其の二
戻りし刻は、再び動き出す。
白い玉砂利の隙間から湧き出てた影は人の形を作り、等間隔で並んでいる60センチ四方に切られた御影石の上に立ち並ぶ。
『歩』『歩』『歩』『歩』『歩』『香車』と並ぶ横一文字の陣。
それに対するは‥。
「舞独楽、推して参る!」
雄たけびを思わせる声を上げると共に、両手で持っていた杖の中央あたりを右手の甲を下にして逆手持ち、前に突き出し地と水平に構えを取り、左足で地を強く蹴りだすと、浅沓の独特の乾いた音をその場に残す。
地を強く蹴りだした体は前のめりになり、その姿は陸上競技にて短距離走でスターティングブロックを使いクラウチングスタートを切ったかのような低い前傾姿勢のまま、まるで地の上をすべるかの如く、一足飛びにて影まで20メートルはある距離を一気に消し去る。
その動きは人としての動きを超越している。
相手の懐へと飛び込んだ舞独楽は、左から3番目の『歩』を目の前とする御影石へと降り立つと蹲踞の姿勢になり。
「ゆけい舞独楽!まずは先の手取れ」
釣鐘の一喝とも捉えられる声に呼応するように。
「応っ!!」
左手に持っていた杖を右から左へと横一閃の薙ぎ払い。
その場に神楽鈴から放たれる澄んだ音が響き渡る。
舞独楽の一振は横一列に並んでいた4体の『歩』を一気に消滅させる。
残りは『歩』が1、『香車』が1。
一振りで倒せなかった『歩』が、音も立てずに1つ前の御影石へと移動していたが、その動きを見計らったかの如く、手の甲を返し弧を描きながら、舞独楽の右側にいる『歩』に向けて六尺(約1.8m)の神楽鈴がついた杖を振り下ろす。
再び神楽鈴から放たれる澄んだ音が響き渡る。
その一撃にて消滅する『歩』。
残りの影は『香車』が1。
子の面の下から、小さく息が漏れる。
ほぼ一瞬にして5体の『歩』を消滅させた。
しかし、息つく暇も与える事もなく、再び敷き詰めらた白い玉砂利の隙間から間髪いれずに影が湧き出て人の形を作ると、舞独楽を取り囲むように正面、左斜め前、右斜め前、左、右、背後、と湧き出たのは『歩』、その数は数は6。
「節操がないな」
即座に持っていた両手で握り締め、杖を御影石の上に突き立てると。
「日向ノ技・羅刹独楽」
そう大きな声で叫ぶとともに、足は地から離れ、体を目いっぱいに伸ばしながら杖を軸にして回り始める、それはまるで体操競技で行われる鉄棒の大車輪のように、大きな体は地と水平に回転を始める。
回転を重ねる事に神楽鈴から澄んだ音が響き渡る、2回、3回、4回と鳴り響く、音が鳴り響く度に影の姿は1つ1つと、数を減らしていた。
6回目の神楽鈴の澄んだ音鳴り響くと、回転していた勢いそのままに使い杖ごと飛び上がり、後方伸身宙返りしながら釣鐘の横へと片膝つくように降り立つと、杖を持った右手を地に着き体を支え、顔を上げることが出来ずに子の面は地を眺めながら、呼吸を整えるように肩を使い大きく息を吸い込み、細く長く息を吐き出す舞独楽に対して。
釣鐘の厳しい一言が。
「大儀に頼りすぎるな、すぐに息があがるぞ、一息付いてる暇があるなら直ぐに下がらないから、囲まれるような事態に陥るんじゃ」
「‥う、ウッス」
「それに目の前にも、もう少し気を張っておくんだな」
その一言を聞いて即座に反応をし顔を上げると、舞独楽の目の前の御影石まで『香車』が詰め来ており、今にでも子の面に触れるぐらいまで影が伸びてきている、舞独楽は咄嗟に杖を突き出そうとしたが‥。
釣鐘の杖が逸早く『香車』を捕らえていた、軽く杖で突くと神楽鈴の音と共にその場に崩れ去り、消え去った。
「まだまだ甘いの、正面の『歩』を消して道を空きにしてるから隙が生まれる、刻卸の儀は終わってはおらん、気を抜くな」
「ウッス師匠!」
呼吸を整え立ち上がり、丹田に力を入れなおし再び腰を落として杖を構えると、そこはらは湧き出る『歩』を突いては払い、薙ぎ払っては払いの活躍を見せる舞独楽。
刻という概念が止まっている中で影を払い続け、どれほどの影を払ったのだろうか。
気がつけば、本殿からの聞こえていた声は静まり。
