もう1人
桐生浩平は何もない田舎道を歩いていた。空気がキレイだとか、緑に囲まれて云々、そんなのはただの言い様だ。地面は舗装されていないままで、缶ジュースの自動販売機すら見当たらない。ちょっとした買い出しにも遠く離れた町まで出て行かなければならなかった。
過疎の進んだ小さな村で、浩平は明らかに浮いた容姿をしていた。
腰まで届くほどの艶やかな黒髪をサイドで2つに結わえている。服装は白地のブラウスに黒いジャンパースカート、そのほっそりとした足にラインの入ったハイソックスがとてもよく似合っていた。小柄で品の良い目鼻立ちの、まるっきり動くお人形さんといった見た目だった。
浩平が一人、はあとため息を吐きながら言った。
「……匠海のやろう、いっつもいっつもクソ下らねえ買い出しさせやがって、重いんだよコンチクショウ!」
とても可愛らしい声だった。
浩平の提げているビニール袋には限界に近い重さに缶コーヒーが詰め込んであった。スーパーの前に設置されている自動販売機で購入してきたものだ。用事を済ませて帰る途中、浩平は道の真ん中でなにかを見つけた。確か、行きがけには見掛けなかったものだ。目を凝らしてよく見ると、それは倒れている人のように見えた。
「何だ、もしかして行き倒れか?」
浩平が慌てて駆け寄ると、男が血塗れになって倒れていた。着ているジャージがボロボロで、一目でとんでもない大怪我をしているのがわかった。
「……酷えな、こりゃ」
浩平はしゃがみ込んで男の傷の具合を見た。動かすと、傷口からまだ血が止まらずに流れ出した。出血が酷く、男は青白い顔をしてぐったりしている。見たところ、20歳前後の若者といったところか。
「おい、アンタ! 大丈夫かよ、しっかりしろ!」
男の体が揺さぶられ、首元で何かに光が反射した。
「何だ?」
覗き込むようにして見た。男は首から小振りの試験管の様なものを提げていた。
「あー!」
突然子どもの声が聞こえた。振り向くと、そこにはとても小さな子どもが立っていた。ふわふわした金髪の可愛らしい女の子だ。浩平の足元で倒れている男の元に駆け寄ると、覆い被さるようにして抱きついた。まるで何かから男を庇うような仕草だった。顔を上げた女の子が泣きそうな顔を浩平に向けた。
「おいおい、オレはコイツになんもしねーよ! それより大変だ、早いとこ病院に連れてかねえと!」
浩平が病院、という単語を発した途端に、はっとして立ち上がった女の子がしがみ付いてきた。そうして、いや、とでも言いたげに首を振った。浩平の間近に女の子の顔があった。フランス人形、と形容したくなるような類の顔立ちだ。
浩平は妙なことに気が付いた。目線の高さが同じなのだ。女の子がまたぶんぶんと首を振った。視線を足元に向けた浩平は思わず叫び声を上げた。女の子は、ふわふわと宙に浮かんでいたのだ。
「化けもんだ! こいつらやべえ! マジやべえ!」
浩平は後ろに仰け反って尻餅をついた。女の子は取り乱す浩平を不思議そうに見つめている。腰を抜かして立ち上がれなくなった状態で、浩平は少しだけ冷静さを取り戻した。男の首元に見つけたものに思い当たったのだ。
「……NEU?」
その時、浩平たちの近くを荷車を引いた老人が通りがかった。
「おや、浩平ちゃんじゃないかい? どうかしたかね?」
浩平は慌てて転がった缶コーヒーを拾い集めて袋に戻し、男と女の子を肩に担いで立ち上がった。
「ばあちゃん、いやなんでもねえんだ、それじゃ!」
それから脱兎の勢いでその場を後にした。
「大変だ!」
大声を発しながら戻ってきた浩平に、白衣の男が嫌そうな顔を上げた。
「どうしたんだ、騒々しい」
「だから大変なんだよ、匠海!」
匠海、と呼びかけられた白衣の男がはあとため息を吐きながら立ち上がった。眼鏡を指で押し上げてから抱えられている男を一瞥し、それから何事もなかったように浩平の提げている袋の中身を取り出した。
「なんだい、微糖じゃあないか。一体何の嫌がらせだ」
