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Messenger  作者: 人肉遊離
3/11

ノラに名前を

 陽人はコンビニで買ってきた本日付の朝刊をテーブルの上に広げた。隣の老人から貰ってきた昨日と一昨日の分もまとめて片隅に置かれている。情報を得る手段として、陽人の部屋にテレビは無かった。

「事件とか、なんかそーいうのがありゃわかるさ。けどなんもねえなあ」

「うーん」

 ニュースとして取り上げられているのは、どれも男とは直接関係のなさそうなものばかりだった。

 男は寒くて仕方がなかった。部屋の窓が猫たちの為に開放されたままになっているのだ。年代物のファンヒーターが冷えた空気を温めてはいるのだが、換気の良すぎる部屋に追いつかない。男はまるで焚火にでも当たるような恰好で正面を陣取っていた。そんな中、この部屋の主はシャツ一枚にも関わらず何食わぬ顔をしていた。

「つーかさ、陽人は平気なんか? 俺寒くて死にそう」

「寒いんなら毛布でも被るか? ウチにゃあそいつしかねえんだ」

「いや、そーいうんじゃなくって。これ以上贅沢言わねえよ」

 陽人は自分の足元にいる猫を抱き上げて、男の丸まった背中に載せた。

「ミーコが暖めてくれるってさ」

 猫は男の背中からずり落ちまいとしておもいっきり爪を立てた。

「痛ってえ!」

「悪りい」 

 はは、と笑いながら陽人が言った。

 未だに何も思い出せずに、男には行くあてがないままだった。陽人の好意でこの部屋に住まわせて貰っている。怪我については、痛い所がどこにもなかったので結局病院には行っていない。男に所持金は無かったし、そこまで世話になる気にはなれなかった。

 陽人はまるっきり猫たちに自室を解放しているのと変わらないていで男にも接した。一応人間相手に、あんまり警戒心が無さ過ぎるのもどうなのかと男は陽人に言った。

「まあ、こんなクソ田舎にそうそう物騒なこともねえしよ。ウチにゃあ盗られて困るようなもんはねえしなあ」

「……そーいう問題じゃあないと思うんだけど」

 陽人はきまり悪そうに頬を掻いた。

 あれからまた新聞を見直して、陽人がうーん、と声を上げた。取りあえずの新聞に目を通してみたが、やはり地元のニュースにはそういった事件や事故の類は取り上げられてはいなかった。

 陽人が男の傍らに来て座った。

「やっぱまだ、なんも思い出せねえか?」

 男はしばらく考えてから、ああ、と答えを返した。

「嘘じゃねえんだ、でもなんって言うかなあ。自分のこともわかんねえっての、マジでサイテーな気分だな」

「そうかあ。……なんもかんも忘れちまってもさあ、楽になれるってもんでもねえんだなあ」

「陽人?」

「なんでもねえ」

 陽人は床の上に横になった。男はその、何故だか寂しそうにも見える横顔を見ていた。

「考えるだけ無駄ってもんさ」

 男も冷たい床の上に横になった。時計はもう9時を回っていた。男は寝転がったままの陽人に言った。

「今日は出掛けねえの?」

「仕事はねえってさ」

 陽人は猫を腹の上に載せた。

「明日もねえかもなあ」

 そう、能天気なことを言って笑った。




 陽人は日雇いでどこかの手伝いをしているらしく、翌日は朝早くから出掛けて行った。相変わらず開け放しの窓からは、入れ替わるように猫が姿を見せた。猫たちは人に慣れているのか、男にも直ぐに懐いた。人懐っこい性格の猫たちばかりだった。

 陽人が出かけた後で、部屋のドアがノックされる音がした。

「浩輔さん、居るんかい」

 隣の老人の声だった。

「じいちゃん。ああ、いるよ」

「そうかい。よかったら、ウチに来んか? ちょうどええもんがあるから」

 男は暇を持て余していると嘆く老人の部屋に呼ばれて行った。なにやら自分に対しての呼びかけであるらしい日替わりの名前も、気にしないことに決めた。

 老人は頂き物だと言う、リンゴを幾つか持ってきて炬燵の上に置いた。

「知り合いのばあさんから貰ったんでな、一人じゃあなかなか食べきれるもんでもないから」

 大ぶりのリンゴを老人は器用な手つきで皮を剥き、次々と皿に盛った。

「ありがとう。じいちゃん剥いてばっかりないで食べなよ」

 男が一人食べるのが追い付かず、皿の上には既に3個分のリンゴが盛り上げられていた。

「ああ、すまんすまん。孫娘が居ったころは好きでな、つい癖になって」

「へえ。孫って、幾つなの?」

「そうじゃなあ、……もうずいぶん会うてないなあ」

「そっかあ」

 老人は手を止めて、リンゴを見つめていた。

「名前はなんていうの?」

「浩子、」

「女の子かあ。可愛いんだろうなあ」

 男は老人がまた新しく取り出したリンゴに包丁を入れたが、あえて何も言わずにおいた。

 老人がテレビのスイッチを入れた。意識はリンゴからテレビの方に向けられた様子だ。男はほっとして息を吐き出した。

 頑張って食べてはみたものの、皿の上には切り分けられたリンゴがまだ残っている。時間の経過で表面が茶色に変色しかかっていた。テレビ番組の音声を聴きながら、男は腹が苦しくなって炬燵の上に突っ伏していた。老人が自分で食べた分を差し引いても、丸々3個分は食べた計算になる。

