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最善の導  作者: 雨柚
第二章 神殿での生活と王国の事情
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第13話 道を決めるのは

 オルドジフに噛みついているグラウクスをどうにかこうにか宥めて、そこでやっと二人の今日の予定について尋ねることができた。

 思いきり能力を使ってしまったが、今回は仕方ないと思いたい。こんなふうに言い訳ばかりしているから母に叱られるのかもしれないけれど、千歳はコミュニケーション能力が高いわけではないので能力を使わないと人付き合いもおぼつかないのだ。……眉を顰める母の顔が容易に想像できて思わず苦笑が漏れる。届かないと知りつつ、心の中で天国の母に謝った。


「じゃあ、今日から騎士団に入るんですか?」


 騎士団の訓練に付き合うというグラウクスの言葉に驚き、千歳は目を瞬かせる。

 元の世界では議員秘書だったというのに、騎士とは。ずいぶんと思い切った転職だ。


「騎士団に入団するわけではありません。それだけは断固拒否しましたから」


 騎士団に入ることを強要してきた神官長を思い出してか、渋面を作るグラウクス。その表情に大広間での二人の舌戦が思い出され、千歳は引き攣った笑みを浮かべた。……その場にいなくて良かったと心の底から思う。


「今日からしばらくは騎士の方々の鍛錬に参加し、稽古をつけていただく予定です。模擬戦もあるとのことでしたが、僕は剣なんて握ったこともないので……少し不安ですね」


 “ペンならペンだこができるくらいに握っているんですけど”とグラウクスはひらひらと右手を振る。彼は右利きらしい。触ったらわかるのかもしれないが、この距離では実際にペンだこがあるのかはわからなかった。


 千歳やソフィアに気を遣わせないようにしているのかあまり深刻そうには見えないが、根っからの文官気質なら騎士の真似事なんて避けたいはずだ。一瞬のことだったが、呟くような声で不安だと口にしたときの表情には確かに影があった。


(なんとかできないのかな)


 ――……。


 目を閉じて思考を遮断すると、頭に浮かびそうになった答えは霧散した。


(どうせ何もできないんだから)


 自分自身にそう言い聞かせる。自分のことすらままならないのに、なんとかしようなんて思ってはいけない。許容量を超えて物事を背負い込むと碌な結果にならないと千歳はすでに学んでいる。

 できる限り能力は使いたくないし、バレるなんてもっての外だ。露見する可能性を少しでも減らしたい――そんな利己的な思いが胸をよぎって自己嫌悪に落ち込んだ。


 何もできないのと、何もしないのは違う。


 わかっていながら何もしない千歳はきっとかなり自己中心的な人間なのだろう。異世界に来てまで自分の嫌なところを見たくなかった。


「僕の場合は身体能力が大きく向上しているようですから、ある程度鍛えれば実戦で使えるようになるだろうと予想されています。最終的な目標は魔物の討伐だそうで」

「それはまた……まるで物語の勇者ですね」

「実際、そういったものを求められているのだと思いますよ。……それ以外には何一つ求められていませんから」


 オルドジフと話すグラウクスの声は暗い。その暗さにドキリとした。


 周囲がグラウクスという異世界人に求めているのは英雄的な強さだ。それは、彼が自らの人生をかけて培ってきたものの否定に等しい。彼が今まで積んできた経験なんてなかったように、身に付けた知識には興味すら持たれず、磨いてきた技術や能力なんて見向きもされない。ただ偶然のように得た力を己のすべてとして求められる――この世界がグラウクスに強いているのはそういうことだ。


 胸が痛い。彼が置かれている状況に、それをどうにもできないことへの罪悪感に、どうしようもなく胸が痛む。

 グラウクスと千歳は同じ異世界人。彼の姿は自分の姿でもある。千歳は彼ほどたいした知識も経験も持ち合わせていないけれど、きっと能力がバレたら同じような状況になるだろう。


(グラウクスさんが自分の意思で力を活かせる機会があったらいいのに)


 元の世界での経験を活かす機会があれば、そんなふうに思わずにはいられない。

 でも、千歳にはこの能力以外に活かせるものがあるだろうか。“正解がわかる”なんて奇妙な能力だが、それを失ったら何も残らないのに。


「チトセちゃん?」


 ふいに思考の海から引き上げられる。ぼうっとしている千歳を見兼ねたソフィアが声をかけてくれたようだ。隣から気遣わしげな視線を感じる。


「ごめん、ぼうっとしちゃってた」

「もしかして、これからのことで悩んで……?」

「ううん、そういうわけじゃ……あー、いや。でも、それもあるかも」


 歯切れの悪い千歳に、グラウクスが苦笑を浮かべた。


「僕の話では参考にはならなかったようで、すみません。能力がわかっていないということで不安になるのもわかりますが、エスパンタリオ神官長の側は好きにしていいと言ってくれているようですし、ここに慣れるまでゆっくりしてみてもいいのでは?」


 彼の言う通り、意見を挟む隙もなく方針を決められているグラウクス側と比較的自由を与えられている千歳側では事情が異なる。カミロとミランという神官長の違いもあるだろうが、能力の有無が左右している部分も大きい。参考にならないというわけではなかったが、グラウクスの話だけでは今日の千歳の予定は埋まりそうにないのは確かだ。


