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第二章『愛戦争、勃発』(5)

     ◆ ◆ ◆


「はぁ、はぁ、はぁ、はぁっ……追ってきてないよね!? ねぇ純ちゃ……って、純ちゃんー!?」


 随分と走ってきた寂しい街路で、やっと李淵はその異常な逃げ足を止める。ふと振り返れば、片手で握り締めたマフラーの先に、傷だらけで失神している少年。


「純ちゃんっ、どうしたの、誰にやられたの!? まさかルイン!? 目を覚ましてっ、純ちゃぁぁーん!!」


 お前だ、お前。

 両肩を掴んで激しく揺するが、青白い少年の顔は動かない。マフラーを解いてみたら、細い首に絞殺されたような紫色のアザがあった。全身の傷はもちろん、ここまで引きずられていろんな場所にぶつかった時の痕だ。


「うぅっ、純ちゃん……そんな……なんでこんなことに……!」


 だからお前のせいだってば。

 自分が加害者であることに全く気付かない李淵の涙が、滝の如く流れていく。この人物の体内水分は九割を占めるのではないか。


「……っ、リンリン……? あれ、僕は……??」


「純ちゃん!? 生き返ったっ、良かったあぁぁ〜!!」


 意識が回復した少年を思いっきり抱きしめて、やっぱり男は泣き続ける。純也は首の痛みと全身のかすり傷の原因が思い出せない。


「なんかよくわかんないけど……泣かないで、リンリン。僕なら大丈夫だから」

「俺、純ちゃんが死んじゃったらどうしようかと……とりあえず墓前に供えるのはやっぱり大漁旗かなって……」

「……ごめんリンリン、それあんまり嬉しくないかも。っていうか、もう『大漁旗』から離れよう?」


 李淵の価値観が、イマイチよくわからない。苦笑で上半身を起こして、純也はマフラーを巻き直した。



「リンリン、ところでカイロは?」

「あ……逃げてくる途中で落としてきちゃった……。どうしよう、もうバスケットが空になってるよ」

「う〜ん、まぁ、良かったんじゃない? これでバイトは終わりになるよ」


 歩道にカイロをばらまいたのではバイトにならないと思うが、もう半分以上配り終わっていたからなんとか平気だろう。「じゃ、休んでいこう?」という純也の提案で、自販機から温かい缶の緑茶を買ってくる。


「はい、一緒に飲もう?」

「ありがと……ホントなら俺がおごる立場なのに、ごめん」


 「いいんだよー」とにっこり微笑んでから、純也は適当に使われていなさそうな階段に腰掛ける。その横に李淵も座り込んで、二人でしばらく黙って緑茶をすすっていたが。


「ねぇリンリン」


「なに?」



「さっきの話だけど……リンリンは、逃げてなんかないと思うよ。才能が無いからって本当に諦めた人は、過去を忘れようとする。練習してきたコトを、無かったようにする。でもリンリンは、まだ手品を使い続けてる。手品って、一度身につけても、毎日の練習が必要なんだよね? リンリンは、辛い過去を思い出してしまうのに、毎日努力して手品を練習してる。……違う?」



「……うん、毎日何故か、練習してる。どうしてだろうね、俺はマジシャンの道から逃げたのに。どうしてもこれだけは、やめられないんだ」


「それは、リンリンが強いからだよ。過去と向き合える、強い人だからなんだよ」


 どうしてこの少年は、こんなに幼い身体でそんな言葉が言えるのだろう。一体、この少年は何者なのだろう。……そんな、李淵の不思議そうな表情。


「僕はいろんな人を見てきたんだ。過去と今でも闘い続けている人、過去の罪から逃げない人、過去に背を向けて拒絶した人、……過去が、無い人」


 短い年月の中で少年が体験した、楽しい思い出、辛い記憶。本当に、様々な人と出会い、別れてきた。それらは確かに、純也の中で《何か》を生み出した。

 純也は少ない記憶を思い返しながら、小さく微笑んでいた。けれど心の中は、とても寂しくて。


「リンリンには向き合える過去があって、そして未来がある。それってとっても、素敵なことだと思うよ」


 笑みを向けてきた少年に、李淵は思わず『純ちゃんは?』という問いを呑み込んでしまった。この少年には、過去も未来も無いというのか……?


「ねぇ純ちゃん……俺ら、友達だよね? なのに俺、純ちゃんのコト、何にも知らない。俺は――――」





「…………リンリン。僕は、リンリンの友達にはなれないんだ」



「え……」



 初めての、拒絶。優しい声の、拒否。

 俯いた少年の顔は、銀糸に隠れて表情が見えなかった。純也は、ゆっくり立ち上がる。



「僕はね……もうじき、ココからいなくなるんだ。独りでとても遠い場所へ……行かなければならない」


「どうして……いつ!?」


「……いつその時が来るかは、僕にもわからない。だけど、感じるんだ。旅立つ日は、近いことが」


 寒さではない震えを抑えている少年の小さな肩は、見ているのがとても辛かった。心が痛むほどに。

 おそらく少年は、その旅立ちを望んでいない。けれど連れて行かれてしまうのだろう、何かに……誰かに。


「きっと、リンリンにお別れを言う余裕も無いと思う。だからね、こんな僕とは友達にならないほうがいいんだ……リンリンが辛くなる、だけだから」


 李淵には、純也の事情など少しもわからない。それでも、少年が苦しんでいることは、嫌でもわかる。他人に辛い想いをさせるのが苦しくて、自分自身が感じる辛さなどは考えない、優しすぎる苦悩が。




「……じゃあね、リンリン。バイト、これからも頑張って! バイバイ」


 結局、少年は振り返らなかった。再会を望む言葉も、口にしなかった。ただ、明るい口調で走り去っていくだけ。






「純ちゃんは友達だよ……どんなに離れたって、君はずっと俺の大切な友達だよ……っ!!」



 空き缶を握り締めながら、男は誓った。一生その言葉に背くまい、と。



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