海の見える町
陽人は少年を抱えながら、入ってきた裏口のドアに向かって必死で逃げた。しんとした暗闇の中をばたばたと足音が響き渡った。行く先に、非常口の表示案内板が見えた。
その時。陽人達の前に、後方からの追っ手とはまた別にすっと何者かが立ち塞がった。陽人は足を止めた。それは、まだ小さな子どものように見えた。
「……何だよ、お前ら」
陽人は目の前の子どもを見て息を飲んだ。長い髪の毛を2つに分けて結わえ、赤い花飾りを付けている。その2人の子どもたちはここに居るミケとそっくり同じ姿をしていた。
「おいミケ、こいつらって」
「うん。僕のお友達」
ミケが答えた。
「おんなじ、お友達……?」
ミケが立ち塞がっている子どもに向かって言った。
「ごめん、ここを通して。僕はこの人たちをここから逃がしてあげたいの」
2人の子どもたちはわからない、といったように首を傾げた。その内に、後方から追ってきた男がやってきた。男が陽人達を足止めしている2人に向かって叫んだ。
「何してる、とっととそいつらを捕まえるんだ!」
はっとして顔を見合わせた子どもが、陽人達に向かって飛びついてきた。陽人の抱えている少年が、ぎゅうとシャツを掴んだ。酷く怯えきった顔をしている。陽人は少年を庇うようにして抱きしめた。2人の子どもたちが陽人を引きはがそうとして引っ張ってきた。子どもとは思えない程の力だった。
「止めて!」
ミケが叫んだ。
2人はぴた、と動きを止めて、声を上げたミケの方を見た。
「ソイツはイカレてるんだ!お前たちは誰の言うことを聞かなきゃならねえか、わかるだろう!」
男がそう忌々しげに言った。2人が再び捕まえようとするのを陽人は振り払い、ドアに向かって走り出した。
「バカ野郎!」
追いかけようとした男に向かってミケが飛び掛かった。男がバランスを崩して床に倒れた。男に覆い被さった状態で、ミケが叫んだ。
「早く逃げて!」
「ミケ!」
「僕は、大丈夫だから。早くここから逃げて!」
陽人は頷くと、裏口のドアに向かって走った。
「ミケ待ってろ、お前も絶対に助けてやるからな!」
振り返って見た、ミケは笑ったように見えた。陽人は少年を抱き抱えて、施設を飛び出した。
何も考えずにただ前だけを見て、陽人は走っていた。どのくらい離れただろうか。工業団地内からは出て、町中に近い所まで来ていた。陽人はふうと息を吐いて、少年を降ろしてやった。少年は腕の中でぐったりとしていた。
「ごめんな、大丈夫だったか?」
少年は答えようとして、口を動かした。しかしまだ声が出せない様子だった。少年はそれから、大きく頷いて答えた。
「そっか」
少年が安心した様子で大きく息を吐いた。
「それにしても、酷えな。お前傷だらけじゃねえかよ」
少年は首を振った。それは平気だ、という意思表示だった。陽人は着ていた上着を脱いで少年に羽織らせた。
「悪りい、俺どうしてもアイツの事が気になるんだ」
少年が顔を上げて陽人を見た。
「ここならすぐに見つかることもねえ。お前は、ここで隠れてろ。俺はミケを助けに戻る」
陽人は少年をビルの間に座らせ、身を隠させた。一応、怪しげな人影やら危険な場所でないかの確認をすませてから、屈み込んで少年と顔を見合わせた。寒いのか、僅かに震えている。陽人は頭をそっと撫でてやった。少年がぎゅう、とシャツを引っ張った。
「1人になんのは怖ええか、やっぱ」
少年は首を振った。顔を顰めている。あの場所に戻ると言った陽人を案じて、引き留めている様子だった。陽人は携帯電話を取り出して、亮介の番号を呼び出した。自分勝手な理由ではあるが、こうなったら頼れる者が他には居ない。時間の所為もあってか亮介は応答しなかった。着信に気付けば、反応はあるだろうと思い陽人は携帯を仕舞い込んだ。
