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告白  作者: 鈴木りん
7/14

6 植物園でアイラブユー(1億7千5百万年前)

 ビル最上階にある、行きつけの展望レストラン。

 眼下、果てしなく広がる地上の景色。そこに瞬く都会の星々を眺めがら、俺は一人、ディナーの真っ最中だった。


雛地鶏ひなじどり様、お待たせいたしました」


 すっかり顔なじみとのウエイターにより運ばれてきたのは、前菜のフォアグラ・ソテーのキャビア添え、そして、モンバジャックのヴィンテージワインだった。

 どちらも、俺のお気に入り。

 だが、どんなに美味しい食事やワインも、私の気持ちを高揚させてはくれなかった。

 そう――俺は今、悩んでいるのだ。


 この世の中、不思議なこともあるものだと思う。

 どうしてこの俺――由緒ある直参旗本家の次期当主であり、雛地鶏財閥グループ総裁の息子であり、そして、学生時代に街でスカウトされて腰かけのつもりで始めたイケメン・長身モデルとしても世間ではそれなりに有名な雛地鶏ひなじどり けん――ともあろうものが、日本ではそれなりの家の御息女とはいえ、黄川田きかわだ 真奈美まなみさんにフラれ続けているのか……。


 ショパンだろう……生ピアノの演奏が、耳の奥をふんわりとくすぐって、心地よい。

 だが今の俺の脳内では、そんな優雅な響きにはちっとも相応しくない、ここ2年間の忌まわしい出来事が走馬灯のように巡っていた。


 ――なぜ、彼女は俺に振り向いてくれない?


 真奈美さんを俺が見初めたのは、2年前の、とある社交パーティの席だった。

 真紅のドレスに身を包んだ彼女は、強烈なオーラをその美しい姿フォルムから360度、全方位に向けて発していた。

 まるで、天女のような身のこなし。俺の瞳は固定化ロックオンされ、もはや瞬きすら不可能だ。

 そんなときだった。

 彼女が俺にその視線をちらりと向け、小さくお辞儀をしたのだ。時空を超えた、無限の微笑ほほえみを浮かべながら。


(う、美しい……)


 胸を打ち抜かれるとは、まさにこのこと。ひと目惚れだった。


 次の日、居ても立ってもいられなくなった俺は、現雛地鶏家当主の父上を介して、正式に交際の申し出を黄川田家に行った。が、すぐにいともあっさり、断られてしまった。

 ――この俺が、である。

 何せ由緒ある直参旗本の……それはもういいか。

 とにかく、そんなことに怖気づく私ではないのだ。私の熱意が彼女に通じるまで、猛進あるのみ――。

 

 などと料理を待ちながら心新たにしていた俺に、近づく一人の男があった。

 馴染み客の俺でも見覚えのない、新参者らしい、やや年配のダンディなウエイターだ。


「雛地鶏様……これが、店の入り口の壁に刺さっておりました」


 ウエイターは、私の手元に一枚の紙が結び付けられた一本の矢を、恭しく置いた。


「うむ、そうか。……ありがとう」


 きらりと光る、金属の矢じり。

 純白のテーブルクロスの上のそれは、紛れもなく我が雛地鶏家が代々召し抱えている“密偵”からの矢文やぶみだった。

 矢を拾い上げ、結び付けられた紙をそこからほどく。


 ――余談だが、その密偵の者の名は、香取かとり大五郎だいごろうという。香取家第22代当主で、伊賀の里出身、歳は40代の働き盛りの忍者くさのものである。


 こうして矢文が来たからには、緊急事態が発生していることは間違いない。

 ワインを一口だけ喉に流し込み、心を落ち着ける。そして、徐に右手を思いきり振り、折りたたまれた紙――古来から使われている由緒正しき和紙――を、バン、と音を立てて開けた。

 レストラン全体に、音が鳴り響く。

 一瞬、ショパンの音色がかき消されたほどだった。が、ふみを開くとは、古来からそういったものだ。当然、気にしない。

 そしてそのまま、紙に並んだ見慣れた筆跡の筆文字に、目を遣った。


「やや、なんと!」


 どうやら明日、恋敵ライバル榊原さかきばら祐樹ゆうきが、動き出すらしいのだ。場所は、街の中心部にある植物園――。

 香取からの矢文には、そう書かれていた。

 彼に命じていた、真奈美さんのデートに関する最新情報で間違いなかった。


(ふん、こしゃくな)


