第3話 道案内人は先行き不安
ある日、王国中を疫病が襲った。
国王もその息子たちも一人を残してみな倒れ、そのまま天に召されていった。残されたのは五歳の幼い末王子のみである。
いまだ疫病に喘ぐ国民のため、ひいてはこの王国のためにも、大神官が王子の後見を務めることになった。しかし、頼みの大神官も疫病で亡くなってしまう。
取り急ぎ次の大神官を決めることとなったが、候補者のどの神官長も優秀でそのうえ誰も譲る気がないためになかなか決まらない。
大神官の選考は難航を極めたが、後の神官達の話し合いによって伝説のものである召喚魔法を成功させた者が大神官になることが決定した。
◇◇◇
千歳は自分を召喚したらしい男性とその部下たちから現状についての説明を受けていた。彼らは神官ということなので、部下という言い方はおかしいかもしれない。雰囲気でいうなら、彼らの関係は派閥のリーダーと取り巻きだろう。その認識が実際のものとたいして違っていない自信もある。
先程、千歳にこの国のことを説明してくれたのは居並ぶ神官たちのなかでもとくに年若い青年だ。相手が日本人ではないことを考えると、もしかしたら少年といっていい年齢かもしれない。
「――つまり、ここにおられるエスパンタリオ神官長こそ次の大神官となられるお方なのです!」
年少の神官は、そう言って誇らしげに胸を張る。
エスパンタリオと呼ばれた神官の方を見るとにっこり微笑まれた。女性にこそ見えないものの、佳人といっても差し支えない容姿からは儚げな印象を受ける。
彼だけでなくここにいる人々はみな西洋人のように見えるが、説明を聞くかぎりそうではないのだろう。異世界人、というのが正しい。
(異世界……ほんとに遠くに来ちゃった)
もはや千歳の口からは乾いた笑いすら漏れない。
「ミラン・エスパンタリオと申します。ここ、アルカ神殿で神官長を務めております」
優雅なお辞儀とともに自己紹介をされて少々面食らった。
どう扱われてもおかしくない現状において丁寧な扱いを受けるのは大歓迎だが、普通の女子高生に異世界式の礼儀作法はハードルが高い。つい、実際に起こっていることではなく映画の中のことのように思ってしまう。日本ではお目にかかれないような美形――目の前の美貌の神官長がそれに拍車をかけていた。
目上のひとから自己紹介されたのに返さないわけにはいかないと、マナーを気にしつつも千歳も言葉を返す。
「ご丁寧にありがとうございます。知寿……いえ、チトセ・チズです。よろしくお願いします」
言い終えて頭を下げた。多少の文化の違いには目を瞑ってもらうしかない。
躊躇いがちにだが挨拶を済ませた千歳に、エスパンタリオは手を差し出してくる。握手を求めているのだろうと見当をつけて、千歳はおそるおそる彼の手を握った。男性の手だ。美人という生き物だと思っていた彼の手は意外なほどにしっかりとしていてなんだか緊張する。
(えっと……神官長さん? 他の神官さんたちみたいにエスパンタリオ神官長で良いのかな?)
――ミランさん。
ふいに頭に浮かんできたのは彼の呼び方だった。
意識もせずにこんな些細なことに“それ”が浮かんでくるのは珍しいことだ。異常事態のせいか、異世界だというのが関係しているのか、能力が強まっている気がした。
(うう……頭、痛いかも)
こんな状況で疑問に思うなという方が無理なのに、疑問を感じれば瞬時に頭に答えが浮かぶ。こんなことは初めてで、自分でも処理しきれない“正解”の奔流に飲まれそうだ。
「ミラン、さん?」
ぐるぐると空回りし続ける頭のまま、何も考えずに“正解”を口にすると周囲のざわめきが耳に入った。
「不敬な!」
そんな言葉が聞こえるが、千歳は間違えたとは思わない。
当のエスパンタリオが花が咲きこぼれるように微笑んだからだ。
「どのように呼んでいただいても構いません。なんでしたら、ミランと呼び捨てでも」
「い、いえ! さすがにそれは……っ」
騒がしさを増した周囲にエスパンタリオがついと視線をやると、凪いだ水面のように静寂が広がった。視線だけでピタリと場が静まるのは、この場で最も地位が高いのが彼だからだろう。
「そうですか。私はあなたを何とお呼びすれば?」
同じ学生でもない初対面のひとにファーストネームで呼ばれるのはあまりない体験だ。しかし、こちらが彼を名前で呼ぶのに自分は苗字でというのはおかしい気がした。