「お前はなんも心配しなくていいんだ。ちょっとの間ここで待っててくれよ、すぐミケを連れて戻ってくるからな!」
少年はしばらくの間考え込むようにした後で、大きく頷いて答えた。
陽人は再びあの建物の前まで戻った。途中、何か目ぼしいものはないかと探して、細長いパイプのようなものを拾った。こんなものでもないよりはマシだろうと、それを携えて裏口に回った。心配していたが、都合のいいことに鍵は開いたままになっていた。音を立てない様にそっと開いて、中に入った。
辺りはやはりしん、と静まり返っていた。先程争った付近では、その痕跡がまだしっかりと残っている。廊下を伝って、何やら転々と染みのようなものが続いているのに気付いた。陽人はその跡を追うようにして、奥へと進んだ。少年とぶつかったその先で、陽人は思わずああ、と声を上げた。
そこには、ガラス張りの部屋があった。中は幾つかに区切られ、少年と同じ格好をした子どもたちが虚ろな目つきで座っているのが見えた。
「コイツは……」
陽人はその部屋に駆け寄って見た。真夜中ということもあり、眠っている子どもがいた。冷たい床に直接体を横たえていた。
がた、と近くで物音が聞こえた。振り返って見ると、そこにはあの追ってきた男がいた。ひっと息を飲んだ陽人の目の前で、男がどさ、と音を立てて倒れた。
「……な、何だよ、一体」
倒れた男のすぐ傍で、なにか声が聞こえてきた。
「……陽人、」
ミケの声がした。
陽人は男の傍に屈み込んでみて、そこでミケを見つけた。ミケの両腕と足は無残にも千切れた状態で、ボロボロになった胴体部分だけが残されていた。倒れた男がぎゅうとミケの髪の毛を掴んで、引っ張り上げていた。男はどういう訳かその状態で、気を失っているようだった。
陽人はミケを男の手から奪い返して、くしゃくしゃになった髪をそっと撫でてやった。その顔には生気がなく、虚ろな両目が陽人を見ていた。腕のあった所からは何かの部品と、千切れたコードの類が見えた。その表情が無く固まっていた口元が、僅かに微笑む形に歪められた。
「……ありがとう」
そう呟いて、ミケは目を閉じた。
「おい、ミケ、……なんだよ、いったい何があったんだよ!……ちくしょう」
陽人は冷たく冷えたミケの体をぎゅうと抱きしめた。
その時。
がつん、となにか重く鈍い音がすぐ近くで聞こえた気がした。衝撃が伝わり、前のめりに倒れた。陽人は後ろを振り返って見た。だら、と視界を遮るものがあった。陽人がそれに触れてみると、ぬるっとした感触があった。2回目に似たような音を聞いてから、陽人はようやくその音が何であるかを理解した。ずしゃ、と冷たい床に横たわり、陽人は意識を失った。
「――全く。こんなのは警備会社の仕事じゃあないか」
白衣の男がはあ、と面倒くさそうに言った。男の傍らに立つ子どもが心配そうな顔を向けた。
「……コイツは、もう駄目だな」
男はそう呟いて、千切れた人形の頭を放り投げた。固い床を跳ねて、人形の首が遠くに転がって行った。
「どうしたって? ああ、大丈夫。2人とも生きてるよ。メンドクサイからその辺のゴミ捨て場にでも捨てといてくれ。僕が処理するなんて御免だ全く」
白衣の男は、忌々しげに陽人と、倒れている男を見た。片手に持った鉄パイプのようなものを引きずりながら奥の部屋に消えて行った。
残された子どもたちはお互い顔を見合わせると、陽人を引きずりながら裏口まで運んで行った。
「――陽人、」
亮介の呼びかけに、陽人が反応した。
「よかった、気が付いたんだな」
「……亮介、あれ、なんで」
陽人は体を起こそうとしたが、酷い頭痛がして身動きがとれなかった。
「あんまり無理すんなよ。……それにしても、びっくりしたぜ。お前がぶっ倒れてるって聞いてさあ。全く、だから危ねえマネすんなっつったろうが」
