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告白  作者: 鈴木りん
4/14

3 伝統芸能でアイラブユー(3億8千万年前)

 噴水のある、この辺りでは大きな部類の公園。

 夏の暑い日には、日焼け止めをがっちりと塗ったお母さんに連れられた小さな子どもたちが歓喜してはしゃぎ倒す、そんな夏の風物詩のような公園に、あの二人はやって来たのだ。

 ――厳密には、いつもより一人多い、女一人と男二人だったが。


 けれど、さすがに今日は暑すぎる。

 朝のニュースで三十五度以上の猛暑日を予測した美人気象予報士には逆らえない――そんな感じで空気を読んだ地球のおかげで、気温は朝からうなぎ登りだ。

 沖に揚がったばかりのタコを茹でる湯気にも似た、もあっとした陽炎が立ち込める。

 そんな中、やや生気を失くし茶色がかった芝生の中にあるスプリンクラーが、ギラギラと照りつける太陽に降参とばかりに、地球を冷やすには大した効果も無いほどの少量の水を空しく吐き続けていた。


「さあ、真奈美さん。着きましたよ!」


 だが、この男「榊原祐樹」だけはそんな暑さにもめげず、元気いっぱいだ。

 公園の中心でありメイン施設ともいえる噴水池の前で、禍々しい邪気も振り払えるほどの澄み切った笑顔とともに、彼は池の横に据え付けられた木製のベンチシートを指差した。


「えーと……これは?」


 祐樹の屈託のない笑顔と180度反対側の世界に存在する、真奈美お嬢様の訝し気な表情。けばけばしい虹色をした、かなり派手目の日傘をさした彼女は、陽の光りの翳った空間の奥底から、ただ一点を睨みつけている。

 彼女の視線のその先にはアウトドア用の小テーブルが一つあり、そして、そのすぐ横に全身黒尽くめの長身男性の姿があった。

 男の両目は、真っ黒なレンズのサングラスで覆われている。


「私、こういう陽射しの強い日は苦手なの。できれば、早く済ませてもらえないかしら?」


 透き通るほどの白い肌から繰り出されたその発言は、祐樹にとって、厳しい真夏の陽射しよりも一段と厳しいものだった。

 でも、この程度の言葉に、恋する二十九歳の独身男がめげる筈もない。


「じゃあ、ちゃっちゃと済ませちゃいますね……近藤君、よろしく!」


 祐樹から近藤と呼ばれたカラスの頭領のようなその男は、何やらこれから起こるべき事態の準備に、忙しく体を動かした。


「近藤君って?」

「僕の会社の後輩です。今回はバイトとして、お手伝いに来てもらったんです」

「ふうん……そうなの」


 全身黒尽くめというのは、どうやら裏方としての「黒子」という意味らしい。

 近藤という人物は真奈美に向かって一度お辞儀をすると、白いシルクの手袋をつけ、恐ろしいほどの湯気を天に向かって吹き上げる土鍋を、どこからか運んできた。


「な、鍋をどうするの?」

「よくぞ訊いてくれました、真奈美さん。僕は今まで、告白というものを勘違いしてました。告白とは、ただ単純に文字にしたり、ただ単純に叫べばいいというものではない、ということに気付いたんです」

「そんなものかしらね……。で、鍋をどうするの?」


 にやり、祐樹が不気味な笑みを浮かべる。


「フッフッフ。目は口程に物を云う――作戦です」

「ごめん……全然わからないわ。それにそれ、本人の前で云うことでもないし」


 とそのとき、黒衣の近藤が「準備完了ですッ」と、声高らかに宣言。

 テーブルに置かれたカセットコンロに、悪魔の吐息を吹き出しながら煮えたぎった土鍋をセットし、その蓋をいかにも恭しく開ける。

 当然その中には、がんもどきにちくわにこんにゃくにたまご――所謂「おでん」の具が、所狭しと並んでいる。


「真奈美さん! わかりますよね、この価値が! この真夏の灼熱の陽射しの中、熱々おでんを平然と耐えるのですよ。これほどの漢気おとこぎが、ありましょうか?」

「まあ、そうね……いわば、お笑いの伝統芸能ってとこかしら」

「さすが真奈美さん、わかってらっしゃる! で、何の具にします?」

「……。がんもどき」

「おおお、さっすがあ! がんもどきを選ぶなんて真奈美さん、めっちゃ『おでん通』じゃないですかぁ」

「……。そうでもないわ。ただ、一番熱そうだなって思っただけ」


 近藤が、テーブルに置かれた長い菜箸をとり、おでん鍋の中のがんもどきをひとつ、流れるような動きで、優雅につまみ上げた。この世にもし「おでん舞踊術」という競技でもあれば、間違いなく彼は、有段者である。


