後編
『盟約の花嫁』それは獣人の神、獣神が定めた者だと言われている。
古来より、リンステッドは獣化できる者が獣王となり治めてきた。それは大抵、金色獅子の一族や銀色狼の一族など、獣性の強い決まった一族で持ち回りのように巡っていた。もちろん獣化できる者が複数居れば、その中で一番強い者が獣王となる。そして強い獣王が率先して国を守り、平和に治めていたのだ。
しかしある時、獣化できるのは一人だけという時代があった。
若き獣王は驕りたかぶっていた。自分と同じ獣化出来る者が居ないという事は諌められる者も居ないと言う事だといい気になってしまった。なんと獣王は弱き者を虐げ、いびるようになった。恫喝は当たり前。気にいらなければ暴力。しかしやはり獣化できる獣王に勝てる者は居らず、誰もが耐えるのみとなってしまっていた。
そこへ光臨したのが獣神だった。いくつもの角と目を持ち、赤き身体の猛々しい神は、いとも簡単に獣王をひれ伏させた。
「傲慢な王。獣化は弱き者を守る為にあるというのに。」
獣神は嘆いた。そして獣王を廃し、リンステッドを解体するとまで言った獣神に心を入れ替えた獣王は縋った。
「弱き者が安心して暮らせる国にします。どうか国を壊すのはお許しください。」
それに対して、神はこう応えた。
「ではお前の番は最も弱き者としよう。その愛を請うて、神の前に示せ。」
未婚だった獣王は最も弱い17の乙女の中から番を探し出すと、優しい態度でその愛を請うと乙女が応えた。それを見届けて神は言った。
「獣王の花嫁が拒んだ時、盟約は果たされるだろう。」
※
「つまり、盟約とは『国の解体』ですか?」
「そ、君が拒めばリンステッド終了な訳。でも気にしなくていいよ、ただの言い伝えだし。もし国が滅んでも、獣王たるヴェルの自業自得だからね。」
のんきに答えるマーリンにアーシェは内心ギャーと叫んだ。リンステッドの存続がかかっていたとは、なんと責任重大ではないか。脅されたとは言え、あの時断らなくて良かったとアーシェは胸を撫で下ろす。
「まあ、言い伝えがホントだとして、あの態度しかできないヴェルがキミに無理やり了承させたのは作戦勝ちといえるのかもなぁ。でもホントに獣神が居たらそんな子供だまし通用しないよね。」
そうマーリンに言われると、何だかあの脅しが演技のようにも思えてしまうアーシェである。
「しかし『儀式』で愛を請うなんて、あのヴェルに出来るのかねぇ。道中キミを泣かしてばかりだった、あのヴェルに。」
そうマーリンに言われ、アーシェは怯え続けた城への道中を思い出す。傍から離れない獣王が怖くて食事が喉を通らないというのに、無理やり果物を詰め込まれたりした事など。そんな相手に愛を請われるのも何だか嫌だなぁとアーシェは思った。獣王は顔は良いとは思うけれども、良過ぎるのも何だか苦手だと思う。それに何と言ってもあの威圧感。あれが灰色猫でも弱いアーシェには恐ろしくて堪らない。
「あ、あの獣王が・・・『君の瞳にカンパイ!』とか言っちゃうの?プププ。」
「何時の時代だよ、それ。マーリン様、ノルド、フェイ只今参りました。」
「ああ、ご苦労様。」
扉の前に、騎士の鎧に身を包んだ青年が二人立っていた。
「アーシェ、茶色いのが鼠のノルド。緑が鳥のフェイだよ。一応、君の護衛騎士だから、よろしくしてあげてね。」
ノルドと言われ、プププと笑っていた青年が頭を下げ、フェイと言われ挨拶した方が頭を下げた。アーシェも軽く会釈しておく。しかし一応とはどういう意味か。
「ヴェルががっついてきても彼らじゃ歯が立たないから一応、なんだよ。だからキミは常に私と居るか、この部屋に居るように。いいね?」
マーリンの言葉にアーシェはなるほど、と頷いた。それ以外なら別だろうが、国最強の獣王相手では護衛騎士は役に立たない。しかしあの獣王が自分にがっつく事などあるのだろうかとアーシェは首を傾げた。例えがっつかれなくとも、獣王の傍に置かれたりするのは嫌なので言い付けは何としても守ろうとアーシェは思う。