 隣の部屋で物音が聞こえた。陽人が戻ってきたようだ。陽人は男が居ないことに気付いてか、隣の様子を伺いにやってきた。縁側から居間に上がりこんだ陽人が炬燵の上を見て言った。

「どーした、じいちゃん。またリンゴ貰ったんか?」

「ああ、まだいっぱいあるから持って行け」

「ありがとうな。俺リンゴ好きだわ」

 陽人は皿の上に残されていたリンゴを口に入れた。男はぐったりした顔を上げて陽人を見た。

「ああ、おかえり……早かったなあ」

「ああ。つーかどうしたんだお前? なんか弱ってねえ?」

 男は苦笑いを浮かべた。

「……まあね」

「食べすぎじゃというてなあ。平助さんはリンゴがえらく好きなんじゃと思うて、剥きすぎてしもうて」

「平助?」

 陽人は驚いた顔を向けた。

「お前平助って名前だったんか?」

「いや、……多分違う、けど。じいちゃんが俺の事そう呼んでんの」

「はは、いーじゃねえか。名無しよりかさ」

 陽人は連れていた猫を膝の上に載せた。

「なんじゃ、見掛けん猫連れて。また拾うてきたんか」

「ハナってんだよ。可愛いだろ」

 その全体的に白い猫を抱いて、陽人が言った。

「ハナ?」

 陽人は猫の顔を指差した。白い猫には鼻のすぐ横に、墨汁がはねたような黒い模様があった。

「残念な顔の猫だなあ」

「可愛いだろ?」

 陽人の腕の中で、猫がごろごろと喉を鳴らしているのが聞こえてきた。

 老人はビニール袋に幾つか詰め込んだリンゴを陽人に差し出した。

「お前さんは、猫に構っとらんと早う嫁さんを捜してこい」

「ちゃんと捜してるって。……なかなか見つかんないんだよ」

 陽人がそう、きまり悪そうに呟いた。しばらく休んだおかげで男はようやく動けるようになった。

「またくるよ。じいちゃん、今日はありがとう」

「気をつけてなあ。平助さんも、夜は冷え込むで」

「そりゃあじいちゃんの方が心配だって。じゃあ」

 ハナ、と呼ばれた猫を連れて、2人は老人の部屋を後にした。



「平助か、なんか古風な名前だなあ」

 陽人は男の顔をまじまじと見つめながら言った。男は少し癖のある黒髪で、やけに整った顔立ちをしている。純粋な日本人ではなく、どこか外国人の血が混じっているようにも見えた。

 男はこれまでのことを思い出して、はあとため息を吐いた。

「いや、それがさあ。あのじいちゃん、俺の事毎回違う名前で呼ぶんだよ。この前は太郎だったしさ」

 陽人はハハ、と笑って言った。

「名前がねえっつうのもなんだしさ。俺もお前の事平助って呼んでいいか?」

「いーよもう。なんだってさあ」

 男も笑ってそれに答えた。

 男はビニール袋からリンゴを一つ取り出して見た。あの、老人が孫娘を思う眼差しをなんとなく思い出した。ただ、流石にもうリンゴはたくさんだと思った。陽人がその様子を見て言った。

「お前ってリンゴが好きだったんか?」

 男はいいや、というように首を振った。

「じいさんの孫娘が好きだってさあ、剥くの止まんなかったんだよ」

「……あのじいさんに、孫はいねえよ」

「え?」

 男は驚いてリンゴを落としそうになった。ああ、と陽人は言い直すように付け加えて言った。

「何年か前に、事故で死んじまったんだ。娘さんと一緒にな。……ボケてるわけじゃあねえと思う。でもさあ、忘れられねえんだろうな」

 男は手のひらに乗せた赤く艶のあるリンゴを見た。老人の姿をもう一度思い浮かべた。その顔はさっきとは全く違った表情に思えた。

「……そっか」

「俺にゃあ、どうしようもねえよ。ネジのぶっ壊れたじいさんに、どうしてやるんが正しいかなんてさ。俺は黙って付き合ってやるんが一番いいんじゃねえかって思ってる。だからお前も気にすることねえさ」

 陽人は猫の餌を用意するために流し台の前に立った。猫を片手で撫でながら、何事か考えている様子だった。陽人はまた、同じ歌を口ずさんでいた。よくあるクリスマスの、鼻の赤いトナカイを歌ったものだった。

「……俺さあ、やっぱ警察に話に行こうかなあと思ってる」

 男の言葉に、陽人が顔を上げた。

「まださあ、焦ることねえだろ?」

 男はうーん、と唸るような声を上げた。

「でも、俺は陽人に迷惑しかかけてねえよ」

「年末だし、向こうさんだってごたごたしたかねえだろ。年明けまで待ってからでもいいじゃねえか」

 何故か引き留めるような物言いだった。これ以上はかえって陽人の機嫌を損ねそうな気がして、男はこの話は止めることにした。

 しばらくして、陽人はまた続きを歌いだした。ヘタクソだと老人が言っていた歌だ。

「陽人はその歌好きだなあ」

「ああ、」

 陽人は照れくさそうに頬を掻いた。

「癖なんだ」

 陽人は立ち上がると、男と正面から向かい合う格好になった。背丈は陽人の方が、男よりも僅かに高かった。陽人はどこか思いつめたような顔をしていた。

「……俺、捜してるヤツがいるんだ」

 そうとだけ言って、床に落ちていた毛布を拾い上げてベッドの上に直した。陽人が床の上にクッションを置いて自分の寝る場所を作っている。

「捜してるって、誰を?」

「悪りい、なんでもねえ」

 陽人はそうとだけ答えると、シーツを被って床の上に横になった。

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