今日から小説家の俺と幼馴染の話
「やっぱり、初めてって緊張するよね」
少女はベッドに仰向けに寝転びながら、不安そうな顔でそんな言葉を放り投げやがった。
「あのさ、洒落になんないからそういうの止めてくれ」
ため息交じりに説得すれど、「だって……圭は緊張しない?」と尚も爆弾発言を落とす。
だからベッドの上で好きな女の子にそんな言葉吐かれて我慢して心中のた打ち回ってる俺の心境をちっとは察してくれ!
河合三花。高校一年生。血液型はB型、誕生日は6月6日で双子座。好きな食べ物はハンバーグ。背も小っさいし、子供かお前は。
って、俺も何だらだらとこいつのこと考えてんだよ!
はっと我に返った。
俺とこいつは非常に残念ながら、彼氏彼女なんて嬉し恥ずかしの甘ったるいもんじゃない。
所謂幼馴染の関係だ。
小学校の頃父親の転勤で糸遊町に引っ越してきた隣の家に、こいつが住んでいた。
なんだかんだで小中高と腐れ縁が続き、その中で、まあ、その、なんだ。みなまで言わせんな。
ごろごろとベッドの上でアザラシ決め込む女子高生をいつものことだとほっといて、俺は机に向かった。
パソコンを立ち上げ、文章フォルダを開く。昨日の書きかけの小説だ。
もう続きはできていると言わんばかりに、カタカタと打ち込み始める。
その音が途切れたのは、没頭して三花のことが頭から消えかけていた頃合だった。
「こら! 何逃げてんの。今日は投稿するんでしょ!?」
後ろから唐突に両肩を叩かれて、俺は反射でうわぁと情けない声を上げながら振り返った。
思わぬ至近距離にどぎまぎする心臓を押さえながら「驚かせんな」と小さく毒づく。「え~? 聞こえませ~ん」と三花は早々にいじめっ子モードだ。
こうなったら堂々巡りで、俺が最終的に折れるしかない。今日これからやろうとしている事を考えると、ここで無駄に疲れたくないしな。
「悪かった。ちょっと心を落ち着けたかったんだ。これから投稿作業に入るよ」
そう言うが否や、「分かればよろしい」と機嫌を直してパソコン画面を見つめだした。まったく現金な奴だ。
今日俺はWEB小説家になる。
俺より熱心な目でディスプレイを見つめる三花。こいつの言った「初めてが緊張する」ってのは、要するに俺の初めての小説投稿に緊張するっていうわけだ。
まったく、紛らわしいやつ。なんで俺よりお前の方が緊張してるんだっつーの。
俺が小説を書き始めたのは小4の時。国語の授業で、物語を創るという宿題が出てからだ。
当時はそれこそ熱中し、三日で短編小説を書き上げるなど、色々無茶をしたもんだ。今では黒歴史級の思い出である。
まあ、その黒歴史が今現在も紡がれ続けているのだが。
WEB小説投稿サイト「キミも小説家を目指そう!」
通称「キミショウ」。俺がその存在を知ったのは、やっぱりと言うか残念ながらと言うか、三花のおかげである。
今でこそすらすらとブラインドタッチで文章を打つが、俺のパソコン暦ってのは実は長くない。やっと半年前に家族共同利用用(まぁ、実際使っているのはほぼ俺なんだが)として、買ってもらったばっかりだ。
親父の仕事用のノートパソコンは別として、まだ幼稚園児の妹と機械音痴のお袋では使いこなせないだろうというのが、今まで渋られていた原因である。
その頃の俺も、「小説原稿は紙こそ至上だ」というという間違った理論で凝り固まっていたものだから、特に必要とはしていなかったし。
反対にこいつの家ではかなり前からパソコンが当たり前にあった。一家に一台というより一人に一台といった方が近い状況で、父親の仕事用、大学生の長男用、次男長女兼用、母親の仕事用、と5人家族でパソコンが4台あるというなんとも贅沢な状態だ。
そんな家庭環境で育てばパソコンに強くなるのも当たり前であり、そして学生である俺らにとってパソコンは携帯電話に次いで娯楽目的での使用頻度の高い物体だ。俺が普通に活版印刷の小説が好きなように、こいつはケータイ小説や流行物をWEB上で広く浅く取り上げる二次小説といった類が大好物であった。どうでもいいが、もう高校生なんだしアニメ見るの止めたらどうだ。