「ヒドイなぁ。まー、事実ですけど。それなりに頑張りますわ。」
「最も弱き『花嫁』様、獣王以外からは誠心誠意お守りさせて頂きます。」
そう頭を下げた二人の言葉にアーシェは似てないようで似たもの同士なんだなぁと思った。しかし守ってもらえるなら有難いと思わなくてはいけない。何しろアーシェは獣王の花嫁なのだ。恋敵の意地悪や、陰謀やら何やらで狙われてしまうかもしれない、と妄想で鼻息を荒くする。
「ああ、あの獣王ですから、恋敵とか心配いらないっすよ。」
「むしろとっとと纏まって落ち着いて欲しいってのが城の総意ですね。」
アーシェの無駄な気合を察したノルド達にそう言われてしまい、アーシェは外堀を埋められるってこう言う事なのかなと恋愛小説の知識から思った。実際は埋められる所かもう埋まっているのをアーシェは知らない。国の存続がかかっているのだから一丸となるのは当然なのだが、アーシェはそこまで気が回らなかった。
「大丈夫だよ。あのヴェルがホントに本気でキミを番と思うなら、ちゃんとしてくるだろうし。いざとなったら私が守ってあげるから、それを見届けてやってよ。」
「あれ、マーリン様邪魔するんじゃないんですか?」
「そんな野暮な事するかよ。まあ、ヴェルの出方次第かなぁ。」
「うわー、怖。さすが、死神宰相。邪悪な笑みだ。」
ニヤリと笑ったマーリンは、確かにノルドの言うように邪悪な笑みになっていた。
※ ※ ※
獣王側の申し入れにより、マーリンが同席できる時に限り、アーシェは獣王と食事を共にする事が決まっていた。
だから今、アーシェはマーリンにエスコートされて、ヨーファ達によって無理やり結われた髪と、マーリンの見立てで着せられたドレスを見に纏い、晩餐会場へと赴いていた。
しかしアーシェはドレスなのに、マーリンは正装ではない。マーリンは堅苦しいのは嫌いだと言う。雄や男はズルイと着慣れないドレスのアーシェは思った。
「若い娘はピンクが似合うね。かわいい。」
マーリンの賛辞に、アーシェの頬もピンクに染まる。若い男に褒めなれていないアーシェは照れくさくてマーリンがマトモに見れなかった。
「ヴェルに見せるのもったいないなぁ。」
獣王の名を出され、ビクリとしたアーシェの旋毛に柔らかい感触が落ちる。びっくりして顔を上げたアーシェを近くで見下ろすマーリンが怖くないおまじないと笑った。父親が存命の頃幼いアーシェにしたように、マーリンが旋毛にキスをしたのだと分かり、アーシェは更に真っ赤になった。
だから、ちょうどその姿を獣王に見られている事も真っ赤になって踵を返す姿にも気付かなかった。
「ヴェルが食事抜き?!」
会場に着き、驚くマーリンには悪いがおまじないの効果も薄れ獣王に怯えていたアーシェはその獣王が欠席と知ってホッとしていた。
「ああ、何でも腹の調子が悪いらしい。」
先に来ていたアーノルドの言葉に、後ろでノルドがプププと笑う声が聞えた。
「はあ?!下しても寝込んでも何か喰うアイツが?・・・ま、いっか。初日だしね。ビビッて尻尾巻いて逃げたんだろう。ヘタレツンデレめ。いいよ、アーシェ。好きな物を好きなようにお食べ。」
少し憤慨していた様子のマーリンだが、アーシェを座らせるとその隣に座り、嬉々として世話を焼き始めた。
「おいおい、死神宰相がアップ始めたぞ。こりゃ獣王勝ち目無いんじゃないの?」
「マーリン様なら神にも勝てそうだしなぁ。こりゃ荒れるぞ。」
後ろで好き勝手言っているノルドとフェイを、黙って食べていたアーノルドが睨む。
「アーシェ様。」
「は、はいっ。」
アーノルドに後ろの騎士達を睨んだ目つきのまま見られて、アーシェは思わず背筋を伸ばした。
「・・・・・・ヴェルは、繊細なんだ。」
「・・・はあ。」
はあ?にならなかっただけ良かったとこの後アーシェは思った。それ位、アーノルドの言葉の意味をアーシェは掴みかねていた。アーシェには隣のマーリンと後ろの騎士達が肩を振るわせる意味も分からなかった。
