10 結婚式場でアイラブユー(?年前) 後編
ピリピリと空気を震わすほどの異様なオーラを放ちながら、身構えた香取。それに応えるように、数人の部下の忍者たちも身構えた。
しかし、それを見ても近藤さんは少しもひるまない。
「いや、将棋三段はギャグでもなんでもないんですよ」
「そうだそうだ」
「スポーツでも格闘技でも」
「そうだそうだ」
「結局勝つのは」
「そうだそうだ」
「ちょっと……榊原先輩、間の手がうるさいです。今、大事なところなんですから」
「そうだ――ね。すまない、暫く黙ってるよ」
肩をすくめて小さくなった、榊原祐樹。
私も、ついに片足のヒールを榊原に投げつけかけたその矢先だった。近藤さんが、小さな溜息の後にこう云い放ったのだ。
「勝つのはですね……結局のところ、“ここ”の良い方なんですよ」
右手の人差し指を頭のこめかみ部分に当てて、不敵に笑う。
私に背を向ける香取の表情は見えない。が、相当それは歪んでいるのだろう。まるで水中で溺れているかの如く、かなりのくぐもった声がその体から発せられた。
「ほう……。我ら伊賀者を愚弄するのか。これ以上馬鹿にすると、いくら雛地鶏様から致命傷は与えぬようにとのご命令でも、その保証はできかねるが」
壁のように聳え立つ近藤さんと、おっかなびっくりと動きながら下手くそなボクシングのファイティングポーズをとる榊原祐樹の二人に、じりり、じりり、とにじり寄る忍者たち。
それでも、近藤さんは動じる様子はない。
――カッコいい。
淡い心が湧き上がるのを、必死に抑える私。
それに比べて榊原は……。
「では、良いことをお教えいたしますよ。あなたたち、僕を素手の素人と思って油断しましたね。先ほど、下っ端の皆さんには、私の指先の爪にたっぷり塗った眠り薬を肌から注入させていただきました。あ、因みにこれは眞子さんのところの製薬会社が開発した特注品で――まあ、それはいいですね。とにかく、そろそろその効果が出始める時だと思うんですが……」
その言葉を言い終るか終わらないうちに、下っ端忍者たちが、バタバタと廊下の上に突っ伏すようにして倒れていく。
「ぐっ……。お、おのれぇ」
一人、近藤に飛びかかった香取大五郎。
それを巧みに受けかわしながら、近藤さんが叫んだ。
「香取は、この私が引き受けます。先輩は、真奈美さんの元へ!」
「お、おう」
香取と近藤さんが取っ組み合う横を通り過ぎ、もつれた足を必死に動かしながら榊原祐樹が私の目の前にやって来る。
「ま、真奈美さん!」
「かっこ悪い……」
「え? 今なんか云いました?」
「何でもない」
私はハイヒールを足に装着し直し、心を落ち着ける。
しかしよく見ると、榊原祐樹のジャケットから突き出た腕やその顔には無数の傷があった。衣服も所々破れている。どうやら、ここまでくる間に“多少は”戦いを繰り広げてきたらしい。
少し、見直してやることにする。
「で、何なの? 今日は私と雛地鶏謙との結婚式だと分かっててここに来てるのよね?」
「もちろん――そうですよ」
「じゃあ、私を奪うつもりなの?」
「はい、そのつもりで、やって来ました。だから――」
そのとき私は、榊原祐樹の台詞の続きを制し、こちらから言葉を浴びせかけた。
「この私も甘く見られたものね」
「そ、そんなつもりは……」
「第一あなた、私の本当の気持ちが分かってるの? この私の本当の気持ちというものを!」
「それは……自信がありません」
下を向いた榊原祐樹にやっぱりヒールを投げつけてやろうと足にもう一度手をやったが、もう少しの所で思いとどまった私は、代わりにぎりりと歯ぎしりをした。
「それにあなた、一番重要なことを忘れてる。私からの宿題がまだ終わってないわ。この私をその気にさせる、気の利いた『告白』をまだ聞かせてもらってないじゃない!」
「結婚してください!」
今度は私の勢いを遮るように、彼の口から唐突に出た言葉。
その澄み切った瞳が、私の心の真ん中の部分を貫く。私の口が開いたままになっているのに気付き、すぐに閉じた。
血の滲む傷だらけの手が、私の手を掴む。
総ての心の棘を抜いた後のような笑顔を浮かべた彼は、所々穴の開いた薄茶のパンツの片膝を地面に付けて跪いた。ラフに着こなした黒のジャケットとボタンが飛んで肌蹴た白シャツに、今更ながらどきりとする。
