トリック・ルーム
日が暮れて、薄暗くなった裏通りを陽人は歩いていた。クリスマスの華やかな雰囲気とは一変して、いかがわしい看板やらネオンサインで彩られた場所だ。陽人は幾つも立ち並ぶ風俗営業のテナントビルを見ていた。ずっと進んだ先、角にある建物の前で立ち止まった。亮介に教えてもらった店は、このビルの地下1階にある。
「――そこじゃあ、クスリの取引やってるんだよ。まあそれだけじゃあどこにでもある話だけどさ。なんでもソイツは他のとはちょっと違ってるってヤツでさ。ああ、これもありふれてるか」
亮介はそう言ってから、辺りを注意深く見回した。騒がしい店内で、2人の会話に聞き耳を立てている者は居なかった。
亮介はメモ用紙に簡単な地図と、店の名前を書き込んだ。
「ここに、週末にだけ売人が居る」
陽人は亮介の話した内容に眉を寄せた。
「その妙なクスリってのと、寧々に何の関係があるんだよ」
「ソイツには面白い噂があってさ。なんでもどっかの製薬会社が作ったモンで、そういうの、人体実験に利用してるだとかなんとか。病院絡みでグルになって入院患者で実験してるって話もあったなあ。それで何人も行方不明になってるヤツがいるんだってよ」
ああ、と陽人は声を上げた。
「だからもしかしたら、寧々が居なくなったってのと関係あるんじゃねえかって思ってさ」
陽人はポケットの中、ヒナタの指輪をぎゅうと握りしめた。
「ありがとうな、亮介」
亮介はいいって、と言うような手振りで返した。それから、どこか真剣な目つきになって陽人を見た。
「……こんなこと言っといてなんだけどさ。お前、あんまり危ねえとこに首突っ込むなよ。気持ちはわからないでもないさ。でもお前にゃあお前の人生ってモンがあるだろ」
「わかってるよ。でも、警察は取り合ってくれねえ。だったら俺が捜すしかねえだろ? アイツは、ヒナタのたった一人の兄弟なんだ」
亮介はふう、と息を吐き出した。
「そこについたら、チョコレートをくれって言やあいいのさ。まあ気を付けてな」
陽人は地下に通じる階段を降りた。その先には、細長いスチール製のドアがあった。Trickroom、と店名が書き込まれている。場所はここで間違っていないだろうと、陽人は思い切ってそのドアに手を掛けた。
店内は照明が落とされ、重厚な雰囲気が漂っていた。カウンターにテーブル席が2つ、奥にはステージのようなスペースが設けられている。他に客らしい姿は見えなかった。陽人は取りあえずカウンターに腰を下ろし、店内を見回した。
そのいう売人とやらも、今の所姿が見えなかった。店主の男に、取りあえず適当な飲み物を頼み、しばらく様子を見ることにした。
暗い店の片隅に、小さな子どもが座り込んでいるのに気が付いた。もしかしたら店主の子どもなのかもしれないが、酒を提供しているような場所に居るというのもおかしな話だ。
陽人はその子どもをじっと見つめていた。その視線に気付いたのか、子どもが陽人の方を向いた。とても可愛らしい顔をしているな、と陽人は思った。膝近くまで伸ばした長い黒髪を2つに縛り、赤い花飾りを付けている。
その子どもが立ち上がり、陽人の元までやってきた。目の前に立ち、じっとこちらを見つめている。間近に見ると、まるで作り物のような容貌に見えた。袖の異様に長い奇妙なデザインの衣装を身に着けている。
「なんだ、どしたんだよお前。ガキがこんな遅くにこんなところに居たらダメだろ」
子どもは言われている意味を理解できないのか、首を傾げる仕草をした。その大きな瞳が、なにやら不思議な色に見えた。店内の照明の加減でそうなるのか、紫色に近い色をしている。それだけではなく、子どもにはどこか普通ではない雰囲気があった。まるで人形のように表情が無かった。
陽人はまさかとは思ったが、思い切って訊いてみることにした。
「ギブミー・チョコレート? お前、わかるか?」
その言葉に、子どもがはっとした表情になって陽人を見、小さく頷いた。それから辺りをきょろきょろと見回すと、陽人のシャツをぎゅうと掴んだ。
「付いておいでよ」
子どもはそう言って、一人店を出て行った。陽人は慌てて店主に会計を頼み、その後を追いかけた。
「おい、ちょっと待てって!」
階段を上がってすぐのビルとビルの間、ポリバケツの上に子どもが座っていた。ネオンサインの光を受けて、その顔が年齢にそぐわないほど大人びて見えた。
「……お前、一体何モンなんだよ?」
子どもはくるっと、それこそからくり人形のように首を動かして陽人を見上げた。
「お兄さん、クスリが欲しいの?」
その問いに、陽人はいいや、と答えた。その後で拙かったかなと思ったが、まあいいと思い直した。子どもは提げていた小さな鞄の中からなにやら取り出した。
「そんなのより、もっと美味しいものあげるよ」
そう言って子どもが見せてきたのは、小袋に入ったチョコレート菓子だった。包装をぎゅうとつまんで引っ張っているが、着ている衣装が邪魔なのか上手く開けられない様子だ。
「貸してみな」
見兼ねた陽人は袋を受け取ると、口を開いて渡してやった。
「ありがとう」
子どもが袋の中から一つ取り出し、菓子を口に入れた。途端にうっとりした表情を浮かべる。夢中になって菓子を頬張るその子どもを見ながら、陽人はやはり思い違いをしていたのかという気になった。
「なあ、お前。父ちゃんや母ちゃんはどうしたんだよ? ここらはガキが遊んでていい場所じゃねえぞ」
子どもがふっと元の整った無表情になった。
「僕の名前はえむけーぜろぜろいちろく。子どもじゃないよ」
「えむけー?」
子どもはポリバケツからすとん、と地面に降り立った。
「どうみてもまだガキだろうがよ。それに女の子じゃねえか。ここらじゃどんなアブねえやつが居るかもわかんねえってのに」
「女の子じゃあないもん」
子どもがそう答えた。
「え?」
陽人は改めてその子どもを見つめてみた。どこから見ても可愛らしい女の子にしか見えなかった。裾の思い切り短い、際どいデザインの衣装からすらっとした細長い足が覗いている。子どもがいきなりそのスカートを捲り上げて見せた。下着の類は身に付けていなかった。
「……ああ」
子どもがにや、と笑った。陽人は子どもの手をどけて、スカートを元の様に戻してやった。
「……男だろうが、アブねえもんには変わりねえんだよ」
子どもは不思議そうに陽人を見つめている。
「お兄さんは、”パライソ”が欲しい人じゃあないの?」
「パライソ? ああ、俺はクスリが欲しいってわけじゃあねえんだよ。そいつの売人ってのはやっぱりお前なのか?」
子どもは何か、どこか考え込んでいる様子に見えた。じいっと、陽人を見つめている。その目に映る、ネオンサインの光が揺れた。
「……助けて、」
子どもがそう、呟くのが聞こえた。
「え、何、どうしたって?」
子どもは目元を擦ると、ビルの間を走って行った。陽人は再び、子どもを追いかけて走り出した。




