NEU(ノイ)
ベルはベッドに横たわり、ただずっと考え事をしていた。頭の中がぐちゃぐちゃで、どうにも考えはまとまらなかった。おまけに体中が痛んで動こうにも体が自由にならなかった。
女の子はベルの傍を離れようとせず、今はベッドに凭れる形ですやすやと眠っている。ベルはその髪をそうっと撫でてやった。
「ジル、……ごめんね」
壁掛けの時計が時刻を告げる鐘を鳴らしたのを、ふと見上げた。丁度ばたん、とドアが開いて、浩平がやってきた。
「ご機嫌いかがかしら? 痛み止めのお薬の時間ですわよ!」
それは妙なイントネーションの言葉遣いだった。笑顔の口の端がひくついている。浩平は片手にコップを乗せたトレイを持って、ピンク色のフリルに塗れたナース服のようなものを着ていた。愛らしい姿をしているのだが、異様な空気を感じたベルはどう反応を返していいかわからずに固まっていた。その後ろに続いて部屋に入ってきた匠海が、持っていた鉄パイプで浩平の尻をぶっ叩いた。
「痛ってーよ!」
「……お前はどうしてそう、真面目にやれないんだ」
「なんだよ、言われた通りにやってんじゃん?」
可愛らしくアレンジされた衣装を纏い、浩平が下品に腰を振って見せた。匠海ははあとため息を吐いた。
「お前にはお上品な振る舞いなんてのは無理だね。いつものように、胡坐で股ぐらを掻いているのがお似合い」
浩平はふん、と傍にあったイスにどかっと腰を下ろして、言われたようにパンツに手を突っ込んでぼりぼりと掻き毟り始めた。がつん、となにやら大きな音がして、反射的にベルは目を瞑った。しばらくたって、そろそろと目を開くと、それに気付いた匠海がふっと笑いかけてきた。
「騒がしくてすまない。どうだい、調子は?」
匠海は床に倒れている浩平の代わりに、水の入ったコップと痛み止めのクスリをベルに差し出した。
「……すみません。随分長いことご迷惑をおかけして。見ず知らずの方なのにこんなに親切にして頂いて、本当に感謝しているんです」
「いや、いいんだ。それより、どうしてこんなものを持っていたのかは思い出せたかな?」
匠海はチョーカーの先に取り付けてあった試験管を目の前に持ち出した。ベルは少し考え込んだ後で、首を振った。
「……わかりません。それがなんなのか、どうして僕はそんなものを持っていたのか、全く」
「ふうん。まあ、今はショックで混乱しているだけだろう。落ち着けば思い出せるようになるさ。ああそう、怪我の経過は良いそうだよ。あの高橋という男は重度の変態だが、腕は確かだからね」
ベルは包帯の巻きつけられた上半身を見た。その表情が嫌そうに歪んだ。
「まあ、君たちが医者というものに対して、あまりいい感情を持てないというのも理解はしている」
ベルが動揺を隠しきれないでいる様子の顔を上げた。その反応を見て匠海がにや、と嫌な類の笑顔を浮かべて言った。
「君は隠し事をするのが苦手な性質のようだ」
「……貴方は、やっぱり、僕たちの事を知っているんですね?」
「そう、話したい気分になったかな?」
「まだ少し、混乱してはいるんですけど」
ベルはまたしばらく戸惑った様子をしていたが、やがて観念したというようにふう、と息を吐いた。
「……そのクスリは、確かに僕が、あの場所から盗み出してきたものです。僕は、……10年ほど前に実験体としてその施設にいました」
匠海は近くにあったイスに座った。ベルは片手で頭を押さえ、考えを整理していた。しばらく経ってから続けた。
「閉じ込められて、訳の分からないことばかりさせられました。毎日、気持ちの悪くなるようなクスリを飲まされました。ある時、もう耐えられなくなって逃げ出したんです。怪我をして、手当てを受ける隙をついて。……道で倒れていた僕は、親切な方に助けていただいて、どうにか逃げ延びることが出来ました。その場所が何なのか、何の目的があって作られたものなのかは、ずいぶん後になって知りました」