 それを伝えると、グラウクスは千歳の方に深く頷いてからソフィアに話を振った。


「え、私……ですか?」


 このタイミングで話を振られると思っていなかったのか、ソフィアは困惑したように問い返す。


「えっと……今日の予定、ですよね。私は書庫を利用しようと思っています」


 ソフィアはまず最初に、この世界の魔法技術の発展に貢献したいと思っていること――昨夜、中庭で千歳に語ったことを手短に話した。ソフィアのおどおどしたところしか見たことがなかったグラウクスやオルドジフはその毅然とした態度に驚いていたが、ソフィア本人は気づいていないらしくそのまま話を続ける。


 昨日も思ったが、ソフィアは魔法のことになると少し人が変わるようだ。興味のあることには熱中するタイプなのか、意外と研究者気質なのかもしれない。


「それで、この世界の魔法を学ぶために書庫というわけですか。お節介かもしれませんが、グリフィス神官長や他の神官に魔法の講義を受けた方が早いと思いますよ。あの方なら国中から高名な魔法使いを呼ぶことも可能でしょうし」


 オルドジフの言葉にソフィアが俯く。


「その、初対面の方と話すのはあまり得意ではなくて……」


 千歳は“ああ”と相槌を打ちそうになったのをどうにか堪える。今までのソフィアの言動から人見知りしそうだとは思っていたが、さすがに失礼だろう。

 オルドジフは納得した様子で“なるほど”と言うのみに留めている。大人だ。


 魔法について語っていたときの堂々とした態度はどこへやら。自信なさげに肩を落とすソフィアを励ますようにグラウクスが口を挟む。


「昨日が初対面の僕たちとは問題なく話されていますよ?」

「それは……みなさん、優しくしてくださるので」


 顔を上げてちらりと周囲を窺ったソフィアと目が合った。千歳が微笑みかけると遠慮がちな笑みが返ってくる。

 昨日今日でこんなに打ち解けているのは状況が状況だからだろう。境遇が似ているからこその仲間意識というやつだ。口には出さずとも、そのことはこの場にいる異世界人三人ともがわかっていた。


「アビ……じゃなかった、グリフィス神官長はソフィアさんのこと尊重してくれてるんだね」


 アビゲイルを名前で呼びかけたが、オルドジフがいたので慌てて言い換える。……彼は気にしなさそうだが。


「はい。私が魔法を扱えたからかもしれませんが、かなり配慮してくださっていると思います。よほどのことがない限り私の嫌がることはさせないと約束してくれました」


 グラウクスとカミロの二人とは異なり、ソフィアとアビゲイルは良好な関係を築きつつあるらしい。自分はどうだろうかとミランのことを考えて……良くも悪くもないなと千歳は思った。むしろ、女神発言のせいで溝があるくらいだ。それを感じているのは千歳の方だけかもしれないが。


(ミランさんって、何考えてるのかよくわかんないんだよね)


 出会って一日ですべてを理解できてしまうような人間は存在しないだろうが、それにしてもミランはわかりにくい部類に入ると思う。なんだだかんだ言って温和そうなおじさんだと思っていたオルドジフも食えない感じだし、世話係のダナは偏屈を絵に描いたようなお婆さんで、それを思うとエスパンタリオ派の神官は一筋縄ではいかない人間が揃っているのかもしれない。悪い人たちではなさそうなのが救いだ。


 ――ミラン・エスパンタリオの派閥の人間と交流を持つ。


 千歳も派閥の人間として数えられるだろうし、他の神官たちと交流を持っていて損はないだろう。ミランやオルドジフに紹介してもらうなり、なんとかして自分から知り合いになるなりした方がいい。媚を売っていると思われると敬遠される可能性もあるので、あまり積極的になりすぎないで頑張ろう。


(あれ、今――正解が浮かんだ?)


 あまりに自然に浮かんできたから千歳自身の考えと混同してしまったが、さっき頭に浮かんだのは確かに能力による“正解”だった。


 そのことに気づいて、愕然とした。


(こんなこと今までなかったのに)


 能力が強まっている影響だろうか。思考に干渉されたようで恐ろしい。己の意思と区別がつかない“答え”に浸食されていく自分を想像して背筋が寒くなった。


(でも……でも、怖がることじゃない。“正解”に従えば間違いはないんだから)


 能力に従えば正しい道を歩める。正しい道だけを、歩んで行ける。――では、そこに千歳の意思は必要なのだろうか?

 自分の意思も持たず、自分が歩む道をわけのなからない能力に任せきりにするのは本当に正しいこと?


 能力を使うのが千歳の意思でなくなってしまったら、ただ浮かんでくる“正解”だけを選び取って行動するようになってしまったら――そこに千歳という存在はいるのだろうか。


(なに、考えてるんだろう、私。能力は使わないようにしてるし、さっきのはたまたまで……そんなことあるわけないのに)


 考えすぎだと、己の想像を頭を振って打ち消す。

 けれど、胸に巣食った不安は心の奥底にこびり付いて消えてはくれなかった。



 ――――ソフィアには優しいこの世界はグラウクスには厳しく、千歳にとっては……少し、恐ろしい。





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