婚約破棄された悪女は毒殺未遂の被害者でした
深夜。商会の一室に、十数名の男女が集まっていた。
「アイリス様の容態は依然、予断を許しません」
黒髪の若い男――デニーロが静かに告げる。
室内に重い沈黙が落ちた。
「社交界の噂が虚偽であることは明白です。しかし……貴族、とりわけ王族を相手に証言することは…」
命を差し出すに等しい――それは誇張ではない。
デニーロは一人ひとりの顔を見渡した。
「それでも、力を貸してくださいますか」
一瞬の静寂。
だが次の瞬間、次々と手が挙がった。
「やめてくださいよ、デニーロさん」
屈強な男が笑う。
続けて老婦人が笑顔で応える。
「アイリス様は私たちの命を救ってくださいました。今度は私たちの番です」
その言葉にデニーロは目を伏せ、そして深く頭を下げた。
「……必ず、真実を明らかにします」
決意を秘めた表情のデニーロに、若い男性が心配そうに声をかける。
「証言する私たちより、デニーロさんの方が危険なのでは…?」
隣にいる女性も同意するように頷いた。
「そうですよ。訴えを起こしたと知られたら実力行使に出る可能性もあります」
心配する各々の顔を見渡したデニーロは終始笑顔だった。
「大丈夫ですよ。私には奥の手があるので」
デニーロは隣にいる侍従に視線を向ける。
侍従の顔色は変わらないが、手に力が入り書類が音を立てて軋む。
侍従の手に握られた封蝋付きの書類は、王家の紋章が刻まれていた。
司法へ提出予定の書類。
『ラスタ公爵家長女アイリスに対する名誉毀損及び毒殺未遂等審理請願書』
その文字は、王国を揺るがす宣戦布告に等しかった。
◆◇◆
次の日、司法を統べる法務省が慌ただしく動き出した。
「ま、まさか容認するのですか!?」
大臣の秘書官は書類を確認する大臣に問いただす。
その顔色は悪く、焦っているようにも怖がっているようにも見える。
対する大臣は静かに書類を捲る。
この国にとって王族が司法に介入するのは越権行為。
大臣の判子一つで王族を法廷に立たせることは可能だ。
だがそれは、法務省に属する貴族たちの派閥をも揺るがす決断となる。
「この書類…、隣国の王族と教会の枢機卿が署名捺印している」
大臣の一言に秘書官は青ざめた。
「で、では…」
大臣は書類の束を机に静かに置いた。
「裁判を行う。慣例に従い、裁判官、主要貴族二十家の当主より陪審員を選出する。公開裁判を行う旨の知らせを新聞社へ通達せよ」
そう言うと大臣は静かに窓の外へ目を向けた。
秘書官は命令を受けたにもかかわらず、その場から動けずにいる。
「原告は市民…、被告は王太子に聖女…」
呆然と呟く秘書官。
大臣は窓を見ているようで、遠い過去を思い出しているように独り呟いた。
「アイリス嬢は…優しく慈愛に溢れた可哀想な娘なんだよ」
知らせを聞いた新聞社が号外を出し、王都の人々は様々な反応を見せた。
皆が注目する“悪女アイリス嬢”の真実がついに公開されるのだ――。
◆◇◆
裁判当日。
裁判会場のホール外でも立ち見席にも市民が溢れかえっていた。
いつもは新聞社の方が多いため、ここまで注目を浴びる裁判は異例中の異例だ。
傍聴席の貴族席に座る貴族でさえも驚くほどである。
市民たちは期待と不安に彩られ、祈りを捧げている者さえいる。
対照的に貴族席に座る人々は市民を見下し、喧騒を迷惑そうに顔を顰めている。
彼らは王族が被告の当裁判結果を信じているようだ。
その中で法務大臣を含める壮年の貴族たちだけは静かに開廷を待っていた。
陪審員の貴族たちが静かに入場し、緊張した面持ちで指定された席に座った。
陪審員に指名された若い貴族は席に座り開廷を待つ。
原告側の主張はラスタ公爵家、アイリスの名誉回復。