話を聞いていた匠海が缶コーヒーを一口飲んでから言った。
「NEU、という名前のバカげた組織だよ。自分たちは最高に創造的な研究者の集まりだとか思い込んでいる、極めた変態どもだ。意味なんてないさ。皆して好き放題にやるのが目的なんだから。君は随分と災難だったね」
ベルがふっと笑った。
「僕は、未だにそんなことが続けられていると知りました。世間には、未解決の行方不明者として片づけられている内の幾らかは、あの場所で閉じ込められている人達だということも。僕は、研究員に成りすまして施設の中に侵入しました。そこで、色々調べている時に、この子に会ったんです」
ベルは傍らで眠っているジルの背中に手を触れた。ベッドに頭を凭せ掛けて、ジルが安らかそうに寝息を立てていた。
「その娘はあいつらの求めていた、人工的に作り出された能力持ちなんだろう」
「このクスリが、超能力と呼ばれるものを発現させるものだというんです。パライソ、だとか言いました。僕が飲まされたのも多分これです。最初は信じられなかったんですけど……。もしかしたら、これを調べれば、ジルを普通の子どもに戻すことが出来るんじゃないかと」
ベルはそれから、目の前にいる匠海をまじまじと見つめて言った。
「……あの、それであなたは、どうしてこんな話を?」
「いや、奇遇なことだ。実は僕も数年前までそこに所属していたものでね。君たちとは直接関わりはないんだが」
「ええ!」
ベルがさあっと青ざめた顔をして身を捩らせた。
「言っておくが、僕は超能力なんかには欠片も興味はない。僕はそこでアンドロイドの研究開発をしていたんだ。まるで生きているかのように見える、そっくりそのものな人間もどきをね」
「……はあ、」
「素晴らしいだろう、僕はとうとう自分好みの個体を完成させたのをきっかけに辞めてやったのさ。あいつらは僕の作品をぞんざいに扱うからね。生体を元に作られた僕のアンドロイド達は人間と同じように食事や排せつもする。それで見た目は変わらず幼い子どものままなんだ。完璧だろう?」
ベルは何と言っていいかわからなくなって黙っていた。
ずる、と床の方で音がした。視線の定まらない目をした浩平が、のっそりと起き上がった。首があらぬ方向を向いている。そのうちにベッドに近づいた浩平が、いきなり眠っていたジルを掴んで引っ張り上げた。
「ジル!」
急な事でベルが助けに入る間もなかった。ぱち、と目を覚ましたジルが恐怖のあまり泣き出した。
「うわああん!」
その声に浩平が正気に戻った。辺りを見回し、ジルを見上げてからそれが焦りの表情に変わった。
「……ちょっと、なんだよ、これ! たくみー、オレの体が言うこと聞かねえよ!」
ぎゅうと締め付けられたジルが苦しそうにもがいた。浩平は自分の意思とは関係なしに体が動くのを止めることが出来ないでいる。この場で一人、暢気な顔でコーヒーを啜る匠海に向けて浩平は叫んだ。
「止めてくれ! この子が死んじまうよ!」
「……仕方ないな」
匠海は傍らにある鉄パイプを握りしめ、思いっきり浩平を殴りつけた。一撃で浩平の体がびく、と跳ね上がり、その動きが停止した。ジルがその勢いで床に投げ出された。
ふら、とよろけた浩平を、匠海が再び殴りつけた。どこかの皮膚が裂け、床にぼとぼとと赤い滴が滴り落ちた。ベルは倒れて気を失ったジルを助けに動こうとしたが、傷が痛んで起き上がることが出来なかった。
がつん、と鈍い音が何度も響いた。部屋の中に嫌な臭いが漂い始めた。浩平の上げる低い唸り声の合間に、何か骨の砕けるような嫌な音が聞こえた。返り血を頬から滴らせた匠海がようやく殴るのを止めた。