「できれば、長引かせないで欲しい。」
そう言って細めた目でマーリンを見るアーノルドに、アーシェはヨーファ達の言っていた雄と男のあれやこれやを思い出してドキドキしてしまった。
※
明けて翌日の朝食前、マーリンの私室に大きな声で騎士姿の雄がやってきた。
「失礼します!騎士団長・ベクトでございます!」
しっかり結われるのは晩餐だったからなのか、昨夜より簡単にしかし綺麗に髪を纏められたアーシェはその大きな声に目を丸くした。
「『花嫁』様へ獣王よりお手紙です!」
「手紙、だぁ?誰の入れ知恵だよ。」
ベクトの大きな声にも慣れているのだろう。マーリンがアーシェの代わりにそう言った。
「え、オードル公です。」
「あのジジィ、まだ生きてたのか。てか古いけど、顔を合わさない分いい手かもなぁ。」
ブツブツ言いながらもマーリンはベクトから手紙を受け取り、開封した。
「ちょ、マーリン様!それは『花嫁』様へのお手紙ですよ!」
「検閲だよ、検閲。罵詈雑言や脅迫文、卑猥な文章が入ってたらアーシェに見せられないだろう。」
止め様としたベクトをヒラリと交わしてマーリンは手紙に素早く目を通し始めた。ベクトはぐぬぬと唸りながらも、マーリンの隙を伺うように両手を下ろさない。
「ダメだな、これは規定の点数に達しないからアーシェには見せられない。残念、やり直し!ヴェルにそう伝えろ!」
手紙を突き返そうとしたマーリンに、しかしベクトはその両手を掲げて抵抗した。そして必死な顔で言い募る。
「そんな、稚拙だとしても気持ちが伝わればいいではないですか!オードル公もそう太鼓判を押されました!」
「えー、これで気持ち伝わる?公がホントに添削したの?お手上げで適当に言ったんじゃないの?」
「マーリン様は男だから分からないんですよ!お優しい『花嫁』様なら、きっと伝わる筈!」
「お優しいって、キミがアーシェの何を知ってるって言うのさ。まあ、いいか。アーシェ、大丈夫だから読んであげて。」
「お願いします!出来れば、お返事も頂きたく。」
頭を下げたベクトにマーリンは非情にも、これで返事を求めるとはずうずうしいと却下した。
※ ※
アーシェへ
お前は俺の番に間違いない。
俺はお前が成人するのを10年待った。小さくて弱いお前を見て、俺は番だと一目で分かった。
獣王は盟約の花嫁を娶らないと国が滅びる。お前は俺の花嫁になって欲しい。優しくする。
俺はロリコンじゃないが、お前は背が小さくてかわいいと思う。でも小さくて不安にもなるから、もっと飯を食べた方がいい。
この間の夕食は欠席して悪かった。
ヴェルヘルム
※ ※
「どうですか『花嫁』様、グッと来ませんか?キュンと来ませんか?」
意外と短い文章で、サラッと読めた様子のアーシェにベクトが迫る。その横っ面をマーリンの手が押し返した。
「ウザイ。近い。感想を押し付けるな。」
ニベもないマーリンの言葉に負けじとベクトは尻尾と耳を生やしてアーシェに向かう。
「どうか!どうか、獣王をよろしくお願いします!『花嫁』様が応えてくださらなければ、獣王は独り身を通すおつもりです。多分。」
ベクトの勢いに目を丸くしていたアーシェは、多分独り身って事は妥協するかもしれないんだと思った。残念には思わなかったが、へーそうなんだと少し力の入る気持ちだった。
「適当な事を言って、素直なアーシェを惑わすのはやめろ!」
「我らが惑わさねば、誰が惑わすのです。それともマーリン様は獣王から『花嫁』様を奪うおつもりなのですか?!」
え、とホンのちょっとだけ、少しだけ期待を込めてアーシェは救世主であるマーリンを除き見た。国がかかっていても、やっぱりアーシェは獣王が怖いのだ。どうせなら、マーリンの花嫁が良かったと思うようになる位。
ちなみにこれらやり取りのせいで、獣王ヴェルヘルムの手紙の内容はアーシェの頭からすっぽり抜けていた。
「それはない。」