彼女は社交界でも“悪女アイリス”として有名だ。
対する被告側は、自身が尊敬する王太子セドリックと聖女セレスティア。
彼らが被告人として法廷に立つことが、未だに信じられない。
しかし――。
セドリック殿下は、かつて悪女アイリスと婚約関係、そして先頃に破棄されたと聞いた。
今、セドリック殿下の婚約者は聖女と敬われるセレスティア。
ラスタ公爵家の次女であり、アイリスの異母妹。
ガタン
重厚な扉が音を立てて閉じられ、逃げ道を塞がれたと錯覚する。
陪審員席の反対に位置する裁判官が並ぶ席、入場した裁判長と目が合い咄嗟に視線を逸らした。
「静粛に」
裁判官の声にその場の全員が静かになる。
始まるのだ――市民が王族を訴えた前代未聞の裁判が。
「原告人、被告人は入場してください」
◆◇◆
裁判場の左右に位置する扉が開いた。
最初に入場したのは被告人として呼ばれたセドリック王太子殿下、聖女セレスティア、そしてラスタ公爵家の夫妻。
セドリックは王太子の貫禄を携え、堂々と入場する。
そのセドリックにエスコートされ、微笑を浮かべたセレスティア。
ラスタ公爵夫妻はいつもの堂々たる姿がなく、忙しなく視線を彷徨わせ、緊張が伺える。
セドリックとセレスティアのいつもと同じ様子に貴族たちは何故かほっとする。
しかし、市民たちの視線は違った。
視線で相手を射殺さんとする。
そんな視線で被告人席に座る面々を睨んでいる。
その様子に傍聴席に座る貴族は背筋に冷たいものが伝う感覚に陥った。
続いて、反対の扉から原告とその証人が姿を現した。
先頭を歩くはデニーロ。
子どもの頃に隣国から移り住み、一代で商会を王家御用達にまで押し上げた強者として貴族たちも知っている顔だ。
デニーロの顔からは心中を察することができない。
それほどまでに彼は凪いでいるようだった。
役者が揃い、裁判長が木槌を振り上げる。
ゴンゴン
「只今より、ラスタ公爵家長女アイリスに関する名誉毀損及び毒殺未遂等の件、公開審理を開始する」
裁判の内容は事前に知らされていた。
しかし“毒殺未遂”の言葉に、陪審員と傍聴席から息を呑む声が聞こえた。
「原告、起訴事実を述べよ」
裁判長の言葉に、デニーロは返事をし起立する。
「はい、まずは本件の起点となる部分からご説明いたします」
デニーロはよく通る声で続ける。
「ラスタ公爵家長女、アイリス嬢は社交界で“悪女”と呼ばれておりました。
それ故に王太子であるセドリック殿下に婚約を破棄され、今は出奔しているとラスタ公爵家より公表されております」
貴族たちが認知している事実を述べるデニーロ。
「“悪女”の根拠とされた事柄を、順に検証いたします。
まず最初に“装飾品を買い漁る”という点。
都内で商会を営む私が出来うる限りで販売記録を確認いたしましたところ……ここ五年間は逸脱した金銭が動いております」
デニーロの発言に会場が騒めく。
やはり噂は本当だったのかと言わんばかりの貴族たち。
「皆様には思い出していただきたい。
購入された装飾品、身につけていたのは誰かを」
デニーロは声を張り上げ続きを叫ぶように口にする。
視線の先にはラスタ公爵夫人。
今日は裁判だというのに目を引くドレスと首元の宝石。
皆の視線を一身に受け、公爵夫人は顔色悪くたじろいだ。
「ち、違う!私のは……そう!アイリスが捨てた装飾品を使っているのよ!」
そう口にする公爵夫人にデニーロが頷く。
裁判長は公爵夫人を一瞥し、静粛にするよう促した。
「続いて“妹君であるセレスティアへの体罰と暴言”について…。
こちらも事実とは異なります。
実際に暴力を振るわれていたのはアイリス嬢であり、加害者はセレスティア様であると調べがついております」