「ちょっとしたバグが発生しただけだよ。すぐに修正するから問題ない」
浩平の体を見下ろして、にこやかに匠海がそう言い放った。
「あの……この方は、その、人間ではないんです、か?」
ベルはがたがたと震えながら言った。くる、と匠海がベルの方に顔を向けた。
「ああ。浩平くんは、僕が作ったアンドロイドだよ。見た目は最高に僕好みにしてあるんだ。性格は逆にいけ好かなく設定してあるんだがね。全く、みっともない所をお見せしてしまった」
血だまりの中に倒れていた浩平が、原型を留めていない顔を上げた。口のある部分がぐにゃ、と歪むように動いた。
「……下んねえ、失敗してんじゃねえぞ、コノヤロ」
「やだなあ。僕がこんなつまらないミスなんかすると思うのかい?」
匠海は笑って、起き上がった浩平の頭部に向けてもう一度鉄パイプを振り下ろした。匠海の白衣に大量の返り血が飛び散った。浩平はがくがくと痙攣し、やがて動かなくなった。
「ワザとに決まってるだろ。最近運動不足だったからね」
ベルはそうっと身を乗り出して、床の上の惨状を見た。余りの様子に意識が遠くなり、そのまま気を失った。
――ここは、どこ?
辺りは随分と埃臭くて、何やら薬品の臭いが鼻をついた。ベルは自分が冷たい床の上に横たわっていることに気が付いた。どこか入口でも開いたのか、キイという音がした方から一筋の光が差し込んできた。ベルはその眩しさに目を細めて見た。
真っ暗な視界が開けた先に、長い長い髪の毛があった。はっとして顔を持ち上げてみると、そこには小さな女の子がいた。心配そうな顔をして覗き込んでいる。女の子はベルが目を覚ましたことに、ほっとしたようにその表情を緩めた。
「ああ、気が付いたんだね、良かった!」
女の子が嬉しそうな声を上げた。ただしかし、ベルには見覚えのない子どもだった。
「君は、誰?」
ベルはそう尋ねてみた。女の子が少し悲しそうな顔をした。
「ねえ、一緒に遊ぼう?」
女の子が両腕を広げて言った。
「早くおいでよ、向こうにはみんなが居るよ。あのねえ、陽人も一緒なんだよ」
「陽人、」
うん、と頷いて、女の子が笑った。
「大丈夫だよ。僕が君の事を助けてあげる!」
女の子に手を引かれるままに、ベルは立ち上がった。思い出した。ここはあの、研究所の中だったのだ。ベルは自分が夢を見ていることに気が付いた。先を歩いていた女の子が振り返り、ベルに微笑んだ後ですうっと消えて行った。
ベルが再び目を覚ました時には、部屋の中はキレイに片付いていた。悪い夢でも見たのかと思ったが、凹んだ床や、傷のついた壁が現実であることを物語っていた。
ふと隣を見ると、ジルが居た。頬に絆創膏を貼り付けている。ジルは目に涙をいっぱいに溜めてカタカタと震えていた。
「ジル」
「うう、うわあああん!」
ジルはベルにしがみ付いて大声で泣き出した。ベルは背中を優しくさすってやった。
「ゴメンね、怖かっただろう」
「……ああ、気が付いたかい?」
部屋の奥に座っていた匠海が声を掛けてきた。思わずベルはびく、と体を強張らせた。その傍らには、まるでミイラ男の様に体中に包帯を巻きつけた浩平が立っていた。顔もすっかり覆い隠されている。
ベルは恐る恐る、匠海たちに向かって声を掛けた。
「あの、この方は、その、大丈夫なんですか?」
匠海はふう、と息を吐き、浩平に巻きつけてあった包帯を解き始めた。
「これはただの趣味だよ」
中からは元の様に、可愛らしい顔が現れた。瞬間、浩平がしかめっつらになり、舌を出して見せた。
「浩平くんは僕が作ったアンドロイドなんだ。本物そっくりだろう?」
ベルは頷いて答えた。そのことを疑う余地はなかった。
「あの、……ずっと気になっていたんですが、この方は女性、ではないんですか?」
