第14話 同道者は案内下手
結局、今日の千歳の予定は神殿探索に決まった。
もともと神殿内を案内してもらう予定ではあったのだが、オルドジフの想定では今日のところは日常で使用しそうな場所だけを案内させるつもりだったらしい。この世界のことも神殿のこともまだまだわからないことだらけだから案内がてら詳しく教えてほしいと頼むとあっさり了承してくれた。
とはいっても、案内してくれるのはオルドジフではなくアレシュという少年神官だ。忙しいらしいオルドジフが手を離せないというのもあるだろうが、彼が選ばれたのは千歳が話しやすいようにという気遣いなのだろう。
「初めまして、女神様。アレシュ・アレクサと申します!」
食堂を出てすぐのところで待機していたアレシュはオルドジフの紹介を受けて元気よく挨拶する。十六歳という年齢より少し子どもっぽく見える笑顔に親しみやすさを感じた。
ダナの孫息子ということだが、確かに昨夜ダナが言っていた通り彼女に似ず愛想がいい。
「では、アレシュ、頼みましたよ。チトセ様、何かありましたらこのアレシュに」
オルドジフはそれだけ言ってこの場から立ち去ろうとする。少し口調に焦りを感じるのは急いでいるからだろうか。さっき食堂で慌てた様子の神官が彼に何か耳打ちしていたのでそのせいかもしれない。
彼は副神官長という、三人の神官長に次ぐ地位にあるらしい。つまり、神殿ではかなりの要職にあるということだ。そんな人がただの女子高生にここまで付き合ってくれただけでもありがたい。
そんな相手を呼び止めるのは気が引けたが、思い切って千歳はその背に声をかけた。
「あの、オルドさん! お忙しいのにありがとうございました!」
きっといろいろ調整してくれたのはこのオルドジフで、昨日の今日だというのに千歳がこんなに呑気にしていられるのは彼のおかげだろう。アレシュという年の近い神官を案内役にしてくれたのも彼の気遣いに違いない。
それを思うとお礼を言うのは当たり前のことで、忙しい相手なら今言っておいた方がいいだろう。次にいつ機会があるかわからない。実際、神官長であるミランとはあの大広間で別れたきりだ。
「いえいえ、こちらとしては当然のことをしたまでですから。むしろ、チトセ様の身分を考えれば私自らご案内するべきなのに申し訳ない」
“こちらとしては当然”という言葉に間違いを悟る。この場合、千歳が礼を言わなければならないのはオルドジフではない。
「……ミランさんに伝えてください。いろいろと便宜を図ってくださって感謝しています、と」
「わかりました。必ずお伝えしましょう」
オルドジフは穏やかな微笑みを浮かべ、この場を離れる。
最後に見せた彼の笑みが満足げに見えたのはきっと千歳の気のせいではない。受け答えはあれで合っていたのだろう。能力を使わずに正解を導き出せたことが少し嬉しかった。……まあ、本当のところは正解かどうかなんてわからないのだけれど。
去っていく背中を見送ってから神官の少年に向き直る。
「えっと、アレシュさん? でいいのかな?」
「アレシュでいいですよ。祖母ちゃんから話は聞いてます。俺より一つ年上なんですよね? だったら呼び捨てにしてください。まあ、年とか関係なく、女神様のほうが立場上なんですけど」
女神様呼びのわりにはなかなかフレンドリーな態度だ。気軽に接してほしい千歳としては悪くない。
ただ、やっぱり女神様呼びは止めてほしいのが本音で。昨日、神官長三人の前で“神殿は神に準ずる者として異世界人を扱うと、そう思っていいでしょうか”なんて偉そうに言ってしまったので止めてほしいとは言いにくい。……思い返すとやっぱりあれは偉そうだった気がする。今度あの三人に会う機会があったら謝っておこう。
