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第一章『愛の探偵団』(3)

「それより、ちゃんと薬は飲んでいるか? 後遺症や発作は?」


「薬は必ず飲んでるよ。最近は全然発作も起こらないし、後遺症は……」

「……後遺症は?」


 言葉を切ってしまった少年に、闇医者は眼を細める。追及などしたくないのに。


「冬……だからさ、外に出れば何か記憶が戻るかもって思ったんだけど…………消えていくんだ」

「消える?」


 両膝に握り拳を置いて、俯いたまま純也の声は震える。だが言葉を返すべく、悲愴な瞳を上げた。


「……うん。思い出すどころか、どんどん記憶が曖昧になっていくんだ。そう、遼と出会った時の記憶だけが、消えてく……」


 まるで壊れた映像ディスクのようだと、純也は言う。時間が交錯し、場面場面だけしか浮かばず、声が聞こえない。遼平と出会った頃の記憶だけが抜け落ちていくようで、まるで誰かが意図的に消そうとしているようだ、と。


「…………」


 獅子彦は腕を組み、サングラスの奥で瞳を閉じる。……もう、これ以上見ていられなかった。


 少年の瞳に映る、孤独と哀愁に。


 《読めて》しまう。相手の瞳を見るだけで心が読める特殊能力、『読心術』で。通じてしまうのだ、少年の寂しさも、悲しさも、恐怖も、全て。



「忘れちゃうのかな……遼との記憶まで、消えちゃうのかな……僕は、また……!」



 《無》という、救われようのない恐怖。彼にとって死よりも恐ろしい、大切な《何か》が消えていく……残酷すぎる病。


 だが、今の獅子彦は真実を言えない。獅子彦が、言うべきではない。それが彼らのためなのだと、闇医者は思いたい――――。




 僅かな、気まずい沈黙。それを破ったのは、意外にも少年の方だった。


「……あ、そうだ先生、頼まれてたお使い、行ってきたよ」


 先ほどの暗さを誤魔化す笑顔になって、足下に置いていたリュックサックから紙袋を取り出す純也。獅子彦も、その空気に乗ることにした。


「おぉ、ありがとうな純也! 俺の病院は年中無休だから、長く病院を留守に出来なくてな。本当なら俺がこの目で選びたいんだが……」

「先生って、コレにはこだわるんだよねー」


 至極嬉しそうに紙袋を受け取り、中身を机の上に出して確認し始める獅子彦。まるで子供のように嬉々として喜ぶ、その手には。


「これこれ、やっぱり綿毛は百パーセント天然に限るよな! 布地はチェック柄と無地の両方が欲しかったし、フェルトとボタンの色は最低でも十色は揃えておかなくては! うん、やっぱり純也には見る眼があるっ!」


 この真っ白な診察室に似合わない、色鮮やかな布や毛糸、ボタンが広がる。そう、秀才外科医にして天性のカウンセラー、闇医者・炎在獅子彦唯一の趣味は、《手芸》。


「……先生ってコレだけにはこだわるよねー……」


 もはや苦笑を隠せない純也の前で、獅子彦は布地の肌触りまでチェックしている。そしてそれに満足すると。


「じゃ、今度お前らが怪我してきた時は何割か免除してやるからな」

「あはは、ありがと、先生」


 純也と獅子彦の間でこんなやりとりが交わされているのを、遼平は全く知らない。一見すると獅子彦がセコいように思えるが、獅子彦の言う『何割』というのは数十万から数百万のレベルだ。手芸用品代と手間賃を考えても、明らかに純也の方が得していることになる。

 まぁ、あのしょっちゅう大怪我してくる同居人のための、保険のようなモノ。



「じゃあ先生、僕は今日の買い物もあるからこれで……」

「あ、ちょっと待て純也」

「なに?」


 軽くなったリュックを背負って出て行こうとする純也に、獅子彦は引き留めの言葉をかけてから机に向き直り、一番下の大きな引き出しから何かを取り出す。


「今日はまだイヴだけどな、メリークリスマス、純也。俺からのプレゼントだ」


 彼が手渡したのは、二つの人形。二等身で、人を模したぬいぐるみ。


「わーっ、これって僕と遼!? かわいい〜!」


 丁寧にも銀糸を縫い込んだ方が、純也。目つきが悪い方が、遼平。愛おしそうに純也は人形を抱きしめる。


「いや〜、俺も最近は退屈でな。なんか縫ってないと落ち着かないから、とりあえずお前らを作ってみた」

「……先生、人、縫いたいんだね……」

「やっぱり常に皮膚を縫っていたいと思うのが外科医の心理だろ?」

「それは先生だけ」


 よくよく観察すると、この人形、ほとんど縫い目が見えない。獅子彦は、どうやらぬいぐるみを縫うのに手術用糸を使ったようだ。


「ふふふ、俺がお前らの手術をするように丹誠込めて一針一針縫った力作だからな……大事にしろよ?」

「……なんだか怖くなってきたんだケド」


 廃ビルの暗い地下で、大の三十代男(闇医者)が想いを込めて縫った人形…………いろんな意味で怖い。

 丁寧に人形をリュックサックに詰め、水色のマフラーを巻いて純也は今度こそ別れを述べる。


「今度の冬はやたらと寒いからな、風邪とかひくなよ?」

「平気。……今年は雪……降るのかな」


 ふと少年が漏らした、不安の言葉。震えを抑えているような手と、遠くを見る瞳。去年、雪は降っていないが、この寒さならおそらく今年は。


「あぁ、降るかもな。だが……雪を恐れるな、お前はもう大丈夫だから」


 白衣のポケットに片手を突っ込みながら、獅子彦は立ち上がって小さな少年の頭を撫でる。その行為に、小動物のように喜んで純也は「うん」と頷く。

 どこまでも子供のように幼く、そして他人の気遣いに気付ける聡明な少年。だから彼は、純粋な笑顔で診察室を出て行った。






「……俺は無神論者なんだがな、」


 患者のいなくなった診察室では(医者だけが)煙草を吸える。そんな彼だけの特別ルールを守り、くわえた煙草にライターを近づけながら。





「カミサマよ、あんたはあの子にどんな運命を背負わせたんだ? あの子に、何の罪があると言うんだ?」



 神から授かったその《眼》ですら、仰いだ天井には消えていく紫煙しか映らなかった。



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