去年の春、高校の入学式の日のことだった。
クラス分けで三花と別のクラスになった俺は、若干腐りながら通学路を家へと歩いていた。
俺の性格は社交的でもないために、適当に隣の席の奴と会話をしたがそれっきり。親しくなった級友と入学初日から帰りがけに遊びに行くだとか、気になった部活へ体験入部に行くだとか、そういった華々しい高校生活からは無縁に、ただ早く頭の中の文章を書き起こそうと家へと急いでいた。
そんな中、不意打ちで背中からタックルかまされてみろ。純朴でひ弱な文学青年は派手に顔から地面へと崩れ落ちて、擦過傷を大量生産するただの物体と化すのだ。
「圭、歩くの早いよ。一緒に帰ろう!」
タックルを仕掛ける前にその一言が聞けたら、防ぐ手立ても合っただろうに。擦り傷製造マシーンとなった俺にはもう、と諦めかけたところで、この場にもう一人見慣れぬ人物が居るのに気がついた。
「三花、その人は?」
声を掛けるや否やそいつは「山崎貴子」と実に簡潔な自己紹介を返してくれた。
俺がよっこらせと立ち上がっても視線は合わない。いや、俺は目を合わそうと声のかかった方に視線を向けるのだが、彼女はどうにも読みかけの文庫から顔を上げないのだ。
変な奴。そう思いながら返事をしたのが不味かった。
「よ、よろしくな。やまざきさん」
「やまざきではなくやまさき。そこは譲れない」
斬って返された。しかも今度はちゃんと視線を上げて、だ。といってもその視線は敵意に満ちたものだったから、あまり嬉しくない。
(でも俺だって馬渕をうまぶちと読まれたらいい気分じゃないしな)
今のは俺が悪かったか、と素直に謝るとにたりと笑われた。
「聞いていた通り、素直でいい子じゃない。馬渕圭君」
隣で、「でしょ。でしょ」と嬉しそうに飛び跳ねる小学生もどき、もとい三花。お前は俺の母親か。
とりあえず立ち話もなんだし、と二人を家に招くことにした。というか、させられた。同じく帰宅部を決め込んだ奴らから浴びる視線が中々に痛い下校風景だったことを、ここに記しておこう。
お袋が「あら~、三花ちゃん。お友達?」と一階で立ち話をしている隙に俺は階段を駆け上がり、部屋に飛び込んだ。机の上の書きかけの原稿を引き出しに仕舞って部屋をぐるりと一望。怪しいものはない。OKだ。
ちょうどそのタイミングで二人が上がってきた。
「貴ちゃんとはね、今日友達になったんだ~」
早速我が物顔でベッドにダイブしながら話し出す三花。どうせ圭は友達一人も作れてないんでしょ、と続く。俺からしたら、入学初日に家に招くほど(俺の家だけど)の友達を作れるお前の方が異常だ、馬鹿野朗。そんな言葉を飲み込みながら、俺は壁に立てかけて合った折りたたみ机を出し、クッションを山崎さんに渡した。
「ずーっと本読んでるからさ、何読んでるの? って話しかけたんだよ」
ねー、と三花が振れば、山崎さんもねー、と棒読みで返す。俺も彼女が何を読んでいるのか気になってきた。
「そんなに熱心に、何を読んでるんだ?」
「『生と死の妙薬』化学物質がもたらす環境への影響を訴えた作品よ」
何やら難しい本を読んでいたようだ。山崎さんはどうもそういった専門性の高い本を読むのが好きらしい。といっても、特定の分野に偏っているわけではなく、その時々に興味を持った本を片っ端から読んでいるとか。俺はもっぱら推理小説とか時代小説とか娯楽小説ばかりだし、真似できないなと苦笑してしまった。彼女はぐるりと部屋を見回したかと思うと、その一角をじっと見つめだした。本棚だ。
「そんなすごいものじゃない。私も馬渕君も読みたい本を読んでいるだけじゃない。私も好きよ、鬼平班課長シリーズ。一作目のサブタイ『誤字に非ず』は思わず噴き出してしまったもの」
それは、マイナーだが俺が最も好きな小説だった。本棚を見ればそのヒトの人となりが分かると言うが、一発で確信を突く山崎さんはやっぱりすごいと思う。
「大丈夫! 貴ちゃんも緊張してカタコトになってるだけだから。私もあの事件がなければ貴ちゃんと」
