ミケ
陽人は息を切らして、ようやく追いついた。
「おい、ちょっと待てって!」
子どもがその言葉に足を止め、くるっと陽人の方へ向き直った。見るとぽろぽろと涙を零している。
「……ごめんなさい」
意外な言葉だった。
「何で謝るんだよ」
「お客様には、ちゃんとクスリを売らないといけないの。でも、お兄さんは今までのお客さん達とは違う。どうしてだろう」
子どもは泣き止んで、今度は不思議なものを見るような目で陽人を見た。
「俺は、クスリを買いに来たって訳じゃあねえよ。それよりお前、いったいどうしたんだよ。さっき、助けてっつったよな?」
子どもがびく、と体を強張らせた。それからまた前を向いて、その先を指差した。陽人もその方向を見た。遠くに工場のような建物が見えた。
「あそこに、僕のお友達がいるの」
子どもが言った。そこは埋め立て地の上に作られた工業団地で、一画には製薬会社の建物がある。陽人は亮介から聞いた話を思い出した。
「まさか……なあ」
それからまた、案内されるようにして歩き出した。
すっかり夜も更けた中、目的地らしい一画まで辿りついた。辺りはしん、と静まり返っている。敷地内にある、やや離れに建てられた物がそのいうお友達がいるという場所であるらしい。子どもは周囲を確認すると、裏口の方へ向かった。
「……なあ」
声を掛けようとした陽人を振り返り、子どもが口元に指を当てた。陽人は頭を掻きながら、黙ってついて行くことにした。
子どもが鞄の中から取り出した鍵を使い、ドアを開いた。中は非常灯だけが点いていた。見た目がどことなく病院内のようでもある。独特の臭いが鼻を突いた。何か堪らなくイヤな雰囲気がした。察したのか、子どもが陽人を見上げて言った。
「僕の事助けてくれる?」
「……お前の言ってる意味がよくわかんねえんだけどさ。俺もここに何かあるって気がすんだよな。しゃあねえから付き合ってやるよ」
子どもがにこっと笑った。
「ついてきて」
2人は建物の中に入ると、暗い廊下を進んだ。直ぐの角を曲がり、何やらロッカールームであるらしい場所で、取りあえず腰を下ろした。
「……なあ、ここって、監視カメラとかそーいうの付いてたりしねえの?」
子どもはわからない、というように首を傾げた。
「あーもう、いいや。バレりゃあそれまでだ。なあ、」
陽人は呼びかけようとして気付いた。
「お前ってなんて名前なんだよ?」
「僕の名前は、えむけーぜろぜろいちろく」
「……なんか長ったらしいなあ。名前っつーかそれ、名前じゃねえわ。お前、親はいねえのかよ?」
子どもはうーん、と声を上げた。
「僕とおんなじの、お友達はいっぱいいるよ」
陽人は目の前の子どもを見た。まだ幼い可愛らしい子どもだ。名乗ったのは何やら、製品に付けられた識別番号のような名前だ。エムケ―ゼロゼロイチロク、MK0016、それが何を意味しての言葉なのかは陽人にはわからなかった。
「えむけー、……ミケ、そーだな、お前の名前。ミケって呼んでもいいか?」
子どもが陽人をはっとした顔をして見た。
「あだ名みてえなもんだ、その長ったらしいのよりマシだろ」
「うん。……ありがとう」
子どもはくす、と笑って、頷いた。
「ミケ、そういやここって何の建物なんだよ? おまえの友達ってのはここに居るんか?」
子どもの顔がふっと暗くなった。あの時の、助けを求めていた時と同じだ。子どもが立ち上がり、ドアの方へと体を向けた。
「この先に、みんながいるの。僕とおんなじじゃないお友達なの。みんなはお部屋の中から出してもらえない。とってもかわいそう」
「お前の友達ってのと、助けて欲しい奴と、なんかややこしいな。その閉じ込められてるって奴を助けに来たってことなんだよな?」
子どもはうん、と頷いた。
陽人は言っている意味が良くわからなかったが、取りあえず聞いた話を頭の中でまとめてみた。ここにはミケの言う、閉じ込められた人が居るということ、そして多分それはそのいうクスリに関わった人間なのだということ。亮介が言うには、その中には入院患者だった者もいるという話だった。巷で行方不明とされている者も中に含まれているに違いないと陽人は考えた。
「お兄さんは、なんていう名前なの?」
子どもが言った。
「ああ、俺は陽人ってんだ。お前も好きに呼んでくれや」
「うん。陽人、行こう」
「ああ。……にしても、行き当たりばったりにも程があるぜ」
陽人はそうひとり呟いて、子どもの後をついてロッカールームを後にした。
薄暗がりにも慣れ、2人は廊下の奥へと進んだ。幾つか部屋の前を通り過ぎた。足音が廊下に響く音だけが聞こえた。陽人は建物の中を見回しながら歩いていた。各部屋の入り口にプレートがあった。アルファベットと数字が書き込まれていた。
角を曲がった所で、ばたばたと駆けてくる足音が聞こえた。そのまま陽人にどすん、と何かがぶつかってきた。
「うわっ」
ぶつかってきた相手はそのまま床に尻餅をついた。それを見て、子どもがああ、と声を上げた。
「陽人! この子、僕のお友達!」
「え、何だって?」
陽人はその人物を見た。どうやらまだ幼い少年らしかった。ミケと同じか、少し上くらいの年ごろと見える。水色をしたパジャマの様なものを身に着けていた。陽人を見上げた、彼は酷く怯えた顔をしている。子どもがそっと傍らにしゃがみ込んだ。
「大丈夫? 陽人は、怖い人じゃないの。助けに来てくれたんだよ」
子どもがそう言った。陽人はうーん、と唸るような声を上げた。
「まあ、俺はお前たちの敵じゃあねえよ。立てるか?」
陽人は少年の手を掴んで、立ち上がらせた。少年はまだ怯えた様子をしていたが、陽人を興味深そうに見つめた。よく見ると、所々に傷を負っているらしかった。捲り上げられたままの袖口から、まだ生々しい傷口が露わになっている。少年はなにやら言おうとして口を動かしたが、声が出せない様子だった。
少年に会ってからしばらくして、また廊下を駆けてくる足音が聞こえてきた。今度は複数のもののようだ。嫌な予感がした。
「陽人! 逃げよう!」
子どもがそう叫んで、元来た道を引き返した。陽人は少年を見た。彼はどうやら腰を抜かしてしまった様子だった。陽人は少年を担ぐようにして走り出した。
「やべえなんてもんじゃねえぞ全く!」
「なにしてるんだ、さっさと捕まえろ!」
後方から男の叫ぶ声が聞こえてきた。
「冗談じゃねえぞこの野郎」
静かな廊下を、ばたばたと駆ける足音が響き渡った。