「もう、姑息な手は使いません。ストレートに気持ちを伝えます……。僕と結婚して下さい!」
すると、横で激しい戦闘をしているはずの近藤さんと香取大五郎の戦闘オーラがすっと消えた。二人ともその手を休め、ニヤついた表情でこちらをじっと見据えている。
「ちょっとあんたたち、せっせと闘わなくてもいいわけ?」
「あ、そうだったそうだった。俺たち、闘ってるんだったわ。面白そうなんで、つい観ちゃったよね」
「ホント、そうですよね。面白くて、つい見入っちゃいますよね、香取さん」
「そうだよねぇ、近藤君」
男と男の勝負なんて、があがあほざく割に大したことはないものね――。
私は、強制的にこの場面を盛り上げるよう、二人に命じた。
「ふん。私の結婚式で、しかも略奪の場面なんだからね。もっと派手に闘って場を盛り上げなきゃ、許さないわよ!」
「はいぃ」「了解ですッ」
忍術も武術も、私の威力には敵わない。
二人は、一度身震いした後、わざとらしく再び睨み合った。
未だ“まな板の上の鯉”状態になっている榊原祐樹に、ゆっくりと目線を戻す。
「……それよ。その言葉よ。シンプルイズベスト、私をその気にさせる言葉――それはまさしくその言葉よ」
「え、そうなんですか? じゃあ……」
「そうよ。あなたは――祐樹さんは私の心を射止めたの。さあ、ニューヨークでもパリでもウイーンでもベネチアでも、どこでも好きなところに私を連れていきなさい」
「えーと、いずれも私の給料と貯蓄では連れていけない場所ばかりですけど……」
「ごちゃごちゃうるさいわね! いいから、とにかくこの私――世界一の麗しきお嬢様である黄川田真奈美を、ここから連れ去りなさい!」
「はいぃ」
ぐいと私の細腕を取った、榊原祐樹。
これぞ最初の共同作業だとばかり、二人して走り出した。
と、その刹那だった。騒ぎを聞きつけたらしく、ともにタキシードをばっちり決めたお父様と雛地鶏謙が、血相を変えた様子で廊下の反対側の奥から姿を現した。
「お父さん、負け犬の榊原君があんなところにいますよ!」
「何だと? 真奈美、何をしている! まさか、お前たち……。馬鹿なことはやめておけ。今ならまだ間に合う、そこで立ち止まるんだ!」
その程度の脅し文句で、立ち止まるわけがない。立ち止まれない。
二人にあっかんべえをお見舞いして、そのまま赤い絨毯の敷詰まった廊下を走り出口へと向かう。榊原祐樹は、どうやら忍者との戦闘で体力を消耗していたらしく、次第に足の運びが遅くなってきた。
「祐樹さん、その手を離さないでね。がんばって、私に付いて来るのよ!」
「あ、はい。がんばります……」
いつの間にやら、私が彼を引き摺っている格好に。
ドラマの感動シーンとはなにか違うような気もするけど、今はそんな些末なことに執着している暇はない。横で榊原祐樹が「その台詞、僕が云いたかったのにな……」と呟いたことも、聞こえなかったことにしておく。
長い廊下を駆け抜け、大きな玄関広間に飛び出したときだった。
涙も混じっているのか、濁声のお父様の叫びが式場の天井に反響し、辺りに轟いた。
「待て、真奈美! もし本当に二人してここから出て行くのであれば、もうお前は私の娘でも何でもない――勘当だ! それでもいいのか?」
勘当という言葉がずしりと私の可憐な胸に突き刺さった。足を止め、猛然と振り返る。もちろんそれは私の――いえ、私たちの決心の堅さを示すためにだった。
30メートルほど先の廊下で、顔を真っ赤にしたお父様が立ちすくんでいる。そして、そのすぐ横では、あたふたするばかりの元新郎――雛地鶏謙がいた。
「ええ、望むところよ、お父様。私は、愛に生きるの。さようなら!」
「そんなあ! 真奈美さあん、後生だから私と結婚してくださいよぉ」
とりあえず、雛地鶏の泣き言は無視しておく。
勘当という言葉にびびったのか、私の手を握る榊原祐樹の手が少し震えているのに気付いた。大丈夫、私が付いてる――とばかりに、その手をぎゅっと握り返した。
「確かに榊原君は見どころはある。だが、金はない。お嬢様暮らしの長いお前が、庶民の結婚生活に本当に耐えられるとでも思っているのか?」