 すぐさま手紙をぐしゃぐしゃに握り潰し、ウエイターに声を掛ける。


「折角だが、ディナーは打ちきりだ。明日の準備をしなければならなくなったのでね」

「はっ、かしこまりました」


 まだ前菜しか出ていない、ディナー。

 白髪混じりのウエイターにカードを渡し、コース料理の全額をきっちり支払った俺は、一人、店を後にした。



  ☆



 容赦なく照りつける、太陽。体から吹き出す、汗。

 そんな、初夏の雄々しい太陽が南中した、一時間後くらいのこと。

 ついに、あの忌々しい榊原が、真奈美お嬢様を案内エスコートして、植物園の入り口へとやって来た。

 ただし、今日は後輩の近藤とかいう輩――結構いい奴だが――の姿が見あたらないようだ。そういえば、眞子さんの気配も感じないが……。


 ――ふっふっふ。待っていたぞ、榊原祐樹。今日こそ、この俺が叩きのめしてくれるッ!


 無意識に始まった、武者震い。

 汗まみれになった全身から、汗が引いていく。

 朝から植物園入り口横の街路樹の下で待ち続け、やや疲労感もあった俺だったが、完全に復活。心も体も、臨戦態勢に入る。


 『小石を隠すなら海岸の砂の中に、木の葉を隠すなら森の中に』


 かの有名な、ブラウン神父の言葉である。

 ここは、植物園。

 ならば当然、『植物園で隠すなら、植物』ということになろう。それこそ理に適っており、子どもにでもすぐにわかる理屈である。


 そして今、俺が身に纏っているのは、林檎リンゴの木の張りぼて――全身着ぐるみ――だった。家の使用人にも手伝ってもらいながら、昨日、徹夜して作ったものだった。

「謙ちゃん、本当に手先が器用ね」

 子どもの頃からそう云われ続けた俺も、これにはさすがに手を焼いた。

 なにせ、由緒ある雛地鶏家の次期当主が身に着ける着ぐるみだ。貧相なものであってはならない。緻密な張りぼて作成には、当然、大変な時間と労力がかかる。


 などと考えていると、榊原が植物園のチケット売り場で「大人2枚」と叫んだ。

 その横で、涼し気な薄手のブラウスと青系のガウチョパンツに身を包んだお嬢様が腕を組み、小言を言い出した。


「ちょっと! さっきのランチは何なの? あれでは、ウチのワンちゃんのご飯以下よ。私が口に入れるのだから、もう少しまともなものを――」

「ああ、申し訳ありません、真奈美さん。次は必ず、良いモノを用意しますから……。まあ、とにかく中に入りましょうか」


 ランチの文句を並べ続けるお嬢様の背中をふんわりと押し、二人分の入場チケットを手に持った榊原が、彼女を園内へと案内エスコートしていく。


(ほほう……。榊原め、なかなかやるじゃないか)


 敵ながらあっぱれな、真奈美さん操作術である。

 悔しいが、榊原のそれは、明らかに進化してきていると云えた。

 俺も、いつまでもここに突っ立っている訳にはいかない。彼女の声が聴こえなくなった頃、静々と動き出した俺は、園内への入場を開始した。


「お、お客さん! 何です、その格好?」

「いや、大したことはありません。ただの、林檎の木ですよ。この、本物でしてね……。おひとつ、いかがですか?」

「要りませんよ……。それより、少しでも変な動きをしたら、警察呼びますからね!」

「え? あ、はい……」


 顔の横辺りにぶら下っていた果実をもぎ取って渡そうとした俺に、明らかに嫌悪の表情を見せながら渋々チケットを販売する、若い女性従業員。


 ――まったく、失礼な女だ。この俺を、誰だと思っている!