ベクトの問いにマーリンに代わって答えたのは、音も無く入ってきたアーノルドだった。アーノルドのやけに自信ある答えにアーシェは少しガッカリしたが、そうなるとやはりヨーファ達の言ってた事は本当なのだという気持ちがムクムクと湧くのを抑えられなかった。
「将軍。」
「朝食なのに遅いから迎えに来たぞ。」
そう言って、敬礼をするベクトを無視してアーノルドはマーリンとアーシェを見た。一瞬、固まっていたマーリンはすぐにアーノルドになぜ獣王が迎えに来ないのかと問うた。
「で、朝食も欠席するつもりな訳じゃないよね?あのバカ。」
「いや、遅れるだけだ。・・・マーリン、お前がそうヴェルを悪く言うから『花嫁』の印象が悪くなるんじゃないのか?」
「アル、それは私のせいじゃないだろう。」
「け、喧嘩はやめてください!」
愛し合う二人が喧嘩なんて、と言いそうになってアーシェは止めた。そういえばこれはアーノルドの片思いだったのだと思い直す。すっかりアーシェがヨーファ達に毒されてるとも知らず、二人は目を丸くしていた。
「喧嘩、まあ売られてたのを買おうとしてたから同罪か。アル、ここはアーシェに免じて許してやろう。」
「ぐ・・・すまない。」
マーリンの肘鉄を喰らい、苦しそうにしていたアーノルドだがアーシェに頭を下げた。
朝食は城の庭園が見えるテラスで取る事となっていた。妙に張り切るベクトを先頭に一向は進む。
「わあ!」
四季折々の花が咲いた見事な庭園にアーシェの感嘆の声が漏れる。そしてアーシェの目はテラスに一人座るヴェルヘルムの姿を捉えて固まった。
「ヴェル。ちょっとナニその格好。」
隣のマーリンがヒドイ事を言ったとアーシェは少し思った。案の定、そのヒドイ言い方にグ、とヴェルヘルムは唸って立ち上がる。
「これは・・・・・普段着だ。」
「普段着?!」
驚くマーリンの肩に、アーノルドの手が乗った。切なそうな顔でアーノルドは首を振る。
「マーリン、その位にしといてやってくれ。」
「えー。でもさー、アル。」
「アーシェ様、どう思う?」
「えっ?」
マーリンを挟んだ位置で、アーノルドにそう問われたアーシェは小さく飛び上がった。獣王の装いは似合っていた。アーシェの居た村ではそんなヒラヒラした服を着ている雄なんて居ない。似合いそうな雄も居なかった。だからヴェルヘルムのそれは顔と相俟って、とても似合ってカッコいいと思う。でも正直にそういうのは何だか恥ずかしい気がした。
「えっと、あの・・・。」
「似合わないか?」
アーノルドに妙に威圧を感じる低い声で言われ、アーシェは真っ赤になりながらも本当の事を口にした。
「に、似合ってます。すごくカッコいいです!」
しかし、獣王でなくアーノルドの方を向いてだった為に、アーノルドの頭に黒豹の耳が現れヘニョリと垂れた。浅黒いアーノルドの精悍な顔が少しだけ赤く染まり、アーシェから視線が外された。
「それは・・・俺にでなく、ヴェルに向かって言ってやってくれ。」
「あ!すいません!」
気付いてアーシェは、恥ずかしい気持ちと勢いとでヴェルヘルムに向きなおした。しかし口を開こうとした途端、鋭いヴェルヘルムの視線と合わさり固まってしまう。
「これは普段着だ!褒められても嬉しくもなんともない!」
怒鳴られて、アーシェはピャッと飛び上がった。そしてサッと、つい傍にいたアーノルドの背に隠れてしまう。テラスはシーンと静まり返った。
「「アチャー。」」
「バカめ。」
シーンとなったテラスでは仲良く天井を仰ぐノルドとフェイ、マーリンの毒舌だけが響いていた。
※ ※ ※
「おいたわしや、獣王。」
朝食をかっ込み、さっさと帰ってしまったヴェルヘルムを見送り、ベクトはおいおいと泣きまねをしていた。熱血なのかと思いきや、演技派でもあるらしい。
「どうか、どうか儀式では赤い紙をゲットしてくださいね!」
見事騙されそうになったアーシェが近寄ると、ケロリとしたベクトがその手を握り懇願した。もちろん速攻マーリンに断ち切られたが。
「赤い紙って何ですか?」