デニーロがセレスティアを見る、セレスティアはただ微笑むだけだった。
「この内容をもって“悪女”と呼ばれるアイリス嬢は不当に名誉を傷つけられました。
それ故に婚約破棄についてはアイリス嬢に非はなく、不当に破棄されたと認識しております」
セドリックがデニーロを睨むが、デニーロは表情を変えることなく話を続ける。
「そしてラスタ公爵邸にて監禁されたアイリス嬢は毒物を飲まされ、現在も完治には至っておりません。
よって、セレスティア様には名誉毀損の件を、セドリック様には不当婚約破棄による慰謝料を、そしてラスタ公爵家には殺人未遂と監督責任を問わせていただきます」
陪審員と傍聴席には再びどよめきが起こる。
しかし若い貴族には異様な光景が見えていた。
動揺しているのは貴族、それも若い貴族だけだった。
市民と壮年の貴族たちはデニーロの発言に驚いてすらいない。
市民に至ってはデニーロが起訴事実を読み進めるたびに、怒気が募り今にも暴れ出しそうなほど顔が真っ赤な者もいる。
デニーロが話し終えたのを確認し、裁判長は被告人質問に移る。
「原告の主張を聞き、被告人の申し開きを」
まず最初に立ったのはラスタ公爵家の当主であるアイリスの父。
「我が公爵邸にて物品の購入時は各々がサインをする決まりがある。
デニーロ君が言っている購入履歴に書かれているサインは誰の者か?」
ニヤリと笑うラスタ公爵。
デニーロは顔色を変えることなく答える。
「アイリス嬢の名が書かれています」
「ははは、事実ではないか」
デニーロの答えに、笑い見下すよう突き放した。
「ラスタ公爵様はご存知でしょうか?」
デニーロの唐突な問いにラスタ公爵は片眉を上げた。
「アイリス嬢は優秀です。
悲しいですが、この件を予知しておられた……」
そう言いデニーロが書類を裁判補佐官へ渡す。
「裁判長、こちらは購入時の業者控えです。
一枚はアイリス嬢のサイン、もう一枚はアイリス嬢名を語る何者かのサインです」
裁判長は補佐官から渡された紙を見比べる。
「む?」
確かに違うのだ。
筆跡を似せてはいるが、最後の文字の払い。
片方はそのまま流しているが、片方は上品に跳ねている。
「アイリス嬢は自身が関わる業者控えにのみ、癖を残して書きます。
それを知らぬ者は商会関係者におりません」
「うむ、確かにこれらは違う人間が書いたと言ってもいいだろう」
デニーロの説明に納得する裁判長。
打って変わって、ラスタ公爵は冷や汗を流している。
「そ、そんなもの証拠にならん!アイリスが他の者に疑いがかかるようわざと書き分けたに過ぎん!」
ラスタ公爵の反論にデニーロの目が光る。
「では筆跡鑑定をいたしましょう」
「ならん!アイリスは我が娘だ!何を買おうと問題ではない!」
裁判長がため息を漏らすように口を開く。
「ラスタ公爵、その発言は認めているようなものぞ」
歯を食いしばりデニーロを睨むラスタ公爵。
「この二枚と裁判前に書いた宣誓書、筆跡鑑定に回せ」
裁判長の指示に裁判補佐官は迅速に行動する。
この流れ、裁判長にもわかったのだろう真に名前を書いた者が誰かを。
その時、おずおずと挙手をする者がいた。
「セレスティア嬢、なにかな?」
裁判長が挙手をしたセレスティアを問うた。
「お、恐れながら、お姉様の罪を詳らかにしてしまうと、お姉様がかわいそうです……。
筆跡鑑定、やめてもらえませんか?」
目を潤ませ、姉を想う気持ちを吐露するセレスティア。
しかし――。
「姉君の冤罪が晴れる可能性を信じないのかね?」
裁判長の重たい一言。
セレスティアは黙るしかなかった。