おそらく、ミランの派閥の人々による女神様呼びは喧伝する意味もあるのだろう。声高に女神なんて呼ぶのは誰からも千歳が重要人物だとわかるようにするとともに、彼らが千歳を尊重しているというアピールでもあるはず。
(でも、そんなこと私には関係ないよね)
異世界の権力闘争なんてただの高校生には難しすぎる。昨日から考えすぎで頭がパンクしそうなくらいだ。もう関係ないと割り切ってしまった方が早い。
それに、はっきり言って女神様呼びは恥ずかしすぎて耐えられない。このままだと千歳のメンタルが羞恥で死にそうだ。
「わかった。じゃあ、アレシュくんって呼ぶね。私のことは千歳って呼んでほしいな」
「えっ」
いつもの千歳よりだいぶフレンドリーに話しかけてみる。相手は思ってもみなかった態度に戸惑っている様子だが、その表情に不快そうな色はない。
自分が思うようにするためにはこの対応で間違っていないことを千歳は知っている。
なんだかんだと心のなかで言い訳しつつ、結局は都合のいいときだけ能力に頼っているような状態を母が見たらなんと言うのだろうか。この世界に千歳の母がいたことはないし、元の世界に帰ってももうどこにも母はいないのだが、能力を使う度に罪悪感が募ってそんな埒もないことを考えてしまう。
「あと敬語も禁止」
「ええっと……でも」
「年も近いんだし、堅苦しいのはナシでお願い」
たぶん、アレシュにとって千歳のお願いというのは命令に近い。そうとわかっていて頼み込んだ。相手が断れないと知っていて頼むのはなんとなく気が引けたが、だからといって慣れない呼び方にずっと振り回されたくもない。
「案内のときだけでいいから、ね?」
「う、うーん……はい。わかりました、チトセ様」
最後のひと押しで困惑しきりのアレシュが折れる。
さすがに様付けまで止めさせるのは無理だろう。何せ、この少年神官よりずっと立場が上のオルドジフすら止めてくれないのだ。それを彼に強要するのは酷というもの。
「わかった、でいいよ」
「は、はい……あ、いや、わかり……はぁ、わかったよ。でも、他の人には内緒にしてくれよな」
アレシュの口調がずいぶん砕けたものになった。挨拶のときのようなきびきびとした丁寧な口調でなくなると途端に彼はヤンチャな印象を覗かせる。こっちが素なのだろう。年下の男の子らしいといえばらしい。
「わかってる。もし聞かれたら私が無理に頼んだって言っていいから」
「めが……チトセ様って思ってたのと違うかも」
「そうかな?」
「もっと神様っぽいのかなって。昨日の大広間でイリクリニス神官長とかグリフィス神官長相手に一歩も退かずにやり取りしてたの見てすげーと思ったし」
一歩も退かないどころか内心ガクブルだったのだけれど。というより実際声も身体も震えていたのだが、遠くで見ていたらしいアレシュにはそこまで見えていなかったのだろう。
他にも昨日のあれを見ていた神官たちは大勢いるだろう。その人たちにも勘違いされていたら面倒だ。千歳は自分を知っているぶん過大に評価されると困ってしまう。
「神様っぽいって……私、普通の女子高生だし」
「ジョシコーセー?」
「学生ってこと。――じゃあ、今から案内してくれる?」
アレシュは千歳の言葉にハッとした様子で頷いた。
どうも彼は自分の役目を忘れかけていたようだ。この世界に来てからすごい人ばかりに会っているような気がするので、こういう普通の反応に出会うと安心する。
「とりあえず、カラシュ副神官長から頼まれてるところから案内するから」
(今さらキリッとした顔で言われてもなんか残念な感じが……)
気合を入れ直しているらしいアレシュにちょっと笑ってしまいそうになったが、彼のやる気に水を差すつもりもなく、千歳は澄ました顔で返事をした。
本人はやる気のようだし、悪印象も与えていないはずだからこの分だと神殿内の見学はつつがなく終わるだろう。
