第四章『愛、乱れて』(2)
◆ ◆ ◆
「……つっ……!」
突如襲ってきた激しい頭痛に、純也は身悶える。ズキズキと古傷が疼くような、酷い痛み。
座っていたソファに深く身を預け、息を荒くしながら天井を仰ぐ。嫌な冷や汗は止まらず、視界も霞んできた。
「……や、だ……嫌だよ……っ!」
必死に抗うように、耐えるように。声に出してまで、抵抗する。この痛みに負けてはならない……その理由があるのだ。
頭が痛みだした理由、それは。
遼平と出会った頃の記憶を呼び戻そうとしたから。
何かが……誰かが、その追憶を妨害しようとしている。この激痛はおそらくそのせい。
――――《誰が》、邪魔しているのだ?
――――《何故》、邪魔するのだ?
純也でも全くわからない。純也の記憶を隠すことで、得する人物がいるとは思えない。
ならば、何故。
何故に、誰。
「どうして……っ? 僕は何を忘れてしまったの……?」
その過去を知っているとすれば、主治医の獅子彦。そして――――遼平。
糸が、切れる。
「あ…………」
今まで極彩色が混じり合ってカオスと化していた脳内が、一瞬で純白に変わる。
純也の嫌いな、大嫌いな、白色に。
あらゆる光を反射する、拒絶する色。冷たい雪の、色。
ボ ク ハ ダ レ ?
「やめて……っ、やめてっ、やめてえぇぇぇ!!」
届きかけていた指から、記憶の欠片が霧散していく。砂のように、こぼれ落ちていく。覚えていたコトまで、一緒に消えていく。
「……はぁっ、はぁ……っ、はぁっ……」
また一つ、何かが消えた。その記憶が何だったのか、もうわからない。
もう、戻らない?
無意識のうちに倒れ込んでいたソファの上で、荒い息を整える。ふと、ソファ前の小さな卓上の人形が目に入った。うつ伏せの姿勢のまま、腕を伸ばして人形を掴み、抱き寄せて。
「ごめんね……遼、僕は遼を忘れちゃうのかもしれないよ…………僕は、『純也』じゃなくなるかもしれないよ……遼……りょう……っ!」
紺色の髪を模した人形の頭に、穢れない雫が落ちていく。
◆ ◆ ◆
「……!」
誰かに呼ばれた気がして、遼平は振り返る。けれど、見える限りは人の波。
「遼、平……?」
「あぁ、悪い。なんでもねえ」
一瞬だったが雰囲気の変わった男に、希紗は首を捻る。何故だろう、彼が何か焦ったように見えたのだ。
「まだ四時前なのに、暗くなってきたわねー」
「そうだな……空も晴れねぇし」
二人で曇り空を見上げて、北風に吹かれていた。
「に、逃げ切れたか!?」
「大丈夫よ、もう追ってきてないわ!」
「澪斗クンの名演技のおかげネー」
「格好良かったわよン、『近寄ればこの者の命は無いぞ!』って店長を人質に取って銃を突きつけたところ、シビれたわンっ」
「俺はどこまで道を踏み外していくのだろうか……」
変態強盗団(自称『愛の探偵団』)は、人質に取った店長をそこらに投げ捨てて疾風の如く逃走してきた。
人混みを掻き分けて、やっと遼平と希紗の二人組を見つけ、またどこかに隠れようとした、そんな時。
「……真、多いぞ」
「ちっ、なんでこんな時にかぎって出てくんねん」
「理由は明快ネー。……アレがターゲットなんだから」
「下品な気配ねぇ、こんな日くらい絶滅してくれないかしらン?」
友里依だけが、男達の言葉を理解できない。けれど、彼らの顔色を見てすぐに悟る……全員、《裏》の瞳をしていたのだ。
真が友里依を抱きかかえ、澪斗、フェイズ、梅男も瞬時にその場から消えた。
「《鬼》ダ……《鬼》ガイル……」
「横の女、美味そうだなあぁ……なぁ、俺はあの女を食っていいかあ?」
「後にしろ、《鬼》の息の根を止めてからだ。《鬼》の女をゆっくりいただく……悪くないだろう?」
「潰せ、貪れ、消せ。俺達に『最強』の名を」
表街路が覗ける裏の横道の暗闇で、陰湿な声がひしめく。その無数の双眸の先には、笑いながら女と歩く紺髪の男。
「征けっ! 《鬼》を斃し、その首をもって俺達が強き証を手に入れるのだ!」