第19.5話 とある副神官長のもくろみ
《 オルドジフ視点 》
召喚の儀から五日ほどが経ち、神殿関係者のほとんどが異世界人の存在に慣れてきた。
さすが、迫害から逃げ延びて不毛の荒れ地を魔法で開拓した国の民である。その適応能力の高さは大陸でも一、二を争うだろう。大きな内乱や他国からの侵略などが少なく平和ボケしているといっていい国だが、異邦人には寛容だ。もともと魔法が使えるという共通点はあったものの様々な民族が集まってできた国なので容姿や文化の違いを気にする者も少ない。
三人の異世界人たちがこの世界に馴染んできたなかで、オルドジフは焦りを覚えていた。
彼の直属の上司であり、派閥のトップであるエスパンタリオが召喚した少女だけ未だ能力の発現が見られない。他の二人の派閥が異世界人を上手く利用して各所に積極的に働きかけていると知っているぶん、オルドジフが焦るのも当然と言える。
しかし、当のエスパンタリオが呑気に構えているのだから頭が痛い。もっとちゃんとしろ、と言えたら頭痛も治まりそうなものだが、上司にそれを言えるほどの度胸はオルドジフになかった。まあ、勇気を振り絞って諫言しても聞き入れられない可能性が高いのだが。エスパンタリオの片腕である副神官長として情けない限りである。
「ご足労いただき、ありがとうございます。カラシュ副神官長」
ユージィン・スウィフトの言葉に早くも踵を返して帰りたくなる。
彼のことは苦手ではないが、オルドジフは彼の主がかなり苦手なのだ。エスパンタリオがいないときに呼び出されるなんて悪い予感しかしない。わざわざ上司がいないときを狙ってくるあたり、オルドジフの性格は彼に読まれているのだろう。そう考えて胃がしくしくと痛んだ。
イリクリニスに召喚された異世界人はこの世界に来て胃痛から解放されたらしいが、今だけでいいからその力をオルドジフに分けてほしい。切実にそう思う。
「今日はいったい何のお話でしょう?」
本来ならオルドジフより地位が低いはずの二人への面倒な挨拶を済ませ、単刀直入に尋ねた。用があるならさっさと済ませてしまいたいのが本音だ。
「そんなに早く切り上げたいか。お前はよほど俺が苦手らしいな、オルドジフ・カラシュ」
(たいした面識もないはずなのに、どうして知られてるんでしょうね)
五十歳も過ぎ、腹芸の一つもできないなんてことはない。顔にも態度にも苦手意識なんて出した覚えがないのに、どうしてよりにもよって本人に知られてしまっているのだろうか。
オルドジフの半分くらいしか生きていない年下の若造相手に自分でも情けないとは思うが、悠然と目の前に立つヴァルト・エルヴァスティという青年がオルドジフはどうも苦手だ。
ヴァルトのことは彼が少年だった頃から見知っているが、今思えばその頃から可愛げのない子どもだったし、その支配者じみた威圧感は年々増している気がする。先代国王に疎まれ、先代大神官に睨まれながらも生き延びたような男にオルドジフのような小心者が勝てるわけもない。
(敵でも味方でもないのが厄介ですね……)
あのヴァルト・エルヴァスティをこちら側に引き込めたなら。彼が味方だったならどれだけ心強いかと思う。彼が敵だったら、なんてことは考えたくもない。彼が他の神官長につかず、大神官位にも興味を示さない現状はまだマシなのだ。
幼少の頃から神童と名高い彼が国王となり、オルドジフが誰より尊敬するエスパンタリオが大神官となる。そんな光景を夢見たことがないとは言わないが、叶わぬ夢を見続けるほどオルドジフも暇ではない。
たとえ国王がまだ幼い子どもでも、エスパンタリオが大神官となって支えれば国と民を良き方へと導けるだろう。
そう信じているからこそオルドジフは彼のもとで働けている。そうでなければ、いくら尊敬していようとあんな癖のある神官長にはつかない。
「時間もないし、単刀直入に言ってやろう」
「……ありがとうございます」
なぜ、オルドジフは礼を言っているのだろう。だが、早く用が終わるのは願ってもないことだし、正直ありがたい。早くこの威圧感から解放されたかった。
「チトセを貸せ」
「は?」
ヴァルトの言葉は端的で、その意味を図りかねる。思わず間抜けな声がオルドジフの口から洩れた。
「俺はミラン・エスパンタリオが召喚した異世界人――チトセに興味がある。が、何も寄越せと言ってるわけじゃない。近くで様子を見たいからあれと接する機会を持ちたい。お前たちに断りなく干渉して痛くもない腹を探られるのも面倒だからな。こうして事前に断ってやっている」
彼のなかではエスパンタリオが擁する異世界人への干渉は決定事項なのだろう。オルドジフ個人としては、彼女はとてもいい子で焦りを覚えるほどに普通の子なのでこんな男に差し出したくはないのだが、勘弁してやってほしいと言える空気でもない。
(興味、ですか。接触したという報告は受けましたし、チトセ様にも確認はしましたが……)
力の発現すら見られないすべてが未知数の少女に、この男の興味を引くほどの何かがあった――エスパンタリオを大神官位に就けようと画策しているオルドジフにとって、それは甘美な誘惑だった。
「それは、つまり……こちら側についてくださると?」
「いいや。だが、敵になるつもりもない。今のところはな」
半ば予想通りの答えだ。彼は誰の味方にもならない。それは以前からわかっていたことだった。
「チトセ様がそれほどお気に召しましたか」
(ああ……なんて汚い大人なんでしょうね、私は)
心のなかで自嘲する。さすがにそれを表に出しはしなかったが。
オルドジフの言葉に、主人の傍に控えているユージィンが眉を顰めたのが視界の端に映った。気の好い青年だ。オルドジフと似た立場の彼だが、自分と同じようにはならないでほしい。まして、目の前の冷笑を浮かべるヴァルトのようには。
「女を差し出すとは、なかなか古臭いやり方だな」
「エルヴァスティ殿から出た話だったと思いますが」
「俺はそうは言っていない。手を出す気もないしな」
その言葉が残念なような、ホッとするような。
エスパンタリオが召喚した異世界人を妻に迎えれば、ヴァルトはきっと王位に就かざるを得なくなる。そして、彼が王位に就いて異世界から来た少女を妃とすれば、それは初代国王と王妃の再現であり、その王妃を召喚したエスパンタリオこそが大神官となるだろう。
そんな考えが真っ先に脳裏を過ったオルドジフは、やっぱり汚い大人でしかない。
「そういう興味でもないし、手を出す気はないが……面白いものを借りる礼に、噂を利用するくらいは許可しよう」
オルドジフは悪人ではないけれど善人でもなくて。だからこそ悪魔の囁きに耳を貸してしまう。
皮肉げにも愉快そうにも見える笑みは、そんなオルドジフを嘲笑っているかのようだった。
小心者に彼の提案を断る度胸はない。そして、断る理由もなかった。
度が過ぎるほどあの少女への気遣いを見せるエスパンタリオは渋るだろうが、なんとか説き伏せることはできるだろう。オルドジフはエスパンタリオさえ大神官位に就けられればそれで満足で、少女がどうなってもきっと後悔はしない。
多くを救えるなら小さなことには目を瞑れと自分自身に言い聞かせる。
――――それでもわずかに残った罪悪感は、これから彼女をどう利用するかという思考で塗り潰した。
力尽きた……。
ストックもやる気もなくなったので更新が遅くなります。ごめんなさい。