誤算があったとしたら、案内役として付けられた少年神官が案内下手だったことだろうか。
◇◇◇
「あ、これはあれ。便利だからチトセ様も使ったらいいよ」
あれって何、と聞いてはいけない。要領を得ない説明で時間が潰れるだけだ。
「あっちは神官宿舎」
「そっちは神殿騎士の詰所」
「ここをまっすぐ行くと大聖堂がある」
これだけ聞くともしかして彼は案内をする気がないのではないかと疑ってしまうが、本人はいたって真面目に案内しているつもりらしい。
アレシュ・アレクサという少年神官は与えられた役目へのやる気に満ちている。千歳を案内しようと一生懸命やってくれているのだ。ただ、彼は真面目に案内が下手だった。
始めは良かったのだ。あらかじめオルドジフがここで生活していくうえで必要そうな場所をピックアップしてくれていたらしく、その指示通りアレシュはそれらに千歳を案内して必要事項を教えてくれた。このとき説明してくれた事柄も、きっとオルドジフあたりが“これだけは教えておくように”と言ったものなのだろう。そうでなければ、アレシュがあそこだけきちんと案内を果たせていたことの説明がつかない。
ここ二時間ほどの付き合いしかない千歳でもそう察せられるほど、アレシュは案内とか説明とかそういったもの全般が苦手のようだ。
(ていうか、オルドさんに指示された場所の案内が終わってからがノープランすぎる……)
とりあえず神殿内をぶらぶらって、友達と街をうろつくのではないのだから。あと、あっちへ行ったりこっちへ行ったり適当な道順で案内するのは止めてほしい。途中で戻ったりされると道が覚えにくいのだ。いざとなったら能力でどうとでもできるとはいえ、お世話になる建物の大まかな構造くらい普通に覚えたい。
この子を案内役にしようと言ったのはいったい誰なんだろう。任せる相手を間違っているとしか思えない。
「えっと、神官宿舎っていうのは?」
「ん? だから、あっちに見えてる建物」
そうじゃない。そうじゃないんだ。
アレシュが指差している建物が神官宿舎という場所だということはわかっている。千歳はそういうことを聞いているのではない。
「どういう場所なの? 宿舎っていうくらいだし、神官の人たちが住んでる場所ってこと?」
「うん、そう」
「………………」
「………………」
(え、それだけ?)
今、思ったことを口に出さなかった自分を誉めたい。
「えーと……アレシュくんとダナさんも宿舎に?」
「いや、俺は実家暮らし。これでも王都生まれの王都育ちだから。祖母ちゃんは足が悪いから宿舎にいるけど、たまに食堂の手伝いに来てくれたりもするし、ずっと宿舎で生活してるわけじゃない」
「アレシュくんの実家は食堂をやってるんだね」
「いや、俺の実家は食堂じゃ……って、あれ? 言ってなかったっけ?」
「聞いてない、かな」
「さっき言ったのは死んじまった祖父ちゃんと祖母ちゃんがやってた店のことで、今は俺の伯父さんが継いでるんだ。祖母ちゃん、愛想はないけどめっちゃ料理上手いんだぜ」
神殿のことはよくわからないままだけど、ここ数時間でアレシュやダナのプライベートな事情はよくわかった。彼の伯父が食堂の店主をしていて妻の尻に敷かれていることも、店は王都でもなかなかの人気店で甥のアレシュも休みの日は手伝いに駆り出されることも、子どものいない伯父夫婦はアレシュに店を継がせたいようで神官になると言ったときにちょっと揉めたことも、よーくわかった。そろそろ親友になれそうだ。
残念なのは、千歳が聞きたかったのはこういうことではないということか。
「なんで神官になったの?」
もう神殿を案内してもらうのは今度にしよう。そうしよう。
こういうときは割り切って会話を楽しんでしまった方がいい。何事も諦めが肝心だ。