ベクトをシッシと追い払うマーリンにアーシェは気になった事を聞いてみた。そういえば、儀式とやらの話を全然アーシェは聞いていないのだ。
「『古の儀式』で二人を祝福したとされる神の遺物だ。」
「歴代でも儀式までしたのはそう居ないからね。記録も少ないんだけど、誰にも読めない神の文字で何か書いてあるらしいよ。しかも暫く経つと消えるらしい。」
そう答えてくれたアーノルドとマーリン、二人が並ぶと身長差といい、見た目といいお似合いだとアーシェは思った。すっかりヨーファ達に毒されている。
「それ、貰わないと国が滅びるんですよね。」
おずおずと尋ねるアーシェは実はマーリンに否定して欲しい気持ちで一杯だった。ただの言い伝えと笑い飛ばすマーリンなら、否定してくれるだろうと。
「んー、どうだろうね。何しろ相手は神だからね。」
「おい。ココに来て突き放すのか、お前は。」
「違うよ。違うからね、アーシェ。私は君の味方だけど、ヴェルにも幸せになって欲しいんだ。だから他人の言葉に惑わされずに真剣にヴェルの求愛を見極めて欲しい。」
マーリンにそう言われ、アーシェはこれで求愛されているのだろうかと首を傾げる。しかしアーノルド曰く繊細らしいし、アーシェには分からない繊細な求愛行動をしていたのかもしれないと真剣に考えてみる事にした。しかし、いくら思い起こしてもそれらしい態度は見つからない。
「そうだ。キミに魔法の言葉を授けておこう。」
首を傾げ唸るアーシェに、いざとなったら使いなさいと、マーリンはアーシェにある言葉を囁いた。アーシェは言葉の意味に魔法の効力があるとは思わなかったが、きっと言葉自体にマーリンの魔法がかかっているのだろうと思う事にした。
※ ※ ※
何度かの食事会と、似たような内容の手紙を繰り返し、ようやく儀式の日がやってきた。こんなに早くなってしまったのは、実はヴェルヘルムの28歳の誕生日が近いせいである。
儀式の会場は最初に獣神が降臨したとされる洞窟の祭壇前。
ヴェルヘルムとアーシェ、二人きりで行われる。実質二人きりになるのは、これが始めての事でもあった。
食事会で顔を合わせてきたお陰が、幾分か恐怖が薄れたアーシェはしかしヴェルヘルムからは一定の距離を保って洞窟へと入った。ヴェルヘルムはムスッとした顔でアーシェを置いてズンズン進んでいる。
「アーシェ、国とか気にしないでいいからね!」
必死に付いて行くアーシェの背にマーリンの声がかかった。振り返り、アーシェは頷いて再びヴェルヘルムの背を追った。いざとなれば魔法の言葉がある、と気合を入れながら。
本来は暗い洞窟内も、儀式の為にたいまつが掲げられ薄暗い程度になっている。揺れる炎に合わせる様に、ゆらりとヴェルヘルムが振り返る。アーシェはビクリとならないように、気合を入れてヴェルヘルムの視線に合わせた。
「お前女が好きなのか?」
だが突然の第一声に頭が回らない。アーシェは首を傾げると、ヴェルヘルムはイライラしたように美しい銀髪を掻き毟った。
「いいか、マーリンは女だ!」
衝撃の告白である。アーシェは目が点になった。どう見ても、どう嗅いでもマーリンは男の匂いしかしなかったのだ。獣人は嗅覚が鋭いので性別を違える事は無い。
「マーリンは魔法で変身してたんだよ!」
なるほど、ヴェルヘルムの言葉にアーシェは頷いた。だとしたらアーノルドの想いに応えても何の問題も無い。それにアーノルドが長引くのを心配していたのは常に魔法で変身しているマーリンを気遣っていたからなのだとアーシェは納得した。そんな事を考えているアーシェは、ココがヴェルヘルム求愛の儀式の場と言う事はどこかに行ってしまっている。
「お前は俺のなのに、なんであいつには赤くなったりする!」
だからアーシェは、怒鳴られてついビクリと飛び上がってしまったのだ。
「おわ!何だコレは!」
すると祭壇からヴェルヘルム目掛けて黒い何かが襲い掛かった。
武装していないヴェルヘルムは手で弾いたが、黒い何かは大したダメージも受けなかったようですぐさまヴェルヘルムに向かってくる。
