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第五章『それは愛と呼ぶには儚すぎて』(1)

第五章『それは愛と呼ぶには儚すぎて』



 ただひたすらに、走って、奔って。


 ここから自宅まで脚で走るより明らかに電車やバスを利用した方が早いとか、そんな簡単なことさえ遼平は頭から振り切って。

 電車をホームで待つ時間、バス停で立ち止まっている時間など、そこまで今の遼平に心の余裕が無いのだ。


 早く、速く。


 誰かに背を押されたわけじゃない。誰かに呼ばれているでもない。

 それでも、全力疾走で。脳裏に浮かぶのは、二年前のとある朝の出来事。






 その日、純也がまだ居候になって間もない頃。外の世界を何も知らない純也を外に出させるのが不安で、一歩も家から出させなかった。

 前夜に警備があり、初めてその日、純也を夜も独りにさせた。そして運の悪いことに……その夜、雪が降ってしまった。


 警備の巡回をしながら、窓の外に舞う白を、せいぜい「今夜は冷えるな」ぐらいにしか意識しなかった。



 浅はかだった。



 早めに仕事を切り上げて帰宅し、家の扉を開けた途端、室内から寒風が吹いてきて驚く。外と同じぐらい、室内は冷えきっていた。

 リビングまで向かって、ベランダへの窓が開いていることにすぐ気付いて。そして混乱で停止しそうな頭を無理矢理動かし、次の瞬間、自分の心臓まで凍り付いて止まったかと思った。



 雪吹き込んだ絨毯じゅうたんの床に、生気も色も失った真っ白な純也の脚が、投げ出されていた。



 焦って上半身を抱きかかえるが、純也の身体にはもう体温が無くて。何度名を呼んで揺すっても、死人のような白い顔は動いてくれなかった。ぐったりとした小さな身体は、恐ろしいほど軽い。

 ……本当に死んでしまったかと、思った。


 どうして、何故、なんでこんなことに?


 純也の名を口が呼ぶのをやめ、無意識の内に呟いてしまった。「俺の……せいなのか……?」――そんな当たり前のことを、今更、呟いた。

 腕の中の少年のこと、何も理解していなかった。理解しようともしなかった。純也の苦しみも痛みも悩みも、何も、わかっていなかった。


 その結果が、これなのか……?


 氷のような純也の肌は、遼平の体温さえ奪っていく。その時、少しだけ冷静になった耳が、微かな、本当に微かな鼓動の音を聞き取った。この冷気に最後の余力で抵抗している、心臓の音を。

 もう一度、純也の小さな身体を強く掴み、名前を叫ぶ。すると弱々しく瞳が開き、かすれた声で遼平の名を口にして、「おかえり」、と。



 ……後になって、何故あんなことになっていたのか問い質してみたところ、「雪を見たら急に発作に襲われて、動けなくなり、そのまま気絶した」と少年は謝った。

 遼平は酷く後悔した……口には出さなかったが、その『発作』が起きる病にさせたのは、遼平なのだから。ひたすらに「ごめんなさい」と謝る純也を前にして、遼平は握り締めた拳を必死に隠していた。

 少年に真実を教えない、伝えることのできない自分はなんて卑怯で臆病者なのだろう、と。



 ――だから、誓った。もう二度と、あの白い闇の中で純也を独りにさせないことを。






 幸いなことに、二年前の冬以来、東京に雪は降らなかった。なのに、それなのに、今日に限って。



 はやく、早く、速くっ。



 もうあの時の二人ではない。純也だって、あの頃のままじゃない。そんなこと、わかっている。

 けれど、胸騒ぎが止まらない。嫌な予感が、おさまらない。



 はやく、ハヤク、早く、速くっ!



 腕の中で目覚めない純也の冷たさが、リアルに蘇る。

 純也は、強い。大怪我を負ったってすぐに回復するし、重い後遺症を患っていても生き延びている。……けれど。

 時折、誰よりも心が弱くなる。とても幼い子供のように、ちょっとした精神的ショックで倒れてしまう。

 遼平は想う。全ては、



「俺のせいなんだ……っ!」



 人混みを掻き分け、裏路地を突き抜け、ただひたすらに走って、奔った。


 理性と焦燥が思考の中で入り乱れて、薄いシャツが粉雪に濡らされて、疲労で脚がもつれても、男はたった一人の少年を想って走り続けた。


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