「では、いかせていただきますッ」 箸に挟んだがんもどきを、雲一つない蒼空に向かって突きあげる、近藤。

「よっしゃ、こーい!」 まるで相撲部屋の親方のように腹を右手で叩く、祐樹。

「……」 で肩をすくめ、呆れ顔の真奈美。


 がつんッ


 それは歯と箸のぶつかる、壮絶な戦いの余韻を残した音だった。

 祐樹の前歯が勝利したのか、はたまた近藤の持つ菜箸が勝ったのか――

 もはや何の勝負かわからなくなったこの場の雰囲気を自分の側に取り戻すべく、祐樹は口より物を云うはずの目を、きりりと真奈美に向けた。そしてそのまま、女を魅了する不敵な笑みを浮かべようとした、その瞬間だった。


「熱、熱、熱ッ――辛、辛、辛ッ!」


 狂気の沙汰とも云える悲痛な叫び声をあげた榊原祐樹は、恐らくは想定とは異なり、口にしたおでんを辺りにぶちまけてしまったのだ。

 スーハ―スーハ―、頻りと息を吸ったり吐いたりして、唇を冷やす。


「こら、近藤! 何だよ、この味付け。打ち合わせと違うだろッ! 熱いだけじゃなくてこんなに辛かったら、飲み込むの無理だって!」

「さ、さあ……どうなってるんでしょうね。私には、わかりません」


 明後日あさっての方向に向きながら口笛を吹くという、古典的なごまかしをする、近藤。それを見た真奈美お嬢様は、パタパタと三度、その大きな瞳で瞬きをした後に、口を開いた。


「…………。えーと、これで終わり? もう帰っていいのかしら?」


 彼女の行く手を塞ぎ、祐樹が頻りと首を振る。


「ま、まだです。こんなの、序の口ですよ……さあ、近藤君、次の準備を!」

「了解!」


 そそくさとどこかに消えた近藤は、今度は小さな子どもがお庭などで楽しくちゃぷちゃぷと浸かるアレ――ピンク色のおもちゃプール――を持って来た。空気が足らずにぺっちゃんこなプールを、よいしょと声を出して真奈美の前に置くと、フットペダルの空気入れでそれに猛然と空気を入れ始める。

 それを終えると次に、盛んに湯気の吹き立つ巨大な真鍮製のヤカンをいくつも持ってきて、その注ぎ口からお湯らしき液体をプールに注ぐ。そして、ある程度液体がたまったことを確認した彼は、にっかりと笑いながら「準備OKです!」と高らかに宣言をした。

 

 ――この間、たったの三分。

 彼が、かなり優秀でデキる社員であることは、ほぼ間違いない。


「では、始めます!」

「もしかして……これも笑いの伝統芸能?」


 そんな真奈美の質問には答えず、祐樹が服を脱ぎだす。

 あっという間に海パン一丁の姿になった祐樹は、ぎらぎらと照りつける陽射しを体いっぱいに浴びながら、

「押すなよ、押すなよ」

 と声を出し、空気でパンパンになったビニールプールの縁に両手両足を載せ、まるでバッタのような恰好で這いつくばった。


「……」

 黙りこくったままの、近藤。


 ――この状況は、「押せよ!」という、あの伝説ともいえるセリフが榊原祐樹の口から出てくるのを待っているのね――


 なんて、真奈美が思った瞬間だった。

 近藤が、その長い足を延ばし、祐樹の背中をガン、と蹴とばしたのだ。

「うわ、まだ早いって!」

 そんな悲しい叫び声とともに、パンイチ男が、小さなプールに頭から突っ込んだ。


「ぐわっは! あっちぃいい!」


 真っ赤に茹で上がったお腹と背中を曝した祐樹が、まるで出来の悪い一人芝居のような動きで、清らかな水を天空に向かって吹き出す噴水を中心に据えた池――真夏の天国――に向かって突っこんで行く。

 それは、彼が子ども用プールに飛び込んでたった一秒後の、出来事だった。


「バカ野郎ッ! タイミングが打ち合わせと違うだろうが! それに、その温度――60度にしといてくれってあれほど言ったのに、どう考えても本当の熱湯じゃん!」


 と、今まで近藤と呼ばれていた男が着けていたサングラスを外し、黒衣の衣装を脱ぐ。彼に代わり忽然と現れたのは、品の良い濃紺のスーツに身を包んだ、お坊ちゃん風の若い男だった。

 この暑いのに、何枚も重ね着をし続けていたとは、その忍耐力、恐るべし。

 彼の胸ポケットには、赤い薔薇の花が一輪、これ見よがしに刺さっている。


「あっ! お前は、この前に動物園で現れた優男やさおとこ!」

 噴水の水を頭から真面まともに浴びながら、祐樹はその男を指差した。

「ふっ……誰が優男だ。男前とか、二枚目とか云って欲しいね」

 男が、左目にかかったウエーブ気味の髪を、そのほっそりと長い左手の指で、さらりと払った。


「なんでお前がここにいる?」

「簡単だよ、29歳の冴えない独身男クン。キミと近藤とかいう後輩が結託して良からぬ作戦を企てていることを知った私は、私と近藤君の背恰好が近いことを利用して近藤に成りすまし、その野望を打ち砕いたというわけだ」