若い貴族は一連の出来事に、始まる前に抱いていた不安が大きくなるのを感じ取っていた。
ラスタ公爵と夫人の言動、セレスティアの言動。
自分が信じていた事実は足元から崩れかけている。
裁判長が次を促す。
立ち上がったのはセレスティア。
「私はお姉様が大好きです。しかしお姉様はそうではないようで……」
涙ながらに語るその肩は震えていた。
セドリックが支え、やっとの思いで続きを話す。
「わ、私がお勉強でできない所があると、鞭で……。
で、でもお姉様は悪くないんです!」
セレスティアの反論と言えない反論を聞き終えたデニーロは挙手をした。
「裁判長、証人を呼んでおります」
裁判長は頷き、証人の発言を許す。
その証人を見たセレスティアは、裁判場で初めて怯んだ。
証人とはラスタ公爵家の使用人。
「私は長年、ラスタ公爵家にて奉公して参りました。
今日述べる内容は真実であり、命を賭けて出廷したことを宣言いたします」
使用人は恐怖からなのか、緊張からなのか手が震えていた。
しかしその眼差しは真剣そのもの。
裁判長も頷き話が進む。
止めることもできず、セレスティアの表情は硬く使用人を凝視している。
「私がこの場でお伝えしたいことは二つ。
まず一つ目に、アイリスお嬢様はセレスティアお嬢様に体罰や暴言などを行っておりません。
むしろ、セレスティアお嬢様や夫人に体罰や食事を抜かれるなど、目に見えてやつれていき……」
込み上げるものを押さえ込むように、顔を手で覆う使用人。
すぐさま顔を上げ、続きを口にする。
「二つ目はセドリック殿下とセレスティアお嬢様の不義密通です」
その発言はまさに爆薬の如く、裁判場を揺るがした。
席を立ち非難するセドリック。
貴族たちは揃って青い顔をしていた。
「静粛に。
証人は続きを述べなさい」
裁判補佐官がセドリックを席に着くよう促し、証人の周りには安全策で司法所属の騎士がつく。
「アイリスお嬢様とセドリック殿下が婚約している期間、足繁くセドリック殿下がラスタ公爵家へ来訪されました。
あの日、廊下を歩くアイリスお嬢様が驚きの声を上げました。
何があったのかと駆け寄ったら……。
セレスティアお嬢様のお部屋が開かれており、中には一糸纏わぬお二人がいらっしゃったのです」
話終わった使用人は、当時のアイリスを思い出したのか涙を堪えていた。
しんと静まりかえる裁判場。
セドリックは足元を見つめ焦っていた。
ここからどうすれば一番被害が少ないか――。
しかし頭が働かない。
被告人席に座る誰もが同様に、口を開こうとするが言葉が出てこなかった。
被告人席に座る面々に視線を向け、裁判長は促す。
「反論がなければ、毒殺未遂の件に移ろう」
そこでバッと顔を上げたセドリック。
ラスタ公爵家の責任にすれば、自分はまだ王太子として傷が浅いと判断したのだろう。
「全てはラスタ公爵家がやったこと!不義密通は事実だ、慰謝料は払う……。しかし毒殺未遂は関与していない!」
セドリックの発言にラスタ公爵家の面々は驚愕した。
「ま、待ってください!殿下の指示通りに…」
「うるさい!」
ラスタ公爵はセドリックに追い縋るが、セドリックは拒絶し声を上げてラスタ公爵を黙らせた。
しかし被告人席の会話は筒抜け、場にいる全員の冷たい視線が注がれる。
デニーロは静かに声を上げた。
「セレスティア嬢は聖女と呼ばれていますが、それは何故ですか?」
予想外の質問に被告人席は押し黙る。
その様子にデニーロは過去を思い出すように、噛み締めるように言葉を続けた。
「ラスタ公爵家では代々奉仕活動に積極的だと…アイリス嬢から聞きました」
ここまで淡々としていたデニーロの瞳に感情の色が見て取れる。
それは怒りであり悲しみであり――愛する人を想う気持ちでもある。
