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告白  作者: 鈴木りん
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1 焼肉屋でアイラブユー(3億年前)

「どうです、うまいでしょ? ここの焼肉屋、僕のお気に入りなんです」


 僕、榊原さかきばら祐樹ゆうき(29歳・独身)は、前回のデートでけちょんけちょんに叩きのめされた彼女、「黄川田きかわだ 真奈美まなみ」さん(27歳・めっちゃ好み・独身)をもう一度デートに誘うことに成功し、会社帰りの金曜の夜に駅で落ち合った後、この焼肉屋へと来ていた。



 「ザ・七輪しちりん」。それが、この店の名前だ。

 実は……この店がお気に入りっていうのは、嘘。本当は、今日初めて来たんだ。

 ネットやグルメ情報誌で調べあげた、『高級備長炭を使用した、七輪の炭火で焼肉を楽しめる人気店』。情報によれば、肉質も悪くない。

 ならばきっと、舌の肥えたお嬢様も、ちょっとくらいは気に入ってくれるはず!


 ――なんて妄想を抱きながら、彼女をエスコートして駅前通を歩き、薄暗い路地を右に折れて、この店の正面にたどり着いたのは、今から約三十分前。

 そこで、僕らを待ち構えていたのは、幻想的な光景だった。


 和風な横開きの玄関の横から突き出た太い煙突のような横穴から、これでもかというくらい勢いよく噴き出した、店の排煙らしき白い気体。それを、薄暗い街灯の明かりが、ほんのりと淡く、照らし出している。

 もしかして、今から大物演歌歌手のステージが始まるのかも――

 なんて気さえしてくる雰囲気とやや肌にまとわりつく粘性を持って、その気体は霧のようにもこもこふんわりと漂いながら、路上空間を占領していた。


(うわ、なんて気の利いた演出! やるな、この焼肉屋!)


 まさに、雲の上のメルヘン世界に、二人が迷い込んだような格好だ。

 芳ばしい肉の香りにまで包まれて気分上昇気味の僕は、「真奈美さん、ここです」と低めの渋い声で、彼女を店の中へといざなった。

 

「……ここ?」

「そうですよ、さあ、入りましょう!」


 僕の思いとは裏腹、なぜか真奈美さんの表情は、ぶすっとして不機嫌そうだった。



 奥の席に着くとすぐ、やって来たのは中年男の店員さんだった。僕は、メニュー表をあまり見ることなく、既に頭に折込済みの品々を、淀みなく注文していく。

 やがてテーブルに運び込まれた七輪と、血の滴る我が精鋭の戦士たち。僕は、すかさずトングを取り、七輪の網の上に、幾何学模様の配列を思わせる美しさで、肉を配置した。


 ピシッと決まったピンクのビジネススーツを汚しては大変と、お店からもらった半透明の青いビニールポンチョのような前掛けを首から下げている、彼女。

――こんな格好の彼女も、意外と可愛らしい。

 きゅんと、僕の胸が高鳴った。

 不意の目の保養だったけれど、ラッキーな出来事に感謝しながら彼女の姿に見惚れていた、僕。

 そんなとき突然、口をへの字に曲げた彼女が口を開いたのだ。


「まあ……普通よね。この程度の肉なら、結構、食べたことあるし」


 七輪から立ち昇る煙の向こうから発せられた細く尖った氷のような彼女の言葉が、今日もボクの胸にぐさりと突き刺さる。

 けれど今日の僕は、前回の僕とは違う。

 なんたって、僕の経験値がUPしたのだ。前回のデートを経て、彼女の言動にもだいぶ慣れたはず、なんだ。

 いや、もしかしたらそれは、慣れというより快感に近い――なんて気もするけど、まあ、そこは考えないことにしておく。

 

 とにかく、今日ここに来た本当の目的は、肉の美味さやビニールポンチョを纏った彼女の処凛さを堪能するためではない。

 ほら……よく云うでしょ? 焼肉屋に来る男女は、深い仲になっているしるしだとか!

 もちろん、ここの代金は僕のおごりだけど、これで二人の仲がぐっと近づけるのなら、安いものさ!


 改めて今日のプランをもう一度頭の中で復習した僕は、男らしさを見せつけるべく、まるで戦国時代の剣豪のような動きで、ひらひらとトングを操った。とにかく肉を載せてはひっくり返し、肉を載せては、焼きまくる。


(きっと今頃彼女、僕の雄姿にホレボレしているよ)


 網一面に広がった肉から目をほんの一瞬外し、彼女の表情をチラ見する。

 と、思いとは逆に、僕が丹精込めて焼いた肉には目もくれず、彼女は大ジョッキのビールを、くきっと豪快にあおったのだ。


「……でさあ、今日の肝心な話って何なの? この程度の肉なら、私はキュンとはならないわよ。それに……さっきから肉ばかり焼いてて、全然、肝心な話なんかないじゃない!」


 細い眉をピクピク震わせながら、僕の目を射抜くように、こちらを睨む。


(僕の雄姿は、全く彼女の胸に届いていない……)


 自然とこぼれ落ちた涙が煙のせいだとばかり、僕は一度、大きくせきこんだ。

 皿の上に焼かれた肉が積み上がっていく一方で、二人の間には楽しい会話は全く積み上がらなかった。そればかりか、彼女の感情という皿にイライラがどんどん積み上がっていくのが、手に取るように分かる。


(真奈美さん、さあ、席を立って!)


