第三話「ストレンジ家の寝室にて」
近い。怖い。こちらへ伸ばされた手に、さっきの恐怖が蘇る。絶対に、私の力じゃ抵抗できない。できる気がしない。どこで間違えたんだろう……萎縮どころか、子猫の威嚇をあしらうような態度。私のことを恐ろしいとも思っていないことが目に見えてわかった。なんで、いつから……?
散らかった思考を手繰り寄せ反芻する。
「そんなに怯えないで……ください」
エイドリアンは私の頭を一度撫でると、今度はシャツに手をかけた。そのほとんどの仕草から、有無を言わせぬ圧を感じる。無表情だからか?
優しげな顔立ちは何も変わっていないのに、恐ろしくて抵抗することすらできない。されるがままに服を脱ぎ、傷だらけの身体を彼に晒した。
少しの間沈黙が続く。居心地の悪さに息苦しくなってきた頃、エイドリアンが呟くように言った。
「……ひどい怪我。これはヴィクター様が?」
「口も閉じれねーのか、テメェは」
その言葉に立腹する様子もなく、悪態をつけばつくほど惨めさがあけすけになっている気がする。
なるほど。これが屈辱というやつか。この場で取り繕おうとしたところで、より相手に隙を与えるだけだろう。誰に対するわけでもない言い訳を頭の中で並び立てながら、大人しくエイドリアンに身を預けた。
しばらく湯に浸かり、冷静になってきた頭で考える。少し前から彼のレスターに対する態度の異変には気づいていたが、ここにきて決定的な違いが生まれてしまった。エイドリアンがレスターを恐れていないのだ。本編では過去の描写は些細なものだったが、主人公と出会ったときにはすでにレスターに対して恐怖心を抱いていたはずなのに。
きっと、レスターが兄たちから受けている仕打ちに気づいてしまったからだろう。それと同時に、レスターの行動原理が自己防衛であることにも。
「傷口に触れます。痛くはしないので、お許しください」
そう言って返事も待たず私の腕を手に取ると、なにかを呟いた。瞬間、まばらにあった傷や痣が白く発光し、虫が素肌を這うような感覚とともに塞がっていく。
……魔法だ!
魔法自体を見るのは初めてじゃないが、光属性のものは初めてだった。温かいものに優しく包まれているような、奇妙で絶対的な安心感。これこそが、光が上位の属性だとされる所以である。
対してレスターが使う闇属性の魔法は、多大な精神力を消費するのにもかかわらず基本的にじわじわとした精神攻撃しかできない。はっきり言ってコスパ最悪のハズレ属性だ。作中でもレスターが闇属性魔法を使っている場面はなかった。
エイドリアンは先程までの威圧感をどこかへやって、ほんのり微笑んでいた。
「他の怪我も…………っ!」
顔を覗き込んできたところを狙い、エイドリアンの髪に掴みかかる。ちょうど屈もうとしていた彼は、そのままバランスを崩すと湯船の淵に勢いよく身体をぶつけたようで、私が蹴りを入れたときよりも痛そうに呻いた。
……ちょっと、想定よりやりすぎたかもしれない。見てるだけで痛々しい。しかし今の私は彼のことを心配できる立場にはいないのだ。心配どころかもう一度髪を掴み、無理やり顔を上げさせた。
「さっきからなんだよ。馬鹿にしてんのか、俺のこと」
道を誤ったのなら、強引にでも軌道修正するほかない。エイドリアンはまだ十二歳で、メインストーリー開始まであと三年はある。私は、ヒロインと攻略対象がくっつくようにきっかけを作る悪役なのだ。少しでも絆されたような素振りを見せては、今後のシナリオに影響が出る。
「……不愉快だ。次に同じことをしたらこれじゃ済まねーからな」
入浴を済ませた私は、上等なベッドの上で仰向けになりながら考え込んでいた。
「なにやってるんだろ……」
そもそも、本当にシナリオをなぞる必要があるの? まあ、好きな作品だったとか……あの日演じきれなかったことへの憂さ晴らしだとか、色々理由はつけられるけど。どうせ全部前世のことなんだから、ちょっとシナリオを変えるくらいいいんじゃないの。
自問自答を続けたところで、急にすべてが馬鹿らしくなってしまった。だって、私はもともと普通の女子高生で、人を本気で殴ったことなんかなくて、人から本気で殴られたこともなくて……無意識に、あの暴力の数々を思い出す。それだけで身がすくみ、どっと冷や汗が出る。呼吸が変になって苦しくて、シーツに頭を押し付けた。
おそらく、随分と前に限界は来ていたのだろう。非日常にあてられて、ここが舞台の上だと錯覚しながら押し寄せる不安を無視しすることだけでなんとか生活を繰り返していた。
「うう、あ、ああ……」
ついに抑えきれなくなって、よだれが垂れることも気にせずに、口を開けたまま唸った。
この世界に来てから泣いたのはこれで二度目だ。初めてヴィクターから暴力を振るわれ、理由もわからず大泣きしながら謝罪を繰り返したあの日から、私はレスターと自分自身を分けて考えるようになった。演者だからという理由をあとづけ、多少は残っていた演劇への未練をだし使った。
だけど、もう限界だ。すでに私は、エイドリアンを前にしてレスターでいることを保つことができなくなっている。画面越しで見るよりもずっと、彼は強かった。
もしエイドリアンに六年間隠し続けたこの秘密を打ち明けたなら、彼は助けてくれるだろうか。もし、エイドリアンに「助けて」と言ってしまえたら、彼は私を助けてくれるだろうか?
この物語の筋書き通り、心優しい彼ならば。
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プロットを作らずに本編を書き始めて、やんわりと後悔しています……。しかしお話を書くのは楽しいのでオールオッケーです。