答えもわかっていて、何も躊躇うことなんてない。それでも少しだけ迷ってから、千歳はそれを口に出した。
「チトセ、でお願いします」
「では、チトセ。先程の説明でわからないことがあれば、何でも聞いてください」
「……あの、何で召喚で決めることになったんですか?」
しばしの逡巡の後に千歳の口から漏れたのはそんな言葉で。
もっと他に聞きたいことも言いたいこともあったが、考えがまとまらない。とりあえず、もう少し彼らの話を聞きながら自分の中で整理しようと思う。
「この王国には伝説がありますから」
答えてくれたのはエスパンタリオの脇に控えていた気弱そうな男性だった。
彼はそのまま、建国時代に降臨したとされる異世界の女神について教えてくれる。何でも初代国王の妃が異世界から来た女神だったそうだ。この国の王国史では、女神はその類い稀なる知識で王国を繁栄へと導いたとされているらしい。
「つまり……これって、女神の召喚だったんですか?」
さすがに千歳の顔が青ざめる。
変な能力はあるものの、千歳はただの人間でたいした才能も経験もない普通の高校生だ。伝説の女神のように国の繁栄を願われても困るし、だからといって単なる人間はいらないと放り出されても困る。
「え?」
「はあ?」
「あー……」
しかし、千歳の予想に反して神官たちはお互いに顔を見合わせるばかり。
何かマズいことを言っただろうかと困惑していると、女神の話をしてくれた気弱そうな男性が苦笑しつつ説明してくれる。
「すみません、我々もそこまで考えていなかったというのが正直なところです」
「考えて、なかった?」
「はい。召喚魔法はほとんど伝説上のものでして。お恥ずかしながら、この召喚が成功するとは誰も思っていなかったのですよ」
会ったばかりの異世界人にこんなにぶっちゃけてもいいのだろうか。千歳がそう思ってしまうくらいに、彼は正直に話してくれた。
曰く、この“召喚の儀”は大神官の選定を先延ばしにするためのものだそうだ。この儀式の準備やら実施やら後始末やらの間に神殿と王宮の偉いひと――大神官候補である神官長たちを除いた国の重鎮たちが、喧喧諤諤といつまで経っても決まらない話し合いをするために行われたとのこと。勝手に話し合っていればいいと思うが、国民の不満が溜まらないようにするためには“何かをしている”というパフォーマンスが必要なのだろう。
だから誰も女神の召喚なんて大それたことは考えていなかったし、異世界人が召喚されるとも思っていなかった。異世界のものだと一目でわかる生き物か道具が召喚されれば、それで大神官が決まって万々歳程度のものだったらしい。
(そんな理由で呼ばれたんだ……)
何か使命を、と考えていたわけではない。
けれど、そんなくだらない理由で――千歳にまったく関係ない世界の大人の事情で元の世界と引き離されただなんて思いたくなかった。
「大丈夫ですか?」
余程ひどい顔色をしていたのだろう。話してくれた男性にしきりに心配される。彼が悪いわけじゃないと何とか首を横に振って“大丈夫です”とだけ返した。
変に言葉を飾ったり誤魔化したりせずに話してくれた分、彼は誠実なひとなのだろう。その証拠に、他の神官たちの中にはそこまで話すのかと眉を顰めているひともいた。小娘相手にという感情が透けて見える。
深呼吸して気持ちを静めて、それでも震える手を抑えつけて。
千歳は真っ直ぐにエスパンタリオを見つめた。自分を召喚したという彼を。
「最後に一つだけ。私は元の世界に帰してもらえるんですか?――私は、帰れるんでしょうか?」
尋ねるまでもなく、千歳はその答えを知っていた。
帰り道はない。それが答えだ。嘘偽りのない真実で、たった一つの正解。
(私は、帰れない)
黙り込んでしまった神官たちを見て、急に実感が湧いてくる。変な話だ。そうと知っていたのに、今の今まで希望を持っていたなんて。
しだいに視線が下がっていく。目に入る綺麗に磨かれた床にポツリと雫が落ちる音がした。それは、千歳のものではない。
「……っ、申し訳、ありません……っ」
咄嗟に顔を上げると、エスパンタリオがはらはらと涙を流していた。
見惚れてしまうほど綺麗な泣き顔だ。美しいものを鑑賞するような気分でぼんやりとそれを眺めていたら、芸術品のような泣き顔はすぐにグシャグシャになった。いくら美形でも鼻水まで流して泣くと台無しだろう。
