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第五章『それは愛と呼ぶには儚すぎて』(5)


 ――――『お前と共に過ごした時間のことを、忘れる可能性がある。完全に記憶を取り戻した時、純也は、お前を覚えていないかもしれない』


 純也の問いに、先ほどより強く、大きく、あの闇医者の言葉が脳裏に繰り返された気がした。

 時が止まったように、少年の必死で健気な視線も、男の突然の無表情も動かなかった。


 少年は、その沈黙が怖かった。男に拒絶されてしまうのではないか、と。

 男は、この静寂が恐かった。少年に自分の心が読まれていたのか、と。


 それでも、彼は。




「……傍に居られるわけねぇだろ。お前が、俺のことを全て忘れたら」


 少年から顔を背けて視線を逸らし、遼平は低い声で答えた。その横顔の口が奥歯を噛み締めているのを見て、純也は心が冷えきっていく感覚に震える。


「そう、だよね……。僕、最低だね……遼のことを忘れちゃっても、一緒に居てほしいなんて。僕、すごく図々しくて、ワガママで、最低だ……」


 純也らしくない、自嘲するようで自虐的な引きつった笑み。何度も何度も、己を叱るように、己に言い聞かせるように、「最低だよ」と小さな声で。

 だが、いつまでも自分を蔑むことをやめない純也に、遼平が近づいて、白銀の前髪ごと強引に掴み上げて顔を上げさせる。



「違ぇよっ! お前が俺を忘れる時は、昔の記憶を取り戻した時だ! そうしたらお前は親元に帰れるんだぞ!? いつまでも俺みてぇな人間の傍に居たら……お前は幸せになれねえ! だから、俺を忘れたら……記憶が戻ったら、ココから出て行け!!」



 つい熱くなって怒鳴ってしまった後、純也の怯えた瞳に気付く。無理矢理荒く掴み上げてしまった髪を離し、前髪を直してやりながら、「わかったな」と念を押した。


「や……だ……、そんなの嫌だよ遼……っ、遼と離れたくない! 僕はこのままがいいっ、遼と一緒で僕は幸せだからっ! だから……傍に居て……」


 純也がずっと抱いていた人形が落ちる軽い音と、シャツを引っ張られる感覚。見下ろすと、純也は両手にありったけの力を込めて遼平の服を掴んでいた。それが少年の、精一杯の意思表示。


「バカ言ってんじゃねぇよ……所詮、お前と俺は赤の他人なんだぞ? お前だって、俺を忘れたらすぐに親元に帰りたくなる。どっちみち、記憶が戻ればお前は自然と帰るべき場所へ帰るんだ」


「なら、僕は昔の記憶なんていらない! 遼と離れたくない……遼を忘れたくないっ……家族なんていらないから、ココに居させて!」


 ついに涙を堪えきれなくなって泣き崩れていく純也と一緒に、遼平は床に両膝をつく。純也にシャツの裾を握られているから仕方がなかったようにも見えるが、彼の力なら、その気になれば少年の握力など振り切れる。それでも共に床に膝をついたのは……遼平の無意識の内の深層心理のせい。


 男は、心に深い罪悪感を覚えながら、突き放す言葉を口にした。



「……でも実際、忘れてるんだろ? 俺のこと」


「え……」


「『風車かざぐるま』。……さっきお前は、青い『風車』のことを言いたかったんじゃないのか?」


 その言葉に、純也はようやく思い出せた。そんな自分が、とても悔しい。あんなに大切なモノのことを、忘れていたなんて。アレは遼平が作ってくれた……純也の宝物なのに。


「違っ、違うんだよ遼っ! 僕は忘れたくないのに、頭が勝手に……僕はっ」

「……それでいいんだ、純也。俺のことなんか、こんな汚い社会のことなんか、忘れていいんだ。何も怯えることはない」


 いつになく優しげな遼平の声に、純也は必死に抵抗する。何度も首を横に振って、嗚咽を繰り返す。



「たすけて……助けて、遼……。僕の中から《遼》を消さないで……とても大切な人を、奪わないで……お願い、僕は遼の隣りに居たい……!!」



 頭が忘れさせようとする《遼平》という存在を、絶対に忘れないように。身体に覚え込ませるように、遼平の左腕に抱きつく。

 遼平は先ほど刃物で裂かれた左腕を掴まれた痛みも、それ以上の心の痛みさえも顔に出さず、ゆっくりと右手で少年の頭を撫でてやる。そして、温かく澄んだ声で。




「……わかった。お前との《約束》を放棄するわけにもいかねぇしな、ずっとお前の傍に居てやる。純也、お前が俺の名を呼ぶ限り、俺を求める限りは、必ずお前のもとへ駆けつける。絶対だ」




 嗚咽混じりに小さく「うんっ」という声が聞こえた気もしたが、弱々しすぎて確信が持てない。

 けれど、安堵だろうか、その瞬間に純也の身体から全ての力が抜ける。倒れていきそうになった小さな身体を、遼平は焦って掴んだ。

 今日は疲れているのか、それともよほど遼平の言葉に気が抜けたのか、少年は涙も乾かないまま安らかに眠る。相変わらず軽い身体を持ち上げ、とりあえずソファに寝かせてやった。



「…………ホント、俺は根っからの悪人だな」


 純也を寝かせて離れようとしたら、左手がまだしっかり握られていることに今更気付いた。遼平は、その手を振り解かない。手を繋がれたまま、ソファの近くに座り込む。



 『ずっと』とか『絶対』など、所詮は子供騙しの言葉。『永遠』と同じように、そんなモノはこの世に実在しない。


「俺の演技も、上手いもんだろ? こうやって昔から人を騙して、裏切ってきたんだからな」


 誰に言うでもなく、ふざけて自嘲するような呟き。昔から悪役、汚れ役、憎まれ役を何度も演じてきた。……そして今また、純粋な心を持つ少年を、騙した。



「お前は必ず、家族のもとへ帰してやる。どんなに泣き喚こうが、関係ねぇ。わかってくれ……お前は、幸せになるべき人間なんだ」



 そして男は、己をも騙す。


 しっかりと握られた左手の温かさと、この手を離したくない衝動と、自分が忘れられていく心の痛みを、全て無かったことにして。



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