「わーわーわー!!」
三花が場を和ませようと話していたら、突然山崎さんが顔を真っ赤にして叫びだした。
何が起きたんだ?と聞く前に二人は縄張りを巡ってにらみ合う猫のように膠着状態なってしまい、聞けずじまい。それにしても三花、お前それ完璧にいじめっ子の顔だぞ。
お袋がお茶とあられの盛り合わせを持ってきたため、しばらくは三人で取りとめもなく話していた。俺と三花の思い出話とか、クラスメイトの噂だとか。山崎も俺もだいぶ緊張が解れてきてお互いを「馬渕」「山崎」と苗字で呼び捨てになった。それでもやっぱり三花と何があったかは教えてもらえなかったが。
そんなゆるい空気を吹き飛ばすがごとく、事態は唐突に動いた。
「それでさ、馬渕。小説を書いてるそうじゃない。読みたいんだけど」
俺は思わず手に取ったあられを落としてしまった。床に転がるあられを「もったいない!三秒ルール発動!」と三花がすばやく口の中に回収したのをつっこむこともできないまま、固まった。しばし沈黙が続く。
ソースはどこだ!? 一人しかいない。
固まった脳が回転しだしてからの行動は早かった。
「三花ぁ!!」
突然の大声に萎縮した三花を床に押し付け、マウントポジションを取る。うつ伏せで腕を背中で固定されてはもはや手も足も出まい。
「お前、なに人の黒歴史ばらしてるんだ! っていうか、なんで今も書いてるって知ってるんだ!」
叫ぶ。三花も「痛ーい! イタイイタイイタイ!!」と叫ぶ。なんとか抜け出そうもがいているが、俺も頭の中が感情の洪水で溺れそうだ。頭が茹ってる。たぶん顔なんか真っ赤になってるだろう。
ぐるぐるぐつぐつ。どうしていいか思考停止状態の俺を元に戻したのは、
「きゃー、馬渕君のえっちー」
という、山崎の棒読み声だった。俺の下で三花も「暴力はんたーい!」と叫んでいる。
我に返った俺は悪いと謝りながら、急いで元のクッションへと体を引く。
「すまん。動転して」
「もー、痛かったんだからね!」
仲直りもつかの間、腹の虫が収まってない俺は、がっしりと三花の頭を鷲掴みし、アイアンクローをかます。
「で、なんで知ってんだ?」
対象がギャースと叫んだのち、ごめんなさいと謝ってきたので離してやる。
「いや、私たちももう付き合い長いじゃん?そうするとエロ本の隠し場所から何から知る仲になってくるってことで」
再び、アイアンクロー。
「いたたたた! すいません。中学二年生の頃に一回家捜しして、それからちょくちょく隙を見ては引っ張り出して読んでました!」
強制自白完了。
中学二年生からか、あの頃はファンタジー色の強いものばっかり書いてて、何か主人公が必殺技まで叫んでて、嗚呼、恥ずかしい。穴があったら入りたい。
「そんで、すっごく面白いから、貴ちゃんも一回読んでみると良いよってぺろっと、ってあれ? あぁ圭が恥死量過多で死んでるや」
そんでもって、今なおちょくちょく読んでいるだと?どこだ、どこまで追いついてるんだヤツは。今書いてるのもチェックしてるのか? 前作、初の推理物に挑戦して凶器が鯖缶というシュールレアリズムを狙った鯖缶殺人事件、もう二度と推理小説なんて書くかって挫折しかけたアレも読んだのか?
「えっと、この引き出しに……あった。いつも整理整頓されてるから検索もしやすいんだよね。どれ読みたい?」
「じゃあ、今日話に出てきてた鯖缶の話を」
ていうかなんで気付かなかったんだ俺!ちゃんと書き終えた原稿はちゃんとファイリングして、ってそれが駄目なのか?でもファイルを紛失したことなんて一度も、いや別に毎日ちゃんと全部あるか確かめていたわけじゃないし
「…………………………」
「あーあ、貴ちゃん読書モード入っちゃった」ひょいぱく。カリポリ。
もうどうすればいいんだ。いっそのことやつを殴って記憶を消失させるとか。いやいや俺が犯罪起こしてどうするんだよ。殴って記憶が無くなるとかそんな都合のいい話物語の中だけだっつーの。はっ! 俺が記憶喪失になればこの恥ずかしくてどうしようもなく転げまわりたい気持ちも消える!