匠海はそれからひったくった袋の中身を床にぶちまけ、転がしたパッケージのデザインを見てからあからさまに不機嫌な顔つきになった。
「何でもいい、なんて指示した覚えはないんだがね。君は僕に喧嘩を売っているのか?」
「売り切れてたんだよ、しょーがねえだろ! 大体そんなクソ重いもん箱で買って届けてもらやーいいだろ!」
「何をいう。缶コーヒーは自動販売機で買うことにこそ意義があるんだよ」
「だったらご自分がその意義とやらを噛みしめろや」
浩平が吐き捨てるように言った。
「僕はDOSSのカフェオレ以外は飲まないと何度も言ってるだろう。出来損ないめが、一人前に逆らうんじゃないよ」
匠海の放り投げたスチール缶は浩平の頭頂部にヒットした。
「痛ってえ!」
浩平は頭を押さえて蹲った。2人が言い合いをしているのを、例の女の子が物陰で震えながら伺っていた。浩平ははっとした。
「そんなことより! こいつが大変なんだよ、このままじゃやべえよ」
浩平は抱えていた男をずいと匠海の前に突き出した。振り回されたせいでかさっきよりもさらにぐったりとしている。
「ああ。また厄介なことをしょい込んできたもんだ。その場で助けを呼べばよかっただろう?」
匠海の言葉に、浩平は男の首元を顎で示した。匠海が不審げに近づき、男を見つめた。その言わんとしている事を把握して、匠海はその小振りの試験管を手に取った。中には、紫色をした塊が数個入っていた。
「ああ、なるほど」
匠海が言った。慌てた様子の女の子が匠海の白衣の裾をぎゅうと掴んだ。やはり床からは数センチほど浮かんでいる。
「それに見ろよ、コイツ。どうみてもただの人間じゃねえだろ?」
「ああ。実に厄介なものを連れ込んできたもんだね。……高橋に連絡をとってみよう。あまり会いたくない顔だが」
「すまねえ」
匠海は構わない、と言った手振りで答えた。
「それより、浩平。何をぼうっとしている? 取りあえずの処置は僕がする。用意してくれ」
男は処置を終え、ベッドに寝かされていた。幸い命は取り留めたが、未だ意識が戻らないままだ。匠海は男から採取した血液と体組織の入った試験管を興味深そうに見つめていた。
「なあ。こいつらやっぱり、NEUに関係あんのか?」
「さあね、無いことはないだろうが」
浩平は心配そうに男を見つめる女の子をぎゅうと抱きしめた。
「大丈夫だよ。お前の兄ちゃんはすぐ元気になるよ」
匠海がそれを見て、やれやれといった顔をした。浩平が女の子の髪に顔を埋めた。
「ちっちゃい女の子の匂い……」
匠海が大げさにため息を吐き、飲みかけの缶コーヒーを浩平に投げつけた。
「痛ってえ! 匠海それマジで止めろよ、頭が割れちまうよ!」
「……ん、」
周りの騒がしい声のせいでか、男の目が薄らと開いた。それから数回瞬きをしてから、辺りを伺うようにして見た。女の子がそれに気づいて声を上げた。
「ベル!」
「あっ、おいどうしたんだよ」
浩平の腕からすり抜けた女の子が男の元に駆け寄った。と言うよりは、本当の意味で飛んで行った。女の子はどうにか体を起こした男にしがみ付いた。男はふっと表情を緩め、その小さな背中をそうっと撫でた。それからまた、男は自分の居る場所を確認するように見回した。
「ここは……」
「ベル、っていうんか、アンタ? それより大丈夫かよ」
「ええ、……すみません、僕」
ベルがぐっと目を瞑り、痛みを堪えるように体を強張らせた。
「ベル、大丈夫……?」
「うん、平気だよ。ええっと、」
ベルはそれから頭を抱えて、唸るような声を上げた。
「すみません……僕、何が何だかわからないんです。……僕は一体、どこで何をしていたんだか、全く思い出せない」
「え、あんたまさか」
浩平が匠海を振り返った。
「記憶喪失?」
ベルは頭を抱えたままで固まっていた。女の子が、心配そうにじっと見つめていた。匠海が面倒くさそうな顔をして缶コーヒーのタブに指を掛けた。




