9 クイズ大会でアイラブユー(10億年前) 後編
――真奈美さんへの告白タイム争奪、クイズ大会だって?
完全に地上へと昇り切った時、僕等は大きな球場のフィールドのど真ん中に座っていることが分かった。
観客は、数万人規模のようだ。どう見ても3万人は下らない。
僕の目の前にある机の上の赤ランプと押しボタンスイッチが、不気味に光っている。その隣には、よくマジシャンが使いそうなシルクハットが置いてあり、昔一世を風靡したあのクイズ番組を彷彿とさせる「?」マークの飛び出る仕掛けが取り付けてある。
何より感心したのは、我々の服装だった。
よく見れば、二人とも競馬の騎手が着る勝負服によく似た、アメリカン的色彩の派手な服装に着替えさせられている。まったく、ご丁寧なことである。
と、手の自由を奪っていた鎖のようなものが無線で操作されているのか、かちゃりと自動的に外れ、急に腕が自由になる。
雛地鶏も同じことになっているようだ。
「赤コーナー、183センチ154ポンド、雛地鶏財閥グループ所属――。ひなーじどりーけーん!」
まるでプロレスの試合のようなアナウンスが始まった。
湧き上がる、数万人の歓声。
雛地鶏は訳も分からず、強張った顔で歓声に応えるべく小さく手を振っている。
「続きまして……。青コーナー、170センチ139ポンド、一般庶民階級所属――。さーかーきばーらーーゆうーきーぃー!」
今度は、雛地鶏ほどの盛り上がりはない。
観客の客層は、どうやら僕にとってアウェイであるらしかった。
それにしても、僕の身長と体重はいつ調べたのだろうか。あの屈強なボディガードたちが僕の気絶中に身体測定をしたかと思うと、何故か不思議な笑いが込み上げた。
「そして、今日はこのクイズ大会の主催者であり、クイズ問題の監修にもあたりました、黄川田コンツェルン会長、黄川田権蔵さんにも放送席に来ていただいております。会長、どうぞよろしくお願いします」
「はい、よろしくお願いします」
局アナらしき男性アナウンサーの言葉に、低く渋い声で答えた白髪の紳士。
名前からすると、あの方が麗しの真奈美さんのお父様であることは間違いない。初対面だ。そう考えると、背筋がピンと伸びて胸がドキドキし、脇下の汗が止まらなくなった。
野球のスタジアム的に云えば、ピッチャーマウンドあたりに背の高い櫓のような放送席が用意され、こちらに向き合うような形で僕たち二人を見下ろしている。
――真奈美さんはどこにいるんだろう。
僕は、スタジアムをぐるりと見回した。
そして、すぐに見つけた。何せ、彼女の持つオーラは並大抵ではないのだ。
真奈美さんは、バックスクリーン下の特等席にいた。
そこには、遠くからでも見えるほどの巨大なピンク色のソファーが置かれ、その中央にどっかりと真奈美さんが鎮座している。
彼女の真上にある巨大な液晶画面が彼女をアップで映し出し、潤んだ切れ長の目が会場の男たちを魅了していた。
だけど、僕にはすぐ分かった。
眉間に皺の寄ったその表情は今まで見たこともないほど険しいもので、どうやら彼女も無理矢理ここに連れて来られたらしいということが。
「えー、ではルールのご説明をいたします。クイズは全部で10問、早押し形式。間違った回答をした場合には“お手付き”となって、次のクイズの回答権はなくなります。
一問正解ごとに100点が加算されて最終的に獲得点数が多い方が勝者となりますが、勝者は真奈美お嬢様への告白タイムを獲得、お嬢様の目の前で1分間のアピールが許されるという訳です。
――なお、この模様は大東京テレビをキー局に全世界100局同時配信されております。スポンサーはもちろん、我が日本の誇る大財閥グループである黄川田コンツェルン様であります!」
ここで、会場は一層の盛り上がりを見せる。どうやら観客は黄川田関係が多いようだ。
ルール説明の間に、また例のボディーガードたちがやって来て、僕と雛地鶏の頭の上にシルクハットを載せた。
その間も、揉み手しながら黄川田会長に話しかけるアナウンサー。けれど真奈美さんのお父さんは少し目を柔らかくしただけで、表情は硬いままだった。
「それでは、早速1問目です!」
じゃじゃん!