ベルが聞いた。
「君はおかしなことを気にする人だね」
「いや、可愛らしい方だと思って、でも浩平っていうのは男性の名前ではないんですか?」
匠海はうーん、と唸るような声を上げた。
「まあソレは、後で話そうか」
匠海が包帯を巻き直しながら、思い出したように言った。
「ところで。君はそんな大怪我をして、どうやってこんなところまで逃げてこられたのか。そのことについては何か心当たりはないのかい? 僕にはどうにも説明がつかないんだけど」
ベルは目を伏せた。
「これは、本当に僕にもわからないんです。クスリを持ち出そうとして見つかって、僕は必至で逃げました。大怪我をして血が止まらなかったけど、気にする余裕もなかった。とにかくジルのことは助けてあげようと思ったんです。そうして、気が付いたらここに居ました」
匠海はふうん、と言いながらベルの傍らのイスに座った。
「君も実験体だったのなら、なにか不思議な力でも使えたんじゃないかい?」
「まさか。僕は出来損ないだと言ってずいぶんいじめられてましたよ。今までだってなにもおかしなことは起こらなかった。僕は普通の人間と変わりないです」
「そうかな?」
匠海が試験管の中の、紫色をした塊を取り出した。
「パライソ、もう一つの名前はパープルアイ、ともいう。紫色をした目を持つ人間には、特別な力がある筈だよ」
匠海がベルの目を指して言った。
「そう、……なのかもしれませんね。あれは、夢じゃなかったのかなあ」
ベルがふっと笑った。
匠海は塊を試験管の中に戻すと、ポケットの中に仕舞いこんだ。それから改めてベルに向き直った。
「ところで、浩平くんの体には色々と入り用な生体パーツが不足していてね。手当のついでに調べてみたところ、君の体組織と、浩平くんとでは非常に相性がいいことがわかったんだ」
「はあ……あの、それって、まさか?」
匠海はにや、と笑って頷いた。
「君の体を浩平くんのボディパーツに利用させてもらえないかなと言っているんだ」
「……そんな、そうしたら僕はどうなるんですか?」
「まあ、言いたくはないがそういうことになる」
ベルは真っ青になって、頭を抱えた。匠海がしれっとした顔をして言った。
「君はどうして生かされているのか、自分でも不思議に思っていたんだろう? そんな、見返りもなしに人助けなんてするわけがないじゃないか。そんなお人好しがどこに居るっていうんだ」
匠海の後ろで浩平が呆れたような声を上げた。
「……匠海、それマジで言ってんじゃねえよな? ……なあ?」
浩平がベッドに近づき、項垂れているベルを庇うようにぎゅうと抱きしめた。その長い髪がさら、とベルの体に触れた。ベルがああ、と声を上げた。
「……そういえば、僕さっき夢を見たんです。夢、というよりは、昔のことを思い出したのかなあ。髪の長い女の子が、僕を助けてあげる、って言うんです。その子は貴方の作った人形だったんですね」
「だとしたら、男の子だよ。僕は女が嫌いなんだ」
ベルはふっと笑った。
「三ツ島という町は、ここから遠いですか?」
思いがけない言葉に匠海が何だ、と言いたげな顔を向けた。
「ここからはそう遠くはないよ。どうかしたかい」
「僕は、そこに会いたい人がいるんです。そこに、連れて行ってもらえませんか?そうしたら、僕の体は自由に使ってくれて構いません」
「そんな、お前死んじまうんだぞ! それにこいつはどうなるんだよ?」
浩平がジルを指して叫ぶように言った。ベルはじっと自分を見ているジルを見つめた。
「その娘のことなら、保護して貰える先を探してやればいいんだろう? 心配しなくても、あいつらに引き渡すような真似はしないさ。僕はそこまで悪趣味じゃない」
「……ありがとうございます」
ベルは匠海に、そう言って頭を下げた。