 この状況を打破できるのは、そう、あれしかない――

 とそのとき、脂ぎったトングの先から、掴み損ねた「特上やみつき塩ホルモンpremium」のぷるぷると白い肉片が、躍るように跳ねあがる。地球の重力まで味方につけたひと切れの肉片は、更に彼女の方へ向かって転がっていき、終いには彼女の目前で、金属の網からテーブルの上へとぷるんとこぼれ落ちた。


 コマ送りで映画を見ているかのような、そんな瞬間。

 ついに、山が――いや、彼女が動いたのだ。


「んもう、けむすぎてダメだわ。……ちょっと、お手洗いに行ってくる」

「あ、どうぞどうぞ。いってらっしゃいませっ」


(チャンス!)


 遂にやって来たのだ。

 そう――この雰囲気を打破する妙案を実行に移す、その好機が!


 胸の鼓動を必死に抑えながらスーツの右ポケットに手を突っ込んだ僕は、一組の新品の軍手を取り出し、両手にはめた。

 そして、急いで七輪の網を取り外し、そこに両手を突っ込んだ。


 じゃあぁぁ! ぶっしゅぅぅ!


 何かが盛んに焼け焦げていく音ととともに、夥しい量の黒煙がまるで真夏の積乱雲のようになって、もくもくと湧き上がっていく。


「うわっ。何するんだ、お客さん!」

「すまないけど、見逃して。僕の人生がかかってるんだ!」

「人生が……かかってる? え?」


 中年の店員さんは僕の勢いに圧倒されたらしい。それ以上は言葉を発せず、黙って僕のやることを覗き込んでいた。


「できた!」


 とそのとき、しきりにスマホをいじりながら帰って来た、彼女。

 画面から目を離したその瞬間、僕に釘付け――とばかり、あんぐりと口を開けたまま、ぱちぱちと瞬きを頻りに始めた。

 さあ、押すのは今!

 僕は、夏休みに家族でキャンプに行き、ここぞとばかり男らしさを前面に押し出すお父さんの如く、きらりと光る歯を見せつけてやった。

 

(こんな姿を目の当たりにした彼女……今度こそ、僕に胸キュンしているに違いない!)


 ――なんて甘い僕の妄想は、すぐに彼女によって粉々に砕かれてしまった。


「ちょっとアンタ、何してんの? 恥ずかしいじゃない!」

「え? 恥ずかしい? そんな……アチ、アチチ!」


 備長炭から燃え移った火が、容赦なく両手の軍手に襲い掛かる。


「危ないわね! とにかくその小汚い軍手をとって、そこに座りなさい……今すぐ!」

「あ、はい……」


 備長炭のかけらを七輪に戻し、それから、慌てて軍手を襲う火の手をぱんぱんと叩いて消し止める。肉の載った網を七輪の上に戻すと、テーブルの上では大事な戦いを終え、すっかり身も心も燃えつきてしまった軍手が、残滓ともいえるその寂しい姿を、曝していた。

 黒い煙を吐きだしてくすぶる七輪を目の前に正座しながら、僕は彼女の目をじっと見つめた。

 即座に感じたのは、彼女の全身から発せられた、どす黒い殺気。

 彼女の発するパワーに圧倒されたあの店員は、もうとっくにどこかへと姿を消していた。


「で、一応聞くけど……何をしたかったの?」

「あ、それはですね……これです」


 僕が指差した先――

 そこにあるのは、網の上に載った焼きかけの厚切りの牛タン、二枚だった。見ようによっては、ハートの形に、見えなくもない。それらの表面には、僕が備長炭の角を使ってなぞり、熱で黒く変色させるようにして書いたたどたどしい文字列が、並んでいた。


『スキです』 『つきあってください』


「…………」


 一体、それからどのくらいの長さの時間が経過したのだろう。

 肉が炭の熱でぱちぱちとはじける音だけが響く、そんな時間だった。いや、もしかしたら時間の流れすら、止まっていたのかもしれない。この世のものとは思えない、異次元の空間が、しばらく僕ら二人を取り囲んだ。

 二枚の牛タンがくるんと丸まって、文字が見えなくなってしまった、その瞬間だった。凍りついていた彼女の表情が、ぴくり、動き出した。

 それはまるで、辛く長い冬を乗り越えて春を迎えた、北国の自然の息吹のよう。息を吹き返した彼女の眉の両端が、みるみる、吊り上がっていく。


「何よ、くだらないわね! この程度の演出で私に告白こくるなんざ、3億年早いわ!」


 ポンチョを床に投げ捨て、くるりと身を翻した真奈美さんが、足早に店を去って行く。

 気が動転し、正座したままの僕は、黙ってその後ろ姿を見送ることしかできない。

 

 がっくりとうなだれる僕の肩を、ぽんぽんと優しく叩く手があった。

 それは、いつの間にか僕の横に立っていた、先ほどの店員さんの無骨な手だった。そのうるんだ瞳は、彼が今の出来事のすべてを理解していることを、僕に教えてくれた。


「ありがとう、店員さん」

「いいんだ。いいんだよ、お客さん。この特上カルビ……サービスしとくからさ」


 鼻をすすりあげながら肉の盛られた皿を一つテーブルの上に静かに置き、その中年の店員さんは、去って行った。

 時間をかけ、ほどほどに焼いた肉をたれにくぐらせ、口へと運ぶ。さっきまで緊張で解らなかった肉の旨みと素敵な香りが、僕のハートを捉えた。


「美味い、美味いよ……ありがとう、店員さん」


 僕の両眼から、きらり、光を放ちながらこぼれ落ちていった、数滴の涙の粒。

 それらは、網の上でじゅっ、と音を立てて水蒸気となり、地球の大気の一部となった。


「さようなら、涙くん」


 カルビを包含した僕の口から、ぽつり、言葉が漏れていた。




☆ キミに届けたい、永久とわの愛を。肉の上に炭で書いたラブレター ☆


―続く―

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