アナウンサーの宣言とともに、会場に鳴り響いたクイズ始りの音楽。
数万人の喉がそれに合わせ、ごくりと一斉に鳴る。
「1問目は、お嬢様の子ども時代のエピソードから……。小学校に進学し、入学式を終えたお嬢様。すぐさまクラスメートから愛の告白を受けたのですが、さて、それは何人だったでしょう」
ちっちっちっち……。
ワザとらしく時を刻む音が、鳴り渡る。
正直、僕はそんなエピソードについて知る由もない。お手付き覚悟で適当に答えようかと考えた、その矢先だった。
ピンポーン。
雛地鶏の頭の上のシルクハットから、ハテナマークが勢いよく立ち上がったのだ。
「10人!」
「正解」
地球が割れんばかりの拍手喝采が湧き起こり、ウェーブとなって会場を包み込んだ。
それにしても、どうしてそんなことを雛地鶏は知っているのだろうか。アイツ、もしやストーカー? いやいや、きっと忍者の香取大五郎あたりに普段から調べさせていたのだろう。かなりの強敵であることだけは、間違いなさそうだ。
しかし……、次こそ!
僕は赤ボタンの上に、右手の指を掛けた。
「では2問目。小学三年生のとき開かれたお嬢様のお誕生日会でのエピソードです。招待客はざっと千人でありましたが、このときお嬢様はクラスメートの綾小路様から少し大きめのプレゼントをもらいました。さて、それは一体、何?」
今度は、ちっちっちという音は鳴らなかった。
雛地鶏が、その前にボタンを押したからである。
「10人乗り、プライベートジェット機」
「正解」
余裕綽々で俺の顔を見た、雛地鶏 謙。
かなり見下した目付きに、むかっ腹が立つ。
「3問目。今度は、真奈美お嬢様の中学校入学式の日の――」
ピンポン!
なんと、まだ問題が中途半端な状態なのに雛地鶏が回答ボタンを押し、頭上のハテナマークを派手に起き上がらせたのだ。
勝ち誇ったような顔を僕に見せつけてから、マイクに向かう。
「まだ問題は途中のようですが大丈夫でしょうか……。では雛地鶏さん、答えをどうぞ」
「校庭の中の、真奈美さん専用教室!」
ブッブー。
「惜しい! 残念でしたね、雛地鶏さん。ひっかけ問題に見事に引っかかってしまったようです……。
では、問題を続けます。真奈美お嬢様の中学校入学式の日のエピソード問題。その日、薔薇の花束とともにお嬢様に校庭の中にお嬢様専用の教室をプレゼントなさったのは――1年先輩の三条則友さま――ですが、その薔薇の花束を生けた花瓶をおつくりになった人間国宝とは、一体誰でしょうか?」
ちっちっちっちっち。
ダメだ、全然分からない……。無駄に時間だけが過ぎて行く。
ええい、こうなったら、ままよ!
ピンポーン。
初めての回答チャンス!