刻卸の儀が終わりを告げた。
そして
0、1、2、3‥
午前0時0分04秒、0時0分04秒
長針、短針、秒針の全てが盤に刻まれた12の文字に合わさり、秒針は12の文字を越えてゆき、朱色の玉垣の外の白く塗り替えられた物に色が戻り、再び虫の声が耳まで届き、頬を湿った風が撫で、か細く闇夜を照らし出していた月明かりが星明りと共に降り注ぎ始める。
世の刻は動き出した。
「中々の影払であった、戻るぞ舞独楽」
「ウッス」
疲れを全く感じさせない釣鐘と少し疲れ気味の舞独楽。
2人は本殿に深く一礼をし、世の刻で言えば3分前に閉じられた朱色の門に向かって歩き出すと、閂が外れる鈍い音の後に、蝶番の甲高い音と共に朱色の門は再び開き、門を潜り抜けると、狐の面をかけた神主が待っていた。
「お二人とも、お疲れ様でございました」
狐の面の下の表情は解らないが、刻卸の儀が始まる前に聞いたのバリトンが聞いた声から、落ち着いたトーンの声が刻卸の儀を無事に終えたことを伝えてくる。
「本日の影払いはどうでしたかな?」
「少々と舞独楽が梃子摺りましたが、まだ未熟な部分がありますゆえ、それ以外はいつもの通り変わりなくですよ」
「そうですか、そうですか」
釣鐘の話を聞きながら神主は朱色の門を閂で硬く閉じた後に、2人のそばに寄ると懐より麻袋を取り出し、念入りに白い粉を振りまき始めた。
神主に対して2人は一礼をし、深く頭を下げた状態でその白い粉を体で受ける。
これは天然塩を振りかけ、体のどこかに付いているかもしれない影の残留を払っているのだ。
清め払いを終えると、持っていた杖を神主に手渡すと。
「本日のお勤めは完了となります、お疲れ様でした」
「舞独楽、ワシはちと神主殿と話があるので今日はもう家に帰っていいぞ」
「解りました、それではお先です」
早足にて階段を駆け下り内拝殿へ戻ると、雅楽の演奏者達が一仕事を終えて談笑をしていたが、その話を断ち切らないように。
「お疲れ様です、お先です」
「はーい、おつかれさまー」
雅楽の演奏者達に一声かけると会釈をし、内拝殿を出て外拝殿と続く廻廊に足を踏み入れると、舞独楽の1歩1歩と歩く浅沓の乾いた音が廻廊に響き渡り反響する。
「この浅沓ってのは歩きにくいものだな、今度は草鞋を試してみようかな」
外拝殿へ向かう回廊は薄暗く、刻卸の儀へ向かう時は夜雉が松明をもって先導してくれていたし釣鐘も一緒にいた。
だが、今は足元を照らすような灯りがないため、薄暗い雰囲気が夜の神社独特の空気を盛り上げ。若干暑さを忘れるような冷ややかさを感じる。
外拝殿到着すると賽銭箱の前にて一礼をし、社務所へと続く石畳の上を早足で戻り社務所に入るとすぐに子の面を取りはずし、右手を団扇代わりして顔を仰ぎながら更衣室へと戻る。
「今日は一段と蒸し暑かったな‥」
更衣室に入ると、畳んでおいてあった紺の年季が入ったジーンズの左後ろポケットから清涼感が高いデオドラントシートを取り出し、汗が滴る顔を拭く。
流れ出る顔の汗が収まると、真っ白な浄衣にシワが付かないように御衣懸にかけ、奴袴の帯を緩めたところ右足から脱ぎ折り目に合わせて畳むと御衣懸の近くに置き、白い単衣を脱いだところで少し気が抜けたのか、全裸でそのまま床の上胡坐をかいて座りこむ。
その時。
「しつれいしまぁす」
突如に襖戸が開き夜雉が更衣室へと入って来た、それに気が付き慌てて股間部をジーンズで隠す昭吾。
「今、着替え中だから!」
全裸の昭吾に対して、その姿を見た夜雉が何故か黄色い悲鳴をあげながら両手で顔を覆い隠すのだが、少しあけた指の隙間から昭吾の体をしっかりと見ている。
「1回外に出て、早く襖を閉めて!」
慌てふためく昭吾は夜雉を廊下に追いやり、また見られてはなるまいとインナーを慌てて着込み、Tシャツに袖を通し、ジーンズを穿くと。
「もう着替えたから、入ってきて大丈夫だよ」
その声を聞こえたのか、そっと襖の小さく隙間が開き、その隙間から覗き込みながら夜雉が入ってきた。
着替え終わった昭吾は胡坐をかいて座っており、その正面にちょっと崩した正座で座りこむ夜雉。