陽人は自分がいる場所が、病院なのだということに気付いた。あの夜、訳の分からない施設内で何者かに襲われた所までは覚えていたが、その後どうなったかは全くわからなかった。取りあえず生きていることに驚いた。
「3日前の晩にさ、お前からの電話があったのってやっぱ関係あるのか?」
「……3日?」
陽人は亮介の顔をまじまじと見つめた。亮介はああ、と言って頷いた。
「お前、ここに運ばれてから今までずっと目を覚まさなくてさ。正直このまま死んじまうんじゃねえかって思ったよ。……何があったか、教えてくれよ」
陽人はミケに会った後のことを亮介にも話すかどうか迷った。陽人がああ、と声を上げた。
「なあ、お前さ、子どもを見掛けなかったか? 10歳くらいの、水色のパジャマみてえなの着てる。俺の倒れてたって辺りに居なかったか?」
亮介は少しの間考えた後でわからない、といった仕草をした。
「見掛けなかったなあ。……あのさ、気が付いたばっかって時になんだけど。その、……お前、エライ事になってんぞ」
翌日、取りあえず動けるようにまで回復した陽人は自宅まで戻ることにした。いつもの通りを抜けたところで、陽人は目を疑った。アパートの前まで来て、がっくりと膝をついた。一面が焼け焦げた状態で見る影もなくなっていたのだ。ちょうど陽人が病院に運び込まれたのと同じころに、不審火による出火が原因だったらしい。
「……ウソだろ、」
陽人はそう呟いた。傍らに立つ亮介が、おもちゃの指輪を陽人に差し出した。
「お前の服に入ってたから」
陽人は指輪を受け取って見つめた。ヒナタの事を思い出した。もう過ぎてしまっているが、クリスマスには遊びに行く約束をしていたのだ。
「おれ、ヒナタんとこ行ってくる」
そうとだけ言い残して、陽人はヒナタの待つ児童福祉施設まで急いだ。それでも、まだ歩くのがやっとだった。
施設の中はなにやらごった返していた。顔見知りの職員がちょうど陽人を見つけて声を掛けてきた。
「ああ、陽人さん。大変なんです。……ヒナタちゃんが」
「ヒナが、何があったんですか?」
「クリスマス会の日に、ヒナタちゃんが居なくなってしまって。まだ戻ってきていないんです。……私、もしかしたら陽人さんの所に行ったんじゃないかって」
職員の女性が顔を伏せた。火事のことを考えているのだろう。顔色が悪かった。陽人はさあっと血の気が引いた。
「ヒナは、俺んちの場所は知らねえ筈だよ、まだガキだし、1回くらいしか来たことねえんだし」
陽人は手の中の指輪をぎゅうと握りしめた。
――ヒナに、返しに来ないとダメなんだよ。
ヒナタの声を思い出した。
よく遊びに連れて行った浜辺まで、何度も行って捜した。町中を警察や、地元の人間の手で捜したが、ヒナタは見つからなかった。
「……焼け跡からは、死体は出てねえってよ」
亮介がそう言った。
陽人は放心した状態で、自宅アパートの跡地に立っていた。そこで、どこかで見たような気のする男とすれ違った。男は陽人に向かって会釈をし、去って行った。その後で、陽人は思い出した。Trickroomの店主だった。
陽人はヒナタの指輪を、浜辺にある小さな岩穴に置いておくことにした。ヒナタと見つけた、2人だけの秘密だった。ヒナタがもし戻って来たならば、一番にその指輪を見つける筈だ。
陽人はこの町からは出て行くことに決めた。海の匂いと、寧々やヒナタの思い出から逃げ出した。幸いか、持って行く荷物もなにもなかった。亮介には世話になった、と短く伝言を残しておいた。
・・・・・・
コンビニの前で煙草を吸いながら、ぼんやりと昔のことを思い出していた。止まない雪は、積もる気でいるらしい。コンビニのビニール袋を提げて、陽人は歩き出した。