「きっと、お恨みになることでしょう。私が己の分も弁えず召喚などしてしまったばかりに……っ」
床にへばりつく勢いで土下座される。
丁寧で優しい美人さんだと思っていたエスパンタリオの奇行に千歳も動揺を隠せない。放っておくとエスパンタリオの言葉はどんどん卑屈で被害妄想に満ちたものになっていった。
つい、そんな状況でもないのに笑ってしまう。
「ミランさん」
「ああっ……あなたを召喚したことで、あなただけでなくカミロやアビゲイルにも恨まれてしまう。卑小な私が大神官位を望んだことが間違いだったのでしょうか……っ、うっ、うぅ」
「そ、そんなことはありません!」
「エスパンタリオ神官長は素晴らしいお方です!」
「イリクリニス神官長やグリフィス神官長ではとても神殿を任せられません。自信を持ってください!」
千歳が呼びかけたものの、エスパンタリオ本人と他の神官たちの声に掻き消された。
――もっと大きな声で呼びかけて。彼を慰めて。
頭に浮かんだ“それ”は千歳の心そのままで、言われなくてもやると思う反面、それが“正解”なら悩むこともなくて良かったとホッとする。
優しい優しい友人たち曰く、千歳はお人好しらしいから。自分を召喚したひとでも、泣き顔が汚い美形でも、子どもみたいに泣きじゃくっているひとを放ってはおけない。こういうとき、千歳は母親似なのだろうと思う。あの母のように、泣く子をさらに泣かせて最終的に泣き止ませるなんて荒業は千歳には無理だが。
「ミランさん!」
声は、思ったより大きく響いた。
「……チトセ?」
床にへばりついているエスパンタリオに目線を合わせるためにしゃがみ込む。
泣き濡れた瞳と目が合った。
(もう痛くない)
目的が――問いがはっきりしていたら、頭は痛まない。浮かび上がってくる答えは一つの問いに対するものだけ。それは間違えようもないくらいに明確で、いつも以上に正確な答え。やっぱり能力が増しているのかもしれない。
「私、ミランさんを恨んだりしませんよ」
「しかし、私は……っ」
「今回のことは不幸な事故ってやつです。事故の場合、その後の対応が重要なんですよ?」
「え?」
「召喚して悪かったと思うなら、元の世界に帰る方法を一緒に探してください。あと、ここにいる間の私の面倒も見てくださいね。それで――全部チャラです」
チャラってこの育ちの良さそうな相手に通じるのだろうかと思ったけれど、日本語を話しているはずの千歳の言葉が通じているのだ。大丈夫だろう。
「そんなことくらいで許されるものでは……っ」
「はい、泣かない」
また瞳を潤ませ始めたエスパンタリオの額を軽く弾いた。そんなことをされるとは思ってもみなかったのだろう彼は驚いた顔で千歳を見つめる。
その様子は何をされたかわかっていないようにも見えた。異世界にデコピンはないんだろうか。
「今、私はミランさんに失礼なことをしました。許してくれますか?」
「え、ええ。それはもちろん……」
千歳が何を言いたいかわかったらしい。エスパンタリオは困ったように笑った。
「なら、そんな寛大なひとを私が許さないわけにはいきません。お相子ってことで、どうです?」
笑ってそう言うと、エスパンタリオはなぜか頬を染める。
その反応になんだか嫌な予感がした。
「女神様……っ」
ぼそりと呟かれた言葉は信じがたいもの。誰のことだろうかと現実逃避したくなる。
しかし、熱に浮かされたような表情のエスパンタリオが熱心に見つめるのは千歳の顔で、千歳に向けた言葉であることは明白だった。なぜ、慰めただけで女神扱いなのかはわからないが、何かが彼の琴線に触れてしまったらしい。
千歳の能力の欠点は、“正解”の行動を取った後にどうなるかわからないことだ。推測することは可能だが、必ずしも想像通りの結果になるとは限らない。頭に浮かぶ“正解”に従って、今まで悪い結果になったことはないが、なぜか相手から心酔されたり、すごい人物だと勘違いされたりして困ったことは多々ある。
今回のことも、きっとその類で。
「女神? まさか、エスパンタリオ神官長は本当に異世界の女神を……!?」
「いや、まさか……しかし、エスパンタリオ神官長が言うことならばっ」
「女神様、エスパンタリオ神官長、万歳!」
千歳にとって本当に計算外だったのは、エスパンタリオという神官長の影響力。
――――どうやら、千歳は異世界で女神認定を受けてしまったらしい。