「まさか戻っているとは気が付きませんでした、ごめんなさいです」
「うん‥、まあ大丈夫だから次から気をつけてね」
気まずくぎこちない空気の中で交わされた会話だが、夜雉が突如に息を荒らげ。
「突然な質問なんのですけど、畑中さんの身長はいくつなんです?」
「えっと、変わってなければ187センチかな」
「何を食べたらそんなに大きくなったのですぁ!私なんて高校に入る前に156センチで成長が止まっちゃったんですよぉ!」
興奮気味に話を続ける夜雉。
「私って筋肉の隆起を見ていると、とてもとても心が踊るのですよぉ」
「もしかして、夜雉ちゃんは肉食系なの‥?」
「そうですねぇ、お肉は大好きですよ!ロースにタンにハラミにカルビにザブトンにですよ、それにですよ山椒と辛味が利いたタレにしっかり付けて食べるのが美味しいんですよぉ!」
「お、おう‥」
昭吾の言った『肉食系』という言葉は別の意味で取られてしまったようだ、そして新たに思う夜雉は『天然肉食系』だと。
「今度、美味しいお肉を食べに連れて行ってくださいよ!飛騨高山にあるという美味しいお肉を食べさせてください!」
身振り手振りで、お肉の素晴らしさを伝えようとする夜雉、その姿をみて話が進みそうに無いと思った昭吾が切り出す。
「えーっと、所で夜雉ちゃん俺に何か用事があるの?」
「今は面を外してるので、その名前で呼んではいけませんよぉ」
「えっと、じゃあ、どうしたの紙屋さん?」
「私の事は心愛と呼んでくださいと前からお願いしてるじゃないですかぁ!」
昭吾は眉間にシワを寄せ少し考えを走らせた、このままでは名前の呼び方だけで問答になると悟ったのか。
「心愛‥ちゃん、俺に何か用事があってきたの?」
「はいっ!本日のお勤め料を持ってきましたぁ」
そう言うと心愛は懐から祝儀袋を取り出し、昭吾へと手渡す。
渡された祝儀袋には舞独楽の名前が書かれていた。
影払師には1回の影払ごとにお勤め料が支払われる、その報酬額は日により区々(まちまち)となっている。
祝儀袋の封を切り、中身を確認すると。
「えっ、6文も?今日はそんなに大きいのを払って無いけどな」
「本日用意してあったのはその袋でしたよぉ?」
「うーむ、まあいいか、報酬確かに承りました」
そう言うと、両足を揃え正座に座り直し、背筋を伸ばし両手をつき、頭を深く下げる。
「では、お見送りします!」
2人は立ち上がり、昭吾は手に持っていたタオルを頭にバンダナ風キャップのように巻きつけると、更衣室を後にし、心愛を先頭に社務所をでると一の鳥居まで一緒に歩く、その間はまたお肉談義が繰り広げられていたのであった。
一の鳥居から大きく手を振る心愛を背に、灯りが無い駐車場を歩く。
大体の車の位置は解るが、ジーンズの左ポケットからから車のキーを取り出し、キーのアンロックボタンを押すと、ハザードランプが2回点滅をして、位置とドアロックが解除されたのが解る。
車に戻り、ドアを開けてシートに深く座るとりエンジンの始動ボタンを押すと、少し大きめの揺れの後、小刻みに車が揺れる。
それと同時にエアコンの通風口から冷たい風が一気に噴出し、カーオーディオから再び流行のアイドルユニットの歌が流れ始める。
シフトレバー手前のカップホルダーに置いてあった未開封の缶コーヒーを取り出し、プルタブを起こして一口、口にするが。
「さすがに‥、ぬるいや‥」
ぬるさを味わい、しばらくエアコンの冷気に当たり、アイドルの曲を耳にしながら、目を瞑り、体を休める。
一息つくと、ぬるい缶コーヒーを飲み干し、車のヘッドライトをつけ神社の駐車場をを後にする。
帰り道で信号機につかまることは無い、村の信号は21時を過ぎるとすべて点滅信号に変わるからだ、神社から村道を20分も走れば自宅に着く。
家の前に無造作に車を止めて、玄関の鍵はかかっておらずそのまま自分の部屋に戻り、ベットに倒れこみ。
「あー、何か色々疲れた‥」
その一言を残し、深い眠りについた。
時刻は午前1時12分、1時12分、丑の刻の初刻を少し回った所。
そして、刻は一度止まる