「アイリス嬢は幼い頃より、先祖の意志を…実母の志を受け継ぎ奉仕活動をしておりました。
アイリス嬢の私財で建てられた治療院では、毎日のように人々が神とアイリス嬢に感謝を言っている」
デニーロは真っ直ぐセレスティアを見つめ、再度問うた。
「“聖女”と呼ばれるに至ったセレスティア嬢の話をお聞かせください」
デニーロの視線を受け、セレスティアの顔には焦燥が浮かぶ。
「私が皆様に聖女と呼ばれたきっかけは……」
セレスティアは言葉を続けることができなかった。
それもそのはず、セレスティアは何もしていないのだから。
「アイリス嬢に不名誉な謂れを擦りつけ、アイリス嬢の優しさを掠め取り……、その上で殺そうとしたのですか?」
デニーロの直接的な問い。
若い貴族は自分が感じていた不安の正体を知る。
アイリス嬢が“悪女”だと言う者は皆貴族だ。
貴族は縦社会。
王族とラスタ公爵家の言うことを間に受けて、彼らの話に疑問を持つことがなかった。
開廷前から被告人席に敵意を向ける市民たち。
そうだったのか――。
若い貴族は自身が出した結論に項垂れ、手で顔を覆い自身の行動を恥じた。
彼だけではない。
その他の貴族も同様に、疑問や不安、違和感を抱き裁判の行末を見守る。
ゴンゴン
停滞する会場に裁判長の木槌が響く。
「毒殺未遂の件、被告人は申し開きを」
裁判長の声に、自分たちの不利を悟り互いに目を見合わせる被告人席。
発言しなければ認めることと同義。
発言をすれば罪を背負う可能性が高い。
この期に及んで、四人は保身に走っていた。
しかし時間は有限。
裁判長の咳払いに肩を揺らし、セレスティアが反射的に口を開いた。
「ど、毒殺未遂なんて恐ろしいこと、我々はやっておりません! お姉様は出奔され今は行方知れず…、そもそも被害者など、いないのです」
セレスティアが選んだ答えは“否定”そして、ラスタ公爵家が公表した話を事実とする内容だった。
デニーロは再び裁判長に申し開きをする。
「裁判長、毒殺未遂の件で証人の出廷をお許しください」
デニーロの“証人”と言う言葉に、セレスティアは咄嗟に止めようと口を開く――が、裁判長の短い一言にかき消されてしまった。
「許す」
その一言に、裁判補佐官は合図をすると原告側の扉が音を立てて開いた。
そこから現れたのは、兵士に守られるよう両脇に付き添われている白衣の男性。
男性を見たラスタ公爵家の面々は、一様に驚愕し側から見ても顔色が悪くなるのがわかる。
男は証言台に着くと口を開いた。
「私はラスタ公爵家の専属医師です。
今日述べる内容は真実であり、命を賭けて出廷したことを宣言いたします」
デニーロは医者に声をかける。
「先生、あの日のことを話してください」
先生と呼ばれた医者は静かに頷き、語り始めた。
「一週間ほど前の夕方頃です。
アイリスお嬢様が熱病を発症し、体調を崩されました。
調薬のため薬草庫へ向かったところ、南国から輸入した研究用の毒薬瓶がないことに気づきました」
医者は当時のことを思い出しながら話を続ける。
「その毒薬は初期症状が熱病に似ており、時間を経過すると吐血、一昼夜経過してしまうと助かる見込みはありません。
再び診察をしたところ、その毒薬特有の湿疹がありました」
話し終えた医者はデニーロの顔を見る。
デニーロは頷き、質問をした。
「薬草庫には鍵がかかっていましたか?」
「はい」
「薬草庫の鍵はどのように管理を?」
「二本あり、一本は私が、もう一本は当主様の執務室で管理されております」
デニーロは頷き、次の質問をしようと口を開くが、焦ったセレスティアの声が邪魔をした。
「お姉様は思い悩んでいました!
