しに手を握ったり開いたりしてみる。そんなに長く固まっていたわけではないだろうに、千歳の動きはぎこちない。あの恐れに支配された間は時間にすれば数分にも満たなかったはずだ。けれど、千歳には一瞬にも永遠にも感じられた。
「年下のお嬢さんを脅して楽しいですか、ヴァルト様」
茶髪の男性は心底呆れ果てたという顔で、己がヴァルトと呼んだ男性を見る。
「そうだな。まあ、それなりには楽しめた。お前が邪魔しなければ」
「あなたという方は……っ」
ヴァルトの言い様に対しては怒りより呆れの方が強いのか、彼は盛大に頬を引き攣らせた。次いで、もう何も言うことはないというようにヴァルトから顔を背けたかと思うと千歳に向き直る。
「我が主が脅かしてしまってすみません。ただ、立ち聞きは感心しませんよ?」
やんわりと窘められ、思わず千歳の顔が赤く染まった。
恥ずかしい。隠れて話を聞いていたのはバレバレだったようだ。隠れる必要もなかったし、立ち聞きするつもりもなかっただけに、ただただ決まりが悪い。
「ごめんさいっ!」
千歳は思い切りよく頭を下げて謝罪の言葉を口にした。その行動に、彼らと顔を合わせたくないという気持ちが多大に含まれていることは否定しない。
「いえ、たいした話でもありませんでしたから。頭を上げてください」
彼は千歳が顔を上げるのを待ってから言葉を続ける。
「今回はたいした話ではありませんでしたが、期せずして重要なことを耳にしてしまうこともあります。お節介かとは思いますが、この神殿ではもう少し気をつけられた方がいいですよ」
諭すように言われては、“すみません”と謝りながら小さくなるしかない。
「相変わらず説教臭いな」
男性と千歳のやり取りを興味なさげに眺めていたヴァルトが口を開いた。
その口調から、普段から説教されているのは彼なのではないかと察することができる。完全なる推測だが、あながち間違ってもいないだろう。どこかうんざりした言い方だった。
「それで、お前はこんなところで何をしていた?」
続けられた問いは千歳に向けられたものだ。
――力のことは隠して、正直に話す。
「それが――」
千歳は自分が召喚された異世界人であることや神官たちについて行こうとしてはぐれたことなどを正直に話した。“正解”を知るまでもなく、目の前の相手に誤魔化しが効くとはもとより思っていない。何より、嘘だとバレたときの反応が怖い。洗いざらい正直に事情を話すしか道はなかった。
能力に従う以上、悪い結果にならないということだけが救いだろう。
――――ホッと息を吐いて、能力のことを隠してもいいという“答え”に心の底から安堵している自分に気づいた。
金髪の方、ヴァルトは細マッチョなドS(?)系イケメンです。たぶん。
茶髪の方は一見地味だけど顔は整ってるタイプ。優しいお兄さん系……かな?
ちなみに、エスパンタリオは美人さんです。決して女性的な風貌ではないけれど、男臭さがなく物腰が柔らかい……たおやか系ですかね。そんなカテゴリがあるのか知りませんが。