 まあ、仕方がない。良しとしよう。

 今は、そんなことに気を奪われている場合ではないのだ。


 枝の葉が擦れ合って音を出さないよう、細心の注意を払いながら植物園の中へと進む。

 とそのとき、俺の鼻センサーが、匂いをキャッチ。感じたのは忘れもしない、真奈美さんのすべてが混ざった、あのエレガンスな香りだ。

 植物園の花々の匂いに紛れている香りを、鼻をクンクンさせ、必死に辿たどる。すると、通路脇の花壇の前ではしゃぐ榊原と、それを涼しげな目線で見つめる真奈美さんの姿を見つけることができた。


「真奈美さん。この花、綺麗ですね!」

「うん、まあね。でも、その程度の花なら私の家の庭にわんさか生えてるわ……。まさか、この程度のモノで私の心を射止めようなんて、そんなことではないのでしょうね?」

「ま、まさかそんなことはないですよ……。だって、あなたより美しい花などこの世には――」


 ――うぐぐぐ。榊原め、楽しそうじゃないか。しかもあいつ、キザな台詞を吐こうとしてる!


 頭上の林檎の実を素早くもぎ取った俺は、榊原の野郎に向かって思い切り投げつけた。

 見事な放物線状の弧を描き、それは、奴の頭にしっかりと命中。


「あいたッ!」

「どうしたの?」

「あ、いえ……。突然、林檎が僕の頭に飛んで来てですね……」

「あのね、林檎はニュートンの時代から上から下へ落ちるものと決まってるの。横に飛びはしないわ」

「え? でも……。あれ? 真奈美さん、あんなところに林檎の木が生えてました? なんだか怪しく――」

「もう、どうでもいいから、早く目的の場所に連れてきなさいって!」

「す、すみません。でも、あともうちょっとですから。ほら、あそこに見える温室です」

「歩く距離はなるべく短くしなさいって、前から云ってるでしょ?」

「申し訳ありません……真奈美さん。でも、やっぱりあの林檎の木は怪しい……」


 まだ納得がいかない榊原は、地面から林檎を拾い上げ、頻りとこちらの様子を窺っている。けれどそんな榊原などお構いなし、ガラスの温室へと勝手に歩みを進める、お嬢様。

 それを見た榊原が、慌てて彼女の後を追いかける。


 ――ふう、危なかったぁ。


 もう少しで、バレるところだった。この俺ともあろうものが、つい感情的に……。まあ、精巧な着ぐるみだから、バレないのは当然だが。


 こうして、最初のヤマを乗り越えた俺。

 緊張で凝り固まった体中の筋肉から力を抜き、心の中で冷や汗を拭う。

 そして、こんなにすごい着ぐるみを作ることができる器用な手足を授けてくれた、由緒ある旗本のご先祖様に感謝の祈りを捧げた。


 だが、ずっと感謝ばかりしているわけにもいかない。こうしている間にも、榊原が何をしでかすかわからないのだ。

 もう一度全身に力を込め直し、音を立てずに気配を消して、二人を追いかけた。


 数分間、じっくり時間をかけて、温室の入り口に辿り着く。

 既に二人の姿は、目指す温室の奥の方にあった。その横では、施設の管理員らしき作業服を着た中年のおじさんが、花の剪定らしき作業をしている。


 とにかく、まずは彼らに追いつかなくてはならない。

 尾行は、近くもなく遠くもない距離が重要なのだ。

 だがしかし、ここは南国の花が咲く温室だ。奥へと進もうとするが、気温が高いために俺の体がまるで汗の海に沈んだようにびっしょりとなって、思うようには進めない。

 秒速1センチ。

 暑さと歯がゆさで、倒れそうになった。


 だがそれでも、由緒正しき家柄をバネに、根性で進む。

 そうして、我ながらナイスなポジションを温室内にゲット。見ると、温室のまん中あたりで、榊原が演説をぶっていた。それを、憮然とした表情でお嬢様が聴いている。

 二人の前には、まるで開演前の劇場の天幕のように白いカーテンが広がり、視界を遮っていた。

 ……どうやら、その奥に榊原の奴の小癪な小細工があるらしい。


「これが、花に込めた僕の気持ちです! では――どうぞ!」


 天井からぶら下った白い紐を、榊原が勢いよく引く。すると、カーテンが左右に分かれ、一気に視界が開けた。

 視界の先にあったもの――それは、いかにも南国的な、真っ赤な花びらの集合体だった。


「どうです? 感動していただけましたか? いやあ、ここまでにするのは大変でしたよ。何がって、まずこの場所を借りるのに所長を拝み倒して……。それから種を植えて、大事に大事に育てまして――」