ハテナマークに揺さぶられた頭上の帽子が、激しく振動した。
「み、道場六三郎……」
ブッブー。
会場からはブーイングと拍手の混ざった歓声が上がった。
「残念でした。それは人間国宝ではなくて、鉄人です。答えは、6代目・小野川兵右衛門でした」
――誰だよ、それ。そんな名前、初めて聞いたよ。
僕の知ってる人で一番人間国宝に近そうな人物を選んだのだけれど、やはり思い付いた名前を適当に云ったところで当たる訳はない。
横を見ると、余裕たっぷりの雛地鶏が、にやにやと笑っていた。もしかして、今の故意にお手付きしたのでは? って思っちゃうくらいだ。
しかし、それにしても驚いた。
真奈美さん、子どもの頃から告白されまくりだったんだな……。道理で僕の告白は、あっさり否定されちゃう訳だ。
だが、どう考えても今までのクイズ問題は僕よりも古い付き合いの雛地鶏に有利な問題ばかりである。納得いかない! と思って黄川田会長の顔を睨むと、会長はそれに負けじと僕を睨み返した。
その顔には、
『獅子は我が子を崖から突き落としてでも試練を与え、成長させる』
と書いてあるように思えた。
――いや、違うから。これって、ただのいじめだから。
こうして心の中でツッコミを入れている間にもクイズ大会は進んでいき、クイズはついに10問目になった。
真奈美さんは、まるで能面のように我々を見下ろしたまま。
当然ながら、僕は1問も正解できなかった。スコアは0対700。圧倒的に雛地鶏に有利――というか、勝敗は既に決している。
もういい、さっさとお開きにしてくれと肩を落としていると、アナウンサーが云った。
「では、最後の問題です……。おーっと、ここで黄川田会長より申し出がありました。急遽ルールを変更し、最後の問題の正解者には“5000点”を差し上げるということです! なんとびっくり、これなら榊原さんにもチャンスはあります。さあ、盛り上がってまいりました。お二方とも、頑張ってください!」
……出たよ。クイズ番組の王道、一発逆転クイズ。
これはとんだ茶番だ、と猛抗議の雛地鶏を尻目に会場は大いに盛り上がる。何だか僕も逆にやる気が失せ、黄川田会長に抗議の視線を送る。しかし会長は、まるで「これは君のためにやったんだよ」といわんばかりの柔和な笑顔で、僕を見返した。
――いや、違うから。そんなの、優しさじゃないから。
再びのツッコミを心の中で入れていると、また例の音楽が鳴った。
じゃじゃん!
「では10問目、一発逆転スペシャルクイズです。こんなに“モテモテ告白されまくり人生”の真奈美お嬢様。実はたったひとつですが、体のある部分にほくろがあるのだそうです。さて、それはいったいどこでしょうか?」
ちっちっちっちっち……。
「うわ、流石にそれは大五郎にも調べがついてないぞ!」
慌てふためく、雛地鶏。
スタンドの方から真奈美さんらしき女性の悲鳴が聞こえた気もするが、気のせいなのかも知れない。
そんな問題、わかる訳ないじゃん――と半分あきらめの境地の僕。
が、クイズ回答の制限時間はすぐそこに迫っている。
ちっちっちっちっち……。
――ええい、ままよ!
やけくそで、目の前の赤ボタンをガツンと押す。
突き指したかと思うくらいの衝撃が中指に走り、帽子が派手に揺れた。ピンポン、という機械音がスタジアムに鳴り響いた。
おおよそ6万の瞳から発せられる熱視線を頬に感じながら、口を開く。
「右のお尻の、真ん中よりやや上!」
真奈美さんが答えを発表する訳でもないのに、何故かスタジアムの視線が今度は真奈美さんへと注がれた。
妙な空気が、スタジアム全体を包み込む。
――もしかして、やっちまった?
