第三章『愛の使者、参戦』(3)
「ねぇねぇ遼平、ずっと前から訊いてみたかったんだけど」
「なんだよ?」
コーヒーのカップを置いた希紗が、両肘を机について楽しそうに尋ねる。
「ほら、遼平が戦う時にたまに『覚醒の調べ』っていうの歌うじゃない? アレって、私達には何て歌ってるのか聞こえないのよね〜。どんな歌詞なの?」
『覚醒の調べ』は、遼平の切り札とも言える蒼波一族の戦の歌だ。人間に聞こえる音域を越えた超音波であるために、敵はおろか仲間達も歌詞がわからない。
「あぁ? ンなもん適当だ、適当。同じ旋律になってれば、歌詞なんて少しぐらい違ってもいいんだよ」
「えー、本当に〜? じゃあ、正しい歌詞は?」
「……『我が名は蒼波、音を統べし者。陽よ、汝が力を我に貸し与えよ。闇よ、汝が力を我が身に宿せ。眠りし力、今解放を望む。――――我、覚醒を望む者なり』、ってトコだな」
詩を棒読みするように、遼平は淡々と歌詞を口にする。わざと、旋律には乗せずに。
「へぇ……、私達にも聞こえたらカッコイイのにー。ね、普通の人間にも聞こえるように歌えない?」
「あのなぁ、この唄は身体能力の制御を解く音だ。下手すりゃ命に関わるんだぞ? 俺だから時折使えるが、蒼波の血が薄いヤツにはもう身体が耐えられねぇ技だ。もし一般人に聞こえる旋律を教えて、仮にも身体能力のリミッターが外れちまったら……命は保証できねえ」
いつになく真剣な遼平の表情に、希紗はその重大さに気付く。彼が命を賭けて、戦いに挑んでいたことに。
「でも、『蒼波の血が薄いヤツ』ってことは、遼平の他にもまだ蒼波一族は生き残ってるってこと? もしかして遼平って、兄弟いたの?」
好奇心のままの希紗の問いに、遼平の視線が一瞬ふっと逸れた。机に乗せた肘の右手に、頬を添えて。紺髪が男の横顔を隠してしまう。
「……俺には……姉貴がいた」
「お姉さん? いいな、私は独りっ子だから」
「異常に蒼波の能力を受け継いだ俺と違って、もう血は薄かったがな。幼かった俺を、育ててくれたのは姉貴だ」
「……お父さんとお母さん、は?」
同じ職場で働いていても、仲間同士で過去を語ることはほとんど無い。裏社会なんて場所に居る人間の過去が、明るいはずがないのだ。
けれど。
けれど希紗は、訊いてしまった。遼平の過去……しかも、禁句ともされる『家族』のことを。
「…………親父が蒼波の人間で、お袋は一般人だった。親父の顔なんて、もう覚えてすらいねぇ。俺が小せぇ時に親が離婚して、親父は姉貴を引き取って消えたからな。お袋は蒼波の血を引く俺を嫌々引き取って…………それで……」
「……ごめん、遼平」
「別に……お前が謝ることじゃねーよ。《定め》だったんだ……全て」
それは『蒼波の末裔』としての運命だったのか、『破壊者』としての宿命だったのか。どちらだったとしても……彼はその惨い仕打ちから逃れられなかったのだろうか。
「遼平くん……」
「アイツ……昔言うとった、『俺は望まれない存在……親にさえ望まれずして生まれてしまった、命』って。……そんなん、理不尽やないか」
誰からも望まれなかった……拒まれた命を生き抜くことは、どれほど辛かったのか。それを《定め》という言葉で片づけた彼の心境は、どこまで暗いのか。
闇だけの過去、光差すことのない未来。常人ならば発狂するであろうその暗闇の中で、強靱な精神ゆえに生き延びてしまった男。
それが幸なのか不幸なのか、誰も決められない……遼平以外は。
「ンな暗い顔すんじゃねーよ、昔の話だ。俺だって今はマシな生き方してる」
にやついた遼平に、希紗も寂しそうながらも微笑んで頷く。その笑みを見て、男は一言だけ低い声で。
「だから希紗、俺がお前らを裏切った時は、俺を殺しに来い」
「え……?」
目を見開いたのは、希紗だけではなかった。傍観者達も、その言葉に息を呑む。……あまりにも、彼の口調が真剣だったから。
「……なーんて、な。冗談に決まってるだろ、本気にすんなよな」
急に軽い口調に戻った遼平の、可笑しそうな笑い声。その笑顔を見ても、何故か希紗は安堵が出来なかった。