 これまでの辛い道のりを想い出したのか、目尻に涙を浮かべた榊原が語り出した。

 が、その感動を遮るように、お嬢様のキンと冷えた声が熱帯の温室に響く。


「うん、わかった。これが、今のあなたの気持ちなのね?」

「ええ、そうですよ!」

「ふうん……。要するに、自分がいかに女好きかってことを云いたいのね?」

「は? 違いますよ。嫌だなあ、僕が好きなのは真奈美さんだけ――って、ああーっ!」


女子じょし女子じょし……大好だいすき』


 映画館のスクリーンほどの、広い地面。

 そこには、花文字として描かれた目が醒めるほど真っ赤な文字列が、ほとばしる情熱とともに並んでいた。


 ――ふっふっふ。やっちまったようだな、榊原君。


 熱帯の如き熱量を帯びた着ぐるみ空間の中で、一人、俺がほくそ笑む。


「あれれ? “好き好き大好き”って文字になるように植えたはずなんですけど……。うーん、どこでどう間違えたんでしょうね?」

「それは、こっちが訊きたいわ」

「いやあ、おっかしいなあ……。あ、そうか! これは雛地鶏の陰謀です、きっと!」


 何を抜かす、榊原! ぎぬを俺に着せるとは、なんと卑怯な!

 大体、俺は隠れてこそこそ動くような、そんな器の小さい男ではない。


 呆れる真奈美さんの横で、榊原がひたすら首をひねる。

 どうやら、俺が手を下すまでもないようだ。このまま放っておけば、今回は自滅していくことであろう。そんな場所に、用はない。

 気配を消し、黙ってこの場から去ろうとも思ったが、直ぐに思い直し、とりあえず二人がこの場を去るまで、完全に林檎の木と化して待つことにする。


「しっかりしなさいよ、祐樹君! とりあえず今日は、せっせと植物を世話したその頑張りに免じ、私にこくれるまで1億7千5百万年早いってことにしておくわ……。次は、こんなに甘くないから覚悟しといて!」


 真奈美さんが、優しいのか優しくないのか、全くわからない言葉を榊原に投げかけた。

 踵を返し、両足をリズミカルに動かして、温室の外へと向かう。

 ぐったりした榊原に、近くでやりとりを一部始終聴いていた初老の整備員が駈け寄った。そして、温室の手入れで間引きしたらしい一輪の花を彼に差し出し、慰めの言葉をかけた。


 ――おかしい。この有様で、どうして前回より2千5百万年も減ったのだ?


 俺も、この結果には納得がいかなかった。

 しかし、今の俺は「木」なのだ。動揺して、声すら出すこともできない。

 モデル歩きの真奈美さんが、長い髪をさらさらと揺らしながら、こちらに向かって来る。その女神の如き妖しさに息を飲みつつ、温室の外へと彼女が過ぎ去るのを、俺は待っていた。

 と、そのときだった。

 俺の真横で、お嬢様がピタリと歩みを止めたのだ。


「あなた、雛地鶏さんでしょ? さっきから、ちょこまかちょこまか、うるさいわよ」

「え!? いや、えーと、私はただの林檎の木でして……」

「男なら、隠れてないで正々堂々と勝負しなさいよ。じゃあ、またね」

「……」


 過ぎ去る、ほっそりと可憐な後姿。

 それを見送りながら、着ぐるみの中で地団太を踏む。

 この緻密な着ぐるみと完璧なまでの植物としての振る舞いが、まさか既に彼女に気付かれていたとは! 


 ――真奈美さん、恐るべし。


 愕然として着ぐるみを脱ぎ去った俺は、一際赤い林檎の実をひとつ胴体の部分からもぎ取って、思い切りかじった。

 林檎に残った、悲しき歯型きおく


 今までの人生の中で味わったことのない、ほろ苦さだった。




 キミに届けたい、永久とわの愛を。花壇にしたためた、花びらのラブレター。


 ―続く―

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