「いい加減現実見ようよ、圭」
ポカリと頭を殴られた。
見上げると笑顔の三花。いつの間にやら俺の背後に回ったようだ。そして正面には「鯖缶」と書かれたファイルを開き、中身を検分する山崎。
「……え?」
なんで読んでるんだ。どっから出した。怒鳴ろうとすると、気配を察知したのか、きっと睨みつけてくる山崎。なす術もなく睨まれる俺。まさにヘビに睨まれたカエル。
「なんでも、ないです」
負けてしまった。でもせめて、せめて俺の前で読むのは止めて欲しいデス。
俺の小さな呟きが聞こえたのか、「じゃあ、今日はこれで手打ちとしましょう。これ借りて帰るわね」
と、颯爽と山崎は帰ってしまった。
二人っきりの室内。空気は重い。なぜならそこにいるのは下手人と被害者であって、双方何か話しかけようとするが、言葉が出ない。そんな状態が数分続いた。
結局、先に口を開いたのは三花だった。
「ごめんね。本当にうっかりだったの」
先ほどのと異なり、心からの謝罪。そして弁明。
「本当にね、本当に面白いと思ったの。そりゃ中にはなにこれってのもあったけど、圭の引き出しの中には本当に楽しい小説が詰まってたんだよ」
好きな奴からの手放しの賞賛に照れる俺は、何にも言えない小心者だ。それでも三花は続ける。
それが、俺の小説家としての始まりだった。
「圭さ、キミショウって知ってる?」
あれから、幾度も改稿を繰り返した。
山崎は「十分娯楽小説たる成分を有しているよ」なんて勿体つけた言い方をしてたけど、やっぱり俺としては引き出しの中の小説は人に見せるものでなくて、自己満足のための道具だった。
三花から、WEB小説として投稿してみてはどうかと言われてから、ずいぶん迷った。今までどおり、俺のただの小さな趣味の範囲で終わらせておきたい。そういう想いもあったけれど、やっぱり書ききったからには、誰かに見てもらいたいという想いの方が強かった。
けれど、人に見せられるようなものじゃない。
現実の自分と同じで、自分の書いた小説に対して、俺は自信を持てなかった。
そんな俺を、三花は「大丈夫。私だけは毎日チェックしてあげるから」とそれこそ毎日投稿しろと、するべきだと、背中を押してくれた。
自己満足でいっぱいのそれを人に見せるように、楽しんでもらえるように何度も何度も書き直した。時々、三花や山崎に読んでもらって、感想やアドバイスをもらった。
そんな日々が続くと、俺も変われるような気がした。三花に遅れること一ヶ月、ようやく俺も隣の席の奴、黒田原という友人が得られた。といっても、最初は山崎狙いだった彼から敵認定されるという不名誉な称号を受けることから始まった仲だが。真実を話して誤解を解き、現在の友情という位置に至る、とだけ言っておこう。
「えっとこれで保存完了、か?」
「うん。それでこの投稿ボタンをクリックすればOKだよ」
マウスのカーソルを、投稿の文字に合わせる。これで俺の小説がインターネット上に流出するわけか。恥ずかしいような照れるような、でももっと多くの人から感想が欲しい。読んでもらいたい。
俺の頭の中にしかなかったものが、小説という形を取って外に出る。それに対して、感想をもらう。その感動を知ってしまったら、もう引き返せない。
カチリとボタンを押した。
「あー、やっちまった」
高ぶる気持ちを悟られぬよう、口調は憎まれ口だ。
「やったね、圭」
よくできました、と三花が頭をわしわしと撫で回してくる。
言うなら、今しかない。
「あのさ、三花」
緊張で震えそうになる手を握りこぶしに、思い切って振り向いた。
「これからも、俺と一緒にいてくれないか」
近い。これまでだって普通にこの距離で会話していたはずなのに、今日はこの近さが異常に照れる。
「もうすぐ、二年に上がるだろ、そしたらお前は理系に進むだろうし、俺は文系だ。来年もクラスは違うと思う。でもさ、俺は」
視界に唐突に手が入る。皆まで言うなと言葉を手でさえぎった目の前の三花は真っ直ぐ俺を見て笑った。
「俺にはお前が必要だーってこと、かな?」
驚愕と共に安堵。いつでもお前にはお見通しってわけか。凝り固まっていた肩の力が抜けた気がした。
「私と貴ちゃんで、がっちりサポートするから!」
抜けすぎた、気がした。それはもうコントで定番のこけ方を実践したかのごとく。
「は?」
「大丈夫だよ! これからも、ばしばし添削していくから、安心して続きを書きたまえ!」
肩透かしにも程がある。そうじゃない。そうじゃないんだが。
もういいか。
終われ。続きは次回に持ち越しだ。
やけになってそう叫んだ。
俺もこんな幼馴染が欲しかったよ、こんちくしょう。
という思いを詰め込んでみました。
実在の個人や団体とは一切無関係ということでお願いします。
女子高生の話を上げるに当たって、友人の名前を変更しました。