「アンタ……ホントに暇なんだな」

「暇ではなーい! 何たって私は――」


 とそのとき、満を持したように、お嬢様のぷるんと美しい唇が艶やかに動いた。


「どうも、お久しぶりね。雛地鶏ひなじどり けん、28歳の優男さん。いくら元公家の名家とはいえ、あなたとの縁談の件は正式にお断りしたはずよ。それでも、私に付き纏うおつもり?」

「何だって? お前、真奈美さんに付き纏ってるのか!」


 敵対心を露わにした榊原祐樹が、眉をひそめた。当然、開いた口の中に、噴水からの水がガボガボと降り注いでいることなど、全く気にもしていない。

 真奈美が、「まあ、あんたもだけどね」という表情で、祐樹を見遣る。


「酷いなあ、真奈美さん……。こんな29歳のダメダメ崖っぷち男のどこが良いんです? なんだかんだ云いながら、彼のデートに付き合っているのが、私にはどうしても解せないのですよ。こんな冴えないオッサンと付き合うくらいなら、私と――」

「誰がオッサンだよ! それに、歳だってアンタと一つしか変わらないだろ?」


 ご立腹の祐樹をあざ笑うかのように、雛地鶏が鼻から息を吐き出した。


「真奈美さん。いい加減、目を覚ますべきです。どんな男と結婚することが、あなたの本当の幸せか、ということをね」

「……。余計なお世話よ、雛地鶏さん」

「えーと、もしよろしければなのですが……私を下の名前の『謙』で読んでいただけると嬉しいです。どうも、この名字は……」

「それも余計なお世話よ、『雛地鶏』さん」


 真奈美と雛地鶏の睨み合いの中、祐樹は噴水から飛び出し、雛地鶏から真奈美を守るようにして、彼の前に立ちはだかった。

 祐樹の激しい動きで水が飛び散り、日傘の下の真奈美の服が、びしょぬれになる。

「ちょっとぉ……服がぬれたんだけど」

 祐樹の真っ赤に日焼けした背中を、複雑な表情で睨みつける、お嬢様。


「とにかく、今日の所は帰ってもらおうか、雛地鶏クン」

「だから私を呼ぶのは下の名前で――まあ、それはいいや。

 でも、なんでそんなことをキミに云われなければならない? ――まあ、仕方ないな。今日の目的は達成されたことだし、ここは引き下がるとしよう」


 じゃあ、アディオス!


 雛地鶏は、テーブルや土鍋、子供用プールを置き去りのまま、南米風の明るい調子で別れの言葉を告げ、何処かへと消えて行った。

 と、途端に真奈美が眉を吊り上げ、怒りを祐樹にぶつける。


「榊原祐樹! なんで、あんな奴に負けるのよ」

「えっ、負けてました? ……っていうか真奈美さん、僕のこと応援してくれたのですか?」

「応援なんかじゃないわよ! あいつが嫌いなだけ。アンタもそんな変わりはないわ」

「そ、そんなあ……」

「とにかくね、あんな奴に負けてるようじゃ、お話にもならない。私に告白こくるなんて3億8千万年は早いわ。顔でも洗って出直して来なさいッ!」


 真奈美はそう言い残すと、派手な日傘をくるくると回しながら、その場から立ち去った。


「起死回生の技のはずだったのに……。『年数』が減るどころか、最初の時よりも増えてしまうとは……くっそぉ、くっそぉ!」


 祐樹は、子ども用プールの水にほとんど顔が付いてしまうぐらいがっくりと膝を落とし、頻りに首を左右に振った。

 彼の瞳からこぼれ落ちた何粒かの水滴が、プールの水を、ほんの少しだけ増やす。



 ――そんな、折れたゴボウのような彼の姿を、数十メートル離れた公園の樹木の陰から見つめる女が、一人いた。

 どう見ても若く、大学生に成りたてか、そのくらいの歳に見える。そして何よりの特徴は、その清楚な美貌。純白のウエディングドレスのようなワンピースと、風にはためく赤リボンのついた白い帽子が、彼女の清楚さを際立たせている。


「私というものがありながら、あの人は……」


 真っ白なレースのハンカチを口で咥えながら、悔しそうに呟く、彼女。


 とそこへやって来たのは、公園の清掃員らしき作業服を身に着けた、初老の男だった。灰色の帽子からはみ出したその白髪が、彼の人生の年輪の深さを示している。


「お嬢ちゃん! アンタ、そこで何してんだ?」

「あら、私としたことが、知らない人に見られてしまった……とにかく、見ず知らずのおじさまには関係ないことです! 失礼します!」


 白き陽炎の如き淡い存在感を持ったその女は、真夏の陽射しを受けた灼熱の公園から逃げるように、その姿を消した。

 それを見届けた初老のおじさんが、溜息をつく。


「あーあ。何だか、今日は大変だ。あそこであの男は倒れてるし、おもちゃのプールとおでんの土鍋が散らかったままだし……困ったものだよ」


 おじさんはもう一度大きな溜息をつくと、公園の清掃に取り掛かるべく、がっくりと一人佇む祐樹に向かって、ゆっくりと近づいていった。




☆ キミに届けたい、永久とわの愛を。笑いの伝統芸能でつづったラブレター ☆


―続く―

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