…ッまさか、自ら命を……?」
芝居がかった言葉と態度に、デニーロは冷たい視線を向ける。
「被告人に発言は許されておらん」
裁判長がピシャリと言い放つと、セレスティアは押し黙り爪を噛み出した。
気を取り直したデニーロは医者へ質問を続けた。
「先ほどセレスティア嬢が、アイリス嬢の自死を口にしましたが……。
先生はアイリス嬢が毒薬瓶を持ち出し自ら飲んだと考えますか?」
デニーロの質問に、静かに首を横に振る医者。
「それは有り得ません。
あの日、アイリスお嬢様は屋根裏部屋に閉じ込められていました。
それがなくても、アイリスお嬢様は執務室への入室を許されておりません」
「ではお聞きします。
毒薬瓶を持ち出せた人物は誰ですか?」
デニーロの問いに、躊躇する様子を見せる医者。
ここに立つ時点で身の危険は覚悟の上、しかし名を言ってしまえば――。
震える医者にデニーロは暖かな笑顔を向ける。
医者はその笑顔にハッとなった。
あの日の深夜、アイリスは吐血した。
このままでは命はない。
しかし毒薬を飲ませた犯人は――。
そこまで考えた医者はアイリスを慕う使用人と協力し合い、秘密裏にアイリスをデニーロの元へ運んだ。
デニーロと治療院の助けを借り、なんとかアイリスは峠は越えた。
そんな中、医者は見ていたのだ。
デニーロがアイリスの吐血した血を浴びながらも、必死に呼びかける姿を。
アイリスの容体安定した時に見せたデニーロ涙を。
あの時、膝をつき感謝を伝えるデニーロは、今と同じように暖かな笑顔を浮かべていた。
医者は覚悟を決め、口を開いた。
「当主様、奥様、セレスティアお嬢様の三名です」
医者の覚悟にデニーロは小声で感謝を伝えた。
そして裁判長に向き直り、声を張り上げる。
「裁判長、現在アイリス嬢は我が家で治療を行なっております。容体は安定しておりますが、まだ目を覚ましておりません」
デニーロの良く通る声は、裁判場の最後列に居る傍聴人にまで届く。
「私は被告人四名の厳罰を要求いたします」
その発言に被告人席がまたも声を張り上げる。
しかしその声は誰にも届くことはなかった。
裁判長は補佐官から書類を受け取り木槌を鳴らした。
ゴンッ
その音を合図に静寂が訪れる。
「筆跡鑑定の結果が出た。
アイリス嬢の名を語り宝飾品を買っていた人物は、公爵夫人だと判明した」
ラスタ公爵が声を上げようと口を開くが、裁判長に睨まれ言葉を発することができなかった。
セレスティアの噛む爪からは血が滲んでいるにも関わらず、その目は父である公爵を、そしてデニーロを睨んでいた。
裁判長はその様子にため息を漏らし、陪審員に視線を向ける。
「これより陪審員の決議に入る。
原告の訴えを可決する場合は札を上げよ」
その言葉に陪審員は、一人、また一人と札を上げる。
若い貴族も胸を張り札を上げた。
裁判長は陪審員を見渡し、木槌を振るう。
ゴンッ
「陪審員の評決は一致した」
静まり返る法廷。
「セレスティアは名誉毀損及び殺人未遂の主犯と認める。
ラスタ公爵夫妻は共謀及び監督責任を問う。
セドリック王太子は婚約破棄における不当行為を認め、慰謝料を支払うこと」
一瞬の静寂。
そして――。
市民席から静かに嗚咽が漏れる。
自分たちを心温かく守ってくれたアイリスの冤罪が晴らされた瞬間である。
貴族たちは、その光景を唖然と見つめていた。
こんなにも大勢の心を照らすアイリス。