「大丈夫、お父様。私、思ったより金銭感覚は庶民的なの。彼のやっすい給料でも私の給料と合わせればきっと何とかなるはずよ! だって、百万円ぽっちのヨーロッパ旅行は月1回だけで我慢するし、5百万円のお値打ちな豪華客船の世界一周旅行なんて1年に1回だけでいいし、3千万円ぽっきりの超破格な宇宙旅行には結婚10周年記念に1回だけ行ければいいもの! ね、全然大丈夫でしょう?」
「う、嘘だろう? あんなに華々しい生活が好きなお前が、たったそれだけの禁欲生活に耐えられるなんて……」
私の衝撃発言に、お父様はがっくりと項垂れてしまった。
まあ、それも仕方ないと思う。実は私って意外と安上がりな女なの。今まで黙っていてごめんなさい、お父様。
「……いえ、全然大丈夫じゃないです、真奈美さん。で、でも、僕が真奈美さんを幸せにする自信だけはあります! 根拠はないけど」
横で、榊原祐樹の呟くぼそぼそ声が聞こえた。
自信があるのか無いのか良く分からないコメントは、再び聞こえなかったことにしておこうと思う。
それも束の間、戦意喪失したらしい相手を見た榊原祐樹が云った。
「いつまでもぐずぐずしていられません。急ぎましょう」
私の手を、彼が勢いよく引っ張った。
硝子のように華奢な私の胸の中に、最近忘れていたキュンと甘酸っぱい感情が充満した。
――これよ、これ! 私が求めていた感動シーンは!
傍から見れば宙を舞う妖精のように見えるであろう、ウエディングドレス姿の私。そして、それを敢然とした態度で私の知らない別世界に連れ去ろうとしている、彼。
私の脳裏に、今までの彼との出来事が走馬灯のように駆け抜けていった。
初めて彼と会ったのは、忘れもしない――合コンの場だった。
庶民がするという合コンというものがどんなものか知りたくて無理矢理参加させてもらったその場所に、たまたま祐樹さんがいたのだ。
その後、彼から繰り広げられたアプローチの数々――焼肉屋に動物園、アツアツおでんにスカイダイビング、街中パフォーマンスの後は植物園で、深海では危く命を失いかけ、トンネルの暗闇で遭遇した“にゃんこ”の霊。
懐かしさ半分、呆れる気持ち半分で、彼の背中を見つめた。
と、急に胸の中がもやもやと曇り出し、この前から気になっていたことを思い出した。
「あ、そういえばだけど。何でアンタ、私の“ほくろの場所”知ってたの?」
「ええーっ。今、それを云います? えーと、あのう、それはですね――」
その不審な動きにカチンと来た私は、びたり、足を止めた。すると、榊原祐樹は急ブレーキがかかったようにつんのめって、仰向けにばったりと倒れた。
と、そのとき見つけたのは、彼のジャケットの胸ポケットからはみ出るようにこぼれ落ちた、銀色の鎖だった。
「ん? 何コレ」
「あーっ、それは!」
手で拾い上げてみるとそれは、今まで彼が身に着けているのを見たことがなかったペンダントだった。衝撃で緩んでしまったらしく、かぱかぱと動く蓋を開けてみる。
「……。ちょっとぉ。これはどういうことなのよ」
「どういうって……それは……会社の後輩にもらったもので……。あー、しまった! ジャケットのポケットに入れたまま、出すのを忘れてた!」
「ああーん?」
ペンダントの蓋の下に貼られていたのは、ハートマークの形に切り取られた可愛らしい女性の写真だった。
ペンダントごと握り潰し、その辺に放り投げてやる。
「ほほう……。アンタは私が好きでもないヤツと無理矢理結婚させられそうになって苦しんでいるときに、こんな可愛い彼女とデートして楽しんでいた――そういう訳なのね?」
「い、いえ違います! それは先日、会社の女の子が勝手に僕に渡して来たもので、特にどうっていうことじゃ――」
「それじゃなんで、後生大事に胸ポケットに入れてるのよ。写真付きのペンダントを」
「いや、それはたまたまっていうか、忘れてたっていうか――」
「ゆるさーん! 榊原祐樹。やっぱり私、アンタを見誤ってたわ!」
私は、地べたに這いつくばって怯える彼に、こう云い放った。
「アンタなんか、私に告白するなんてやっぱり百億年早いわよッ!」
「ひゃ、百億……年」
うわ言のように百億と何度も呟いた榊原祐樹は、口から泡を吹き、その場に倒れ込んだのだった。
キミに届けたい、永久の愛を。ウエディングシューズのヒールに込めたラブレター。
―エピローグに続く―