スクリーンに映る真奈美さんの表情が、妙に強張っているのがわかった。
どうやら間違えてしまったようだ。そりゃあ、適当に答えたんだから不正解なのは当たり前なんだけれど……。
それにしても、真奈美さんの表情が渋い。
口から出まかせの回答内容がまずかったのかもしれない。少しは気の利いた回答ができなかったものかと、自分を責める。
前回の“5億年”の悪夢再び、僕の足はガタガタと震え出した。
そのときだった。
満を持して、声高らかに司会者が叫んだ。
「大正解! 右のお尻というだけでなく、真ん中よりやや上という、なんとも正確な回答、お見事でした!」
ワー、とスタジアムが総立ち状態となる。
出演者そっちのけで盛り上がるスタジアムの人々が「榊原コール」を初め、ウエーブが巻き起こった。
何が起こったのか理解のできない僕を横目に、雛地鶏が喚く。
「そんなばかな! 榊原君、君はどうして真奈美さんのそんな秘密まで知っているんだ? もしかして、君は……」
「ち、違う違う。僕は変態でもないし、ストーカーでもない! 実は偶々――」
「なにぃ!? 偶々、お尻のほくろを見たというのか!! やっぱり君はストーカーなのだな」
その瞬間、会場が沈黙と化した。
先程までの歓喜が、壮絶なブーイングへと変わる。
「この変態!」「どスケベ!」「ストーカー!」「いや、ノゾキよノゾキ!!」
ころり、180度の転換を見せる群衆心理の恐ろしさを、まざまざと見せつけられた気がした。
と、スタジアムのバックスクリーン下にいた真奈美さんがすっくと立ちあがる。
真奈美さんの華奢な体が、すべての喧騒を吸いこんだ。再び、スタジアムにしんとした静けさが戻る。
そんな静けさまで身に纏ってしまったかのように、ワインレッドのドレスで優雅に歩く真奈美さん。その一挙手一投足に注目が集まる中、ゆっくりと僕と雛地鶏のいる場所にまでやって来た。
いつもながらの美しい姿に、しばし見惚れてしまう。
「ちょうど、真奈美お嬢様も降りて来られました。それでは、勝利者の榊原様による告白タイム、始めましょう!」
ブーイングの嵐が湧き起こるが、司会者はクイズ大会の進行に努める。
大勢の黒子が現れ、特設ステージが光の速さで用意された。何も説明がないのに、真奈美さんはそこを当たり前のように静々と上っていった。
「さあ、どうぞ榊原様、特設ステージへお上がり下さい」
壇上に上る階段に足を掛けた途端、それを阻止しようと雛地鶏が猛然と僕に向けてダッシュした。だが、どこから湧いて来たのか、忍者のような動きの黒子警備員たちがあっという間に取り押さえ、そのまま彼は何処かへと連行されてしまった。
――さようなら、戦友よ。
夢遊病者のように壇上に上り、真奈美さんの前に立つ。
しかし、いきなり告白せよといわれても、そんな告白ワードなど何にも考えてはいなかった。ノープランな僕は、ただただ、狼狽えるしかなかった。
そんなとき。
バチン!
僕の左頬に、突然の火花が散った。
どうやら、お嬢様の激しい平手打ちが飛んだらしいのだ。
全世界へと中継された、僕の頬の打撃音。
ブーイングは止み、5億年の時の流れに匹敵するかのような長い沈黙が、スタジアムを支配する。
「サイテーだわ、あなた。どうしてそんなこと知ってるの? ……想像すると、身の毛もよだつわ。ああ、背中がゾクゾクする。
私に告白するなんて、10億年早い――っていうか、もう諦めた方がいいわね。さようなら!」
非情にも、そう宣言した真奈美さんは、ふんわりと優雅な香りだけを残してスタジアムから足早に消えた。
と、一斉に盛り上がる観衆。
一体、この人たちは何に感動し、何に怒るのか。全く不可解である。
蒼い顔をして戸惑うばかりの司会者を残し、真奈美さんのお父様――黄川田会長が、僕の傍にやって来た。その表情はまるで般若のように恐ろしく、そして海よりも深い悲しみを湛えていた。
「残念だが、君とはこれでさよならのようだ。折角、チャンスを与えたというのに……。本当に残念だよ、榊原君」
――これってチャンスだったの? っていうか最後の問題、合ってても間違ってても、結局、告白できなかった気がするんだけど!
そう叫びたい気持ちを必死に堪えながら、背中を丸めスタジアムを去る会長の背中を茫然と見送った、僕なのだった。
キミに届けたい、永久の愛を。赤いボタンにしたためた、ハテナマークのラブレター。
―続く―