「聖女は彼女だったのか……」
誰かの声が静かな裁判上に響いた。
被告人席は誰一人として声を上げない。
皆が一様に、自身の非を認めず心の中で誰かに責を問うていた。
それがわかるほどに、彼らの瞳は互いを睨んでいたのだ。
裁判長は高らかに宣言する。
デニーロに、感涙の市民へ語るように。
「ラスタ公爵家長女アイリスの名誉は、王国法の下に完全に回復されたとここに宣言する」
デニーロは裁判長、市民、陪審員へ一礼をし、噛み締めるように拳を握った。
「これにて本法廷を閉廷する」
裁判長がそう宣言すると、裁判場の扉が開かれた。
市民たちは駆け出し、外で祈る同胞に結果を伝える。
その日は、お祭りのように夜通し喜びの声が絶えず響いた。
◆◇◆
あれから月日が流れた。
セドリックから支払われた慰謝料は、目覚めたアイリスによって全額寄付された。
裁判を行なった時点で、セドリックの継承権剥奪が決まっていたらしく、あの日以降姿を見ていない。
幽閉されただの、毒杯を賜っただの噂はあるが真偽不明である。
ただ一つわかっていることは。
王族でありながら、誰一人として彼の無実を訴える者はいなかったという事実のみ。
ラスタ公爵家は当主の監督責任が問われ、当主夫妻は更迭後、平民へおとされた。
アイリスの叔父夫婦が跡を継ぐそうだ。
それ故にセレスティアも平民になった。
裁判後、市民から向けられた視線を忘れられない彼女には安息の地はないだろう。
誰も彼女を“聖女”とは呼ばなかった。
「アイリス」
仕事から帰宅したらデニーロは庭園で泥に塗れるアイリスに声をかけた。
「あら、おかえりなさい」
笑顔で迎えるアイリスの顔にも泥がついており、デニーロは苦笑しながらハンカチで撫でる。
「こんなに汚して…、体は辛くない?」
デニーロはアイリスを心配そうに見つめる。
そんなデニーロをアイリスは笑った。
「ふふふ、もうすっかり健康なのよ?」
「そうは言っても最近まで寝たきりだったんだから…」
「もう、最近って言っても一ヶ月以上前の話じゃない」
プリプリと怒るアイリスが可愛らしく、デニーロは笑ってしまう。
最近は食べる量が増えたとはいえ、まだまだ細い。
デニーロは近くの椅子へアイリスをエスコートし座らせた。
デニーロは一度だけ、深く息を吸った。
そしてアイリスの目の前で跪く。
「デニーロ?どうしたの?」
首を傾げるアイリスに、指輪を差し出すデニーロ。
「アイリス、一生君を守る。
だから隣にいてくれないか?」
アイリスは驚き、次の瞬間両目から大粒の涙をこぼした。
「私…婚約破棄されたのよ?」
「アイリスの良さがわからないセドリック殿下は可哀想だよね」
「ッ…家族にも嫌われてるの」
「僕と家族になろう」
「……どうして私を選んでくれるの?」
アイリスの涙を手で拭うデニーロは、当たり前のように答える。
「孤児院で笑う君をずっと見ていた。
治療院で励まし看病する君をずっと応援していた。
隣国から一人で来た僕の支えだったんだ…。
アイリスは素敵な女性だよ」
デニーロの笑顔に、つられたようにアイリスも笑顔になる。
「私ね、本当はずっと前からデニーロのことが大好きなの」
アイリスの言葉に、デニーロはゆっくりアイリスを抱きしめる。
デニーロの背に手を回し、アイリスは目を閉じた。
「アイリス、結婚しよう」
「はい」
悪女など、最初から存在しなかった――。