「アーシェ、下がっていろ!」
そう叫ぶと、ヴェルヘルムは獣化した。服が落ちると、銀色の狼へと代わっている。大きな見事な体躯の美しい狼だとアーシェは怯えるのも忘れ、そう思った。
ヴェルヘルムは鋭い爪と牙で応戦しているが、黒い何かは一向に怯まない。それどころか、どんどん太くなっている気がする。
「獣王!」
思わず叫んだアーシェにヴェルヘルムが唸った。
「獣王じゃない、ヴェルと呼べ!」
振り返りそう叫んだ隙を、黒い何かは逃さなかった。グルグルと、黒い糸のような束が銀色の狼と化したヴェルヘルムを締め上げていく。
「ぐおおおお。」
苦しそうに、しかし抵抗するヴェルヘルムの獣の姿が徐々に人へと変わって行く。
「放して、獣王を放して!」
アーシェは恐怖も忘れ、黒い束を必死に引っかいた。ヴェルヘルムの目が驚きに見開かれる。しかし一向に束はびくともしない。
「・・・アーシェ、もういい。お前だけでも逃げろ。今まですまなかった。」
切なげに告げられた自分の名に、アーシェは胸が締め付けられる想いがした。だから今こそ、マーリンから授けられたあの魔法の言葉を使う時なんじゃないか。そう思った。
「お友達から、お願いします!!」
パァーン!
破裂音と共に、ヴェルヘルムを拘束していたモノが弾け飛んだ。だが、辺りに舞うのは赤い花びらだ。
「獣王!」
解放されても苦しそうなヴェルヘルムをアーシェは抱きとめようとして潰された。何とか腕だけで起き上がったヴェルヘルムは罰が悪そうな顔をした。
「ヴェルと呼べと、言っただろう。」
「・・・ヴェル。ヴェル!」
怯えもせず、縋るように腕に収まったアーシェの小さな身体を抱きしめたヴェルヘルムの上に、赤い紙が舞い降りてきた。
「これが、赤い紙?」
「そうだな。何か書いてあるが、読めん。」
二人で覗き込んだ赤い小さな紙片に書かれた文字は読めなかった。と言う事は成功したのか、とヴェルヘルムがホッと息を吐いた。
「おー、うまく行ったようだね。」
そんな声と共に、バサリとヴェルヘルムにアーシェごとマントが掛けられた。それでアーシェは気付いたのだが、ヴェルヘルムは獣化を解いていた為裸だったのだ。アーシェは視線をなるべくヴェルヘルムから逸らそうとするのだが、その見事な体躯はついつい眺めてしまいたくなる。
「ずいぶん来るのが早いな、マーリン。」
「まあね。お、これ凄い悋気にも反応するようになってるよ。後は負の感情だね。流石は獣神。花嫁を害さないようにもなってる。こりゃ獣王お仕置き装置だな。」
恨めしい声を出したヴェルヘルムに背を向け、散らばった花びらに手を翳していたマーリンが分析結果を呟いている。
ヴェルヘルムは赤くなっているアーシェを逃がさないよう、マントをアーシェごと自分に巻き付けた。
※ ※ ※
『リア充爆発しろ』
ヴェルヘルムから受け取った赤い紙に目を通すと、マーリンは魔法の言葉でそれを燃やした。
「やっぱねえ、同郷のような気がしてたんだ。」
一応の成功に喜ぶ、城の面々にその呟きは届かない。
裸の感触に真っ赤になっているアーシェを抱え、やにさがるヴェルヘルムを見てマーリンは溜息をついた。それはホッとしたようであり、呆れたようでもある。
「アイツ、まさかあの言葉の意味分かってないんじゃないだろうな。これからが長いってのに。ま、気長に助けてやりますか。」
そう言いながらも、ヴェルヘルムから茹蛸のアーシェを救出すべく、マーリンは駆け出すのだった。
たぶん、こんな感じでワイワイとやりながら、ほのぼの恋愛へとシフトしていくのではないかと。いや、じれじれかな?
当て馬としてマーリンには男で居てもらう必要があったので、強調するべくBL風味を出しました。しかしアーノルドとヴェルヘルムだけは女と知っているという
微妙な関係。
獣神はそう思われてるだけの異世界トリッパーです。チートなマーリンと同じトコ出身。某プロレスラーのマスク被ってたという無駄な設定があります。