「俺、エスパンタリオ神官長を尊敬してて……目指す、とかそういうんじゃないんだけど、ちょっとでも手伝えたらいいなーって」
にわかに信じがたい言葉が飛び出した。
いや、まあ、まったく尊敬されない神官長というのも問題なのでミランが尊敬されているというのはおかしなことでもないのだが、大広間で泣き崩れていたイメージが強いせいかなんとなく腑に落ちない。
「憧れの人ってこと?」
「いや、恩人が正しいかな。昔、大怪我したことがあってさ。今も俺が生きてるのってエスパンタリオ神官長のおかげなんだよ。あの方の回復魔法は大陸一なんだぜ? 公爵家の出だし、すげー人なのに俺みたいな平民にも優しくて……」
アレシュは胸を張って誇らしげにそう語る。本当にミランを尊敬しているのだろう。
「ちょっと変わってるところもあるけど優秀な方だし、エスパンタリオ公爵って言ったら国の筆頭貴族なのに全然偉ぶったりしないし、伝説の召喚魔法だって成功させるし」
(あ、なんか雲行きが怪しくなってきた)
「そういや、チトセ様って女神様なんだよな。神様なのに俺なんかにも普通に接してくれるし、やっぱりエスパンタリオ神官長が召喚したってだけあって――」
「アレシュくん、あれ! あれ、何かな!? すごい気になるー!!」
どうみても中庭にあるただの花壇だが、気になると言い張っておく。このまま彼の話を聞いていると何かが危ない気がした。
「え、普通の花壇だと思うけど」
「あー、ほら、私にとっては異世界だし。この花とか見たことないから」
「俺、花は詳しくないんだよなー」
“花は?”とか、そういうツッコミを入れてはいけないのだろう。男の子の心は繊細だと聞いたことがある。どれだけ案内下手でこういう役目に向いていなくても、それなりに仲良くなった相手にわざわざ嫌われるような真似をするつもりはない。
悪い子ではないのだ。ちょっと残念なだけで。
色々と言いたいことはあったが、今はぐっと飲み込んでおく。
「こういうのは俺より……あっ、イーディス!」
ふいにアレシュが大声で呼びかけた。
彼の視線の先には中庭近くの廊下を通りがかっている女の子。服装からして彼女も神官なのだろう。年頃は千歳やアレシュと同じくらいか。
アレシュはこっちだとばかりに彼女に向かってぶんぶんと手を振る。それに気づいた彼女がこちらに歩み寄るのを見て、なんとなく状況が変わりそうだと感じた。
――――ほぼ無意識の行動だったが、中庭に出たのは正解だったようだ。
《 簡易人物紹介 》
☆知寿千歳:この物語の主人公。異世界に召喚された。「物事の最善の選択がわかる」という能力を持つ。
☆グラウクス・フォール・オクロス:召喚された異世界人。神経質そうなインテリだが身体能力チート持ち。
☆ソフィア・ストレーガ:召喚された異世界人。召喚により落ちこぼれじゃなくなった魔女。幼いのは見た目だけ。
☆ミラン・エスパンタリオ:三人の神官長のうちの一人。千歳を召喚した儚げな男性。よく泣いている。
☆カミロ・イリクリニス:三人の神官長のうちの一人。グラウクスを召喚した悪役顔で偉そうな男性。実はいい人。
☆アビゲイル・グリフィス:三人の神官長のうちの一人。ソフィアを召喚した強気美女。カミロと仲が悪い。
☆オルドジフ・カラシュ:ミラン付きの副神官長。実はミランの腹心。
☆ダナ・フメラ:ミラン派の神官で千歳の世話係。偏屈そうなお婆さん。
☆アレシュ・アレクサ:ミラン派の少年神官。ダナの孫息子。嫁いでいった娘の子どもなのでダナとは家名が異なる。
☆ヴァルト・エルヴァスティ:千歳が出会った神殿騎士。ヒラのくせに態度がでかい。
☆ユージィン・スウィフト:温和そうな神殿騎士。ヴァルトに付き従っている。説教臭いらしい。